生きろ、フロストノヴァ   作:猛暑凍傷

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#3 後悔と展望

 崖から、女の子が落ちていく。ガラスを引っ掻いたような甲高い悲鳴がこだまする。

 慌てて駆け寄ったフロストノヴァは、必死に手を伸ばした。間一髪、女の子の手を掴むことに成功する。

 

「大丈夫か、今引き上げてやる」

「…………」

 

 女の子は何も言わなかった。フロストノヴァの右手を命綱に、宙でぶらぶらと揺れている。

 

 崖の上に引き上げようと、フロストノヴァが腕に力を込めた瞬間、女の子が声を上げた。

 

「痛い!」

 

 女の子の腕が凍っていく。

 フロストノヴァの体温のせいだ。

 しかし手を離すわけにはいかない。離した瞬間、女の子は崖下に真っ逆さまだ。

 

「少し我慢してくれ! すぐに――」

 

 フロストノヴァが言い終わる前に、女の子が顔を上げた。

 その顔を見た瞬間、フロストノヴァの心臓が跳ねる。

 

 女の子は、フロストノヴァだった。

 

 幼い頃の、ボロ布みたいな服を纏った自分が、無表情でフロストノヴァを見据えてくる。

 

「なぜ助けられなかった?」

 

 ぞっとするほど、抑揚のない声だった。

 

「兄弟も、父さんも、レユニオンも。……タルラも」

「やめろ……」

「なぜお前は弱い?」

「やめてくれ……」

「数多の敵を返り討ちにする強さを持ちながら、なぜ誰も守れなかった?」

「…………っ」

「誰も守れないほど弱いくせに、なぜお前は生きている?」

「やめろと言っている!」

 

 フロストノヴァが叫んだ瞬間、掴んでいた自分の腕が凍って砕けた。冷たい目をしたエレーナが、真っ暗な奈落へ落ちていく。

 

 ――なぜだ? なぜ私は弱い? 弱いのになぜ生きている? どうして!!

 

 ◆◆◆

 

 目が覚めると、ベッドの上だった。

 心臓が痛いほどに脈打ち、全身は冷や汗でびっしょりと濡れている。

 

 寝ている間に夜が明けていたらしく、病室の窓からは柔らかい朝の日差しが差し込んでいる。

 

「またか……」

 

 このところ、同じような夢ばかりを見ていた。

 自分一人が生き残ってしまったことへの罪悪感か、あるいは助けられなかった仲間たちのあの世からの恨み言か。

 

 フロストノヴァは顔を両手で覆って深呼吸を繰り返す。

 

 もうすぐ医療オペレーターが朝食を持ってきてくれる頃合いだ。

 自分のこんな顔を、誰かに見られたくなかった。

 

 ◆◆◆

 

「外に出てみない?」

 

 ススーロがそう提案してきたのは、朝食を食べ終えて少しした頃だった。

 

「いいのか?」

「車椅子の移動だけどね。ドクターからも頼まれてるんだ。ロドスのことを早く知ってほしいって」

「そう、なのか……」

 

 清潔な病室の居心地も良かったが、少し出歩いてみたいと思っていたところだった。

 ありがたい申し出に、フロストノヴァは自分の声が少しだけ明るくなったのを自覚した。

 

「分かった。頼むよ」

 

 ススーロは提案が承諾されることを見越していたようで、車椅子は既に用意されていた。

 

 フロストノヴァを乗せた車椅子は、ススーロに押されて、ゆっくりと病室を出発した。

 

 ◆◆◆

 

 ロドスアイランド。

 巨大な陸上艦であるという話は聞いていたが、まさかここまでの大きさとは思わなかった。

 さすがに移動都市クラスとまでは行かないが、小規模な村なら楽々と収まってしまいそうなくらいには大きいようだ。

 

 通路を進む道中、ススーロはよく声をかけられていた。

 

「ススーロ先輩、24号室の患者なんですけど——」

「ああ、リリータさんね。カルテを見せて。……このまま投薬を続けて大丈夫じゃないかな」

 

 と、後輩らしき人に指導をしたかと思えば。

 

「お、ススーロ先生じゃん。その人は?」

「新しい患者さんだよ」

「おう、そうだったのか。——なぁ、アンタ。ススーロ先生いい人だろ! いいなぁ、ガヴィル先生おっかなくてなぁ」

 

 と、見ず知らずのフロストノヴァにも気さくに話しかけてくれる人もいて。

 

「ススーロちゃん! 今日も頑張ってるね。お菓子あげるよー」

「ちょっと、子供じゃないから!」

 

 などとじゃれあっていたり。

 

 すれ違う人たちは皆気さくで、フロストノヴァの心に柔らかな熱が灯る。

 

「ここにいるのは、全員、感染者なのか?」

「大半はね。でも全員じゃないよ。ロドスに所属する感染者たちは鉱石病の治療の対価としてロドス内で自分ができる仕事を担うの」

 

 艦内を行き交う人々を見て、フロストノヴァは気が付いた。

 悲嘆や絶望、苦悶の表情を浮かべる者はいない。

 ロドスでは飢えや疑念、いつ来るとも分からぬ襲撃を恐れる必要はないのだ。

 

 ——兄弟たちに見せてやりたかった。

 

 雪原で冷たい風に逆らって歩くことしか知らない兄弟たちが今この場にいられたら。

 きっと喜ぶだろう。仰天してひっくり返るかもしれない。

 出会った頃のタルラが目指していたものの一つの答えが、このロドスアイランドなのかもしれない。

 

 ロドスに対する羨望と、レユニオンが到達できなかった理想と、自分だけがこれを享受することになってしまったことへの申し訳なさがない交ぜになって、フロストノヴァの胸をぷつりと刺した。

 

「どこか行ってみたい場所はある?」

 

 車椅子を押しながらススーロが問う。

 

「人がいる所へ、行きたい」

 

 ここ最近は病室でほとんど一人きりだった。人の気配を感じたい。

 

「それじゃあ、食堂に行こう。お昼時だから人も多いと思うよ」

「ああ、頼む」

 

 ◆◆◆

 

 食堂は一段と人が多かった。

 テーブルにつき、友人同士と会話をする者、トレーに載った食事を一心不乱にかき込む者。

 

 鉱石病のせいで、まともに味覚が機能していないフロストノヴァだが、夜に焚き火を囲んで仲間と食事をする時間は好きだった。

 

 活気あるロドスの食堂の雰囲気は嫌いではない。

 

「ごめん、まだ普通の食事は……」

 

 申し訳なさそうに言うススーロに、フロストノヴァは軽く手を振って「気にするな」と応じる。

 

 食堂にいる人たちは、年齢も種族も様々だ。サルカズも多い。

 厨房ではウルサス人と思しき少女と、フォルテの大男(ミノス人だろうか?)を中心に、調理担当の人間が慌ただしく動き回っている。

 

 病室用の服を着て、車椅子に乗っているフロストノヴァは目立つかと思っていたが、車椅子や点滴スタンドを傍に食事を摂っている者も少なくなかった。

 

「あ、ススーロ先生……」

 

 ススーロと顔見知りと思しき少女が一人、声をかけてきた。

 耳の形からしてウルサス人か。髪は短く切り揃えており、少し神経質そうな表情を浮かべている。

 腰のガンベルトには、拳銃型のアーツユニットが備えられていた。

 

 ススーロもにこやかに応じる。

 

「こんにちは、ゾーヤ。もう立派なロドスのオペレーターだね。コードネームは?」

 

 ゾーヤと呼ばれた少女は、少し複雑そうな顔をして答えた。

 

「コードネームはアブサント。まだ、予備隊員だけど……早くロドスの役に立てるように、頑張るから」

「応援してる。無理はしないようにね」

 

 アブサントは、こくりと頷く。

 

「でも、早く父さんみたいな、立派な大人になりたい。――もう二度と、チェルノボーグのような悲劇は、起こさせたくないから」

 

 チェルノボーグ。

 アブサントの口から飛び出した単語に、フロストノヴァは頭が痺れたような錯覚に陥った。

 

 件のレユニオンが引き起こした一連の事件は、チェルノボーグから始まった。

 そこで生み出されてしまった凄惨な光景は、パトリオットやレユニオンの構成員から聞き及んでいた。

 

 チェルノボーグで、大勢の民間人を虐殺したことを、大手柄のように語るレユニオンの構成員の声が、フロストノヴァの耳の奥で反響する。

 それを聞いたタルラが、歪んだ微笑みを浮かべていたことも思い出した。

 

 どろどろとした、粘っこい感情が、フロストノヴァの胸の内を満たす。

 

 フロストノヴァの目の前にいるアブサントは、そんなレユニオンの暴動に巻き込まれた子供の一人なのだろう。暴動と天災にさらされたチェルノボーグの様相は、フロストノヴァも知るところだ。

 幼い頃から差別にさらされ、荒野の中で明日をも知れぬ命を何とか繋いできたフロストノヴァだからこそ、この少女が、ロドスに来るまでに、どれだけのことを経験したかは、痛いほど分かる。

 

 飢えにあえぎ、鉱石病の苦痛に眠れぬ夜を過ごした、幼い頃の自分の姿が、アブサントと重なる。

 

 吐き気が込み上げてきた。

 

 こんなこと、今までなかったのに……。

 

 ススーロが何か言っているけれど、フロストノヴァには、聞き取ることができなかった。

 

 ◆◆◆

 

 変調を察したススーロが、フロストノヴァを病室に連れ戻してくれた。

 

 病室に戻ると同時、トイレに駆け込んだフロストノヴァは、思い切り吐いた。

 最悪な気分だ。こんなことは初めてだった。

 床にうずくまり、えずきながら、フロストノヴァは自嘲する。

 

(私は……こんなに弱かったのか……?)

 

 吐いたことによって反射的に浮かんできた涙を乱暴に拭い、トイレから出たフロストノヴァは、ベッドに身を横たえる。

 

「大丈夫……?」

 

 心配そうにしているススーロが差し出してくれた水を飲む。

 冷えた水が喉を滑り落ちていき、胸のあたりに淀んでいたむかつきを、少しだけ和らげてくれた。

 

「平気だ」

 

 自分でも驚くほどに、声がかすれた。

 

 空のコップを受け取ったススーロは、何か言いたげに口を開いたり閉じたりしている。

 フロストノヴァの変調に対して、責任を覚えているのかもしれない。

 

 フロストノヴァは、小さく笑って見せた。

 

「ロドスは、いい所だな。――私は大丈夫だ。少し、一人にしてくれないか」

 

 ためらいがちに頷いたススーロは、フロストノヴァをちらちら見つつ、「後でまた来るからね」と残して病室を出ていった。

 

 ◆◆◆

 

 その日の午後から夕食に至るまで、フロストノヴァは、鬱々とした心持ちで過ごした。時折ススーロが様子を見に来てくれたが、会話はほとんどなかった。

 

 頭の中にあるのは、死んでいった同胞と、無力な自分。

 考えてもどうしようもないことばかりが、浮かんでは消えていく。

 

 自分の中に渦巻く感情を持て余していることは自覚していた。しかし、これをどこに吐き出したらいいのか分からなかったし、そもそも吐き出せるほど、形を成していない気もする。

 

 窓の外はとっくに日が暮れていて、無機質な荒野が見える。

 

 ベッドの上で上半身を起こしたまま、ぼうっとしていたフロストノヴァだったが、突如、部屋の中に人の気配を感じた。

 視線を走らせるが、部屋に人の姿はない。しかし、確かに、いる。

 

「誰だ」

 

 鋭く問いかけると、白い壁がゆらりと動いた。

 

「気付かれちまったか。さすがはレユニオンの幹部様だ」

 

 空間からにじみ出るように現れたのは、一人の男。

 尻尾の形からして、サヴラだろうか。

 

「どこから入ってきた?」

「どこからって、そこの扉からだよ。それ以外ねーだろ?」

 

 全くもって気が付かなかった。この男のアーツだろうか。

 警戒をにじませるフロストノヴァに、男は軽く肩をすくめた。

 

「そんな怖い顔しないでくれよ。別に嫌がらせしに来たわけじゃない。俺はイーサンってんだ」

 

 イーサンと名乗った男は、ポケットから取り出したヨーヨーを弄びながら、フロストノヴァをまじまじと見つめてくる。

 

「あんた、フロストノヴァだろ。レユニオン幹部の」

「私を知っているのか?」

「俺もレユニオンにいたことがあってね。スノーデビル小隊のリーダー、凍原の白いコータスの噂は、俺みたいな末端の構成員だって聞いたことがある」

 

 スノーデビル、という単語が、フロストノヴァの胸をちくりと刺した。その名を冠する部隊は、もう、ない。

 

「ロドスに担ぎ込まれたって話を聞いた時は驚いたぜ。――で、今日の昼、食堂にいたろ。一目見てピンと来たね、あんたがフロストノヴァで間違いないってな」

 

 イーサンの口調は飄々としていて、その真意がどこにあるのかは分からなかったが、敵意がないことは確からしい。やや警戒を解いて、フロストノヴァは問うた。

 

「お前もチェルノボーグにいたのか?」

「いいや、俺はその前に抜けたよ。大変だったんだぜ、あっちこっち追っかけ回されてな」

 

 それはそうだろう。タルラがおかしくなってからというもの、レユニオンの裏切り者に対する態度は、目に見えて厳しくなっていった。苦難を分かち合うはずの同胞でありながら相互に監視し合う、皮肉めいた話だ。

 

「そんなリスクを負ってまで、どうしてレユニオンを抜けようとした?」

「…………」

 

 一瞬だけ、イーサンの表情が曇ったが、それはすぐに消え、あっけらかんと答えた。

 

「飯がマズかったからな」

 

 フロストノヴァは苦笑を浮かべた。

 

「そうか。――木の根とか?」

「ああ、ボール紙みたいなパンとかな」

 

 イーサンはにんまりと笑った。

 

「その点、ロドスは天国だぜ。テラ各地の美食が勢揃いと来てる。マッターホルンっていうオッサン、厨房にいるフォルテの大男な。そいつが作った今日のイェラグ料理はサイコーだったね。あんたも食ったかい?」

「いや」

「そりゃもったいない。次は逃さないほうがいいぜ」

 

 沈黙が降りる。

 

 ヨーヨーを器用に操っているイーサンに、フロストノヴァはぽつりとこぼした。

 

「……すまない」

「何が?」

 

 相変わらずヨーヨーをぶん回しながら、イーサンが聞いた。

 

「本来、レユニオンは、感染者の居場所であり、家であるはずだった。だが、どこかで道を違えてしまった。レユニオンがおかしくなっていくのを、私は止められなかった……いや、止めようとしなかったのかもしれない」

 

 たった今、会ったばかりの人間にこんなことを言っていることに、フロストノヴァ自身が驚いていた。

 不思議だが、元レユニオンでありながらまともに面識がなかったという、イーサンの立場が、そうさせてくれているのかもしれない。

 

 イーサンがヨーヨーを掴んで、首を傾げた。

 

「俺はあんたのことは知らないし、レユニオンにいた期間も短かったからな。そういう細かい事情は分からねーよ。レユニオンは、まあ、なんつーか、そりが合わなかったってやつさ」

「…………」

「あんたにとってのレユニオンが何だったのかはよく分からないが……。とにかく、ロドスはいい所だぜ。レユニオンの代わりにはならないと思うけど、ここを家だと思うのもいいんじゃないか」

「そうだな、ありがとう」

「礼ならドクターに言ってくれよ。さっき急に『あんたの見舞いに行ってくれ』って連絡が来てな。――慣れないことして腹が減ったよ」

 

 厨房の冷蔵庫に何か残ってるかな、とイーサンがぼやく。

 

「手間をかけさせて悪かったな」

「別に。元気になったら食堂の飯でも食ってみたらいいさ。――じゃあ俺はもう行く。元レユニオン同士、仲良くやろうぜ」

「ああ」

 

 じゃあな、と軽く手を振って、イーサンは病室から出ていった。

 

 決して長くはなかったイーサンとのやり取りを、フロストノヴァは反芻する。

 ロドスを家だと思う――それも悪くないのかもしれない。

 いつかのドクターの言葉を思い出した。どんな罪を背負っていようとも、人はやり直せると。死んでしまえば、やり直すことすらかなわない。

 

(やり直せるだろうか……私に……)

 

 ふかふかのベッドに仰向けになって、フロストノヴァは目を閉じた。

 

 

 

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