猫とその飼い主とのSFちっく日常コメディー。

夏目漱石の『吾輩は猫である』のオマージュ作品(ネタバレらしきものを含む)で、三人称型二人称小説の練習に書いたものです。一・三次創作くらいの塩梅だと思います。
二人称小説のことはほとんど知らず、書くのも初めてなので、ご指摘等頂けましたら幸いです。

カクヨムとエブリスタにも投稿しています。

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貴台は猫である

 貴台(きだい)は猫である。名前はもうある。貴台の主人が付けた、〈ポチ〉という名だ。

 主人は大学院で物理学の研究をしているのだが、彼女には少しばかり阿呆なきらいがあるようで、そのような名を自信たっぷりに与えた。

 猫にしては少しばかり賢く、人間の事情にも明るい貴台は、ポチというのは犬に付ける名前ではないのか? この痩せぎすの女はお馬鹿さんなのか? といった具合にたいそうあきれざるを得なかった。

 そんな貴台は、飼い猫らしく主人の家でのんべんだらりと暮らしている。その家は、主人の父君が彼の両親から相続した木造の平屋を、主人とその妹君──彼女はこの近辺で有名な美貌家である──が相続したもので、そう、築深である。つまり、虫はもちろん、鼠まで出る。

 

「ちゅうっ! ちゅーー!」

 

 今日も今日とて、貴台は褐色のそれを追いかけていた。台所の隅で見つけたのだ。住人が不在の隙に食物をせしめんとしたに違いなかった。

 貴台は賢いが、特段義理堅いわけではない。こうして小さな泥棒を追いかけ回しているのは、ただの狩猟本能である。

 貴台は、必死に逃げる鼠のお尻に殺意マシマシの爪剥き出し猫パンチを繰り出した!

 

「にゃ!」

 

 シュッという風切り音。

 

「ちゅ!」

 

 しかし、惜しくも空を切った。鼠が、気合いの声と共に、物理法則を打ち破らんばかりの急加速にてかわしたのだ。

 こやつ、やりおる。

 貴台は感心してしまった。

 それがよくなかった。やりおる鼠は、貴台の動きが緩まった一瞬を逃さずに冷蔵庫の裏の隙間に入り込んでしまった。そこには壁裏に行ける穴が空いている。

 タタタ、と鼠の足音が遠のいてゆく。

 貴台は、にゃあ、と鳴くと、台所を後にした。居間の座布団で昼寝をするためだ。 

 

 

 

 

 

 

 その日、主人が帰ってきたのは夕方だった。

 それはさして珍しくもない日常の一風景にすぎず、貴台は座布団から体を上げるでもなく、にゃあ、と気怠く鳴くだけだった。

 が、それに答える主人の言葉は、すこぶるイカれていた。

 

「ポチよ、わたしはシュレーディンガーの猫が見たいのだ」

 

 貴台は眉をひそめた。この女、またおかしなことを言い出したぞ。

 おかしな女は、しかし貴台の内心など知る由もなく、にこやかな笑み──その瞳は爛々(らんらん)と照っている──を浮かべて、

 

「ポチは猫だからよくわからないかもしれないが、すべての物質は、観測による相互作用がない限り波動(なみ)の状態でありつづけるのだ。簡単に言うと、見られるまで物質の状態は確定されない。誤解を恐れずにもっと簡単に言うと、物質たちはいつも〈達磨さんが転んだ〉をして遊んでいるのだ。わたしはその不確定な波動の状態のポチを見てみたい」

 

 知ってるよ。量子力学でしょ。

 かの有名なコペンハーゲン解釈である。ただ、それが支持されているのはシュレーディンガー方程式が使いやすいからという理由が主で、つまり証明された定説ではない。

 貴台は、だからそれを、宇宙空間なのになぜか轟音が鳴り響くSF映画と五十歩百歩の眉唾物だと思っているが、多少の情けは心得ている猫であるゆえ、その解釈を真と措定(そてい)して答えてやった。

 

「にゃー?」

  

 見たら粒子になるのだから波動は見れないでしょ? 馬鹿なの? 死ねば? という思いを込めていた。

 しかし人間族というのは、その多くが猫族の言語を解せぬ下等な生き物である。貴台の主人もその例に洩れず、

 

「そうかそうか、ポチも気になるか。流石は学徒の家の猫、すばらしき知的好奇心だ」

 

 うんうん、と満足げにうなずいた。

 

「にゃぁ……」

 

 駄目だこいつ、と貴台は内心で溜め息をついた。

 それとほとんど同時にべらぼうに嫌な予感が脳裏をよぎった。まさかこの女、あの狂気の思考実験を実際にやらかそうというのではあるまいな? いやまさかな。いくら阿呆といっても、そこまでではあるま──

 

「──ぅにゃ?!」

 

 ところが主人は、いつになく敏活な動きで貴台の首根っ子を掴むと、貴台をひょいと持ち上げた。

 

「ポチも快く快諾してくれたことだし、早速、実験を始めよう」

 

「にゃ、にゃあにゃあ!」

 

 お、おいやめろこのど阿呆! 

 貴台はじたばたと暴れて鳴くが、冗長な重言にも気づかぬど阿呆は意に介さない。というより、ポチは実験への期待に浮かれてはしゃいでいる、と解しているようだった。

 主人は、うきうきと歩を進めて台所に入り、妹君の願いにより最近買い替えた高性能な大型電子レンジの前に立った。その扉をパカッと開けると、どこからともなく布製のガムテープを取り出しながら言う。

 

「まずポチをこの中に入れ、ガムテープでぐるぐる巻きにして中が見えないようにする」

 

 何と殺意の強い手口だろうか。

 

「みゃーお! みゃーお!」

 

「そして!」と主人は声を高くした。「〈温め〉で三分、チンするのだ! この三分というのは、わたしの勘によると生き延びるか死ぬかどちらに転んでもおかしくない時間でね──すなわち! 君の血肉はマイクロ波によりちょうどいい塩梅にシェイクされ、生と死の狭間で揺蕩う不確定的存在となる!」

 

 圧倒的未必の故意!!

 

「ナ゛ァー!! ミ゛ャーオ!!」

 

「で、わたしは気合いで相互作用を誤魔化してそれを見る!」

 

 そこをどうにかできないからこその、長年物理学者の頭を悩ませつづけている観測問題だろうに、精神論でどうにかなったらご主人の存在意義がなくなってしまうぞ。

 貴台はそう伝えたくてやまないが、無論かなわない。

 噫無情(ああむじょう)。貴台は鉄の箱の中に閉じ込められてしまった。あっという間にガムテープが巻かれ、扉のガラスも覆われて真っ暗。

 鳴いても、扉は開かぬ。爪を立てて足掻いても、暗闇は破れぬ。

 

「にゃー……」

 

 貴台は、もはやここまでか、と諦念に至りかけていた。

 無理なものは無理。無理を通そうとするのは自ら好んで拷問に罹るようなもの。であるならば、自分が死ぬ、という事実を穏やかな心持ちで受け入れるべきなのだろう。何、恐れる必要はない。死んだら太平を得られる。死ななければ太平は得られぬ。

 自然と四肢から力が抜けてゆく。

 ふと、生死がまじり合う気配がした。自らの存在が海市蜃楼(かいししんろう)めく。生きているのだか死んでいるのだか判然しない。

 しかし、貴台は楽であった。否、楽そのものすらも感じえない。あるいはそれは、しみ真実の無。

 てか、今の吾輩、実質、量子じゃね?

 そうか、と貴台は悟る。無我の境地とは、量子へと回帰することだったのだ。

 貴台の心に爽快な風が吹き抜けた。

 南無南無(にゃむにゃむ)……。

 

「……?」

 

 しかし、一向にファラリスの雄牛、もとい電子レンジは起動しない。これはどうしたことか?

 

「駄目だ、動かない」

 

 ご主人の嘆く声が聞こえてきて、貴台は状況を察した。どうやら電子レンジが壊れてしまっているようだった。

 ガムテープを剥がすビリビリ音を聞きながら貴台は、考える。

 なぜ壊れたのか? 信頼の置ける一流メーカーの高級家電なのに、なぜこれほど早く不具合を起こしたのか?

 時を交わさずして、ひらめくものがあった。

 貴台は鼠の習性を思い出していた。きゃつらは家電などのコードをかじる。伸びつづける前歯を削るためだ。漏電なり断線なりしたらブレーカーが落ちているはずだから、かじる際にコンセントが抜けてしまったのだろう。

 ガムテープが剥がされる、耳障りでありながら心地よい音の向こうに別の音が聞こえた。建付けの悪い玄関扉をスライドさせる、ガラガラという音だ。ご主人の手が止まる。

 今度は妹君が帰ってきたらしい。足音が近づいてきて、

 

「え、何これ?」

 

 妹君の驚いた声。買ったばかりの電子レンジに巻き付けたガムテープを剥がす姉を目撃した妹の心境とは、いかなるものだろうか。少なくともいい気分ではないように思う。

 

「い、いや、これはな、波動の第一目撃者になろうとしてな」

 

 妹君には弱いご主人は、明らかに動揺している。

 

「ナミィイ?」妹君の語尾が、険を含んで指数関数的に上がった。「意味わかんないんだけど──てか、ポチは? いつもは座布団でだらけてるのに」

 

 ギクリ。扉越しに見えるご主人の影から、そんな気配がした。

 

「……まさか」

 

 と洩らした妹君が足早に近寄ってきて、扉のガムテープの隙間を覗き込んた。

 貴台の目に妹君の瞳が映った。その柳眉がみるみる吊り上がってゆく。

 あーあ、と貴台は思う。雷が落ちるな、こりゃ。

 その予想は正しく、

 

「お姉ちゃん!! 何考えてるのよ!!」

 

 空気がビリビリと震えたのがわかった──妹君は怒髪天を衝かんばかりに憤懣(ふんまん)やる方なきなり。

 その後、ご主人はしこたま絞られて、ポチをレンチンしません、という旨の誓約書を書かされていた。

 ありがたいありがたい。

 

 

 

 

 

 

(了)




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