「ひでぇな、こりゃ。」
ザーザーと、雨が地面を叩きつけるように降ってくる。
最近は曇天続きだと思っていたが、まさかこんなにも土砂降りになるとは。
念を入れて傘を持ち歩いていた過去の自分に感謝しつつ傘をさして歩き、重い足取りで駅を出た。
家までの見慣れた道のり。元々ここが田舎であることに加え、大雨のせいで誰一人外にいない。
時間帯も22時。怪談の舞台になるには相応しい状況であり、少し心臓の打つ音が早くなる。
流石に俺もそんな幽霊なんて存在を信じてはないが、暗闇を恐れる人間の本能には勝てないものだ。
「・・・気のせいだ、気のせい。」
早く帰ってしまおう。そう思って歩を進める速度を早める。
自分はこんなにも小心者だっただろうか。こんなところで自分の器の小ささを認識するとは、なんとも嫌な話である。
所詮、ただの帰り道。どれだけ変わろうとも、いつもは自分が見ている光景。足を進めるたびに恐怖心が減っていくのを感じる。
そんな中、ふと視界の端に違和感を感じた。
気になった方向を見ると、そこは見慣れた公園だった。
普通なら気になるものなどないはずだが、今日はどうやら違った。
街灯がベンチの上にある大きな物体を照らしている。最初はゴミかとも思ったが、それにしてはあまりにもデカすぎる。
「動いたよな、あれ。」
事実を確認するように呟いたが、雨の音で自分の耳にすら届かなかった。
嫌な予感がする。厄介事は見て見ぬふりをするというのが俺のポリシーだが、このままスルーして家に帰ってもしこりが残る。
ぎこちない動作で家の方角へ向いていた爪先を公園の方へ向ける。
こういうのは遭遇してしまった時点で詰みなのだ、と腹を括ってそれに近づいていく。
遠目では暗闇と雨のせいで認識できなかったが、近づいていくにつれて輪郭がはっきりしていき、それと同時に胸騒ぎがしてくる。
そして俺はとうとうそれに辿り着き、ビニール傘越しに同じ街灯の光を浴びることになった。
「マジか。」
厄日とは、今日のことをいうのだろう。その正体は人間だった。
髪の長さを見るにおそらく女だろう。顔は濡れた髪が張り付いて視認できず、服もボロボロで酷い有様だった。
大丈夫ですか?なんて定型句を使おうと思ったが、なかなか口から上手く言葉が出てこない。
警察を呼ぼう。こんな面倒ごとは他に押し付けるのが一番だ。
画面が濡れないように傘を傾けながらポケットのスマホを取り出し、電話番号に110と入力する。
いざやるとなると、尻込みしてしまう。まさか自分が警察に通報することになろうとは。
少し葛藤した後、意を決してボタンに照準を定める。悪行をしようとしているわけではないのだ、何を躊躇う必要があろうか。
と、その時。黒い影が視界に現れた時、手首に強い衝撃が走り、スマホが地面からこぼれ落ちてしまった。
「んな!」
まずいと思った時にはもう遅い、俺のスマホは見るも無惨に泥の中に落ちていった。
原因を突き止めるため周囲を見渡すとそこには黒猫がいた。
「・・・猫。」
漆黒、といった方がいいのだろう。夜の、しかも雨ということで辺りは濃い暗闇に染まっているのだが、その猫はその中に溶け込むことはなく、異質な存在感を放っていた。
黄色い瞳孔がこちらを射抜くように向けられており、その不気味さに思わず一歩足を引いてしまう。
「ニャー」
何かを訴える、というよりか脅すような鳴き声をこちらに投げかけてくる。
なんなんだ、こいつ。
猫の気まぐれ、というわけではなさそうだ。
何かしら意志を持って行動しているように見える。
じっと見つめていると、それはゆっくりと俺の方が歩いてきた。
するり、と突っ立ってる俺を通り過ぎて、寝ている少女の上に飛び乗る。
「ニャー」
わからんて。一体俺にどうしろというのだ。
「にゃー」
試しに俺も鳴いてみると、黄色の瞳が大きく見開かれ、尻尾が激しく揺れ始めた。
ハズレだった。
「ニャー」
次はないぞと、鳴き声が一段と低くなった。
おそらく、この少女に関連している可能性が高い。
保護しろ、ということだろうか。顔色を窺いながら少女に触れてみると、その瞳は心なしか丸くなっていた。
おそらく、アタリだろう。
スマホに手を伸ばすと、警戒した素振りを見せて眼光が鋭くなる。さっきも、俺がスマホを触っている所を突撃して妨害した。
偶然ではないだろう。俺が警察、もしくは外部に連絡するのを恐れているのか?
猫にそんな知能があるとは思えないが、この猫は普通ではないことも確かだ。
正直、猫に意思があるような前提で動いている時点で側から見たら滑稽だろうが、それは気のせいでは無いぞ、と言わんばかりの眼でこちらを凝視してくるのだ。
これは、少しフィクションの創作物に毒されすぎたか。
はぁ、とため息をついてびしょ濡れの少女を背中に背負う。暗いのが幸いだ、側から見たら誘拐犯だもん。
「本当、最悪。」
背負っているせいか、傘を上手くさせず。どんどん雨が髪の毛を滴っていく。
もう一度深いため息をついて、泥だらけのスマホをポケットに突っ込んで、自宅へと足を進めていった。
あれから一ヶ月後、俺は何事もなく過ごしていた。
当時はどうなるかと戦々恐々してたが、今思うと少し大袈裟に捉えすぎていたのかもしれない。
喉元過ぎれば熱さを忘れる。今となっては少し不思議な猫がいたな、程度の認識だ。
夕食の支度がようやく終わり、エプロンを脱いで食卓に座る。
いつも通りの、平穏な風景だ。
「いただきまーs」ピンポーン
いつも通りの、風景で終われば良かったんだが。
「おにーさぁん、あーけーてー。」
「帰れ、乞食に食わす飯は無い。」
ドアのチェーンをかけて、玄関の扉越しにその元凶を見つめる。
「いいじゃーん、こんな可愛い美少女がわざわざ手料理を食べにやって来てんだからさ。」
ゆるり、と腰をくねらせ、幼くて、それでいて妖艶な雰囲気を纏わせながらこちらを上目遣いで見てくる。
しっとりとした黒い髪に、仄かに漂う甘い匂い。まるで人形のような整った顔立ちをしながらも、多彩な表情を向けてくる姿は魔性の女と言ってもいい。
このような存在と対極にいるのが俺であり、決して交わることがない人種だと思っていたのだが。
神の悪戯か。何かの因果で俺と彼女は接点ができて、言葉を交わしているのだ。
そう、こいつこそが公園で倒れていた例の少女だ。
あの時は顔が見えなくとも儚い印象を受けたが、まさかこんな傲慢なやつだったとは。当時の俺は相当な節穴だったらしい。
「早く入れてよー。じゃないとここのアパートの人に噂されちゃうよ?おにーさんは未成年の少女を部屋に連れ込んでるって。」
「・・・別に関係ない。」
「ねぇー!おにーさん!今夜はどんなプレイしてほしーのー‼︎」
「分かった!分かったから声のボリュームを下げろ!」
おにーさんってほんと小物だよねー、なんて当然のように家に転がり込んでくる。
「えー、今日は麻婆豆腐なの?辛いの嫌いなんだけどなぁ。」
「嫌なら食うな。」
「じょ、冗談だってばー」
えへへ、なんて笑いながら席へ座る彼女。ほんとに都合のいい奴だ。
「それじゃあ手を合わせてぇ、いただきまーす!」
「おいそれ俺の箸なんだが?」
「細かいことはいいじゃーん。気にしすぎるとハゲちゃうよ?」
「よし、お前だけは殺す。」
こいつはいつもわからないフリをして勝手に俺の食器を使っていく。
ため息をついて、棚から予備の食器を取り出して、炊飯器からご飯を茶碗に乗せて席につく。
「いただきます。」
「どうぞ召し上がれー」
「お前には絶対今までの食費を精算してもらうからな。」
「ケチー。少しぐらいいいじゃん。」
何が少しだ。これまでの一ヶ月間、ほぼ毎日のように通ってたよな。
おかげで米を炊く量は増えたし、作るおかずも2人前になった。
「ホンット、甘ちゃんだよねー。無理矢理追い返せばいいのに、受け入れちゃうんだから。」
「器が違うんだよ、器が。」
「力ずくでか弱い女の子を追い返す度胸がないってこと、私は知ってるからねー。」
ガキが、舐めてると潰すぞ・・・
「なぁ、猫。」
「・・・そろそろさぁ、私を猫って呼ぶのやめない?」
「似てるだろ。我が物顔で恵んでもらった飯を食ってるところとか。」
俺にとってこいつは猫だ。
気まぐれで、太々してくて、飯をたかってきて。
こいつは猫だ。それ以外何者でもない。
「で、どうしたのかな?女の子を名前で呼べないチキンちゃん?」
「何か困ったことあったら、言えよな。」
「・・・どうしたの、急に。」
いつものような弾んだ声ではなく、地に響くような低いトーンで返答してくる彼女。
俺はこいつの家庭環境に立ち入る気はないが、それでもかなり歪な形をしているだろうことがわかる。
公園で拾った時にボロボロだった服に、夕飯を別のところで食べていようと干渉してこない親。
彼女の外見は中学生らへんの年頃に見えるが、実際に学校に通っているのか、どういう生活をしているのか俺にはわからない。
俺は物語に出てくるような優しくて、誰かのために行動を起こせる善人じゃない。
どこかの紛争地域の子供のために募金なんてしないし、面倒くさいことは責任を負いたくないから関わりたくない。
「お前がどこかで野垂れ死んでたら、気分が悪いしな。」
「狡いなぁ。」
底冷えするような声が、耳に響いた。
「ずるい、狡いよ。自分から助けるつもりはないけど、何も行動しないで私に何かあったら後悔するからって、そんな中途半端な対応とってるんでしょ?」
いつもの彼女の溌剌な声とは正反対な、重くドロドロとした声だった。
「私の肌に青い痣があっても、赤く腫れてても見て見ぬ振りしてさ。もう気づいてるくせに、それでもまだ他人でいようとしてる。」
「おにーさんに相談したら、ちゃんと助けてくれる?そのまま誰かに丸投げしないでさ、直接おにーさんの手で。曖昧な言葉で濁さずにさ。ちゃんと言ってよ、ねぇ。」
「・・・お、れは。」
「・・・ごめんね。会ってそんな期間経ってないのにさ。こんなこと言っちゃってさ。早くご飯食べよ?冷めちゃうよ」
そう言って、俺と彼女は食事を再開した。食器が当たる音と、自分の咀嚼音だけが聞こえてくる。
彼女は、何者なんだろう。猫のように気ままに過ごしているのかと思ったら、いきなりナイフを突き刺すような声で語りかけてくる。
「ダメだよ。こんなこと続けてたら。」
食べ終わった後、つぶやくように言葉が発せられた。
「無関係になりたいなら、ちゃんと突き放さきゃ。巻きこまれた後に、自分は無実の被害者なんですってのは通じないよ?」
彼女はゆるりと笑って、そのまま玄関の方へ向かっていった。
「あ、あと男メシだからって味濃すぎだよ。次はもうちょっと、薄味にしといてね〜。」
帰る時には、いつもの猫のような表情に戻っていた。
「野良猫が。」
食器を洗い場に置き、スポンジに洗剤をつけた。
洗剤が切れかかっていることに気づき、また深いため息をついた。
一体俺と彼女の関係はいつまで続いていくのだろうか。
私はここが自分の家なんて思ったことがない。
玄関の扉を開けて、そこに広がるあまりの惨状に顔をしかめる。
転がっている酒の瓶に、所々穴が空いている壁。綺麗だったカーペットはもうぐちゃぐちゃだ。
そしてその惨状の中心に、酒を飲んでる一人の男が居た。
「何ジロジロ見てやがる。」
「・・・お父さん。」
「テメェがその呼び方をするじゃねぇ!」
手に持っていた小瓶を投げつけられ、私の顔の真横を通っていく。
パリーン、という音が直後に響きわたる。そして、その割れたガラスを片付けるのはいつも私だ。
ドシドシ、という音ともに私の前までやってきて、肩を掴んだ後力任せに私を壁に叩きつける。
いつまでも慣れない衝撃に力が抜けてしまい、壁に寄りかかりながら座り込んでしまう。
お父さんは平手の形をとり私の頬へ叩き込もうとしたが、その当たる直前で手が止まった。
「ッックソが!」
二年前の交通事故、そこでお父さんはおかしくなってしまった。
家族3人の旅行中、車で移動していた時の衝突事故だった。
お父さんと私は重症だったもののなんとか救助が間に合った。しかし、お母さんは既に手遅れで、死亡した。
そこから私とお父さんの関係はどんどん歪になっていき、結局今みたいな惨劇になっている。
フラフラとお父さんの脇を抜け出し、おぼつかない足取りで自室へ逃げ込んだ。
ぼろぼろになった手で、ドアノブを捻る。
ピンク色の布団に、可愛らしいぬいぐるみ達。おそらく小学校の時に書いた、黄色い百合の花の絵が飾ってある。
他にもお母さんから貰ったであろう物が積み重なって、まさに可愛らしくデコレートされている女の子の部屋だ。
「なーんでかなぁ。」
お父さんはどれだけ荒れてても、私の顔と部屋だけには危害を加えなかった。
まだ情が残っているのだろうか。だったら、少しは優しくしてくれてもいいのに。
「ねぇ、私はどうすればいいの?」
「・・・ニャー」
私は黒いソレに話しかける。黄色い瞳孔がぱっちり開いて、こちらを見つめてくる。
「教えてよー、どうやったら仲直りできるのか。いいでしょ?
「!!ニャー!」
「わわっ、そんな怒んなくてもいいじゃん。」
柔らかくてゴワゴワとした毛を撫でると、すぐに後ろに飛び退いて距離を取られる。
そろそろ慣れればいいのに。
「あなたには感謝してるんだよー?あの時おにーさんが警察呼ぶの止めてくれてさ、おかげで私はおにーさんと知り合えたし、お父さんも通報されずに済んだ。」
すごく良い結果になったね、と話しかけると気まずそうにそっぽを向いてしまう。
「私さ、どうやったら受け入れられるんだろうね。」
「・・・ニャー。」
ソレはゆったりと近づいてきて、気遣うように身を寄せてくる。
そんなことするくらいなら、解決策の一つでも言ってくれたらいいのに。
「私もさ、頑張るよ?でも、もう一年間はこんな関係で、ずっと殴ったら叩かれたりしてさ、疲れちゃった。もし、この関係から変わらないならさ」
お父さんのこと、諦めちゃうかも。と耳元で囁いてやると、ソレは慌てたように身を揺らして、私にアレコレ助言してきた。
そんな様子がおかしくて、バレないようにそっと尻尾を握った。
「おにーさんのあったかいー。これでもっとデカかったら文句ないんだけどなー。」
「悪かったな、小さくて。」
季節は巡って冬になった。コイツと出会ったのが梅雨の頃だったから、もう出会って半年くらいになるのか。
俺たちはこたつに足を突っ込みながら談笑していた。
「この前ね〜私迷子の子供助けちゃって。このやさし〜いおねーさんがしっかり美少女スマイルで親の元へ届けてあげてさ、最後その男の子が熱っぽい視線で私を見つめてて、これが罪な女っていうのかな?」
「おう」
「さらに学校のイケメン君にも告白されちゃったさ〜、サッカー部のキャプテンらしくて、周りの子が羨ましい〜って騒いじゃって。美貌ってのは本当に罪だよねぇ〜。」
「そうか。」
「・・・おにーさんの反応つまんない〜!もっと真剣に相手してよー。」
文句を言いながら、こたつの下で俺の足をゲシゲシと蹴ってくる。体揺れるせいでミカンが食えないのでやめてほしい。
「お前の話はどこまで真実かわからん。」
「人のこと虚言癖扱いって、それが人をどれだけ傷つけて分かってる〜?」
「事実だ。」
こいつの話は真面目に聞くと馬鹿になる。関わっていく中で分かったことの一つがこれだ。
多少、誰しも人と話す時は内容を盛ることがあるだろう。オチをつけるためだとか笑わせるためだとか。
それが悪だといいたいわけではなく、必要なことだとは分かってる。つまらない真実よりも、面白味のある嘘の方が好むものだからだ。
だが、こいつはそれの比じゃない。
男子に3人同時に告白された、なんてのは可愛いもので、酷い時は宇宙人と交信したとか最近喋ってる猫が不機嫌だの。あからさまな嘘も平然と喋ってくるのだ。
「そーゆーのもひっくるめて愛すのが、彼氏ってものじゃないの?」
「お前と交際した覚えはないのだが。」
「もー、童貞君はもう少し融通の利いたこと言えないのかな。あ、だから未経験なのか、ごめんね〜。」
殺すぞクソガキ。俺は純粋な心を持ってるから軽い愛に靡かないだけだ。
こいつだって優れた容姿をしてるだけで、性格は悲惨な一言で表せる。
告白してる男子がいたら、そいつに一言告げてやりたい。こいつだけはやめとけと。
陽気な雰囲気を漂わせてるこいつは一見すると魅力的だが、生活能力は皆無だし、おそらく人の心は母のお腹の中に忘れてきてしまった。
まぁ、実際にそんな奴がいたとしても止めやしないが。こいつが俺から寄生先を変えてくれるならそれに越したことはない。
「おにーさん、とっても失礼なこと考えたでしょ。」
「あぁ、早く消えてくれてくれないかと念じてた。」
「もう少し包み隠してよ・・・」
頬をぷくーと膨らめさながらジト目で見つめてくる彼女、お前それ外見で誤魔化されてるが、普通だったら結構痛いぞ。
「ねぇ、私達の関係って何なのかな?」
「・・・さぁ?友達とか、そーゆーのではないな。」
「おにーさんの答えが聴きたいなぁ。まさか、まだ赤の他人とか言わないよね?」
光の消えた目、背筋が凍るようなコイツの怖い一面が顔を覗かせる。
『無関係になりたいなら、ちゃんと突き放さなきゃ』
俺はこいつを突き放せなかった。もう他人だなんて、今更そんなこと許してはくれないだろう。
かといって、俺はまだ彼女の家庭環境に踏み込むことができていない。勇気を出して踏み込んでも話を逸らされて、また振り出しに戻る。
俺たちの関係はいまだに中途半端なものだと改めて自覚した。
「居候か、ペットってところだな。」
「・・・それ、本気で言ってる?」
「マジだ。」
「・・・もーう!信じらんない。年頃の女の子をペット扱いだなんて、良い趣味してるね〜。」
「語弊があるな。」
まぁ、これが俺にとって1番しっくりくる答えだった。
友情を感じるには歳が離れすぎてるし、家族愛なんてのは重いような気がする。
「相変わらずヘタレだねぇ、おにーさん。まぁ、そーゆーところもおにーさんらしいよ。」
「そうか。」
そこで会話の流れが途切れる。こいつとは長い時間を過ごしているが、だからこそ会話のネタが尽きて話が続かないことが多々ある。
好きな男子はいるの?なんてのはノンデリカシーな話題だし、こいつの過去もしてきたことも分からない。
だから偶に、この沈黙が少し息苦しい時がある。
「・・・おにーさんはさ、人と仲良くなれる方法って知ってる?」
「なんだ、藪から棒に。」
とうとうこいつの本性が周りにバレて孤立し始めたか。
まぁ、どーせこいつは学校では上手く猫を被っているのだろうが。悔しいが、こいつの演技力は一級品だ。
「私はね、人と仲を深めることに必要なのは秘密を作ることだと思う。」
「と、いうと?」
「お互いだけの共通の秘密を作れば、それが他の人とは違う特別になって、その先に
歪んでる。上手く言語化できないが、少し考え方がズレてるような、そんな気がした。
「別に、仲良くするのに秘密なんて必要ないだろ。」
「・・・へぇ?」
「たまたま馬の合う奴がいて、一緒に長く時間を過ごしていたから勝手にそいつとだけの話のネタや経験が積み重なっていった。そんなもんだろ。」
あぁそうか、俺とこいつは交友関係の順序が逆なのか。まぁ、どちらでも結果的には同じような気がする。
「おにーさんは恵まれてるんだね。」
「ん?なんか言ったか?」
「・・・じゃあさ、もし、その人とはどーしても相性が悪くて、受け入れてもらえなくて。それでも仲良くしなきゃいけないってなったらどうする?」
「・・・んー」
そいつとは関わらないで過ごせば良い、というのは難しいだろうな。
おそらく、こいつは自分の学校生活をたとえ話として出しているのだろう。その場合、集団で行動する関係上そいつとは関わらなければいけないから、その悩みを吐露しているのだろう。
俺は交友関係に関して器用じゃなかった。他人との揉め事は何回も起こしてことがあるし、俺のことを集団で敵対視している奴もいた。
一度、それの解決に向けて行動したような気がする。その時、スカスカの頭を捻って辿り着いた答えが確か・・・
「無理だろ。 お互いに受け入れられないなら、仲良くすることなんざ出来んよ。」
「・・・・・・」
「そういうのは、上っ面でやってけばいいだろ。別に友達100人作れるか挑戦してるわけでもないんだからさ。」
月並みな答えになったな、と思ったが、これが俺に一番しっくりきたのだからしょうがない。
正直、こういう人間が絡んだ分野に関してこいつは得意なイメージがあったが、どうやら人並みに悩むこともあるらしい。
「・・・無理、そっかぁ、無理なんだ。仲良くするの。」
諦めたのかような瞳で、彼女はそう呟いた。
「怠惰なおにーさんらしい答えだね。」
「俺じゃなくても似たような答えをする奴は何人もいると思うがね。」
所詮は他人だ。諸々の悪感情を抱え込んで仲良くなる方が不健全だろう。
「うん、だから凡人らしいおにーさんらしい答えだなって。」
「ははっ、そのお前らしい生意気な口はいつになったら治るんだろうなぁ?」
「そんな褒めなくていいよ〜」
相変わらずの図太さに嘆息をつきながら、こたつに体重を預ける。
こういう哲学的な話をするのは疲れるというか、喋った後に恥ずかしさが襲ってくる。
「じゃあ早速秘密交換会しようよ、おにーさん。」
「今日は随分と好調だな、マタタビでも食ったか。」
「私はおにーさんともっと仲良くなりたいの。それにほら、私たちって性格の相性も抜群でしょ?」
「喧嘩するほど仲が良いなんてのは欺瞞だろ。」
時折始まるこいつの変なノリにまた付き合わされるのかと思い、さらに体をこたつに突っ伏していく。
「実はさ、私って人間じゃないんだよね。」
「・・・・・・」
「お、落ち着いてよ。今のおにーさん、人を殺しそうな目をしてるよ・・・」
あまりの冗談のつまらなさに思わず手が出そうになってしまった。そんな嘘をつくぐらいなら無理して秘密を話す必要もないだろうに。
「とゆーか、秘密ってこんな面と向かって暴露するものか?もっと自然な成り行きで話すもんだろ。」
「・・・確かに?」
堂々と、私の秘密は〇〇です。なんて言えるのならば、それは大して重い出来事ではないのだろう。なら、それを共有したところでその価値も知れてる。
「うーん、難しいねぇ。何かいい案ないの?」
「俺に振るな。お前が言い出したことだろうが。」
「もーノリ悪いんだから。・・・・・・あっ!良いこと思いついた!」
「ここでさ、二人だけの秘密を作っちゃおうよ?」
そうきたか。まぁそっちの方が自然というべきか、わざわざ過去を暴露するなんてまどろっこしいことしなくて良いわけだしな。
「とは言っても何するよ。もう外は暗いし、ウチに特別な道具はないぞ。」
突発的な案なので、環境も道具も全く整ってない。夕食を食べてから結構な時間だべってたので冬ということもあり辺りは真っ暗だ。
「んー、じゃあさ、夜の秘密のお散歩ってのはどう?こーんな可愛い女子とおにーさんが散歩できるって。とっても役得だと思うんだぁー」
「却下。わざわざ寒い中外出たくない。」
「出たよ、面倒くさがり屋。」
わざわざこたつで暖まった体を冷たい外気に晒すなんて正気じゃない。
「・・・おにーさん、ここのアパートってさーどんぐらい防音対策できてるの?」
「そうだな・・・隣人の声が漏れてるみたいなことはないし、ここ一階だから多少動いても・・・・・・もしかして、踊ってtiktookに挙げるとか言わないよな。」
「それも面白いかもねー?」
「それだけは勘弁してくれ。」
それはお互いの秘密になるだろうな、黒歴史として。
「そういう風に確認してきたってことは、何か案思いついたんだろ?」
「・・・うん、とっっても良い案だと思うんだぁー。」
ゆるりとした、掴みどころのない表情を浮かべて、こちらを見つめてくる。
「それじゃあ早速やってみるね・・・よいしょっと。」
「何してんだ、急に。」
いきなりこたつに潜ったのかと思うと、わざわざ対面に居る俺のところまで移動して、同じ場所に体を出してきた。
ただえさえこのこたつは小さいのだから、お互い密接に体が触れ合ってしまう。
「なんのつもりだ。」
「・・・おにーさんてさぁ、ほんとに鈍感だよね。」
「何言ってr・・・ングっ!」
いきなり肩を掴まれ上半身を床に倒されて、そのまま馬乗りにされる。
その状況に理解が追いつけないまま思考が停止してると、その隙を狙うかのように顔を近づけられ
唇に生暖かい感触が走った。
「ッッッ!?」
こいつに口付けされた。
その事実に気づいた時、あまりの衝撃に俺は目を見開いて、彼女を見つめることしかできなかった。
「んー。キスってさ、映画とかでよく美化されてるけど、実際は大したことはなかったね。」
「・・・・・・・なんで」
「?なんでって、こうやって愛情表現するんでしょ?おにーさんにファーストキスあげたんだからさー感謝してよねー」
カラカラと、まるで何もなかったように笑う。
「禁断の恋ってさ、人気なんでしょ?歳の離れた男女がその壁を超えて愛し合う・・・って、でも大学生と中学生じゃあまだ常識の範囲内なのかな?」
「・・・・もういい、早く俺の上から降りろ。」
この状況は夢なのではないだろうか、と疑ってしまう。俺はただ都合の良い夢を見ていて、実はベットの上にいるのではないかと。
けれど意識の明瞭さが、それは違うと否定してくる。あまりの事実に頭が痛くなってくる。
嫌な予感がする。とりあえずこいつと距離を取ろう、纏まらない頭で言葉を紡ぎ、上からどかそうとした。
「私ってさ、処女なんだよね。」
だというのに。こいつはこっちの意向に一切構わず、俺の上に居座り耳元で囁いてくる。
「これって凄い特別なことだと思わない?ファーストキスを交換しあって、そしてお互いに初体験を捧げあって・・・まるで本物の、清純な恋人みたいだよね♡」
「おにーさんはなーんも罪悪感抱かなくていんだよ?体で支払うってやつ?いつもの食費とか料理の負担とか、そーゆーものの対価として堂々と、当然の権利だ〜って受け止めればいいんだから。」
「学校にいる男達はさ、下心丸出しで、表面は陽気に振る舞ってるからヤレるだろって話しかけてくるけど、おにーさんは違うよね。確かに扱いは雑だけど、そういうの含めて
「だからさ、私たちセフレになろうよ。」
そう言って、また顔が近づいてくる。どんどん距離が縮むごとに甘い匂いが漂ってくる。
そして、俺たちはまた・・・
「っっやめろ!」
ゴンッ、と鈍い音が響き渡る。
俺が彼女を引き離すために暴れたせいで、彼女の腰が思いっきりこたつに叩きつけられた。
「ぃっったぁ・・・」
「あっ・・・ごめん、大丈夫か?」
「もう、いきなり激しく動きすぎだよ・・・」
えへへ、と苦悶の表情を浮かべながらも笑いかけてくれる彼女。
俺は正気に戻り、自分がしでかしてしまったことの大きさを認識した。
「待ってろ、今氷持ってくるから。じっとしてろ。」
「慌てすぎだよ・・・うん、でも氷持ってきたら、少しの間看病してほしいな。」
「分かった。」
冷凍庫に移動して氷を取り出し、薄いタオルに包んだ後彼女がぶつけてしまったあろう場所に氷を当てる。
「あーあ、あんなに拒まれるなんてなー。そんなに魅力ないのかな、私。」
「・・・すまん。」
「別に謝らなくていいよ。こっちにも非はあるんだからさ。」
チクタクと、時刻を刻む音だけが響き渡った。
俺は何て声をかけたら良いのか分からず、口を開いては喉に言葉が詰まって、また閉口する。
その繰り返しの末、俺はようやく言葉をかけることができた。
「・・・・・なぁ、もういいよ。あんな事をしなくて。」
「・・・・何それ」
「若いからって、衝動に身を委ねて行動するな。」
幼子を諭すように語りかける。
「実は、明後日から妹が家に泊まりくるんだ。」
「・・・は?いきなり何言ってるの?」
「妹が家にいる間は来ないでほしい。」
「・・・ねぇ、なに?私と離れたいからってはっきり言えば良いじゃん。」
「違う、本当の話だ。」
ただ、互いに頭を冷やす時間は必要だ。一時の気の迷いとはいえ、このような事態が起きてしまった。
「今まで通り、俺はお前の味方だよ。」
きっと俺たちは自然に長いこと一緒に過ごしてきたから、距離感が狂ってしまった。
俺は自他ともに認める冴えない男だ。容姿はお世辞にも優れてるとは言えないし、中身だって短小だ。
そんな魅力のない異性の、しかも年上に関係を迫るというのははっきり言って異常だ。
だから、閉鎖的な空間に身を置いてはいけない。今は距離を置いて、平常な価値観を取り戻すことが重要なのだ。
「・・・妹が帰ったら、一緒にお前の家庭環境に向き合おう。お前が身を置いてる環境は歪なんだ、だから・・・・・・?おい、大丈夫か?」
「・・・・・・プッ、あはは。そっか、今まで通り、今まで通りかぁ。」
ゆらゆらと亡霊のように立ち上がり、こちらを見下ろしてくる。
その瞳の奥からは何も感じ取れず、呆然と見上げてしまう。
「じゃ、もう痛みも引いたし帰るね。」
「ちょ、ちょっと待てよ。まだ話は・・・」
「あのさぁ」
背中を翻して玄関に向かっている彼女は、首だけを動かしてこちらを一瞥した。
さっきとは真反対の、ドロドロとした激情が瞳の中を蠢いていた。
「おにーさんも分かってたよね、この関係が健全なものではないって。なのにそれが表面化した途端に態度を変えるってさ。」
「ほんとに、ずるい人。」
表情は見せず、玄関を勢いよく開けて飛び出すように去ってしまった。
「・・・・俺って、本当に屑だな。」
また対応を間違えてしまった。また彼女を傷つけてしまった。
そんな後悔をしても彼女の傷が癒えるわけでもないのに。懺悔するように延々とその思考が脳にこびりついていた。
あいつとの関係が改善しないまま時間は過ぎて二日後、妹が俺の家に訪問する日がやってきた。
ピーンポーン
その音が聞こえた瞬間、俺は急いで玄関の方に駆け寄る。
「おー、よく迷わず来れたな。いらっしゃい。」
「にひひ、久しぶり、お兄ちゃん!」
「あぁ、久しぶり。」
外は寒かったので、家の暖房が効いてる部屋に案内する。そこでこたつを発見した瞬間一目散に駆け寄るものだから、思わず笑ってしまった。
「ん?」
「?何かあったのか?」
「なんかこたつから甘い匂いがしてるなーって思って。」
「・・・あっ、えーと、それはだな」
「あっ、お兄ちゃんジュース溢したでしょ!お母さんたちが居ないからって、悪さしちゃダメだよ!」
「ああ、悪かった。以後気をつける。」
危ねぇ。部屋の清掃とかに気を回していたせいで匂いまでには配慮がいかなかった。
妹がいる場所は、アイツがよく居座っていた場所に近い。
香水をつけてるイメージはなかったが、半年間毎日のように来ていたら物に匂いが移っていても不思議じゃない。
「?変なの、いつもなら言い訳ばっかなのに。」
「お前の中での俺の評価がよく分かったよ。」
「だって事実だしー」
グゥ、いつの間にたくましくなりやがって、これなら妹が成長する頃には兄弟の力関係は逆転してるのではだろうか。
微かな危機感を抱きながら、妹の好物であるホットミルクを用意する。
「はい、暑いから気をつけて飲めよ。」
「ん、分かった。」
そう言って俺も妹の対面に座り、火傷しないようにゆっくりと飲む。
普段なら妹のいる場所はアイツがいたため、一回り小さい妹を見ると少し違和感を感じてしまう。
「最近どうだ?何か悩みごとはないか?」
「いつまでも子供扱いして!私だって小学校高学年なんだからさ!」
「悪い悪い、じゃあ近頃あった面白い話とか聞かせてくれよ。」
「えぇー面白い話ぃ?うーん・・・あっ、そう言えば最近クラスの担任がさ・・・・」
そうやって話題を振って、何気ない会話を積み上げていく。
「母さんや父さんの調子はどうよ。」
「二人ともお兄ちゃんが規則正しい生活出来てるのかーって心配してたよ。でも父さんは最近ぎっくり腰連発してて、母さんも忘れ物多いからこっちの方が不安よぉ。」
「自分達の生活をまず心配しろってんだ・・・・まぁぎっくり腰も忘れ物も元から多かった気がするが。」
親の状況や学校生活は今のところ何も変化がなさそうで何よりだ。
会話を重ねるごとにテンポがどんどんと遅くなっていく。歳の差が離れていることもあって友達とするような共通の話題というのは少ないので仕方のないことだ。
「最近ポケボケ?ってのが流行っているらしくて、スマホ持ってる人はみーんなやってるの、親がスマホ買ってくれないからできないけど。」
「小学校なんて外で遊ぶくらいで丁度いいんだよ。あ、でも俺もスマホにアプリ入れてるから試しにやってみるか?」
「やる!!」
ゲームとは偉大なものだ。たとえ話題の種が乏しくとも、ゲームを一緒にするだけで楽しい時間と共通の話題を持ってきてくれるのだから。
そんなふうに思いながらアプリを起動する。流石に反対では見づらいと思ったのか、妹も隣にやってきた。
と、家族水入らずで楽しい時間を過ごそうとしたのだが。
ピーンポーン
「おにーさんあーけーて」
「お兄ちゃん、インターホン鳴ってるよ。」
「・・・・ああ、そうだな。」
嫌な予感がする。いや、声は微かに聞こえたのだが。
宅配便は頼んでない。まだ宗教勧誘という線もまだあるのだが、それよりも心当たりのある、連絡もなしに訪問してくるやつの顔がチラつく。
気のせいであってくれと願いながら、俺は玄関の扉に手をかけた。
「来ちゃった♡」
「じゃねぇよ、帰れ」
どこが元ネタかもわからないセリフを使うこいつを見た瞬間、希望がガラガラと崩れ落ちる音がした。
「言ったよな、妹が止まってる間は来るなって。」
「だって、いつまで泊まるか言ってなかったし。」
「・・・そうだった。」
失念してた。あの日は色々あり過ぎて、基本的な事を忘れてた。
「妹は4日間ここに泊まるから、それが終わったら来てくれ。」
「うん、じゃあ早速お邪魔するね・・・・って、なんで邪魔するのさ。」
「???話聞いてたか?」
さりげなく部屋に入ろうとしたこいつを引き止める。相変わらず油断のならないやつだ。
「え〜ケチなこと言わなくてもいいじゃん。」
「ダメだ。あらぬ誤解を招きたくない。分かったら早く・・・・」
「お兄ちゃん〜何かあったの?」
戻ってくるのが遅い俺を不思議に思ったのか、妹は玄関前まで様子を見に来た。
「ん?何かトラブルがあったの?」
「いや、特に何もないから部屋で待ってて・・・ぐえっ」
「おにーさん」
どうにか誤魔化して妹を返そうとしたか、首根っこを掴まれて阻止される。
「私、妹さんとも仲良くしたいな〜。私はなに話そっかな〜あっ、お宅のおにーさんに傷物にされましたとか!ねぇ、おにーさんは何がいい?」
「・・・・分かった、お前の勝ちだ。だから余計なことはするなよ」
「はいは〜い」
クソッ、本当は拒絶したかったが、裏で色々動かれるよりかはマシだ。肉を切らせて骨を切る、というやつだ。これは敗北じゃない、これは戦略的撤退というやつだ。
「こ〜んにちは・・・貴方がおにーさんの妹ちゃん?」
「えっ、あ、はい、そうですけど・・・・あのっ、お兄ちゃんとはどういう関係なんですか?」
「さぁ〜?ヒントは、おにーさんとは何度も夜を過ごした仲ってことかな」
「誤解を招くような言い方をいうな」
夜って言っても、遅くても10時くらいまでだろうが。くそっ、めんどくさいことになった。
「えっ!お兄ちゃん彼女居たの!?」
「別に彼女じゃねぇ!」
「もう、恥ずかしがり屋さんなんだから///」
「お前こういう時本当に演技力高いよな」
や〜ん、なんて身を捩りながら恥ずかしがる。普段を知る者からしたら白々しいったらありゃしない。
「でも、ほんとに貴女も可愛いよね、おにーさんと血が繋がってるか怪しいくらいだよ〜」
「どーゆー意味だ?あ?」
「っっ、え、えと、私ちょっとトイレ行ってきますね」
突如顔が曇り、そそくさと部屋の奥へ戻っていった。
「・・・・ありゃ、もしかして地雷踏んじゃった?」
「・・・・別に、お前が悪いわけじゃない。」
俺と妹は血が繋がっていない。
元々妹は、父さん仕事でもプライベートでも親しく父さんの後輩の娘だった。
幼い頃その人と会ったことは何回かあるし、後輩の結婚も後押ししたのも父親だったらしい。ただ、結婚してしばらくした後、後輩さんの家族は不慮の事故にあったらしい。
幸いにも娘は助かったが、親戚で引き取る人がおらず、それならと父が養子に迎えて育てることにした。
「まぁ、これが経緯みたいもんだ。」
「ふーん、道理で歳が離れてるわけだね・・・・ねぇ、私に話してよかったの?」
「え?」
「だって、別に私に話さなくてもよかったじゃん。」
そうだ。別に経緯を説明しなくても血が繋がっていませんの一言で済んだはずだ。
なのに、なんで俺はわざわざ話したんだ?
「・・・・とりあえず、早く部屋に入るぞ。ここは寒い。」
「ほんと、おにーさんって寒がりだよねー」
寒い風が吹き抜けるアパートの廊下にに長く居るのは御免だと思い、早く部屋に戻ろうとする。
すっかり自分の家のようにズカズカと入り込むこいつを苦い顔で見届け、俺もその後に続こうとして
「?」
ふと自分に何かが当たったような感覚がして、衝撃が来たような方向に顔を向ける。
あの時の、黒猫がいた。
アパートの廊下の奥で、鳴き声をあげるわけでもなく、ただじっと黄色い眼光をこちらに向けている。
この摩訶不思議な存在は、なぜ再び俺の前に現れたのだろう。
「どーしたの、呆けちゃって。」
「いや、あそこに猫がいてな。」
「ネコ?」
こいつが廊下に顔を出すと、猫はこちらに駆け寄ってきた。
「二ャー」
「あれっ、どうしたのこんなとこまで来て。」
ヒョイっと猫を持ち上げて、丁寧に抱き抱える。
すると、猫が突然小刻みに何回も鳴き始めた。
「にゃ、ニャオ!にゃー、二ャッ!」
「・・・・あぁ、寂しかったんだね。・・・・・そっか、うん、うん。」
しばらくした後、ゆっくりと猫を地面に下ろして、そのまま猫は去ってしまった。
「喋るように鳴くんだな、あの猫。あれはお前の飼い猫なのか?」
「うん、まぁそんな感じかな。」
本当はもっと詳しく聞きたかったが、あの猫が来てからこいつの纏っている雰囲気が一変したため、何か尋ねるのが憚られた。
「ほら、早くいこ。風邪ひいちゃうよ。」
「あ、ああ。」
今まで見たこともない。仄暗い、陰鬱な表情を浮かべている彼女に俺はただ従うしかなかった。
『助けてあげようか?』
時折、夢をみる。
あの日の、私の人生が一変した出来事。
「あ・・・う」
『ああ、無理して喋んない方がいいよ。結構貴女も重症だから。』
朧げな意識の中で、その声だけは鮮明に脳に響いてくる。
『状況は分かるかな?貴女は母と父と三人で車で移動していた。』
「あ、あぁ」
そうだ。私達は旅行に行こうとして、車で遠くに行こうって話していて・・・・
『運が悪かったね。貴女達がいた車に暴走したトラックが前からズドン、酷いものだったよ』
「・・・・お母さん、と・・・・お父さん・・・・」
『お母さんはもう助からないよ。もう死んでる』
「・・・・・・ぁぁ・・・うぅぅ・・・」
その言葉を聞いて、ほんとは泣き叫びたいのに。上手く呼吸が出来なくて、視界が歪んで体の奥が痛みが走るだけだ。
『あぁ、落ち着いて。君も無事とは言えないんだから』
優しい、けど他人事のように冷静に諭してくるソレ。
『でもね、君の父親は助けることができるよ』
私はそれを聞いて、朧げな視界から必死に探す。
お願い、どうかお父さんだけは、せめて。
『上手く救助隊を招けば、まだ間に合うかな』
お願い、私に出来ることならなんでもするから。だから、
『ねぇ、一つお願いがあるんだ』
『君はもう助からない。救助隊の助けを待つのは絶望的だ。』
あぁ、私は助からないのか。
『私はね。愛が知りたいんだ。私は私自身が何者なのか、それすらもわからない。誰も私を認識しないし、認識できる人は会話すらできない場合がほとんどだ。』
『だから、私は────────────────』
『・・・ふふっ、ありがとう、願いを聞いてくれて。』
どんどん視界が黒で塗りつぶされていく、身体はもう指一本でさえ動かない。どんどん現実から遠のいていくようだ。
でも、黄色い光だけは私を逃してはくれなくて。
それが、私の最後の光景だった。
私は間違えたのだろうか。もしあの手を拒んでいれば、いや違う、その後にもっと出来ることがあったのではないだろうか。
暗闇から、再び目を開ける。もう既に、この光景に見慣れてしまった。
畳んでいた足を伸ばして歩き始める、きっと、まだ直せるはずだから。
落ち込んでいる自分に、喝を入れた。
”二ャー!”
妹と唐突に訪問してきたコイツを引き合わせることになったのだが、意外と彼女らは馬があった。
妹くらいの歳は色恋沙汰には興味があるそうで、出会いや交際エピソードなど根掘り葉掘り聞いてきた。
それをこいつが面白がって婉曲的に伝えて、妹が興奮して、それを俺が否定する。そんなやりとりが螺旋のように続いた。
それが終えた頃にはすっかり妹と仲良くなっており、あとはワードウルフNGワードゲームなどで時間を過ごした。
夕飯も一緒に食べたいという妹の要望により、三人で食事をとることになった。
まぁ三人分の十分な食材がなく、食器も揃っていないため。その調達のために近所のスーパーまで来ていた。
「いやー、悪いね。いつもご馳走になっちゃって。」
「そう思うならもう少し申し訳なさそうな顔しような。」
妹は初めてここに来たことや年の離れた人と長時間話したことからすっかり疲れて眠そうにしていたため、家で寝かせている。
「あっ、紙皿あったよー」
「カゴに入れておいてくれ、あ、そこの割り箸も一応取ってくれないか。」
「了解〜」
すっかりこいつも憑き物が取れたように、いつもの陽気な雰囲気に戻っている。
「いやーおにーさんと二人っきりで外出なんて、まるでデートじゃない?」
「スーパーはデートスポットとしてどうなんだ?」
こいつと外出するのは今回が初めてだ。大体、こいつが訪問してくるのは夜遅くだし、わざわざ外に出る時間帯でもない。
それに、中学生と二人でいるところを周りから奇異の目で見られるのは御免だ。
「今日は何作るの?」
「肉じゃがかな、せっかく来たんだからあいつの好物を振る舞わないとな。」
流石に母と比べると質は落ちてしまうが、俺も一人暮らししてから長い。大失敗ということはないだろう。
「ねぇ、おにーさんにとってあの子はなんなの?」
「なんなのって・・・ただの妹だ。」
「妹っていっても長い間暮らしてた訳じゃないんでしょ?本人もあんまおにーさんと喋ったことないって言ってたし。」
そうだ。あの子がうちに引き取られた時、俺は大学受験に奔走していた。
大学受験が終わった後も、地方の大学に通うことになったため俺は一人暮らしを始めることになった。
親とは良好な関係を築けていると思うが、まだ俺とはそれほどの交友経験がないというのが実情だ。
「おにーさんはあの子が妹だから優しくしてるの?本人とはほとんど接点がないけど、それでも親と同列に扱うの?」
「あぁ、そうだ。」
「・・・・ただ名ばかりの関係でも?」
「あぁ、あいつは妹だ。」
確かに、俺とあの子は家族として見るには関係が浅いのだろう。過ごしてきた時間や経験もまだ足りない。
本当なら、あの子だって元の家庭の方が良かったはずなのだ。たとえ俺たちが他人同士でも幸せに生きていけた。
でも現実はあの子の家庭は無くなって、俺達の家族になった。
あの子にはもうここしかない。なら、受け入れるしかないだろう。
「血が繋がってなくても、居場所ぐらい作ってやることはできる。家族だからな。」
「・・・へぇ。ねぇ、おにーさん」
呼びかけられて、改めてこいつの姿を見て
驚いた。今にも泣きそうで、消えてしまいそうな儚い笑みだった。
「家族ってだけで、そんなに愛されるんだね。」
「・・・あぁ。」
「おにーさんは、甘いよ。ほんとに。」
きっと、こいつの環境は違ったのだろう。
虐待がどういうものなのか俺には分からない。どこまで俺にとっては別世界の話で、完全に慮ってやることはできないのだろう。
「じゃあその可愛い妹ちゃんのためにも、早く帰らないとね。」
商品が入っている俺のカゴを無理矢理奪い、早く帰るように促す。
それはいつも通りの飄々とした表情に見えたが、あまりにも痛々しくて。
「なぁ」
「ふぇ?お、おにーさん?」
気付けば、俺はこいつの肩を掴んでいた。
あまりにも衝動的に行動にしてしまっているため、今自分が何をしているのかも分からず言葉を紡いでいく。
「俺と、家族にならないか?」
「へ?・・・ふぇっっ!」
「・・・あっ!違っ!そういうことじゃなくてな!」
正気に戻った時には遅かった。
周りからは完全に変な目で見られてるし、こいつはと顔を赤面させてあわあわと口を動かしていた。
可愛い。じゃなくて!
「今のは誤解なんだ!別に、そーゆー意味じゃないっていうか!」
「・・・ふーん。おにーさんのことヘタレだと思い込んでたけど、まさかこんな大胆に告白とはね〜見直したよ。」
「だから違うって!」
どんどんと自分の耳たぶが熱くなっていくのを感じる。
畜生。なんで公衆の前で、しかも年下に告白紛いのことをするなんて、恥ずかしすぎて死にそうだ。思わずしゃがみ込んで顔を隠してしまう。
「えーと、まぁ、そのプロポーズ受けてあげるよ。」
「冗談はいいから・・・死体蹴りはやめてくれ・・・」
「・・・・顔あげてよ、おにーさん。」
「なんだy・・・んっ!?」
唇に、二度目の感触が走った。あぁ、なんで俺は学習しないのだろうか。
「ぷはぁ・・・いやー、流石に恥ずかしいね。こんな場所でバカップルみたいなことをするのは。」
「っっ!お前なんでまたしてんだよ、馬鹿か!」
「ぷぷー、おにーさん顔真っ赤だよ。相変わらず童貞らしいねー」
こいつだって耳を真っ赤にして今にも発火しそうなほど顔を赤らめてるのに、自分にはダメージはありませんと言わんばかりにニマニマと笑ってる。
「おにーさん、好きだよ。」
「・・・だからそれやめろよ。お前がしてるのは依存だ。異常な環境に身を置いてるから、感情がおかしくなってるだけだ。」
「じゃあ、なんで私に家族になろうなんて言ってきたの?」
「・・・・・同情心だ。」
冷静に考えれば、あの発言は悪手だった。
俺はこいつと距離をおいて、感情のほとぼりを冷まさせるべきだったのに。
可哀想だったから、つい後先考えずに行動してしまった。救いようがない馬鹿だ。
「最初に言ったよね、ちゃんと突き放せって。おにーさんは甘いんだからこーゆー風に悪い女にたかられちゃうんだから。」
「・・・・あぁ、俺は失敗したよ。」
「おにーさんは申し訳なく思ってるんだよね。私を拾ったことに関して。」
「・・・・・」
普通に考えたらわかるはずなのだ。こんなのはおかしいと。
なんの変哲のない男が、年の離れた少女に言い寄られてる。こんなのは妄想の類で、それが現実で起きてるとしたら裏で異常なことが起きてる時だけだ。
実際は傷ついた不安定な状態にある少女に漬け込んで、好意だと勘違いしてしまうような何かを植え付けただけなのだ。
「分かってるよ。今おにーさんにどれだけ言葉をかけたって、偽物だって思われること。」
「・・・・・」
「だからさ、私を助けてよ。」
「は?」
「もし私が家庭問題も何もかも片付けて、正常な環境に身を置けるようになって」
「それでもおにーさんのこと好きって言えたら、本物だよね。」
真っ直ぐで、綺麗な瞳だった。黒い瞳の奥に目がくらむような光が宿ってる。
「・・・お前、そんな表情できたのかよ。」
「知ってる?恋する乙女は最強なんだよ?」
悪戯っ子のような、こいつに一番似合う笑みが初めて浮かんだ。
「もう逃げられないからね?匂い、覚えたから。」
「・・・そりゃ、敵わないな。」
逃げるつもりなんて、さらさらないが。こうなったら、嫌でも一緒に責任を背負い込んでやる。
「一蓮托生だ。途中で逃げ出すなよ。」
「っっ!こっちのセリフだよ!おにーさん!」
今までとは違う、太陽な笑顔を向けてくる。歪んでいた関係が、少し戻ったような気がした。
「・・・・と、ところでさ、そろそろここ出ない?流石にこれ以上見られるのは恥ずかしかなー、なんて。」
「あっ・・・そ、そうだな。」
夕飯を食材を買いにきてる主婦達の前で、カップルのような会話をしていたことを思い出す。
田舎で、しかも歳の離れた若いカップルが会話しているというのは興味をそそるらしく、こぞって見物していた。
「うわっ・・・今クラスメイトの子もいたかも。」
「・・・しばらくこのスーパーは使えない。」
”痴話喧嘩していたバカップル”というレッテル貼られて、会計時も極力下を向いて共に赤面した顔を見られないようにして帰った。恥ずかしい。
時刻は夜。
思い立ったが吉日、というわけではないが。私たちが話し合った当日に行動した。
妹ちゃんと一緒に夕飯を食べて、妹ちゃんが寝た後に私の家に二人できた。
「大丈夫か?」
「・・・うん、しっかり話してくるから。ちゃんと隠してたことも伝えてくるよ。」
「そうか・・・頑張れよ。」
「まぁ任せてよ!」
おにーさんが不安そうだったから、力こぶを見せて安心させようと思ったら逆効果だった。ちゃんと筋トレすべきだったかな。
「・・・別の日でもいいんじゃないか。もっとしっかり準備してから・・・」
「もう、十分心は整ってるよ、それに」
今日じゃないと話せないからね。
深呼吸をしてから、扉を開いた。
いつもなら散乱した酒の瓶や缶が転がっているはずだが、今日は違った。
床に落ちているゴミは綺麗に片付けられ、荒れていたカーペットも不自然なほど整っていた。そして何より
「おぉ、ようやく帰ってきたか。」
普段なら酒で荒れ狂っている筈の父が、食卓の椅子に座っていた。
ハキハキと、理路整然と喋りかけてくるお父さん。その表情は不気味なほど爽やかだった。
警戒しながらお父さんに近づいていく。
「なぁ、話したいことがあるんだ。とりあえず座ってくれないか。」
「・・・うん、分かったよ。」
椅子に何も異常なことがないか確認して腰を下ろす。
テーブルの高さはおにーさんの家の物よりも少し高く、違和感を覚えてしまう。
「父さんな、謝りたいことがあるんだ。今まで酷いことをしてきて、すまなかった。」
「え」
「今更、正気に戻ったんだ。俺してきたことはおかしかった。ほんとにすまないと思ってる。なぁ、今からでもやり直せないか?」
「・・・へぇ、そっか。うん、私もお父さんと仲直りしたいって、ずっと思ってた。」
「!!そうか、よかった。」
嬉しそうな顔を浮かべた後、お父さんは冷蔵庫に行き黒い瓶を持ってきた。
「これ、一緒に飲まないか?」
「・・・私、未成年なんだけど。」
「安心しろ、これはノンアルコールだからな。お父さん、もう酒飲まないことにしたんだ。」
その表情に偽りはない、透き通った瞳だ。
「っと、コップを用意するのを忘れてたな。ほら、お気に入りだったろ?」
「・・・うん、そうだったかもね。」
渡されたのは、可愛らしいピンク色のプラスチックのコップだった。
「昔お母さんがプレゼントしてな、それ以来ずっとお前が気に入って使い続けてな。まさかそのコップで酒を飲む日が来るとはな、嫌なら変えるか?」
「いや、これでいいよ。」
お父さんはコップに、グラスに酒を注いでいく、薄い紫色の液体のようだ。
「葡萄味だな、よし、乾杯するか。」
コップを持たされ、お父さんは高くグラスを掲げた。だが、私はそこにコップを持っていかない。
「?どうした、酒が怖いのか。」
「ねぇお父さん、私知ってるよ。最近家にいないよね。」
「・・・・・あぁ、そうだな。」
「最近さ、パソコンを見ている時間も長くなったし、人気のないところに行くことも多いらしいね。」
「・・・・・・・」
「ねぇ、
さっきまでの表情が嘘のように、凍てついた黒い瞳がこちらに向けられる。感情が抜け落ちた、亡霊のようだ。
「なんでお前がそんなことを知っている。お前は夜ほとんど家にいなかったじゃないか。」
「・・・ねぇ、私お父さんに話さなきゃいけないことがあるの。」
「私、お父さんの娘じゃないんだ。」
微かに目が見開いた。
「実は私、事故に遭ってから別人格になってて、家族との思い出もほとんどない。お父さんの娘とは別物だよ。」
「──────ふざけるな!!」
ドンッ!!と拳が机に強く叩きつけられえて、その衝撃でコップが倒れて中の液体が溢れる。
「おかしいと思ってたんだ!あの事故が起きてたから言動には違和感だらけで!何度も同一人物か疑ったさ!」
「・・・それが、私を拒んだ理由?」
「あぁそうさ!お前からはあの人が持っていた優しさがまるで感じられない!」
クソが!叫びながら立ち上がり、机を思い切り強く蹴り上げる。いつもの、荒れているお父さんだ。
きっと、私と母の面影を重ねたかったのだろう。
「返せ!返せよ!俺の娘は何処にやった!」
「────ずっと、貴方の傍にいたよ。」
「は?」
ニャーン、とこの場には似合わないような、優しい鳴き声が響き渡る。
「・・・・あれは。」
「その子に教えてもらったの。日頃の行動も、貴方が毒殺を企んでることも。」
「・・・居た。確かに、居た。」
隠れて行動していても、時折見つかることもあったのだろう。記憶を巡らすように、それを見つめている。
「ニャー・・・」
「・・・これが、俺の娘?」
恐る恐る、といった感じでその子はお父さんとの距離を詰めていく。暖かな黄色の光を灯しながら。
「・・・きっと、私はあの子にはなれない。私はあの子の皮を被ったナニカで、貴方にとっては家族ですらない。それでも、この関係だけは間違っている。」
家族、なんて関係になれるわけがないだろう。赤の他人どころか、相手にとっては憎い存在なのだから。
「これ以上暴力を、罪を重ねないで。あの子のために、真っ当に生きて。」
「・・・ニャー」
去れというのなら、今すぐここから出よう。憎しみが消えないというのなら、それでもいい。ただ、そのせいで人の道を踏み外すのは違う。
「お願い、私に出来ることはなんでもする。だから」
「なんだコレはぁ!!」
「ガッ」
「・・・え」
突如、あの子を蹴り上げた。衝撃で壁に叩きつけられ、痛みに苦しむように悶絶している。
「こんな猫が!あの人の娘なわけないだろうが!汚らしい、こんなやつが!」
「・・・あぁ」
不思議に思っていた、たとえどんなに様子が変だとしても、娘に簡単に手を上げるものなのかと。今、納得した。
最初から、この人は娘を母の鏡のようにしか見てなかったのだ。
「バカにしやがって、殺してやる、殺してやるよ。」
瓶を持って、こちらに向かってくる。
酒に呑んだくれて体力が落ちていようとも体格差は依然として存在しており、凶器もあちらにあるとしたらこちらに勝ち目はない。
でも、最悪の事態に向けて準備していた。
「助けて!おにーさん!」
その瞬間、ドンっと勢いよくドアが開かれ、猛突進でこちらに近づいてきた。
「グゥッ!!テメェ、いきなりなんだ!」
「大人しくしろ。もう警察にも通報してある。」
「!!そうか、テメェこの男に身体に売ってたのか!よくも、よくもあの人の身体を汚しやがって!」
狂乱したように、叫び続ける。身を捩って暴れるが、完全に押さえ込まれている。
そこからはトントン拍子だった。
とはいえ、おにーさんは暴れるたびに不安そうにしていたが、しばらくして異変に気づいた近所の人も警察が来るまで取り押さえてくれた。
警察が到着した後、近所の人に協力してもらい一緒にあの子を動物病院まで連れて行って貰った。
医者に診断して貰ったところ、幸いにも命にも別状はないようだ。
「一件落着・・・・ってわけにもいかなかったね。」
「・・・・あぁ。」
「あーあ、コレからどうなるのかなー。」
児童養護施設にでも入れられるのだろうか、高校受験をするのなら学費のためにバイトもしなければいけないだろう。
「なぁ。」
「ん?」
「もし何があっても、俺は味方だからな。」
「・・・ふーん。まぁ、私はおにーさんの嫁入りが確定してるから、将来の心配をする必要はないんだけどねー」
「まだ確定はしてないけどな。」
さりげなくこーゆーことを言ってくるところとか、本当に卑怯だ。
「ぜぇーったいに逃がしてあげないんだからね、おにーさん。」
「はぁーい、朝ですよ、寝坊すけさ〜ん」
「うお!」
突如首に冷たいものが当てられ、急速に意識が覚醒していく。
「まだ七時だぞ・・・もう少しゆっくり寝させてくれ。」
「休日の家族の時間を放っておくなんて、ひどいよね〜」
「ニャー」
イタズラ大成功、というような意地悪な笑みを向けてくる彼女。
「それに夫婦水入らずで過ごせるなんて朝ぐらいしかないんだから、ね?」
「はぁー、分かった、今起きるから。」
よいしょ、っとじじ臭い掛け声と共にベットから身体を起こす。
「なぁ」
「ん?なぁ・・・んっ。・・・随分と積極的なんだね。」
「日頃の仕返しだ。」
自分が弄ばれるのは癪なのか、ムッとした表情で不満を伝えてくる。
「ふーん、そういうのなら私も考えがあるよ。」
「む?」
ニンマリした表情を浮かべた彼女は、少し身を屈んでいつもよりも上目遣いで
「こういうのも偶には良いでしょ?おにーさん?」
「・・・ははっ、これはやられた。」
降参するように両手を上げると満足したのか、顔を近づけて耳元で囁いた。
「言ったでしょ、絶対逃さないって。」
妻は心からの、幸せそうな笑みを浮かべていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
余談になるんですが、本来この作品はバットエンドで締めくくる予定でした。ただ書いている途中にいつの間にかハッピーエンドルートに突入していました()愛には勝てなかったよ・・・
そのため練っていた設定の持て余しや前半と後半部分の温度差が出来てしまいましたが、個人的には満足してます。ウン
いつかifの話として本来のバットエンドも追加で書きたいなーと思ってます。
改めてここまで読んで頂いたことにありがとうございます