エルフとトロール 〜三流魔法使いのトロール、メスガキエルフの下僕になる〜   作:ルブク

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花が咲き、そして香に惑う――。

第三章、二話目です。
この話としては主役二人がグレイス/ココ側と接点を作る位置づけです。

第三章の人物紹介はこちら↓
https://syosetu.org/novel/385833/12.html


第二話 惑いの香

 とある依頼を引き受けてはもらえまいか、とリュミエに商会から手紙が来たのが数日前のこと。これでは要領が掴めないと商会へ話を聞きに行ったが、まずは依頼主に話を聞いてくれの一点張り。旅支度の費用は全て商会持ちという至れり尽くせりの待遇で――有無を言わさずに送り出されたのだった。

 

「と、いうことで。私達はマガザン領に来た訳で」

 

 リュミエとヴィンセントの二人はとある村落に足を踏み入れた。依頼人が待つマガザン領と他領の境で、徒歩と乗合馬車を使って数日かけての行程である。

 二人はいつもの装いではなく、商人に扮した地味な服装となっていた。特にヴィンセントは背負子(しょいこ)へ荷物を山のように積んでおり、大きな体躯が一層大きく見えていた。

 

【挿絵表示】

 

「普段からこういうことが?」

「いーや。基本あの商会はなるべく自己完結するんだけどね。今回は投げっぱなしだし、身支度に金を出してくれるとか相当厄介な仕事ってこと」

「身分を偽装してまでも、か」

 

 装いは地味だが出で立ちは派手そのもの。変わった商人が居ると、すれ違う村落の住人はチラチラ見やる。商会と契約を結んだ薬種(やくしゅ)商として、薬種の買い付けにマガザン領へ来たという設定である。

 

「他領だし。難癖付けられて牢屋の中、なんて冗談じゃない。厄介事はなるべく避けるに越したことはないでしょ」

「それは最もだが、そもそも厄介なのは」

「言わないで。分かってるから」

「……うむ」

 

 そもそもこの依頼自体が厄介極まりない――二人の意見は一致していた。何をするのか詳細は知らされず、報酬もはっきりしないまま。ただ骨を折るだけでろくな稼ぎにならない可能性も大いにあり、とにかく一寸先は闇という状態だった。

 

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 村落を抜け、目的地へ向けてなおも歩く。右も左も平原が広がる道すがら、打ち捨てられた集落をいくつも通り過ぎた。人が住む気配はなく、ただ壊れた家々が並ぶのみである。

 

「誰か見つけたー?」

「いや、誰もいない」

 

 休憩がてら立ち寄った集落も同様だった。殺風景な景色と相まって、この辺り一帯の時が止まっているかのよう。かつては井戸前の広場にて世間話に花を咲かせたのだろうが、今はうらぶれて見る影もない。

 

「昔は人間の領主だったらしいんだけど――」

 

 リュミエは縄を結びつけた手桶を井戸の中へ投げ入れる。元々の井戸の設備は壊れ、跡形もなくなっていた。

 

「山を幾つも越えた先からトカゲの親玉がやってきてさ。派手にやりあった結果が今の状態」

 

 縄を軽く引くと、持つ手に確かな手応えを感じる。ゆっくり、慎重に手繰り寄せ――。

 

「……どうか?」

 

 辺りを見回っていたヴィンセントが声をかける。果たしてここの井戸は使えるのか否か。リュミエは水を(たた)える手桶に鼻を寄せた。

 しかし次の瞬間、口をひん曲げてすぐさま顔を離した。そして躊躇なく水を捨てる。

 

「ダメ。腐ってる」

「先を急いだ方が良さそうだな」

 

 管理されなくなり幾久しく、目の届かない部分も荒廃が進んでいるようだ。この様子では、どこかで休憩するより直接目的地に向かう方が速い。ヴィンセントは背負子を担ぎ、リュミエは靴紐を締め直す。

 

「あーあ、これで報酬ショボかったらやぁだなぁ〜。大体訳アリの依頼ってだけで胡散臭いってのに」

 

 聞き耳を立てる者が誰もいないからか、言いたい放題のリュミエである。しかしヴィンセントも苦笑しながらも半分ほどは同意していた。

 依頼の仔細は現地で――ましてや他の領主の地である。何かあれば、すぐさま尻尾を巻いて逃げ出す準備をしていた方がいいかもしれない。乾いた風が吹く、荒涼とした大地を見ながらそう思うのである。

 

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 歩くこと数刻、目的の孤児院に着いたのは陽が高くなる頃だった。周りに人家もなく、ただポツンと孤児院のみ佇む様は絶海の孤島にも似ていた。

 

「……こんな所に孤児院か」

 

 ヴィンセントは額ににじむ汗を拭う。人の営みの空気感もなく、もしや誰も……と考えてしまう。

 

「行ってみりゃ分かるよ」

 

 どの道、目的地なのだから向かわない選択肢はない。リュミエを先頭に歩くが、落ち着いた調子の声の彼女もどこか浮き足立っているようだった。敵地ともなりかねない状況で、今頼りになる得物は腰の後ろに差した短剣のみ。あくまでもいち商人、護身用としても必要最低限で心許なかった。

 最悪、ヴィンセントの魔法も使えないことはないだろう。しかしそれも一対多となれば状況は瓦解する。当然そうならないよう細心の注意を払うのだが、割に合う報酬であることを祈るばかり。

 

「人は――いるね」

 

 孤児院は無人ではなかった。赤毛の少女が二人の目に入ったのだ。彼女は様々な花が咲き誇る花壇を前に、せっせと雑草を抜いて手入れをしていた。どの花も太陽に向かって大きく花弁を広げており、彼女の努力の賜物というのが容易に見て取れた。

 

「さてと」

 

 リュミエは小さく咳払いをした。

 

「お嬢さん、こ・ん・に・ち・はぁ〜」

 

 声のトーンを一段高く、猫なで気味に。満面の笑みを浮かべながら、花壇の世話に集中していた少女に声をかける。

 

「――こんにちは」

 

 手を止め、立ち上がった少女は怪訝な表情をしていた。見知らぬ商人を前にしているからか、それとも単純にエルフとトロールを見慣れていないのか。

 

「えっと。なにか……ご用でしょうか?」

 

 少女は控えめながら用件を伺う。素朴なワンピースのスカートを両手で握り締め、不安げな眼差しはそのままに。そのつもりはなくとも、何故だか悪いことをしている気がしてならない。

 

「ああ、実はワタクシども商会から来まして――こちらにいらっしゃるグレイス様がお出しになられたお手紙。そのことで少しお話ができれば、と」

「グレイスさまが?」

「はい、こちらのお手紙を」

 

 リュミエは懐から孤児院の主、グレイスが書いて寄越してきた手紙を少女に見せる。例え幼くとも彼女は孤児院の関係者である。ぞんざいな扱いをして印象を悪くするのは以ての外。

 

「――書いてあることはちょっと難しいですけど、グレイスさまの文字だと思います。お客さまだとしらず、たいへん失礼しました」

 

 少女の警戒が解けたのか、これまでとは一転して礼儀正しく頭を下げた。

 

「いえいえ、こちらこそ突然お邪魔しまして――宜しければ、グレイス様にお声をかけて頂けますか?」

「はい! 少々おまちください!」

 

 パタパタと駆けながら玄関の扉を開け、少女は手紙の差出主を呼びに行った。まず首尾は上々と、少し離れて所在なさげにしていたヴィンセントへ胸を張るリュミエだった。

 

「――お待たせしました!」

 

 少女が差出主の手を引き、玄関に戻ってきたのはそれから程なく。予想よりもずっと若い、プラチナブロンドの髪を持つシスターだった。

 

「よくおいで下さいました。遠路はるばる、御足労いただきありがとうございます」

 

 まさに彼女は貞淑そのもの。恭しく礼をする所作だけでも人となりがよく伝わってくる。赤毛の少女も全幅の信頼を置いているらしく、グレイスの隣に寄り添っている。

 

「何か特殊なご要件があるとかで」

「はい。そのことは中で詳しく――できれば貴方様お一人でお願いしたく」

 

 リュミエはヴィンセントをちらりと見やる。緑の巨大な体躯は子供達にとってはかなりの威圧感だろう。

 

「なら、向こうのトロールは外で待たせておきましょう。荷物の番は必要ですからね」

 

 不要なトラブルは可能な限り避けておくべきである。右手の親指を立て、後ろにいるヴィンセントを指さした。どの道、屋内に持ち込むには手がかかる量の荷物。外で待つのが休憩がてら丁度いいだろう。

 

「不躾なお願いをお聞き入れくださり恐縮です」

「いえ、どうってことはないですよ――ちょっと話してくるから待ってて!」

 

 リュミエの言葉にヴィンセントは小さく手を振った。荷物を降ろしてもよいものを、いまだに背負ったままだった。相変わらず生真面目というか、バカ正直というか。

 しかしそれ故の安定感を買っている。腕前はまだまだとしても、背中を預けられるという点については期待通りだった。

 

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 グレイスの案内で孤児院に入るが、中も相当くたびれていた。壁紙は所々破れて下地の石が覗いており、床の隅に細かい破片が散らばっている。

 

「まあ、リュミエ様とヴィンセント様は剣士と魔法使いでいらしたのですね。私はてっきり商会でご商売をされている方とばかり」

「商会から仕事を融通してもらってる立場なもんで。そんな風に言われるのはまぁ、よくあるって感じ」

 

 それ以外にも柱にヒビが入っていたりと、手入れの手が行き届いていないのは明らかだった。単純に手が足りないか、はたまた費用面の問題だろうか。

 もし後者なら様々な意味で非常に厄介である。リュミエは眉をひそめながら修道服のグレイスの背中を見つめた。

 

「さあ、応接間はこちらです。少々狭い所ですが」

 

 確かに彼女の言葉通り、通されたのは応接間とは名ばかりの小部屋だった。年季が入り過ぎた壁に、家具類といえば古びた丸テーブルと椅子が三脚あるばかり。あまりの窮屈さに、ヴィンセントが入れば部屋の半分近くが埋まるのではないかと思ったほど。

 

「どうぞお掛けください。白湯でしたらお出しできますが、いかがしましょう」 

「あぁ、お構いなく」

 

 腰掛けた椅子は脚がガタガタ揺れて安定しない。これまで見てきたものから、本当に孤児院として運営できているのか甚だ疑問である。しかし依頼を出したのも紛れもない事実なのだから――。

 

「じゃ、早速本題に入りましょうかねぇ」

 

 椅子に腰掛けたまま身を前に乗り出し、両手の指を組んでテーブルに肘を乗せる。その奥にある翠の双眸は、対面に座るグレイスの姿を映し出した。

 

「――私達へのご用命、承りましょう?」

 

 鬼が出るか蛇が出るか。不敵にリュミエは歯を見せた。不遜(ふそん)な態度ではあるが、どこか漂う不思議な頼もしさ。グレイスもそれに応じ、おもむろに依頼について話し始めるのだった。

 

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 リュミエが依頼を聞いている間、ヴィンセントはまるきり手持ち無沙汰となってしまった。まずは背中の荷物を降ろしたいところ。

 

「――失礼」

 

 ヴィンセントは花壇の手入れを再開した少女へ声をかけた。

 

「この辺りに荷物を置いても構わないかな」

 

 驚かさないよう、やんわりとした声のトーンかつ少し距離を取って。少女は驚いた様子で顔を上げる。声をかけられるとは思っていなかったらしく、瞳をパチクリとさせていた。

 

「あっ。だ、だいじょうぶだと思います」

「そうか。ありがとう」

 

 背筋を曲げずにゆっくり腰を落とす。商人に身を(ふん)しているため、偽装ではあるが荷には商売道具も含まれている。落として何かあれば、これからの計画が水泡に帰してしまう。

 事情を知ってか知らずか、赤毛の少女も気が気でない感じで見守っていた。しかし助け舟を出すまでには思考が至らぬ模様。

 

「……よし」

 

 無事に荷物を降ろし、ようやく肩が軽くなる。

 

「すごい量――」

 

 傍らで様子を窺っていた少女が思わず言葉を零す。人間ではとても持ち運べない量の荷物、さぞ目を引いたに違いない。

 

「気になるかな?」

 

 ヴィンセントの問いかけに少女は控えめに頷いた。

 

「といっても特別な物がある訳ではないが。身の回りの品や商売用の薬種に、採集用の道具くらいか」

「さいしゅう? って何をするんですか」

「野に生えている薬草を採るんだよ。根や葉、種をなるべく傷つけないように。傷ついたりするとすぐに傷んだり、薬効が弱くなったりしてしまうからね」

「へぇ〜……」

「――そうだ、薬種の辞典があるんだ。よければ見てみるかい」

「はい! 見たいです!」

 

 引っ込み思案な少女の頬が赤みを増してゆく。一人で熱心に花壇の手入れをしていたのだからもしや、と。やはり草花について並々ならぬ興味があったようだ。

 荷物の中から薬種辞典を取り出した。革でしっかりと装丁され、表には薬草のレリーフが施されている。

 

「さぁ、これだよ」

「わ……ありがとうございます! 少し、読んでもいいですか?」

「もちろん」

 

 ヴィンセントは片手で簡単に持つが、少女には両手でやっとである。しかし彼女は重さなどお構いなしに、その場にぺたりと座って辞典を膝の上で広げた。

 食い入るように一ページずつ読み進める様子に、ヴィンセントは頬を綻ばせる。純粋な好奇心というものは実に微笑ましいものだ。

 すると、不意に少女がヴィンセントの方へ振り返った。

 

「あの、これ……なんて読むんですか?」

 

 少女はとあるページの見出しの部分を指さしている。

 

「それかい? どれどれ――」

 

 その部分を確かめようとヴィンセントは身を屈める。鼻先が少女の赤毛の髪に近づき、漂う草花の柔らかな香り。彼女にぴったりだと目を細めた瞬間だった。

 それとはまるで異質で、かつ覚えのある香りも混ざっていることに気づく。およそ、年端もいかない少女から漂うべきではないものだった。

 

「――これはね、石鹸と読むんだ」

「せっけんって、あの石鹸ですか?」

 

 ヴィンセントは動揺を押し隠す。そうと悟られないよう、穏やかな語り口となる。

 

「ああ、石鹸だよ。そのページに書かれている草の汁には綺麗にする作用があってね。手のひらでよく揉むと泡立って石鹸のようになるんだ」

「そんなステキな草があるんですね。見てみたいなぁ……」

「その草自体はよく見るから探してみるといい。緑が濃く、肉厚でギザギザの縁の葉がそれだ」

「ありがとうございます! トロールさんお詳しいんですね!」

 

 純真な少女の無垢な笑顔とはこれほどまでに眩しいのか。ヴィンセントに年甲斐もなく気恥ずかしさが込み上げ、照れ臭さに頬を指で掻いた。

 

「お〜い! 終わったぞ〜!」

 

 話を終えたらしく、リュミエがグレイスを連れて孤児院より戻ってきた。彼女の様子を見るに、恐らく依頼を請けることになったようだ。

 

「仲良くなったとこ悪いけど、もう出るよ。日が暮れる前にアヌーラの町で宿取りたいからさ」

「あ、なら……この辞典、お返しします。ありがとうございました――」

 

 楽しかった時間が終わりになったと知り、少女はふと寂しげな顔を見せた。しかしにこやかな顔にすぐ戻り辞典を返そうとする。ヴィンセントはそれを手で制し、彼女に差し戻した。

 

「それは君にあげよう。私には不要なものだから」

「……いいんですか?」

「是非貰ってほしい。きっと君の役に立つ筈だ」

 

 こうなる展開は予想していなかったのか、辞典を胸に抱えたまま暫し呆ける少女。やがて体に感じる重みが本当なのだという実感を呼び起こす。

 

「ありがとうございます! とっても大切にします、えっと――」

 

 頬が上気し、花壇の花よりも眩しく笑顔が咲き誇る。これが見れただけでも譲った価値があるように思えた。

 

「ヴィンセントだよ」

「――ヴィンセントさん、本当にありがとうございます。またいらしたら、わたしに……ココに色々教えてくれますか?」

「もちろんだとも。楽しみにしているよ」

「はい! わたしも楽しみです!」

 

 グレイスは二人のやり取りを微笑ましく見つめていた。ゆるりとココに歩み寄り、肩に優しく手を乗せる。

 

「ココ。そろそろお客様がいらっしゃいますよ。ヴィンセント様も大切な物をココに下さり感謝の申しようもありませんわ」

「いえ。彼女の方が有用に使ってくれそうですので。それが辞典も本望でしょう」

「まあ。なんと奇特なお心掛け……」

 

 かなり熱心に辞典を読んでいたのだ。暫くすれば一廉(ひとかど)の識者となっているかもしれない。

 未来の期待に胸を膨らませながら、ヴィンセントは重い荷物を再び背負う。そしてグレイスとココに見送られながら、二人は孤児院を後にするのだった。

 

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 孤児院から離れ、再び原野を行く二人。

 

「依頼は行方不明になった孤児がどこに行ったか探してほしい、だってさ」

 

 道すがら、リュミエはグレイスからの依頼内容を説明する。アヌーラの町で孤児の連れ去りが頻発しており、何処に連れ去られているのか調べて欲しい、とのこと。グレイスの話によれば連れ去りにはマガザン公が関わっているらしいが。

 

「マガザン公――領主自らだと? 一体何のために」

「できればそれも含めての人捜しをご所望だよ。もうね、きな臭すぎて笑っちゃう」

「そんな厄介な依頼を請けたのか? 危険では……」

 

 明らかに個人で請けるような依頼ではない。商会側が対処に困ったのも頷ける。捉えようによっては捨て石にされたも同然ではなかろうか。

 危惧(きぐ)するヴィンセントを尻目に、リュミエはずっしりとたわむ革袋を見せつける。

 

「前金でこんだけ。ざっと一ヶ月は暮らせる額はあるね。成功報酬で更に二袋貰えるから、まあ美味しい話っていうのに間違いはない」

「そんな大金を……?」

「謎だよねぇ。あんなボロボロの孤児院にそんな大金があるなんてさ。でも私らは部外者な訳で――まぁ上手くやるよ。ここまでデカい依頼なんてそうそうないからね」

 

 修繕が間に合わないほどに古ぼけた孤児院であるのに、依頼の報酬には大枚をはたけるという。どうやらこの依頼、考えているよりも複雑に事情が絡み合っているのかもしれない。

 リュミエはそれを承知で請けたのだろう。あくまでも依頼をこなす何でも屋として。

 

「ところでさ、あの子にあげた本って私物?」

 

 この話はもう終わりと言わんばかりに彼女は話題を変えた。

 

「いや。商会に用立ててもらった物の一つさ」

 

 肩紐をしっかり掴みながら、涼しく答えるヴィンセント。実際、件の辞典は商会が用意した荷物に含まれていた。それを思い出し、ココに譲ったのだった。

 

「まるで自分の物みたいな口振りだったけど。懐痛めずにポイント稼ぐなんてやるじゃん」

 

 非難するでもなく、からかうような口調。リュミエのポニーテールが上機嫌に揺れている。

 

「持っていたんだ……同じ物を、昔。ココのように本に穴が空くほど読んだものだ」

「ふ〜ん……」

 

 リュミエは神妙な表情のまま、それ以上詮索しなかった。彼女は過去についての興味が薄いのかもしれない。しかし聞かれたところで、ヴィンセントに答えるつもりも毛頭ないのである。

 

「あ、前。馬車来たよ」

 

 リュミエの言葉で視線を前に向ける。人気も何もない道の向こうから、二頭立ての馬車が近づいてきていた。リュミエとヴィンセントは道の脇に避ける。

 

「どこの偉いさんだろうね……孤児院へ何しに行くんだか」

 

 馬車は我が物顔で二人の前を通り過ぎる。金のレリーフが施されており、誰が見ても高貴な人物の所有。いよいよもって不可解ではあるが、だからといって調べる術はなし。

 

「孤児院を支援しているのだろう。ココの服も質素だったが決して悪くない仕立てだった」

「ま、さしづめパトロンってとこね。何かもう叩けば埃ばかりって感じ」

「うむ……」

 

 遠ざかる馬車を見送りながら、ヴィンセントの脳裏にあの香りが不意に蘇った。彼はリュミエに告げるかどうか悩み、そして心の底に閉じ込めることとした。ただの思い違いだったと、一握りの希望と共に。

 

 ――ココの髪から漂った香り。

 それは女衒(せげん)通りに軒を連ねる数多の売春宿から流れる、娼婦が身に纏っていた(こう)と同じものだったのだから。




次話はもう一方との接点を作りつつ、徐々にストーリーを明らかにしていく感じになるかと。
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