四代目火影・大蛇丸   作:缶ジュース

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第十二章:頂点捕食者

 パーティションで区切られた一角、壁際に設えられた簡素な寝台で、白い顔にうっすらと笑みを浮かべた人物が、鎌首をもたげるように上体を起こそうとしていた。 纏うチャクラは病人のように弱々しい。にも関わらず、その質は不釣り合いに禍々しく、歪なコントラストを生んでいた。

 暗がりで爛々と輝く、蛇のように細められた金色の瞳。かつてシスイが中忍だった短い期間、任務報告の際に相対した時と同じ、その眼差し。

「そんなに警戒しないでほしいわ。歓迎しているのよ、心からね」

 その人物を、シスイは知っていた。いや、木ノ葉の忍で知らぬ者はいない。

 チャクラの流れ、挙動、声色、匂い、それら全てが、目の前の人物が幻術や変化の術による偽物ではないことを物語った。だからこそ、内心の動揺は計り知れない。構えていたクナイを、シスイはもう一方の手で強く押し留めた。

「……よ、四代目……大蛇丸……様…………ご存命で、いらっしゃったのですか……」

 九尾事件の夜、閃光の中に消えたはずの先代火影、紛れもなく、大蛇丸その人だった。

 一龍一蛇、と力強い筆遣いで書かれた大きな掛け軸の前へ、シスイは慎重に歩み寄った。体を起こし、寝台に座った大蛇丸は、「見ての通りよ」とかすれ気味の声で答えた。

「私のコンディションは、あまり芳しくない。全てはあの忌々しい狐の置き土産と……ダンゾウよ。あの老いぼれ、味方の背中を刺すことにかけては天才的よね。捨て身の土遁で私の足を引っ張ってくれたアイツの犬が、良い術を持っていて……触れたら終わりのナノサイズの毒蟲。九尾が散り際に放った砲撃とそれのおかげで……このザマよ」

 大蛇丸は、他人事のように自身の身体を見下ろした。そこに窺えるチャクラ量はどう高く見積もっても、ここまで駆けつけて消耗したシスイの四分の一未満だった。

「何度か、死にかけたわ。私には死より大事な目的があるから、そう簡単には逝かないのだけれど」

「なぜダンゾウ様がそのようなことを……」

 シスイの知る限り、ダンゾウは大蛇丸を火影に推挙した張本人のはずだった。大蛇丸は肩をすくめた。

「政にアナタたちうちはを取り立てると、あのどさくさ紛れに決めたから。それに……先々代、猿飛ヒルゼンを殺った黒幕は私だと思っているのだから。千載一遇の機を逃せば、私に敵うはずもない。笑っちゃうわよね、『根』は未だに私の死体を探し回っているのよ」

 シスイは猫面の顎に指をかけ顔の横へとずらし、衝撃を隠せない素顔を晒した。

「五代目は、ご存じなのですか?」

「ミナトは何も知らないわ。アナタを呼んだのは、紛れもなく私」

 大蛇丸は唇を歪め、熱を帯びた視線をシスイの全身に、特にその両目を舐めるように這わせた。恋い焦がれた異性を前にしたかのように、微笑を浮かべる。

「暗部が使う特殊な符丁……私が考案した仕組みなのよ、あれ」

「何のために、俺を……」

 努めて冷静に状況把握を試みるシスイを見透かすように、大蛇丸は同情的な口ぶりで言った。

「アナタだからよ、シスイくん。大変だったでしょ……? この五年間。その若さで全てを背負い、破滅を食い止めようとする気高き精神。かつての私の師、猿飛先生がアナタを見たら、涙を流して喜んだでしょうねェ……。健気で愛おしい。本当に、哀れ」

 シスイは表情を凍り付かせた。

「私はね……ずっとアナタたちを見ていた。アナタを見ていた」

 大蛇丸は気だるげに寝台から身を起こした。

「色々と聞きたいでしょうけれど、立ち話もなんだからね……」

 性別すら曖昧な、シスイより一回り華奢な身体が、闇の奥へと滑るように向かう。「少し、面白いものを見せてあげるわ」と、白い手招きだけが暗がりに浮かんだ。

 導きに誘われるまま、シスイは施設のさらに深部へと足を踏み入れた。

 無防備に背中を見せて歩く大蛇丸は、まるで世間話でもするかのように問いを投げかけてきた。

「たくさんの人が、九尾事件で死んだわよね。……ダンゾウが私を殺そうとしたことを知って、改めて見えてくるものはないかしら?」

 シスイは黙して語らない。真意を測りかね、その背中を油断なく見据えるだけだ。大蛇丸は最初から返答を期待していなかったのか、足も止めずに続けた。

「アナタも知っているでしょうけれど、九尾には術者がいた。ミナトが相手取っていたわね。では、フガクはそいつに殺されたの?」

 試すようなその謎かけに、シスイの足が止まった。

 うちはフガクの死因。それは「自刃」だった。ミナトから極秘裏に共有された情報によれば、九尾を鎮圧しようとしたフガクは、突如として自らの喉を切り裂いたという。

 ミナトもシスイも、九尾を操った「面の男」が、何らかの術を行使しフガクを排除したのだと考えていた。

 だが、ダンゾウが「根」の油女一族を使って大蛇丸を殺そうとした。この前提条件が一つ加わるだけで、その絵図が錯視であったように、醜悪な騙し絵の真の姿が見えてくる。

 ダンゾウにとって大蛇丸と同様に、あるいはそれ以上に邪魔だった存在は誰か。

 論ずるまでもない。大蛇丸の手によって復権し、万華鏡写輪眼で九尾を鎮め、里の英雄になろうとしていた男、うちはフガクだ。

 フガクは「自ら」手を下した。

 相手はうちはの、それも万華鏡写輪眼の開眼者。生半可な幻術など、赤子の手をひねるより容易く看破される。視覚に頼らない幻術、例えば音や匂いを使うとしても、乱戦の中でフガク一人の精神だけをピンポイントで侵し、自決に至らしめるなど、物理的に不可能の域にある。

 しかしそもそも、精神を乗っ取る行為は、幻術の専売特許ではない。木ノ葉には、もっと直接的で、凶悪な術が存在する。

 五感への暗示というプロセスを介さず、遠隔から対象の精神を乗っ取り、肉体の主導権を奪う秘伝忍術。

「……『根』の山中一族による、『心転身の術』。……刺し違える覚悟か」

 対象を乗っ取る間、術者の本来の肉体は無防備になり、何より憑依した対象が負った傷は、術者の肉体にもフィードバックされる。心転身の術で対象を殺せば、術者も死ぬ。

「優秀な生徒を持つと、教師は楽でいいわ」

 シスイの答えに、振り返った大蛇丸は目を細めた。

 シスイの背筋を冷たいものが駆け上がった。

 にわかには信じ難い話だ。うちはを遠ざけたいというダンゾウの政治信条はシスイも知るところだが、あろうことか九尾との戦闘中にうちはの族長を謀殺し、現職の火影をも排除したというのか。里のためを謳うならば、本末転倒とはまさしくこのことだ。フガクが生きていれば、九尾の被害はもっと抑えられたかもしれない。これが真実ならば、もはや政治的対立の域を超えた、里への反逆行為。沙汰を下せば死罪は免れない。

 だが、真に戦慄すべきは過去の凶行ではない。現在進行形で続く、里の致命的な構造欠陥だ。

 五代目火影・波風ミナトは、何も知らない。

 曲がりなりにも彼が背中を預け、里の復興を共に協議している相談役こそが、先代を殺そうとし、英雄となるはずだったフガクを葬った張本人なのだ。獅子身中の虫が懐深くに食い込んでいることにも気づかず、ミナトは一人で全てを背負っている。

 この欺瞞が成立している最大の要因。それは、当事者である大蛇丸の不在だ。

 もしダンゾウの包囲網が機能していたのなら、大蛇丸が身を隠したことにも戦術的な理屈は通る。無防備な姿を里で晒すのは自殺行為に等しいだろう。混乱を防ぎ、情報を守るための潜伏。それ自体は理解の範疇だ。

 だが、現実は五年間の沈黙だ。

 あまりにも長すぎる。

 大蛇丸は「火影」だったのだ。彼が放棄した責務は、そっくりそのままミナトの双肩にのしかかった。戦争の傷跡も癒えぬまま九尾の災禍に見舞われた里を、ミナトがどれほどの苦心惨憺の末に立て直してきたか。

 情報を伝える手段は幾らでもあったはずだ。それをしなかったのは何故だ? この空白の五年間、何をしていた? なぜ、今になって沈黙を破った? なぜ、数多の忍の中からシスイを呼び寄せた?

 五年もの間、死人を装っていた者が、里の内部事情を、ミナトの苦境を、そしてシスイの立場を、まるで特等席で劇でも鑑賞したかのように把握していた。つまり、「戻れなかった」のではない。大蛇丸は、「戻らなかった」のだ。

「アナタは、『火の意志』を信じるかしら?」

 シスイの思考を断ち切るように、再び歩き出した大蛇丸が背中で問いかけた。

「……質問の意図は分かりかねますが」

 一瞬足を止め、しかしすぐに警戒を強めた足取りで背中を追いながら、シスイは言葉を投げた。

「陰から平和を支える名もなき忍。それが本当の忍だと、俺は信じています。自己を犠牲にしてでも里を守るその在り方こそが……結果としては火の意志に通底するものだと」

 忍としてシスイの根幹はそれだった。その在り方すら失えば、この狂った状況で正気を保つことなどできない。独白に近い響きの回答は、大蛇丸への皮肉としても響いた。

「殊勝な心掛けね」

 大蛇丸はただ一言、そう告げた。

 施設はいくつかの区画に分かれているようだった。無機質な扉が並ぶ通路を抜け、通されたのは、それまでの冷やりとした空気とは異なる、暖かく湿った空気が満ちる空間だった。

「亡き三代目は、里の者達はたとえ血の繋がりがなくとも家族だと、そう教えてくれたわ」

 大蛇丸が足を止め、目の前の何かを見上げた。

「けれど、美しき『火の意志』もまた、光が強ければ影が濃くなるように、その内側に深い闇を孕んでいる。『里のため』という大義名分のもと、内部には差別を、対外的には争いを生み、個人は抑圧され、過酷な犠牲を強いられる。組織の存続こそが最優先されるが故に」

 シスイの視線は、大蛇丸の見上げる先に縫い止められた。壁一面が、生きていた。木目のような筋が走る巨大な肉壁から、幾本もの手足、そして人の胴体が突き出て、蠢いている。太い血管のような管が走り、全体が呼吸するように、ゆっくりと脈動していた。

 植物のようであり、おびただしい数の人間を練り合わせたようでもあるその壁面を、大蛇丸は愛おしげに撫でた。

「……これは、一体……?」

 目の前の光景は、シスイの理解を完全に超越していた。

「チャクラを生命エネルギーに変換する唯一無二の血継限界、木遁。その唯一の使い手であった初代火影・千手柱間の細胞組織を培養したものよ」

 大蛇丸はこともなげにそう説明した。太陽光に近いライトが照射され、温度と湿度が管理された空間で、それは脈打つ壁面として、確かに生きていた。

「初代火影は、子どもを守り、無駄な争いを避けるために、忍の隠れ里という枠組みを考案した。一族同士の殺し合いは、その枠組みにより大国同士の殺し合いへ移行し、私たちのよく知る大戦の時代となった。子どもを守るために作った枠組みもまた、子どもを戦地に駆り出し、命を散らさせた。皮肉にも、彼の孫の一人は享年十二歳で大戦の塵となり、もう一人は血を恐怖するようになった。フフフ……。全体の調和を謳いながら個を生贄にする。それこそが、里であり、任務であり、アカデミーで子どもが習う『忍の心得』の本質なのよ。翻って、里を治めるとは、誰を血祭りにあげるかの選択の話」

 大蛇丸は肉塊から手を離すと、滑らかな物腰で回廊を再び歩き出す。この地下空間へ最初に足を踏み入れた際、最初に目にしたガラス槽が並ぶエリアの、その裏手にあたる薄暗い通路へとシスイを誘った。鼻を突く消毒液の臭いが一層強くなる。

「ミナトは歴代でも屈指の、素晴らしい火影だわ。私が放置した厄介事の数々を見事に処理し、木ノ葉の火影になりきれている。だから解せない。彼は私とは違うし、かといって自来也のように単純なバカでもない。万一の備えとして生まれたばかりの我が子に受難の運命を強いる、透徹した戦略家。そんな彼が、はたして何の抑止力もなく、獅子身中の虫たるうちはを懐刀にするのかしら? 彼には、うってつけの駒もあるでしょ。写輪眼まで持った、都合の良い忠犬がね。それを差し置いて、なぜアナタなの?」

 シスイは表情を変えず、逆に問いかけた。

「うちは一族が獅子身中の虫とは、どういう意味ですか?」

「他ならぬアナタに、それを説明する必要があって? 私を試すのはおよしなさい」

「…………大蛇丸様は何をご存じなのですか?」

「私がミナトだったら、アナタたちを血祭りにあげていたわ。一人も残さずね。後片付けは綺麗に行うタチだから、私は」

 大蛇丸は平然と言った。その言葉には、命の重さなど微塵も含まれていなかった。

「シスイくんを手元に置くところまでは分かるの。私も、アナタという原石を見出していたから。けれど……里において自治権を持つ『うちは』の……その閉ざされた箱を覗くのに、中の住人を使うなんて……自家撞着も甚だしい。うちはのお仲間であるアナタがもたらす情報の、どこに信憑性があるの? 五年もの間、成果がないのは、敵が巧妙だから? それとも、アナタが巧妙だから? ミナトはアナタの何を信じて、その報告を受け入れているのかしら。彼はアナタを信頼しているのか、それとも、アナタを疑えないのか……。興味深いわねェ」

 大蛇丸はシスイの顔を覗き込む。シスイは微動だにせず、その顔を真っ向から凝視した。視線が絡み合い、火花が散るかのような濃密な沈黙が落ちる。

「……勘違いしないで。私は別に、綺麗にしろと言っているわけじゃないの。むしろ、アナタたちを誰よりも買っているわ。だから知りたいのよ。アナタという不合理な駒を、盤上に成立させているものが何なのか。今やうちは一の実力者であるアナタが、如何にして里の均衡を成立させているのかを、ね」

「……こちらは?」

 シスイは意識的に視線を外し、すぐ傍らのガラス槽へと向けた。大蛇丸は覗き込む顔を引っ込めて、何事もなかったように答えた。

「新術を一つ開発するのに、百や二百の検体では足りないこともあるの」

「あちらの、木ノ葉の忍は……?」

「さあ? 火の国との国境線くんだりに一人でいたから捕らえたまで……。裏切り者だったのかしらね……?」

 全く無関心な口調だった。改めて槽に刻まれた番号へとシスイは目を凝らした。見た限り一番若い番号は239番。一番大きい番号は、300番台の中盤に差し掛かっている。草隠れの忍が最も多く、次いで岩隠れ、そして木ノ葉。この場所が、五大国の火の国と土の国の間にある小国、草隠れの里の領域であることを踏まえれば、「捕らえたまで」という言葉通り、近隣を手当たり次第といった構成だった。

 見当たらない238番までがどこに消えたのかは、考えるまでもない。年齢と体重まで几帳面に刻印されているのは、その者がその状態であるうちに用済みになることの証に他ならなかった。

 表の洞窟にあった風遁の痕跡より、この地へ手が加えられたのは、精々が二、三年といったところだ。つまり、その短期間で、それほどの数の忍が、同胞さえもが、新術開発のために「消費」されてきた。

「…………めちゃくちゃだ」

 火影が、守るべき自里の忍で人体実験を行っている。最低なことに、問題はそこに留まらない。岩隠れと木ノ葉は講和条約を結んでいる。草隠れも同盟関係にあり、中忍試験を共同開催する間柄だ。もしこの非道が露見すれば、深刻な外交問題への発展は必至。

「戦争にでもなるかしら?」

 思考を見透かして、大蛇丸は薄笑いを浮かべた。

「三度の大戦を経て、ようやく武力による相互抑止での安定状態となったけれど、どの国も里も、より強い力を手に入れることに腐心している。平和や安定を謳いながら、その実、自らの役割が縮小することを恐れているの、私たちの脆弱なシステムはね。均衡なんて、些細なきっかけでいつでも崩れるわ。そして火種は、そこら中で燻っているものよ」

 まさに火種を自らの手で扇ぎながら、大蛇丸は説いた。そして無造作に、傍らにある一つの扉を開け放った。人の気配があった。

 そこは簡素な小部屋だった。剥き出しの岩肌を整地しただけの殺風景な空間に、鈍い光を放つ照明が一つ吊るされている。

「紹介するわ。彼の協力もあって、このアジトは随分と快適になった」

 部屋の奥、椅子に一人の男が静かに座っていた。

 シスイは己の目を疑った。

「ご挨拶なさい、羅砂」

 羅砂、と呼ばれた男――木ノ葉とは同盟関係にある砂隠れの里の長、四代目風影が、無機質な動きで立ち上がり、シスイに一礼した。

「アナタの歓迎に、わざわざ来てくださったのよ」

 見開かれたシスイの瞳に映る風影のチャクラは、一見すると問題なく自然に循環している。しかしシスイが万華鏡写輪眼に迫るほどの瞳力を以て凝視すると、その深層に微細な揺らぎが見て取れた。

「……幻術と、呪印術ですか」

 揺らぎは特に、人体における八つの点穴密集地、八門のうち、休門が位置する左側頭葉に表れていた。風影本来のものとは別種と思われるチャクラが、悪性の腫瘍のようにへばりついている。呪印術は、呪縛力をもった印を対象者に施し、その能力や行動などを思いのままに支配する法術であり、封印術の一種だ。恐らく、本人の自我を残したまま、思考の決定権だけを外部に委ねさせるような呪印が、風影の脳に直接刻まれている。

「慧眼ね。まさに、末恐ろしい瞳力」

 大蛇丸はその双眸を一瞬だけ鋭く収縮させ、次いで、我が意を得たりと深く頷いた。

 近年、風の国から木ノ葉への依頼数は加速度的に伸び続け、それと同じ曲線を描いて砂の戦力低下は深刻化してゆき、もはや止めようのない段階まで進んでいる。そのカラクリが、これだ。事態に最も強い危機感を覚えるべき現職の風影が、大蛇丸の傀儡と化している。

「既存の秩序はまさに今、好き勝手に作り変えられているの。水面下で台頭する、規格外の力を持つ『個』によって。……良いわよ、もうお戻りなさい」

 大蛇丸が言うと、羅砂は再び無機質に一礼し、ゆらりと部屋を出ていった。

 扉が閉まり、再び二人きりの静寂が戻る。大蛇丸は今のやり取りが劇の一幕ででもあったかのように、軽く肩をすくめた。

「九尾事件後、私は生き延びる過程でとある傭兵集団……『暁』という者たちの手を借りたの」

「……暁?」

 シスイの眉がわずかに動く。その名は知識としてあった。かつて雨隠れの里で活動していた、平和維持を目的とした小規模な組織だ。

「……その顔。アナタのデータベースにあるのは、理想に燃える雨隠れの自警団のことかしら? 残念ながら、その美しいお伽噺はとっくに終わっているの。今の『暁』はね、霧の忍刀や赤砂のサソリといった、手配凶度S級の抜け忍ばかりが集う変わった互助会よ。金払いが良ければ国一つとの戦争すら厭わない。……手を借りたついでに、ひとつ、依頼をしてみたの」

 S級犯罪者で構成される組織など、里の防諜網にも引っかかっていない情報だった。

「依頼、とは」

「ダンゾウか、火影を除く忍五大国の影の生け捕り。彼らの欲するものを私が持っていたから、結構ふっかけたのだけれど……まさか本当に風影を連れてくるとは思わなかったわね」

 一瞬の沈黙があった。それはシスイにとって、永遠のようにも思える時間だった。

「……何をお渡しになられたのですか?」

「そんな心配せずとも、木ノ葉の機密なんて渡してないわ。対価は、チャクラ生命体である尾獣の一欠片……かつて私が雲隠れで行った任務の、ささやかなお土産よ」

 二十年ほど前、当時の八尾の人柱力であったブルービーことフカイに幻術薬を飲ませ、八尾を解放、暴走させた破壊工作任務。その際に掠め取った八尾の細胞片をコツコツと培養していたのだという。大蛇丸は、友人に旅行の思い出話でもするかのように、それを楽しげに語った。

「フフ、お茶でもいかが? 耳慣れない話ばかりで疲れたでしょう。気が利かなくてごめんなさいね」

 立ち上がると、岩壁をくり抜いた棚から茶器を取り出しながら、悪びれもなく言う。

「…………滅相もありません。お気遣いなく」

「そう。残念だわ。……ああ、そうだ。少し待っていてちょうだい」

 大蛇丸は何の警戒もなくシスイを残し、扉へと消えていった。

 一人残されたシスイは、張り詰めていた緊張の糸をわずかに緩め、深く息を吐いた。

 大蛇丸の気配が完全に遠ざかったのを確認し、無言で立ち上がる。眼差しは暗部のそれに変わり、小さな岩窟内をシスイは慎重に検分し始めた。

 近くに隠された気配はない。壁に手のひらを触れさせて伝わるのは、天然の岩とは到底思えない硬度と密度。間違いなく、高レベルの土遁忍術で強化されている。自力での脱出ルート開拓は不可能だろう。練り歩いた最中に感じ取った微かな空気の流れから、地上への出入り口は恐らく、シスイ自身が通ってきた長い階段の一箇所のみ。完全な閉鎖空間だ。

 大蛇丸が弄っていた棚の隅に、簡易的なコンロとボトル、茶器一式があった。

 シスイは迷うことなくそれらを卓に出し、ボトルの水を注ぎ、火を点けた。茶葉を急須に入れる。染みついた隠密の行動から流れるように移行したその日常動作は、内心の嵐を隠し、平静を取り戻すための静かな儀式だった。

 大蛇丸の生存、ダンゾウの暗躍、初代火影の細胞、風影の傀儡化、そして暁。「面の男」についての情報を握っている可能性もある。

 独自の思惑で大蛇丸が潜伏していることは、もはや疑いようがない。これが普通の忍ならば抜け忍認定をかけるところだが、その認定を行う立場の筆頭である火影が抜け忍とは、一体どういうことか。結局のところ、大蛇丸が何の目的で、何をしているのかが分からない。

 ダンゾウが死体を探しているという発言、そして現在の里の内情への精通ぶり。これらは、大蛇丸と通じている協力者が木ノ葉の中枢に今も存在し、水面下での権力闘争が継続していることを示唆する。だが、その推理に対し、このアジトの有様はまるで研究施設だ。科学研究と政争、そのどちらが本質なのか、あるいはその両方が手段に過ぎないのか。

 なぜシスイが呼ばれたのか。その理由も依然として見えない。が、下手を打てば十中八九、生きて帰れはしないとだけ分かる。弱体化したように見えても、相手は伝説の三忍にして火影であり、裏には風影まで控えている。隠された罠やその他の協力者の存在も未知数だ。ここで敵対することは、すなわち死を意味する。暗部としての判断は明白だった。最優先事項は、これら特S級の情報を五代目のもとへ確実に届けること。

 木ノ葉に直接的な害をなす意図は、今のところ感じられない。しかし、敵でないからといって、味方であるはずもない。里の忍を人体実験の贄にすることを何とも思っていない以上、そこに議論の余地はない。

 やがて、淹れたての茶の香りが岩窟に満ちる頃、大蛇丸が戻ってきた。その両脇には、古びた巻物と黒革の分厚いファイルが抱えられている。

「あら、ありがとう。気が利くのね、アナタは」

 シスイが差し出した湯呑を無用心に受け取り、一口含むと、含み笑いを漏らした。シスイの巡らせた思考、葛藤、そしてこの場を切り抜けるための算段、その全てを見透かした上で、己の掌の上で泳がせているとでも言うようだった。

 湯呑を置き、大蛇丸は傍らにあった古びた巻物を慎重な手つきで広げてみせた。

「二代目が遺された資料は、いつ見ても素晴らしいわ。実証科学的見地から忍術を解析し、体系化しようとしたその先見の明……非常に示唆に富んでいる」

 そこには、几帳面で力強い筆跡がびっしりと連なっていた。

「これは、里の闇に葬られた研究論文、その原本」

 シスイの視線は、否応なく巻物の表題に釘付けになった。

『血継限界発現における心的外傷経験とチャクラ変質に関する病態生理学的考察』

 大蛇丸は、論文の一節を白く細い指でなぞりながら、「実に、救いのない話でしょう?」と言った。

『――うちは一族に発現する血継限界『写輪眼』の開眼プロセスは、精神的機能と身体的機能が異常連関する一種の病態発現と結論付ける。観察によれば、被験者は近親者の死亡といった強度の精神的ショックに曝された際、脳内において平常時には見られない特異なチャクラを急激に分泌する。このチャクラは直接的に視神経系へと作用し、その組織に不可逆的な器質的変化を惹起する。これこそが、瞳に巴模様が浮かび上がるという物理的変化、すなわち写輪眼開眼の正体である。

 さらに、この開眼プロセスが脳機能に与える影響は看過できない。前述のチャクラ分泌は、扁桃体を中心とした情動を司る領域に恒常的な負荷をかけ、永続的な機能不全という深刻な副作用を遺す。これにより、被験者は憎悪をはじめとする負の情動に固執しやすくなる傾向が顕著となり、一度その状態に陥ると、自律的な精神の安定を取り戻すことは極めて困難となる――』

 シスイの視線が文章を小刻みに何往復もする。写輪眼は、心の傷による「病」。反論しようにも、蝕まれる心に瞳力が呼応すると、シスイは身をもって知っていた。

「二代目は、アナタたち一族を管理すべきリスクと見ていた。彼が木ノ葉警務部隊を創設した本当の理由もそこにある。いつ暴発するか分からない危険因子を里の中枢から隔離するための、防疫措置としてね」

 動かなくなったシスイを尻目に、「まぁ、これは過去の話よ」とこともなげに大蛇丸は巻物を卓の端へ押しやった。

 そして、今度は黒革のファイルをゆっくりと開いた。古びた巻物とは対照的に、そこには真新しく白い紙が綴じられ、インクで精密に描かれた図や数式、生々しい写真の数々が並んでいた。

「二代目は優秀な忍者であり研究者、為政者だった。けれど、その先へ進む発想は持たなかった。現象の観察は一流でも、その本質と解決策には至れなかったのよ。……ここからは、未来の話をしましょう。これは私の研究資料」

 ファイルが、ぺらり、ぺらりと大蛇丸の指先で捲られていく。紙面の端には、見覚えのある家紋が次々と現れては消えた。森の千手、うちは、日向、雪、かぐや、うずまき……。多種多様な血継限界を持つ一族の写真、採取された細胞組織の顕微鏡写真、そして解析された遺伝子情報の配列を示す無機質な文字列が、紙面を埋め尽くしている。

「ここに載る忍の一族には、ある特有の塩基配列……遺伝子情報の規則性が見られるの。それが何を示唆するかというと、皆、太古に分かたれた遠縁の血族であるということ」

 大蛇丸はページを開き、樹形図のような図解を指し示した。

「暴力的なかぐや一族も、狂気性を秘めるうちはも、源流は同じなの。そして、それぞれの一族に特有の遺伝子を研究することで、その源流から彼らが受け継いだ能力の断片が見えてくる。千手とうずまきが持つ規格外の生命力、うちはと日向が顕す森羅万象を見通す瞳術。かぐや一族の変幻自在の肉体。雪一族の氷遁や初代火影の木遁に代表される、チャクラ性質の融合……。これら全ての血継限界はね、元を辿れば単一の始祖が持っていた万能性が、長い歳月をかけて枝分かれしたものなのよ。なぜ枝分かれしたか、分かるかしら?」

「……万能性は、効率性を欠いていたのではありませんか?」

 シスイの切り返しに、大蛇丸はクックックッと喉の奥で笑い、「好きよ、飲み込みが早い子は」と言った。

「生物の形質にはトレードオフが存在する。莫大なエネルギーを自己再生に費やせば、他の能力に回す力は制限される。全ての能力を最高レベルで兼ね備えた万能存在は、アナタの言う通り、この世界で生き残るには不向きだった。だからこそ、その万能性は長い歳月をかけてそれぞれの環境に適応し、ある者は瞳に、ある者は骨に、またある者は生命力に……その特性を特化させていった。それぞれがあまりに先鋭化しすぎた結果が、今の忍の一族」

 視線を資料に固定するシスイが、自分の言葉を咀嚼していることを確認しながら、大蛇丸は続けた。

「けれど時折、永い眠りから覚めるように、その血の奥深くに刻まれた始祖の遺伝子を正しく発現させる者が姿を現す。歴史の節目に必ずと言っていいほど、これら氏族から傑出した力を持つ忍が名を馳せているのは、偶然ではないの。生物学的に蘇った、かつて万能であった頃の力に、誰も抗うことができないから、結果としてその特異な個体は歴史を動かしてしまう。何が言いたいかというと、かの初代火影・千手柱間は、遺伝的再帰とでも呼ぶべきその現象の、まさしく実例だということ。傑出した彼らは、数世代に一度、枝分かれした複数の優れた遺伝子が、奇跡的な確率で特定の一個体に集中し再発現した……遥かなる始祖の、不完全ながらも、その力を色濃く宿した『写し』なの」

 大蛇丸は、千手柱間の細胞組織が培養されているグロテスクな写真のページで指を止め、シスイの淹れた茶を優雅に飲み干した。

「進化の基本は、突然変異と自然淘汰。生物はあくまで子孫を残すために、その時々の環境に応じて当て所もなく変化する。けれど、私たちヒトは、そう望みさえすれば、より強く、より複雑になるために変わってゆくこともできる。だとすれば、新しい形質をゼロから試行錯誤するよりも、彼らに倣い、過去の遺産を巧みに利用した方が、よほど効率的でしょう」

 大蛇丸は、パタン、とファイルを閉じた。

「始祖の遺伝子の方舟たるこれら一族を研究し、その遺伝子を最適に配置することで、新たな種を設計する。それは回帰を意味しない。創造よ。過去の遺産を素材に、新たな形へ作り変えることで、次なる進化のステージが創り出される」

「なぜ、そのようなことを……俺に話すのですか」

 シスイは問いかけていた。これまで保ってきた冷静さが、声にかすかな震えとなって表れる。

「アナタたち一族は、遺伝子レベルで呪われているのよ?」

 大蛇丸は答える代わりに言った。

「どうかしら。うちは一族の歴史が、その論文で描き出された遺伝子疾患の臨床例、そのものだったとしたら。もちろん、そんな訳はないわよね。歴史は、遺伝子ではなく、人が紡ぐものだものね」

 シスイの心に語りかけるように、大蛇丸は声を潜めた。まさしく悪魔の囁きだった。

「私はただ、シスイくんと問いを共有したいの。同胞の死を糧に瞳力を増大させる写輪眼の遺伝的メカニズム……。アナタたちが誇るその瞳は、持ち主の心を犠牲にしてしか輝かないようにできている。なら、そこに巣食う憎悪の呪縛から逃れるには、外科的なアプローチ……つまり、遺伝子治療こそが唯一、根本的な解決策なのかもしれない。……この問いは、探求する価値があるとは思わない?」

 大蛇丸は静かに立ち上がると、シスイの肩にそっと手を置いた。ひやりとした感触が、暗部の装束を通して、心臓へと直接伝わるようだった。

「さぁ、こちらへ。私たちの進むべき未来……その原型を、見せてあげるわ」




出典
大蛇丸の破壊工作任務:疾風伝第五百三十八話「心の穴・もう一人の人柱力」
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