***
宙を乗せた欧華のコンパクトカーは汪海湾の水際まで北進すると、東に進行方向を転じた。湾の曲線に沿って緩やかにカーブする舗装道路を車は快走する。交通量はボチボチ多く、海に接する道路ということで、天気は曇りだが、対向車線に、ツーリングで来ているオートバイのライダーが散見される。ドアトリムの出っ張りに肘を置く宙は彼等を見て、同じ職場の古川も、あるいはああいう風にツーリングに出かけているのだろうかとぼんやり想うのだった。
車と比べると騒々しいバイクの排気音が、近付いてきては遠のいていく。
「宙、車酔いとかするタイプ?」
静かになって、ふと欧華が質問する。
「あんまりしないかなぁ」、と宙は記憶を遡って確かめた上、回答する。
「そういえば、宙って普段車乗るの?」
「乗らない。そもそもわたし、運転免許持ってないもん。乗る必要性があんまりないからさ」
――そう言いながら、宙において過日、母の陽子に免許を取るように勧められたことが思い返される。陽子には娘の宙に車を運転して欲しい場面が折に触れてあるようだった。
「車があると、行動範囲が広がって楽しいよ。宙だったら望遠鏡とか車に積んで、星のよく見えるスポットにドライブするとかいいんじゃない?」
「その意見は、一理あるかも」
欧華の提案に、成るほど、と宙は合点が行くようだった。彼女の(仕事の勉強を兼ねた)趣味には天体観測がやはりある。亡き父のおさがりというか、遺品である望遠鏡を所有していて、しかし天体観測のロケーションは家のベランダに限られている。町中よりは、例えば空気のよく澄んだ高原などの方が、星影はさやかに見えるだろう。そのイメージは宙には魅力的だったが、運転免許に付随する教習所や試験などの繁多さが二の足を踏ませるようだった。
とはいえ一考する価値は否めなかった。その内気が変わるかも知れない、そういう風に取りあえず宙は思うのだった。
……。
途中、車はコンビニに寄って、宙と欧華はそこでお菓子やドリンクを買い、トイレ休憩した。
その後は、なるたけ遠くという欧華の漠然とした希望に沿って車はひた走った。海岸道路をずっと東方に進むと、峠道の入り口まで車が行き、その峠道は、汪海町と隣の市街地を繋ぐのだったが、道の状態が古くてよくなく、車はその峠道を避け、新しくて走りよいトンネルの方に向かった。
「海沿いから離れたけど」、と宙。
「隣町に行こうと思ってる」、と欧華。
宙は彼女の横顔をチラッと窺ってみると、朝に比べて不安げだった。宙は事情を知らないが、こういうことになっていた。
コンビニに寄って宙と別行動になった時、欧華は気になっていた、ずっと電源を消していたスマホを付けてみた。
すると案の定、おびただしい着信とメッセージの通知があり、欧華は確認して血の気が引くようだった。全部親――とりわけ母親のものであり、内容は全部、どこに行っているのかという問いと、帰ってくるようにという催促だった。
ちょうどそのタイミングで着信があり、祖母の和子からだった。
宙は恐る恐るスマホを耳にあてがい、「もしもし」、と応答した。
「欧華かい? 今どこにいるの?」
和子の声色は困惑を思わせる感じだった。一応欧華は事前に、連休は出かけること、そしてひょっとするとよそで夜を明かすことになるかも知れないことを和子に伝えたが、彼女が納得する前に強引に出かけてしまい、結局、和子が電話をかけてくる事態になってしまったのだった。
「おばあちゃん、ごめん」、と欧華は謝る。「今、遠くにいる。家には帰れない」
「だけど、お父さんとお母さんが欧華と話したいって言ってる」
「どうせ戻ってこいっていう話でしょ?」
欧華は苛立ちを滲ませて問いかける。
「……」
和子は沈黙する。
「おじいちゃんは、どうしてるの?」
「おじいちゃんは、仕事に行くか、部屋にこもるかのどっちかだね。欧華のお父さんとお母さんとは、折り合いがよくないから」
「やっぱり」
「ねぇ、欧華。ちょっと言いにくいことなんだけど」
和子が言葉を濁して言いかける。欧華に対して伝えるべきだが、非常に伝えにくい何かが腹蔵されているようだった。
「何? おばあちゃん。言ってくれればいいよ」、と欧華は促す。
彼女はコンビニの駐車場で電話していたが、宙が用を終え、ビニール袋を携えて店内より出てくる姿を見ると、そばに駐車されているミニバンの陰にサッと隠れた。
「あのね、お父さんが、家に戻ってこないのなら絶縁するって」
「えっ?」
「家っていっても、この家じゃなくて、お父さんとお母さんの家。欧華、二人共本気みたいだよ。わたしは欧華の事情を話して説得してみたけど、全然聞いてくれなかった」
絶縁という言葉の響きはどぎついものだったが、欧華は妙に冷淡に構えることが出来た。
あの両親らしいと、まず欧華は思ったし、腹立たしかったし、また悲しく、胸苦しかった。
結局、彼等にとって娘とは、理想の体現者でなくてはならず、彼等の理想を拒み、据えられた道を逸れようとする欧華を、彼等は決して容認するつもりはないのだった。
「……分かった」
欧華はしばしの黙考の後、ポツリと答えた。
「何?」、と和子はうまく聞き取れず、聞き返す。
「お父さんとお母さんの思ってることは、実の娘だから、何となく分かる気がする。おばあちゃんが伝えてくれたことについては、よくよく考えてみるよ」
「欧華……」
和子は心配するように呼び掛ける。
「大丈夫。おばあちゃんは安心して」
「何かあれば、わたしに言うんだよ。うまく取り持ってあげられるはずだからさ」
「うん。ありがとう。じゃあ、切るね」
そう言って、欧華は電話を終え、手のスマホをまじまじ見下ろすと、ポケットにしまい、宙が待つ駐車場の車のそばまで戻るのだった。
***