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「天体観測を目的に旅行するのはいいが……」
古川が言った。注意すべきことがある、といった物の言い方だ。
「天国って、天文同好会とか入ってなかったっけ?」
「天文同好会? さぁ、初耳ですけど」
宙は覚えがなく、小首を傾げて返す。
「そうか」、と古川は短くなったタバコの火を揉み消すと、宙の前を横切って隣の椅子に座り、「てっきり知ってるもんだとばかり思ってた」、と言った。
彼は前屈みでスマホをいじっている。何か検索しているようだ。
「おれはそういうのは面倒くさいから入ってないが、あるんだよ。ただ、同好会の本部が隣町なんだよ。ちょっと遠いっていう問題がある。ここの人たちで入ってる人は確か、いないんじゃないか」
「先輩たちとはよく話しますが、同好会について話されたことは多分、一度もなかったかと」
古川曰く、天文同好会というサークルが存在するらしい。しかし、活動団体の本籍は汪海町ではなく隣町である。
確かに、スターシップMINATOのプラネタリウムで働く宙を始めとした学芸員は、大なり小なり天体好きであって、そういう者が複数いれば、サークルなどが生まれても変ではなく、むしろ自然である。だが宙の言ったように、サークルの存在が言及されたことはなく、宙以外のプラネタリアンは、宙のように天体好きでありまた個人研究家であるが、わざわざ団体を組んで天体観測に出かけることはせず、各自単独で活動し、情報はシェアするというやり方で楽しんでいるようだった。
「ほら、これ」
古川が宙にスマホを見せる。画面には、検索して出てきたくだんの天文同好会のページが表示されている。個人が開設したページらしく、ありふれた書体で『天文同好会』とあって、同好会の概要、ブログ記事、紹介用の写真、問い合わせ先のアドレスがそれぞれのサブページに掲載されており、構成は至ってシンプルである。
古川のスマホを覗き込んでいると、パッとスマホが引っ込められ、宙はきょとんとした。
「……?」
「そろそろ休憩が終わる。引き上げるぞ。後は自分で調べてみるといい」
古川は立ち上がってスマホをポケットに仕舞い込むと、先に事務室に戻っていった。宙もぼんやりしていられず、彼に遅れて椅子より起立すると、デッキを離れ、扉から中に入っていった。
古川のスマホに表示されていたのは、ホームページの第一面と思しき概要のサブページだったようだが、そこのある文言が宙の目に留まった。メンバーの総数は五十名ほどで、そのほとんどが二十台の若者のようだった。そうなると、確かに宙と共に働くプラネタリアンは、すでに三十歳以上であり、仮に同好会の存在を知っていても、気遣わしくて入りにくいだろうと思われた。だが、反対に宙は二十三歳であり、年齢の点で言えば、ハードルは低かった。
同好会に会費などはなく、費用が発生する場合は自腹となり、活動内容としては、観測会を催して皆で出かけるのがメインで非常にシンプルだった。
……。
仕事が終わって宙は赤い夕空の下、自転車で帰路を走っていたが、ある交差点の、電器屋のある一角で、見知った人影を目にした。
自転車に跨って信号待ちしており、欧華だった。彼女は綿パンにTシャツという恰好に、マスクしていた。
欧華を見かけた宙は、横方向から寄っていき、やがて気配で感付いた欧華は驚いたように「宙!」、と言った。宙は近くまで来ると、自転車をおりて手で押した。
「偶然だね」
宙がそうしゃべりかけると、欧華はマスクを顎にずらして応対した。信号は青になったが、欧華は進まずに宙と会話した。
「仕事の帰り?」、と欧華。
「うん」、と宙は頷き、欧華のものと並行になるように自分の自転車を動かすと、横並びになった。「欧華は?」
「わたしは今から掛け持ちの家庭教師のバイト。お昼は、スーパーのバイトしてた」
「そうなんだ」、と答える宙は、欧華が働き詰めのようで、何だか気の毒に思われた。「ダブルワークって大変じゃない?」
「ヒマしてるわけには行かないからさ」、と欧華は困ったように首を捻って答える。「欲しいものはこれといってないけど、最近色々とお金使っちゃったしね」
「そっか」
「うん」
「……」
信号が赤になり、青になり、また赤になった。人が渡り、止まり、また渡った。
「今度さ」、と宙が沈黙の後に言いかける。「旅行に行こうと思うんだ」
「いいじゃん。どこに行くの?」
「目的地は、まだ決まってないんだけど」
宙が自信なさげに目を伏せて答えると、欧華は飲み込めないという風に怪訝そうにした。
「決まってないんだけど、車で行くつもりなんだ」
「車で。じゃあドライブだね」
「よかったら、欧華、来る?」
宙が伏せていた目を上げて問いかける。
「わたし?」、と欧華は可愛らしく小首を傾げる。「一緒に行けるなら、ぜひ行くよ」
「本当?」
宙は嬉しそうにニコッとする。
「まだ日時とか全然決まってないけど、決まったら連絡するね」
「うん。お願い」
欧華がそう返事したタイミングで、ちょうど信号が青になり、別れるには好都合だった。
「じゃあね、宙」
「うん。またね」
欧華は手を振って宙に挨拶すると自転車を漕ぎ出し、宙は同じようにして彼女を見送った。
夕日が欧華の後ろ姿を照らしている。彼女と彼女の漕ぐ自転車の影が、日照とは反対の方に、何かに引っ張られているようにピンと伸びている。
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