星空のスパークル【完結】   作:Yuki_Mar12

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《76》

***

 

 

 

 宙には、結香という少女は欧華をいささか侮っているように見えた気がした。結香は欧華の今までのいきさつを理解せずに、彼女について引き籠りみたいだと気安く表現し、宙はその侮蔑のニュアンスに微かに憤りを感じたのだった。

 

 必ずしも結香は欧華に対して好意や敬意を持っていないわけではなかったが、宙における彼女の印象は、複雑なものだった。

 

 宙のした質問は、彼女が本当に気になってしてみただけの含みのないものだったが、欧華には、生徒をきちんと指導出来ていないのではないかという疑いに聞こえ、要するに、ケチを付けられたように不快に響き、彼女は目くじらを立てたみたいだった。

 

『何で?』という欧華のうっすら気迫のこもった問いに、宙は内心ビクッとし、失言してしまったという気持ちになった。

 

 タープの中で、それぞれ異なる姿勢で座る宙と欧華は、テーブルを挟んで対面している。辺りにひと気などなく、ただ二人だけがいるのだった。

 

「いや……」

 

 宙は考えるが、答えあぐねた。

 

「ただ気になっただけ。結香ちゃんってギャルっぽいから、集中出来るのかなぁって」

 

「わたしは、ちゃんと教えてるよ」、と欧華がムキになって返す。「そりゃ、彼女の集中力が途切れることはある。だけど一時間以上やるんだから、当たり前」

 

 その口ぶりは、宙が人間の集中力についてまるで無知と言わんばかりだったので、宙は相手の苛立ちに当てられて、眉をひそめて下唇を噛んだ。

 

「そんなことは分かってるよ」、と宙が負けじと刺々しい口吻で返す。だが、彼女はすぐにみずからを鎮め、興奮を出来る限り抑えた。

 

「わたしは欧華を責めるつもりもないし、欧華が家庭教師をちゃんとやってるかどうか疑うつもりもない」

 

 だが、宙の言葉は微かに閊えたようになり、興奮の抑制は完璧ではなかった。

 

 彼女の思いは欧華に伝わったようで、だが、和解の言葉は紡がれず、二人共、渋い面持ちで目を逸らし、悲しそうに唇を震わせるのだった。

 

 欧華は立ち上がり、ちょっと川の方に涼みに行ってくると言い残してタープから出ていった。宙は何も言わずに彼女の好きにさせた。

 

 彼女のプライドを傷付けてしまったのだと宙は悟り、対抗心がないではなかったが、同時に悔やみに関しても同じだった。

 

 今の欧華は、自己評価がひどく低かった。仕事をリタイアして瘋癲の身になり、眠れなくなるほど精神的に落ち込み、それでも彼女なりにその生活に意義を見出そうとして、また新しい道を模索しようとして、奮闘しているのだが、中々うまく行かないのだった。そういう彼女に、たとえその意図がなかったとしても、非難と受け取られる言動をしたのは、宙にとっては、軽率だったと反省せざるを得なかった。

 

 テーブルの向かい側にある紙コップには、飲料がまだ残っていた。彼女が座っていた椅子は、整えられずに斜めになったままだった。

 

 

 

 

 

 

 欧華は、にわかに自信が持てなくなるようだった。

 

 彼女はキャンプを離れて川の水際まで来、ゴロゴロした砂利の上にしゃがみ込んで、穏やかに波立つ水面を覗き込んでいた。

 

 来ないのがよかったのかも知れない、と今になって欧華には思われた。宙との不和が根本の原因ではなかった。わざわざその日入っていたスーパーのアルバイトのシフトをキャンセルしてまで(家庭教師のアルバイトはこの二日間なかった)、来る意味があったのだろうか。

 

 宙と出かけることは、欧華にとって確かに楽しみだった。だが、遊び呆けていられる有閑人でないのに、アルバイト先に欠勤の連絡を入れて友人と旅に行くというのは、あまりにも放埓で、分を弁えていないのではなかろうか。彼女には、そのように思われた。

 

 脛を抱えるようにしてしゃがむ欧華は、ピタッと揃った脛の腕を解き、手で川水にそっと触れてみた。冷たくて心地よかった。深く突っ込んでみると、その冷感が手首に、腕に伝わり、爽快だった。

 

 ふと彼女の目に、小さい影が浅瀬で蠢くのが見え、反射的にパッと腕を水中より引き上げたが、ただの沢蟹だった。欧華が勢いよく腕を抜いて強い波紋が生じる水の中、蟹はマイペースに横歩きで歩いていった。

 

 川の向こう側は鬱蒼と茂った山林であり、更に向こうには、山の並びがずっと続いていた。山林の木陰に岩があり、その上を水が流れ、小さい滝を成していた。

 

 遠出すると、大なり小なり郷愁という感情に人は襲われるものであるが、欧華もその例に漏れず、ふるさとが懐かしくなり、ところが、欧華においては、なぜか親しみのある祖母の和子の家ではなく、絶縁してしまった父母の家が浮かんでくるのだった。

 

 仮に――と欧華は考えた。

 

 ――仮に、父母と絶縁せず、彼等の言に従って汪海町を離れ、彼等の膝元に戻っていたとすれば、彼等には再就職のための腹案があって、わたしはその案に服することになっただろう。そしてその案は突飛ではなく、たとえば公務員試験を受けるなどの、普通想定される範囲のものだろう。わたしにその意志があれば、父母は予備校のための費用を出してくれるかも知れない。

 

 絶縁したわたしは、現下、家庭教師として学生に授業しているのであるが、絶縁しなかった仮定の世界のわたしは、きっと、予備校生として講師の講義を受けているに違いない――。

 

 

 

 現況とその『仮に』のコントラストは、欧華にとって、何だか滑稽であった。

 

 

 

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