※捏造しかないです
星歴876年、10月26日。
とある巡洋艦に配備された、新人の二等水兵エルフの1日のお話。
彼女はエルフィンドの巡洋艦の一隻に配備された、新米の水兵だった。実戦経験はなく、訓練としごきの毎日。夕食だけが楽しみだが、友人はできた。
「甲板掃除、昨日もやったんだからそんなに汚れてないと思うんだけどぉ」
「腑抜けたことを言うなー!大人しく手を動かせ!」
がなってくる上官の声をやり過ごしながら、とりあえず掃除はする。見張りという名の実質休息を取っている上から、楽しそうな話し声がするのを少し羨んだ。
「アタシもワッチやりたーい、口が寂しい」
「あれが大事な仕事だって言われたけれど、今、船動いてないんだもんな。そりゃあ話したくもなるし、吸わなきゃやってらんないって」
隣り合ってモップをかけに来た友人と、そんな話をする。少なくともあそこにいる間は、モップで汚れをこすらなくていい。
それに、あそこを喫煙所代わりにしている先輩達は多くいた。本来なら軍規だから何だかに引っかかると言われても、実際にそれを咎められた光景を見た記憶はない。艦長だって「程々にするように」としか言っていなかった。
「それにしても、暇っスねぇ」
「黒共が海に逃げてくれたりしたら、ウチらの仕事もあったのにねー」
「新兵共の処女は早いこと散らしておくべきだしな」
昼食。聞こえてきた先輩達の言葉に彼女は一瞬驚いたが、要するに実戦経験のことらしいと納得した。エルフィンド海軍には、誉高き艦が二隻ある。
リョースタとスヴァルタともくれば、兵には練度と特定の氏族が求められる。だが、この巡洋艦にそう言ったものはなかった。先輩にあたる水兵達にも、実戦はやったが随分と前だった、という者もいる。新兵の『処女』――殺人の経験は、同年に兵役へ就いた中でも陸軍より遅れていた。
「アタシ、黒はあんまり見たことないんだよね」
「あー、内陸の氏族だっけ。私はあるよ。肌の色が違うと、やっぱり変な感じした」
「人間族とかオーク族より?」
「似てるところが多い分、余計に変!」
いつも通りの雑用と訓練をしながら、いつものように雑談する。
黒エルフ達が船でも出してくれば、自分たちの訓練の成果は見せられるかもしれない、なんて話している声もあった。
「私の妹、陸軍行ってさあ。黒の始末に耐えられなくなったって言って、辞めちゃった。おかげで氏族は大騒ぎ。一度帰れって言われてるけど、無理だっての」
「今月いっぱいは外泊無理だもんねー」
「それにしても、もう少し食糧はなんとかならないのかな。多分そろそろ肉が臭くなってきてるよ、あれ」
「夕食にスープがつくのは嬉しいんだけど、臭いが……」
昨日も今日も、不穏の影なんてない。新兵が気にするのは、艦の干し肉が傷んできたことくらいだった。
「正直、オルクセンが少しだけ羨ましい……絶対あんなのは食べないでしょう、あいつら」
「その代わり食糧とオーク達の重みで、船が沈みそう!」
一人の言い出したジョークがおかしくて、他も笑い出した。そんなことをしてたら夕食の肉は本当に臭かったから、彼女達はまた笑った。
「見てこれー、持ってきちゃった」
「釣竿!? 馬鹿がいる、魚釣る気なの?」
「姉貴に見つかったけど、没収されなかったわ。その代わり、沢山釣れって」
新兵の姉は、同じ艦に乗っていた。姉を追いかけて配属希望を出したことを、新兵はまだ秘密にしている。
「釣った魚、私も食べたい」
「アタシも食べるから釣って」
「えー……じゃあ明日、釣竿の作り方教えるからさ。みんなで釣ろうよ。怒られたら、採れたての魚で許してもらうとして」
「「「さんせーい」」」
新兵はもちろん、水兵達は知らなかった。その日も明日も、いつものように訪れると思っていた。
その日は星歴876年、10月26日の夜だった。
彼女達はいつもするように、10月27日の約束をした。
「それでさ、姉貴ったら『没収されたくなかったら、私に一匹頂戴』って!」
「塩漬けされてない魚が今も食べられるなんて、リョースタやスヴァルタくらいだろうしねぇ! さすがの士官様も、釣れたての魚には抗えなかったか!」
「ねえ、なんか騒がしくない……?」
夕食を終えようか、という頃合いのことだった。食堂で、一人で食事をしていたエルフが悲鳴を上げて倒れた。他の艦に恋人を持っていた彼女は、約束の時間になったから、魔術通信を始めようとしていたのだ。公然の秘密は大体のエルフに知られていたので、皆、何があったのかと彼女に駆け寄る。
「あ、熱い……っ、熱い、頭が痛いっ!」
上官の呼びかけにも、意識の混濁した彼女は真っ当に答えられない。悲鳴を上げる彼女の様子に新兵は動揺し、別の兵の何人かは魔術通信を始め――全員がすぐに頭を抑えた。
「休んでる連中も叩き起こせ! 我々は今、攻撃されている!」
悲鳴がやっと、耳に届く。
新兵には「魔術通信を絶対に開くな」と念押しされた。無差別魔術通信による、ひとつやふたつではない断末魔。その最期の『声』に動揺しないふりができたのは、ひとえに先輩としての意地だった。
「ひよっこ共、砲弾用意しろ!甲板にはアタシらが出る、アンタ達は――」
足元が大きく揺れた。指示を出そうとした水兵はじめ数人のエルフが、悲鳴を上げて海に投げ出される。仲間の白い肌は海の暗闇で、昼間にはなかった丸太にぶつかっているのが見えた。攻撃元を判断しようとして、暗視を開いた新兵の1人が悲鳴を上げる。
丸太は、エルフだった。長い耳をした、黒焦げの死体だった。
「と、とにかく助けに……それから、誰かに知らせないと!」
「どこが攻撃なんてしてきたのよ! こんな、こんないきなり……っ!」
「魔術通信を開くなって、こういう……うっ」
「多分これ、突っ立ってたら死ぬ奴! 助けに行くのと、被害箇所調べに行くので分かれよう!」
わかった、と数人が新兵の集団から離れて、船の損傷箇所を調べに走った。燃える弾丸が、悪魔のように彼女達の入っていった場所に突き刺さって、炎を撒き散らした。悲鳴が聞こえなかったのが、いいことか悪いことかわからなかった。次の弾丸は、ワッチから他の艦への警告を試みたエルフを吹き飛ばした。
彼女の腕が目の前に降ってきて、火だるまが海に落ちる音。新兵は友人達と固まっていたつもりだったのに、いつの間にか、一人で炎と煙に囲まれていた。他の艦から助けが来ないということは、皆やられてしまったのか。リョースタやスヴァルタのエルフ達が、助けに来てくれないかと心に浮かんだ。
エルフィンド海軍の中で、彼女達は一番の誉れと相応の練度を持っているはずなのだから。正体のわからない襲撃者を撃沈させて、きっと助けに来てくれるんだ、と。けれど、炎と煙の中では何もわからなかった。炎は水をかけても消えずに、しつこく燃やしてくる。
海の上では逃げる場所もない。海に落ちたところで、普通の水泳とは訳が違う。同族の死体に囲まれた湾で、どう逃げたらいいのかなんてわからない。
「……いた!まだ生きてる!?」
呆然としている新兵のことを、姉が見つけた。色々と階級を表す物がついていたはずの軍服は、ほとんどダメになっている。
「お、お姉、ちゃん、」
「随分と、久しぶりな呼び方をしてくれるじゃないの」
地獄のような光景の中で、笑う姿に妹は安堵した。顔も知らない精鋭より、目の前の姉がいてくれることが嬉しかった。
「この艦、もうすぐ沈む。浸水してる。カッターの位置は覚えてる?」
うん、と頷いた。
「ボートに乗って、なんとか陸地に行って。さすがに他の艦も気づいて動いてると思うけど、あんたは陸地に行くの。誰か一人でも、戦争だって女王陛下に伝えないと。銃だって碌に撃てないひよっこなんだから、迎撃はしないで」
「お姉ちゃんも! お姉ちゃんも一緒に来てよ、新兵のアタシにそんなのできない!」
頭を叩かれた。力が弱くて、涙が出た。釣り竿が見つかった時に一発叩かれた時より、あまりに弱かった。
兵としての心得や、水兵としてやることは、新兵だから最初に叩き込まれた。それでも、これほどの地獄絵図が初陣になるなんて思っていなかった。
「走れ!」
昼間のように怒鳴りつけられて、新兵は走った。その後ろで、彼女の姉は倒れた。砲弾で砕かれた艦橋によって軽くない傷を負い、血を流しすぎていた。
明日には釣りをするはずだった。約束をした友人は燃えた。魚をあげることになっていた姉は、怪我をしていたことに彼女も気づいていた。割り当てられた艦、愛着と帰属意識を持ち始めたばかりの艦が、燃えていた。何があったのだろう、と思いながら、彼女は艦の中を走った。カッターボートは、あった。
「ごめん、お姉ちゃん、命令破るから……後から、これで追いかけてきてよ」
ボートに乗らずに、彼女は白銀樹に祈った。女王陛下にも祈った。何より同胞にぶつからないことを祈って、彼女は海に飛び込んだ。故郷では、泳ぎは得意だった。だから、ある程度は泳げてしまった。
良いにしろ、悪いにしろ。
湾が燃えていた。エルフィンド海軍の艦隊は、沢山の松明になっていた。一瞬でも、まるで祭りのように感じた自分に吐き気がした。艦隊が燃えている。昼間にはあんなにあった艦隊が燃えて、中で大勢、死んでいる。黒焦げの丸太や、艦の瓦礫で溺死した死体が垣間見える度に、新兵は必死に避けた。
陸地を探すのに暗視を使わないでいられなくて、半ば溺れながら泳いでいるうちに、死体に目が慣れてきた。自分と同じヒラから、派手な服装の士官までみんなみんな死んでいた。どこがこんな攻撃を仕掛けたのだろうか。新兵は死体に紛れるようにしながら、敵の艦を避けていた。彼らは何度かやってきた。
まだ生きている者を、狙撃までして殺してきた。女のシルエットではない。随分と大きかった。
(あれは……オルクセン?)
10月の海水は冷たい。泳ぐ力を保つのが難しくなってきた頃、新兵は夜が明けかけているのを感じた。湾の、見慣れた建物の影に気づけた。けれど、泳ぐ力がもうなかった。
「……休みだからって、寝坊したらドヤされるぞー」
「魚釣りして、たらふく食べるって言ってたじゃん。やり方、教えてよ」
ふと目を開くと、自分を友人達が揺すっていた。
「ああ、夢か……酷い夢だったー!」
「何があったのさ、そんな顔して。泣きそうってか泣いてるし」
「酷かったんだよぅ! 突然攻撃されて、アタシ達みんな死んじゃう夢!」
「考えすぎだって。黒とオルクセンとかが攻撃を仕掛けてきたとしても、私達の方が強いんだから」
「そうだよね?」
友人達と話をしていると、姉に額を弾かれた。
「そんな夢を見るとは、勉強が足りてないね? よし、魚を釣った後は座学をしようか」
「嫌ー!」
他愛のない会話。友人がいて姉がいて、おっかないけど頼れる先輩もいて。戦火も虐殺も他人事のように生きてきた水兵には、あんな夢は荷が重すぎる。
甲板で魚を釣って、釣れたての魚を腹一杯食べよう。彼女は艦に持ち込んだ、手製の釣竿を持って友人達の元へ走って行った。
10月27日未明。ベラファラス湾海戦の夜が明けた頃、一人の白エルフが海上で死んだ。夜の間、湾を泳ぎ続けたことによる低体温症で意識を失い、水を飲んだのが死因だった。
その名前は膨大な戦死者リストのひとつとなり、彼女の所属していた巡洋艦は乗組員全員の死亡が確認された。
<終>