刃が交わる。鍔迫り合う向こう側に見える顔は、己のそれだ。
永い時間、戦っていた。
これが何を意味するものかわからない。
どうしてだろう。あちらの自分は面倒くさそうな、そんな雰囲気だ。
決め手がない。決着が訪れない。
いずれ空間が割れて、戦いは唐突に終わった。
☆★
寝台から身を起こしたナギトは、窓から差し込む朝日に目を細めた。
時計を確認した。10時過ぎ。まだ朝日、とギリギリ言える時間帯だろう。
夢を見ていた。自分と果てしなく戦う夢。
昨日《槍の聖女》を味方とするために、八葉を継ぐ者としての矜持を捨てたせいだろうか。
もちろんあれはあの一戦だけのものだ。少なくとも今はそのつもりだ。あれはただ、彼女に決意と覚悟を示すためのパフォーマンスだ。
自分の心にそう言い訳して、己との対峙なんてものが二度と起こらない事を祈った。
ひとまず、最優先事項は終わった。
EOS計画のための最低限の準備は。あちらの記憶を得てからわずか数日間の出来事だったが、それでも疲れるものだ。あちらの自分と違ってまだ身体能力も十全に戻っていない。
しかしまだやるべき事は山積している。騎神の起動者への接触。《身喰らう蛇》の出方の確認。女神の聖獣の現状確認。終末の剣の安全確保。などなど。
簡単なものもあれば面倒なものもある。同志に任せているものもあればすでに進めているものもある。
あとはクロウ──《蒼の騎神》オルディーネの起動者であるクロウ・アームブラストと連携を取りたいところだが、あの馬鹿とは連絡が取れていない。
あいつもアーサー世界の記憶は持ってるはずだから、色々と手伝ってもらいたかったのだが……
「まあ……しゃーなし」
致し方なし、と思うしかない。クロウの事だから心配はいらないだろうが………
それからいくつか考え事をしていると昼時になっていた。トールズ第Ⅱでも昼休みに入っている頃だろう。
ナギトは宿酒場を出ると記憶にあるだけの学院へと向かった。
そこでオーレリアとリィンにはアルティナの身の安全確保を念押しして別れを告げる。
今日中にセドリックとは会っておきたい。
ナギトは東に向かう列車に乗った。
“終末の剣”───
OZシリーズであるミリアムとアルティナがそうなる可能性のある姿だ。
“女神の聖獣”とは、その身に暗黒竜の瘴気を溜め込んだ《大地の聖獣》アルグレオンを指す。すでに本懐を見失った聖なる獣を弑する事で、その身に溜め込まれた瘴気は拡散───“黄昏”を加速させる。
ナギトにとってこれらの優先順位が低かったのには理由がある。
まずOZシリーズ──ミリアムとアルティナの安全確保だが、これについては話が早く片付けやすい問題だったからだ。アルティナについてはオーレリアとリィンが。ミリアムとは近々ナギト自身が合流する予定になっている。
《大地の聖獣》については、OZシリーズを確保してアルグレオンを弑す武具がなければそもそも問題ない。
《黒の工房》が予備のOZシリーズをあつらえたとしても、女神の聖獣を弑すに至る時間はないはずだ。
OZシリーズから創生される剣が聖獣を弑せるのは“神を弑せるのはヒトだけ”というような伝承防御があるためだとナギトは思っている。もう一振りの終末の剣──オズボーンが振るっていたそれは絶大な力を持ちつつも聖獣を弑せないのだと聞いていた。
つまりはオズボーン勢力は女神の聖獣を弑せない。よしんば弑せたとしても、それによってもたらされる効果は、人々の闘争心を煽る程度のもの。アーサー世界では皇帝が殺されかけた、という正当な義憤が拡散された瘴気で増幅されて闘争賛美国家となってしまったが、今回はそも皇帝を殺させる気はない。共和国憎しの感情をブーストする瘴気があったとて、そもそもの感情がなければ無用の長物だ。
まあこれについては仕掛けを考えているし、今回トールズ第Ⅱに寄ったついでにアッシュの黒い呪いを斬り祓わなかったのはそのためだったりする。
ナギトは列車を降りてカレル離宮に向かった。
☆★
ナギトは黒キ星杯でオズボーンとの決着をつけるつもりだ。
そして、その黒キ星杯はカレル離宮に顕れる。
それはかつてバルフレイム宮が煌魔城に成り果てたように、カレル離宮は黒キ星杯に変貌する。
アーサー世界ではこの黒キ星杯となったカレル離宮で黄昏は始まった。
では何故カレル離宮だったのか。離宮地下に女神の聖獣が眠っているからだ。
本来は七曜教会の大聖堂の地下にあるはずの《始まりの地》と呼ばれるもののレプリカが、いつの間にかカレル離宮地下に移動しているらしいのだ。
ナギトはこの離宮地下の調査を依頼していた。
地下の調査となれば相応の工事が必要になる。カレル離宮は皇族の避暑地であるため悶着が発生しかけたが、皇帝の許可と《皇の手》の権力があればお茶の子さいさいというやつだった。
果たして、カレル離宮地下には何もなかった。
掘れども掘れども砂礫があるばかりで、そこにあったはずの地下空間はなくなっていた。
「……………手が早いな」
おそらくオズボーン勢力によるものだろう。どうやったかはわからないが、カレル離宮地下にあったものを根こそぎどこかへ隠したのだろう。始まりの地のレプリカも、女神の聖獣も。
ナギトは調査の中止を命じ、それから帝都の大聖堂の地下も調べたが、その地下にもやはり何もなかった。
ナギトは再び列車に乗ると、今度はトリスタへ向かった。トールズ本校に在籍しているセドリックと会うために。
セドリック・ライゼ・アルノール。
エレボニア帝国皇太子。《緋の騎神》の起動者。
ひとまず気にしておくべき点は以上だ。
性格面は様々な観点から言って、問題あり。ナギトに言わせれば、何がやりたいのかわかっていない少年。
スペックについては名門であるトールズ士官学院にてトップ。文武両道で、次代の皇帝として嘱望されている。それだけなら何ら問題はない。
問題は、セドリックがユーゲントの息子である事だ。当然の話だが、皇太子セドリックは皇帝ユーゲントの息子だ。
セドリックと接触してまずった事でユーゲントの不興を買うのは避けたい。何せ《皇の手》はユーゲントの鶴の一声で成立した役職。彼の一言で解体するのも可能だ。
そうなると対オズボーン戦略において大きな遅れとなる。
何より、ナギトはユーゲントからセドリックの事を頼まれていた。身分違いの友情をもってそれに応えるつもりはあるが、すべてはセドリックの出方次第でもあった。
「吉と出てくれ……マジで。頼むから……!」
列車から降りたナギトは懐かしのトールズ本校を見上げながらそうつぶやくのだった。
☆★
皇太子セドリックの入学と併せて本格的な軍事学校となったトールズ本校。元あった校風は第Ⅱに引き継がれて、今は部活動なんかも行われていない。
その事に少しばかり侘しさを感じながらも、懐かしき景色を見下ろす。
校舎の屋上にはよく来ていた。“琥珀の愛”なんかを口ずさんだりして、七不思議に数えられそうになった事もあったっけ。
学院は一年で卒業し、そこからさらに一年経っている。教官らを除けば、今はもう知り合いはいないだろう。留年した馬鹿がいなければ、だが。
留年というワードを思うと、連想するのはクロウだ。あいつは留年しそうになってⅦ組に編入された。それも《C》としての活動のためだが……今となってはそれが縁を結ぶきっかけだったと言える。
本当に楽しい一年だった。
たまに振り返って笑みがこぼれそうになるほどに。
「お待たせしました」
郷愁に浸っていたら、いつの間にかセドリックが屋上に来ていた。鉄柵に体重を預けて校庭を見下ろすナギトの数歩後ろだ。その背後にはエイダとフリッツを引き連れていて、そこはかとなくナギトに警戒心を抱いているのがわかる。
「いいえ。こちらこそ…急に呼び立ててすまないな」
敬語使う必要なくね?と思ったナギトはセリフの途中でそれを外したが、それに食ってかかったのはフリッツだった。
「貴様、なんだその言葉使いは!?」
「いいんだ、フリッツ。彼は僕の恩人なんだ」
「しかし殿下!」
セドリックは「フリッツ」と再び言って、彼を諌めた。フリッツどころかエイダにも睨まれたナギトだったが年上の余裕を見せつけてやる事にする。
「やはり、いい友人に恵まれたようですね殿下。エイダ、フリッツ……君たちも級友として殿下と付き合っていくといい。肩肘張らない友は人生に必要なものだ」
「言われずとも……って、あなたに言われる筋合いは……!」
うっかり納得しそうになったエイダは気を取り直して、ずれかけた眼鏡の位置を戻す。
「ははは。すまんが2人とも……殿下と話したい。外してくれ」
ころころと変わるナギトの態度に翻弄されながらも、フリッツとエイダは本懐を見失わない。それはセドリックの護衛だ。いつもより数を絞って、これが最低限。それを外せと言うのだ。呑めるはずがなかったが。
気づいたのはエイダだ。数日前に行われた皇帝直々のラジオ放送。すぐに刷られた帝国時報特別号。すでに顔と名前は知られていて、目の前の人物がそれとわかった。すなわち《皇の手》第一指ナギト・ウィル・カーファイだと。
それから少しばかり詰られたナギトだったが、無事セドリックと2人きりになれた。まだ屋上でフリッツとエイダの両名はナギトを見張っているが、話が聞こえる距離ではなかった。
「ナギトさん、あなたが僕を訪ねてきたのは……並行世界の結末を僕が観測したか、という事を確認するためですね?」
「お察しの通り────、あれは並行世界の記憶です。騎神の起動者のみがそれを得ています」
「一時は夢かとも思ったんですが………夢にしては都合が悪い展開だったし、なにより現実感があった」
微苦笑を湛えつつセドリックは続ける。
「しかし……やはり僕が《緋の騎神》の起動者……!この記憶がある事がなによりの証明……!あなたにも可能性はあったんでしょうが……ナギトさん、正当なアルノールの血筋である僕の方がプライオリティが高い!!」
煌魔城での一件からナギトはテスタ=ロッサの起動者たる資格を得た。本来、皇帝家の血統にしか与えられない資格だったが、共に騎神の核に入った事によってナギトもそうだと誤認されたがゆえのバグだ。
元の世界でナギトは起動者になったものの、試練はあった。アーサー世界でセドリックに試練はなく、それでも起動者となれた。セドリックの言う通りに、優先順位の差だろう。
ナギトは半狂乱で昏い雰囲気を醸したセドリックに言葉をかける。
「殿下、落ち着いて…深呼吸。それから自分が本当に言いたいことを言うんです」
「なにを偉ぶって─────」
「セドリック」と再び名前を呼ばれる。呆れのような、慈愛のような視線を向けられたセドリックは冷や水を浴びせられた気分になる。
忠告の通りに深呼吸をする。たっぷりと間があって、セドリックを蝕んでいたものは鳴りを潜めた。
そして─────
「──ナギトさん。僕の中の闇を斬ってください」
「イエス、ユア・ハイネス」
その願いを承ったナギトはしっかりと見定めると、太刀を抜いて振りかぶった。
遠巻きに見ていたフリッツとエルダが慌てて止めに入ろうとするがもう遅い。
ナギトは太刀を振り抜いて、セドリックは膝をついた。
「殿下!?貴様───!」
フリッツが剣を抜く。エイダはセドリックに駆け寄る。
突撃してくるフリッツに殺気をぶつけた。彼はそれでダウンだ。普通の学生ならこうなる。これに約10秒も耐えたクルトが異常なのだ。
「大丈夫だ………2人とも。……傷は、ない……」
息も絶え絶えにセドリックは言った。確認したエイダだったが、傷はなく血の一滴すら流れていなかった。
「我が剣は斬りたいもののみを斬る……って境地にはまだ遠いが、まあ肉体を傷つけない程度ならできる。今は殿下に取り憑いていた悪いものを斬った」
「そんな」とあり得ないものを見たように漏らすエイダと裏腹に立ち上がったフリッツは怒号をあげる。それが護衛役としての矜持か友情かは定かではないが、死の幻視による恐怖を振り払ったのは見事と言えた。
「ならこれはどう言う事だ!?」
「それは殿下の精神と結び付いていたからな。斬られれば相応のダメージはあろうよ。……少なくともこのまま殿下の裡に巣食わせておくよりましだ」
尚も猛るフリッツだったが、セドリックの制止でようやく止まった。エイダに支えられて立ち上がったセドリックはナギトに礼を言う。曰く「思考が明瞭になった」とか。
「殿下、あなたの消耗は休んでいればいずれ回復するでしょう。あれと結び付いて得た力も───力そのものはあなたが鍛え上げたもの。体力と共に戻るはずです。ただ……黒の呪いは大部分切除できましたが、まだ根っこは残ってる……もはやあなたを呑み込む事はないでしょうが、努々気をつけてください」
「はい」と頷いたセドリックの両脇を固める2人を見た。ナギトの視線の意図は察しているだろうに、それでも退く気配はない。
「さ、て……これから殿下と大事な話をするんだけども……」
わかりやすく言葉で伝えてやっても2人は頑として動かなかった。「ふう」とため息をひとつ。これからセドリックと話す内容はいち学生には重すぎるものだ。
「ここからの話を、帝国民は聞く権利がある。しかし聞く義務はない。知らないのが幸せだったって事もある………ここは退いた方がいいと思うが?」
あくまで判断は委ねるナギト。その心にあったのは心配と幾許かの期待だった。
その期待の通りに2人は動こうとせず、帝国の未来に何が待ち受けているのか聞き届ける姿勢だ。
「いいだろう。……それでこそ有角の若獅子よ」
“世の礎たれ”という学院の理念は失われていないようで、嬉しくなってしまう。
「よし、じゃあわかりやすく前提から話すか。今、帝国が共和国との戦争の準備をしているのは知ってるな?水面下で事を動かしているのは帝国政府代表ギリアス・オズボーン宰相」
その嬉しさに負けていきなり爆弾をぶち込む事にした。
聞いた2人は「な」と驚くばかりだ。帝国の軍拡は知っていた。それでも戦争なんてものはどこか遠くに感じていて。話を聞いた今でさえ冗談のように思えた。
「俺はそれを止める一環として殿下に会いに来ている」
ナギトの言葉は遠慮なしに続けられて、フリッツとエイダは自分たちがなにか大きなうねりに巻き込まれていく感覚を味わった。
だがそれでも、と視線だけはまっすぐにナギトに向けられており、有望な後輩に思わず綻んでしまう。
「さあセドリック殿下。すでに俺が聞きたい事はお察しでしょう。……あなたが、今の帝国においてどう立ち回るのか。それをお聞かせ願いたい」
慇懃無礼な気を感じさせるナギトの言動だったが、もはやそれに動かせるだけの感情はなく。
僅かばかり押し黙ったセドリックだったがやがて口を開いた。
「僕はあなたの味方をするつもりはありません」
「………それはつまり、オズボーン宰相につくと?」
やはり僅かな間があって。セドリックはニヤリと笑った。
「いいえ、僕が彼の味方をする事もありません」
自らを支えるエイダの手を振り払って、2本の足で立つ。精神ダメージが肉体にも負荷をかけているだろうに、それでも。
「僕は僕の道を征きます。偉大な英雄たちの添え物になるつもりはない。今度は僕が英雄になる番だ」
それは、紛れもない決意表明だった。
「皇太子として。セドリック・ライゼ・アルノール個人として。僕の持てるすべてを以て、あなたたちを越えます」
セドリックの碧色の瞳に挑戦者としての炎が揺れていた。
思わず笑みをこぼしてしまうほどに、見事な決意を見せてもらった。
「ふふふ…ははははは。いやはやまったく素晴らしい!そいつはとんでもなくグレートですよ、殿下」
イカれてる。イカしてる。
《鉄血宰相》としての辣腕で黄昏を導くオズボーン。《皇の手》なるものとして対抗馬たるナギト。その2人を出し抜いて己こそが勝者となるという宣言。
己の未熟を自覚する若者の大言壮語はしかし、世界に祝福されるべき次代を背負う覚悟だ。
フリッツとエルダは驚嘆していた。これまで名門トールズの主席として素晴らしい実力を発揮していた皇太子が、さらなる進化を遂げて大器を見せつけたのだから。
ナギトもセドリックが今のまま成長すれば帝国の未来を任せられると思うほどに、その決意は輝かしかった。
「会えてよかった。……セドリック皇太子殿下、いずれ戦場で」
「こちらも。ありがとうございました。いずれ戦場で。……僕の英雄」
こうしてセドリックを味方に引き込む案は失敗に終わった。しかしそれはただ成功するよりも遥かに良い未来を期待させる失敗だった。