※この小説はフィクションですが、M氏にはモデルがいます。

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M氏について

 

 

 

 私はその人物のことを、ここにM氏と呼んでおく――と書くと、近現代文学の代表作に恥ずかしく近しいものを覚えるけども、これはそんな大それた小説ではなく、ただ単にとある昔の知り合いの男性について纏めただけの文章である。

 随筆とも言えるかもしれないが、しかし誰かに何かを伝えたいとか、理解させたいとか、分かって欲しいとか、そんな要求はなくて、ただこういう知人がいたという、そのエピソードを形にしただけのことで、これを読んでいる皆様方には申し訳ないが、この雑記を読んでも、新しい知識や大事な教訓は得られない。そもそも題材であるこのM氏という人物が、結構いい加減な人間性をしていて、周囲から厄介者扱いされていたのだ。リアルに現実的な車寅次郎(くるまとらじろう)、といった風で、あんな故郷に帰ってくる度に問題を起こす人間が現実に存在していたら、少なくとも家族からは絶縁されていてもおかしくないわけで、それに実際にM氏は親類から縁を切られていたようであり、友人知人からも距離を置かれていたらしく、何と言うか、はたから見ればどうしようもない駄目人間なのである――M氏という人物は。

 そんな男性について、私は知っていることを書き込んだ。昔話の一つのピース、在りし日の日常として、ここに纏めておく。

 先に書いた通り、M氏は子供の頃の私からしても粗忽者であり、大人たちからすると煙たがれる存在である。大人物ではないし、大げさな武勇伝もない。だからこの文章は随筆ではなく雑記、ややもすれば単なるメモ書きでしかない。誇張なく、M氏は一市民である。

 では、このメモ書きに何の意味があるのかと問われれば、何の意味もないと答えるしかない。少なくとも、他人にとって益となる内容ではない。この端書きを書いている現在でさえ、今書こうとしている文章の有用性を見出せないでいる。わざわざ時間を割いてまで知人の男性について語ろうとするからには、相応の価値があって然るべきであろうが、生憎そんなものはない。ただ私は、M氏という存在が私の人生に関わっていたということを、記憶の片隅に残しておくためだけに、この度筆を取ったにすぎない。何のためでも、誰のためでも、何時のためでもなく、自身の矮小なエゴイズムを満たすためにのみ、この文章は存在する。

 繰り返しになるが、この雑記を読み終えたところで特に利益はない。読者の皆様方の周囲には、もっとどうしようもない人間がいるだろうし、創作の世界には、当たり前にろくでなしがいる。ブラックな欲求に応えるには力不足だし、反面教師として扱うのも荷が重い。

 これを読んでいる人は、つまり屑カゴに捨て損なったゴミを拾ってしまったようなものだ。それを優しさからカゴに入れてくれるのか、興味本位で読んでしまうのか、それとも読むだけ読んで捨てるのか。どうするのも、ゴミを拾ったあなた次第である。

 遠慮はいらない。気遣いもいらない。

 私自身も、M氏には憧憬も尊敬も抱いてはいない。

 私の記憶に留めておく。だからここに書き起こしておく。

 あの人のことは、もう過ぎてしまった思い出だ。だから大切に取っておく、それだけのことなのだ。

 

 

 

 最初にM氏の容姿について、記述しておく。

 身長は百六十センチ弱、体重は七十キロ前後(目測)。短足胴長、生え際が後退し始めた白髪を短くカットし、オールバックにしていた。年がら年中同じ髪型だったので、もしかしたらポマードでも使っていたのかもしれない。濃いカーキ色のキャップを、これまた一年中被っていて、それがトレードマークとなっていた。

 年齢は六十歳前後だった。あまりはっきりしないのは、本人が年齢に関しては、常にはぐらかしてきたからである。大抵のことは(主観混じりではありながらも)正直に話し、子供相手に伝えるべきではない事柄については、冗談で誤魔化してきた人間だが、自分の年齢については、全く答えようとはしなかった。理由は分からない。なので推測するしかないが、恐らくは一九四〇年代後期の団塊の世代か、またはそのポスト世代だと思う。とはいえ、何歳であれ、完全におっさんであることは、駄目なおっさんであることは、疑いようがなかった。

 顔つきは年齢の割には童顔気味で、若い頃は結構な色男、つまりはイケメンであったと思われる。これもはっきりしないのは、やはり本人が語らなかったからである。まあ、M氏の若い頃は、かなり遊んでそうな気がするし、同世代ならともかく、子供に話すような内容ではなかったのかもしれない。後述するが、付き合いのあった当時、推定六十歳前後のM氏は結婚するのだが、その相手は二十代前半であった。性欲自体は青年期と変わらず旺盛であったのだと考えられる。このことを踏まえても、少なくともまともな恋愛はしていまい。それは確信を持って言える。付き合えばわかる。M氏はそういう人間だからだ。

 おっさんらしく、酒飲みであった。我が家は飲食店をしていて、M氏はその店の客であったのだが、何故かは分からないが私の父親と親交を持ち、客商売の間柄でありながら友人関係でもあった。夕方の仕事終わりに、または休日の真昼間に来店して、開口一番にビールを頼む。それがM氏のルーティンである。まれに冷酒を注文することもあったが、基本的にはビールで、瓶の三、四本は普通に空けた。大瓶が六百三十三ミリリットルらしいので、一日に二リットル以上は飲んでいたことになる。またM氏は、希少なウィスキーやブランデーをコレクションしており、店を出た後に、自宅で飲み直すことも多かったそうだ。これは酔った本人が言っていたから、間違いのないところであろう。

 職業は――これは真面目に活動している方からすると、もしかしたら眉をひそめるかもしれないが、M氏はボランティア活動家であった。主にフィリピンの貧民層を支援していたらしく、年に数回は渡航し、土産を買ってきてくれていたものだ。土産は大体菓子類で、ナタデココの缶詰とか(美味かった)、バナナ味の板ガムとか(これは不味かった)、細長い円筒状の謎のスナックとか(普通)。当時の事情は知らないが、よく税関通ったなと思われるものも少なくなかった。駄目人間らしく、そういう裏道みたいな方法には詳しかったのかもしれない。

 自称スポーツ万能で、モテていたという。多分二倍から三倍に盛っていると思う。その証拠に運動しているところを見たことがない。まあM氏は心臓が弱かったみたいなので、後天的に患った後は控えるようにしたのかもしれないが、とりあえず学生時代は柔道をしていたという。

 M氏の武勇伝の一つに、フィリピンで仕事中に足を滑らせて崖から落ちてしまったが、受け身を取ったので無傷だったという話がある。一体どこで何をしていたのだろうと思うし、それは嘘だろうとも思う。どれだけの高さかは知らないが、流石に崖から落ちて無傷はない。まず間違いなく酔っぱらいの与太話だろう。この武勇伝は私が中学時代に柔道部に入ろうかと相談した際に出てきたものなので、酔っぱらいとしては格好のお題だったのだろう。自分の武勇伝を話す際は実態の三割以上は盛る、それがおっさんのやり口だ。

 M氏の簡単な人となりは、大体こんな感じであった。

 

 

 

 M氏は具体的にどんなボランティア活動を行っていたのか、それは私にも分からない。治安の悪い発展途上国へと赴く都合上、子供の頃の私にはあまり詳しく語るまいとしていたのかもしれないが、大人になった私がM氏の人となりを鑑みるに、多分そうではないのだろう。

 はっきり言ってしまうと、M氏はボランティア活動の名目で行政から助成金を受け取り、それを生活費としていた。勿論行政側も何の実績もない団体に金を渡すことはしないので、全く活動していないわけではなかっただろうが、かといってM氏が大真面目に取り組んでいたかというと、それは否だろう。

 なぜそう言えるのかというと、M氏のボランティア仲間の幾人から、そういう証言を得ているからだ。このボランティア仲間というのも中々胡散臭い人達なのだが、しかしM氏よりかは真剣に活動しているようで(嘘かもしれないが)、度々M氏の悪評を口にしていた。前の助成金についてもその一つである。

 曰く、オセアニア諸国の難民支援団体を設立するにあたり、M氏とそのボランティア仲間が共同で出資したらしいが、その資金をM氏が自分の懐に入れたのだとか。それは窃盗だとか横領であるはずなので、警察や弁護士に相談すれば逮捕なり賠償請求なりしてくれると思うのだが、この話はその後のオチがない。だから帆の党は嘘なのかもしれないし、嘘ではないにせよ百パーセント真実である保証もない。M氏がちゃらんぽらんなのは事実だが、類は友を呼ぶというやつで、そのお仲間もまた同類である。M氏が何らかのやっかみを買って、その嫌がらせで悪評を周囲に撒き散らされたのか、結局のところ真偽は不明である。

 ではM氏は真面目ではないにしろ、誠意を持って活動していたのかというと、それは前の通り否なのである。これはボランティア活動の実績からではなく、彼の人となりとプライベートを知っているからこその断言だ。あんな人間が慈善目的で支援などする訳がない。

 その理由の一つは、M氏の妻との馴れ初めである。M氏は一応だが、妻帯者であった。結婚した当時、いきなり私たち家族の前で何の前置きもなく「結婚した」と報告したので、まったく驚かされたものである。

 しかしそのお相手には、驚かされるどころではなかった。

 相手はフィリピン人の売春婦であった。難民支援なんてご立派な活動をしていてこの始末だから、まったくどうしようもない。しかも話を聞いてみるに客として買った女を孕ませたようで、つまりデキたから責任を取ったという話のようで、自由恋愛などでは全くなかった。いい歳してデキ婚するあたりはまだ甲斐性があると言えなくもないが、その発端は出先での買春行為で、身から出た錆である。私も子供ながらに呆れたものだった。

 ではその結婚生活は順調だったのかと問われれば、大方の予想通りであろうが、そんな訳がなかった。M氏とフィリピン人の妻、そしてその子供(女の赤ちゃんで、日本人顔だった)との結婚生活は半年も持たず、結局離婚した。離婚の理由についてM氏は語らなかったが、まあ想像はつくので深くは聞かなかった。ただ、このフィリピン人女は結婚にあたって在留ビザを取得していたので、これが目的でM氏と結婚したのではとの疑いは、周囲の公然の認識であった――M氏も、それは分かっていて結婚したのかもしれないけれど。

 このフィリピン人親子が今どうしているのか、私は知らない。少なくともM氏との結婚によって取得した在留ビザは、離婚とともに失効したはずなので、特に手続きを踏んでいないのであれば、オーバーステイで強制送還されている可能性は高い。もしかしたら他の日本人男性と再婚して、ビザを再取得しているのかもしれないが、この親子の動向なんて私には知りようがなかったし、別に知る気もなかった。自業自得なのか自縄自縛なのか、ともかくこの件はM氏の身から出た錆でしかない。

 彼は多くの人間と関係を築き、そして破綻させてきた人間である。そういう話題に事欠かなかった一方で、M氏に責がないパターンもないでもない。

 どこからかは分からないが、住所不定のアメリカ人男性を、自宅に住まわせたことがあった。そんな犬猫みたいな感覚で人間を拾ってくる時点で有責だろうと言われれば否定のしようがないが、ともかく保護した。日本で仕事に就けるまで、サポートするつもりだったらしい。

 しかしこのアメリカ人、日がな一日M氏宅でゴロゴロし、働こうとするフリすら見せない。M氏の家は急坂の半ばにあるトタン屋根の木造建築で、かなり狭い。そんな室内で典型的に大きい外国人が鎮座しているのだから、M氏のストレスも争闘であっただろう。挙句、M氏がコレクションしていた洋酒を、M氏が出かけている間に全て飲み干してしまい、そのまま姿を消した。

 人の善意をあっさり無碍にする奴はいくらでもいるし、M氏自身もその一人だが、流石にこれには堪えたようで、しばらく落ち込んでいた。

 

 

 

 何が好きかと問われれば「酒」と答えるのがM氏である。年がら年中酒を飲んでいるので、非常に説得力のある回答だったが、では嫌いなものは何かと問われれば「(ねぎ)」と答えるのもM氏である。

 本当に葱の類が嫌いなようで、鍋物に入れるのは勿論、料理の香りづけに使われるのも嫌がる。どこぞのパフォーマンスよろしく、丸齧りなどもってのほかだ。火が通ってようがいまいが、彼にとって葱は敵なのである。

 M氏の心臓が弱いというのは前に述べたが、これは葱を食べないせいだと周囲から言われていた。葱に含まれる硫化アリルやアリシンが血圧の調整、血行の促進を促し、動脈硬化や心臓病の防止に役立つのだそうだが、そもそもM氏の心臓の弱さが先天性なのか後天性なのかはっきりしないし、M氏も葱の効力を知っていてあえて食べていなかったので、結局のところただの食べず嫌いなのかもしれない。

 しかしM氏がカレーを作った時は玉葱(たまねぎ)を使っていた。曰く「やはりカレーには玉葱の甘味がなきゃ駄目」だそうで、玉葱の形が消滅するまで煮込んだらしい。何とも我儘なものである。そのくせベトナムで仕入れたとかいう妙に酸っぱい木の実や、やたらと苦い葉っぱがそのまま入っていて、カレー単体ならまあまあ美味いだけに、やけに食べづらい。何らかのスパイスなのだろうと想像がついたので、何故粉末状にして使わなかったのかと問えば、面倒だったからとのことだった。我儘でものぐさなのだから、本当にどうしようもない。

 そういう人間性なものだからか、珍しい家電製品を持っていたりもする。電動餅つき機がその最たる例で、またM氏が気まぐれに草餅を食べようと言い出した。餅つきと言えば杵と臼のイメージがあった子供の頃の私は、家庭用電動餅つき機にかなりの衝撃を受けた。ただしこの餅つき機には蓋がなく、かなり年季の入った代物で、ガコガコグルグル、不安になるような鈍い音を発しながら餅米をついていたので、ちゃんと完成するのか、どうにも怪しかったのを覚えている。

 より強い衝撃を受けたのは、完成間近というところで、M氏が青海苔を投入したことである。当たり前だが海苔を入れたら草餅ではなくなる。みるみる緑色に染まる餅を見て抗議すると、曰く「緑色になれば何でもいい」とのことで、M氏の適当さ加減が改めて垣間見えた時間だった。ちなみに草餅ならぬ海苔餅は、それなりに美味しく頂いた。まあカレーの件とは違って、不味くなる要素は特にないのだから、当然であるのだが。

 他、M氏と食べ物のエピソードは事欠かない。カレーや餅や海外土産以外にも、寿司を握ればネタが分厚過ぎたり、牛鍋に鮟肝(あんきも)を投入したり、正月に何の連絡もなくおせち料理を持ってきたり、ステーキの鉄板が熱いから気をつけろと忠告すれば「何センチ?」と返したり。最後のはただのおやじギャグだが、外食時には決まって言う台詞だったので、M氏本人も気に入っているギャグだったのだろう。

 

 

 

 万事が万事、M氏はこんな感じであった。基本的に不真面目で拘りがあるのかないのか、義理人情に厚い一方であっさり約束を反故にし、関係を築くのは上手いが信頼に背く行為ばかり繰り返す。そんな六十代男性なのだから、今更言動を改めようだなんて無理だろうし、そんなつもりもないようだった。

 だからM氏から人が離れていったのは、至極当然のことだった。前のボランティア仲間やフィリピン人の妻、居候のアメリカ人に限らず、あらゆる人々がM氏の周囲から去っていった。M氏の性格は先述の通りで、特に金銭関係については卑怯のそしりを免れない。それは何であれ信頼関係を重んじる社会において当たり前で、微塵の違和感もない自然な流れであった。

 我が家が営んでいた飲食店は、昨今の経済不況により閉店することになる。M氏との交流は店を閉じても続いていたけれども、次第になくなり、疎遠になっていった。閉店して二、三年後、大学生になった私は、近頃とんと姿を見せないM氏が気になって、休日にM氏の自宅へと向かった。

 M氏は在宅中、家の鍵をかけない。流石に外出する際はかけるが、家の電気は消さない。面倒臭いからだそうだ。だから在宅かどうかはドアノブを捻れば分かる。とはいえ突然入られてはM氏も困るだろうから、一応ノックしながら呼びかけ、反応があってから入ることにしている。

 反応はなかった。では留守なのだろうが、しかし人がいる気配はする。私はドアノブを回し、古い木造住宅に入る。M氏は在宅であった。

 久しぶりに見たM氏は、酷く衰えていた。

 手足が木の枝のように痩せ細り、正しく骨と皮だけの状態で、胸も肩も厚みが全くなく、言葉を話すのも億劫なぐらいに、身動ぎもしない。そんな肉のない身体が、低い食卓の前で鎮座していた。立ち枯れた背の低い樹木に、着古したタンクトップとトランクスが引っかかっているかのような有様で、かつての恰幅の良さも快活な振る舞いも、完全に消え失せていた。

 ちゃんと食べているのかと問えば、M氏は食卓に置かれたグラスを示す。中身はウイスキーだった。どうやらこんな状態であるにも関わらず、酒しか飲んでいないらしい。

 私は素麵を茹でてM氏に食べさせた。汁は薄めで、胃腸に軽かろうと思ったのだが、M氏は咀嚼こそしたものの、それを嚥下することはできず、そばにあったゴミ箱に吐き出してしまった。心配に思ったものの、M氏はしきりに大丈夫、大丈夫と言うばかりで、それ以上の世話を受けようとはしなかった。

 M氏の訃報を知ったのは、その一週間後のことである。

 姿を見せないM氏に周辺住民が不審に思い、M氏宅を訪ねたところ、反応がなく、鍵が開いている。中に踏み入ったところ、M氏が亡くなっているのを発見したそうだ。部屋に争った様子がなく、外傷もなかったことから、栄養不全による衰弱死とのことだった。そう聞いている。

 M氏の親類は、遺体を引き取るのを拒否した。M氏には兄がいたらしく、警察から連絡がいったらしいが、兄弟とは思っていないと拒んだのだそうだ。他の親類も同様で、M氏は孤独死した老人として、無縁仏として、処理されることになった。縁もゆかりもない他人同士と、共用の墓地に埋葬されることになった。無縁墓というのは血縁にしか所在が明らかにされないので、そもそもの位置が分からない。そのため、私はM氏の葬儀に行っていない。その所在を明らかにするような気概もなく、そのままM氏は、荼毘にふされてしまったのだった。

 

 

 

 以後、私の家族の間でM氏の話題が出ることはほとんどない。それぞれが色々と忙しいから、亡くなった人間のことを話す暇がないというのもそうだろうが、意識的に避けているような気がしないでもない。実際、M氏の人生は決して褒められたものではなかっただろうが、そういう雰囲気になるのは、やはりM氏は私の人生に深く食い込んだ存在だった。

 M氏に墓標はない。よってここに打ち立てておく。四百字詰めの原稿用紙数十枚分のゴミを、この屑カゴに近い駄文の山に紛れこませる。私のM氏の最期はあの日の瘦せ衰えた姿であり、それ以前の言動を思い返して、弔いににも似た滅ぼしを行うしかない。所詮、人間など社会の歯車の一部だ。誰も裁きも救いもしないのだから、ここに粗末でも墓標を立てることに異論はあるまい。気づかれはしまい。

 

 

 

 さて、これにて筆を置くことにしよう。

 この落書きは私が知るM氏の人生の、一部分の一側面である。これを読んだあなたはこのメモを見世物として壁に貼り付けてもいいし、再び屑カゴに捨てても構わない。そうされるために書いたのだから当然である。どう扱おうと自由だ。

 しかし、もし許されるのであれば、このゴミは屑カゴに戻しておいてもらいたい。

 これでも一応はM氏の墓標だ。それをいじくりまわされるのは、そう作られたのだとしても、やはり忍びない。

 

 

 

 

                                           了

 

 

 

 







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