ダンガンロンパZ 希望のライダーと悪夢のビデオ   作:ボルメテウスさん

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天使 Part2

 昼休みの終わりが近い校舎は、妙に気の抜けた空気に包まれていた。

 窓の外では風に煽られた木の枝が揺れていて、廊下の向こうからは誰かの笑い声が聞こえてくる。

 昨日まで命懸けの戦いをしていたなんて、そんなことが全部遠い出来事みたいに思えるくらい、希望ヶ峰学園の昼は妙に普通だった。

 

 けれど、普通だからこそ、目立つ違和感ってものもある。

 

「にしし……だからさぁ、そんなビビった顔しなくていいって。

 オレ、別に君を今すぐ秘密結社に拉致しようって言ってるわけじゃないんだから」

 

 廊下の角を曲がったところで聞こえてきた声に、俺は思わず足を止めた。

 軽くて、ふざけていて、耳に引っかかるような妙な楽しさを含んだ声。

 聞き間違えるはずもない。

 

 王馬小吉だ。

 

「いや、その言い方がもう十分怖いんだけど……」

 

 相手になっていた生徒が半歩引く。

 王馬はそんな反応を見て、いかにも楽しそうに肩を揺らした。

 

「えー? ひどいなぁ。

 オレ、超高校級の総統としてはかなり穏健派だよ?

 もっとこう、洗脳とか、脅迫とか、悪の儀式とか、そういうの期待しないの?」

 

「期待しないよ!」

 

「そっかぁ、つまんないの」

 

 いつもの王馬だった。

 軽い。

 人を小馬鹿にしたような言い回しをして、その反応を楽しんでいる。

 廊下の真ん中だろうが、昼休みだろうが、周りの空気なんて気にしない。

 自分のペースへ相手を引きずり込むのが上手くて、だからやたらと目立つ。

 

 けれど、そのやり取りを少し眺めたところで、俺は妙な引っかかりを覚えた。

 

 何だろう。

 王馬はたしかに、いつも通りみたいに見える。

 笑ってるし、軽口も叩いてるし、わざと人を困らせて楽しんでる。

 でも、その“いつも通り”が、どこか薄い。

 

 笑い方が少しだけ浅い。

 反応を返すまでの間が、ほんの一拍だけ遅い。

 それに、いつもならもっと相手の困った顔を楽しんで、そこからさらに追い込むような言葉を選ぶはずなのに、今日はどこか雑だ。

 悪ふざけをしているというより、悪ふざけを演じているみたいに見えた。

 

「……おい、王馬」

 

 気づけば、声をかけていた。

 

 王馬がくるりと振り向く。

 ぱっと見た限りでは、表情に乱れはない。

 あの掴みどころのない笑みも、ちゃんと貼りついている。

 

「お、万津ちゃんじゃん」

「何? オレに会いたくなっちゃった?

 やだなぁ、そんな堂々と慕わなくてもいいのに」

 

「その軽口、今日ちょっと雑じゃないか」

 

 言った瞬間、王馬の顔がほんの一瞬だけ止まった。

 

 本当に一瞬だった。

 多分、他の誰かなら見逃していたと思う。

 でも今の俺は、そういう小さな綻びが妙に気になる。

 王馬はすぐに口元を吊り上げて、いつもの笑みに戻った。

 

「は? 何それ、芸風チェック?」

「万津ちゃんって、案外厳しいんだね。

 もしかしてオレにもっと質の高い嘘を求めてる?」

 

「誤魔化すなよ。

 体調でも悪いのか?」

 

「あるわけないじゃん」

 王馬は肩を竦める。

「オレ、超元気だよ?

 だって悪の総統だし」

 

「その理屈で元気になるの、意味分かんねぇよ」

 

「分かんなくていいの。

 分かったら困るし」

 

 その言い方だけ、妙に引っかかった。

 

 軽い調子のままだ。

 でも最後の一言だけ、ただの冗談には聞こえなかった。

 分かったら困る。

 それはつまり、今の王馬の“何か”は、本当に隠したいものだってことだ。

 

 相手になっていた生徒は、俺が来たことでちょうどいいと思ったのか、「じゃ、じゃあ俺もう行くから……」と逃げるように去っていった。

 それを王馬は追いもしない。

 普段ならもう一言くらい余計なことを投げるくせに、今日はあっさり見送った。

 

 その時点で、俺の中の違和感は、もうかなりはっきりしていた。

 

「お前、何かあっただろ」

 

「またそれ?」

 王馬は壁へ軽く背中を預けて、いかにも面倒くさそうに笑う。

「万津ちゃんってさぁ、そういうの放っておけないタイプ?

 めんどくさい正義感の匂いがするんだけど」

 

「お前に言われたくない」

 

「にしし、それもそうか」

 

 軽い。

 やっぱり言葉だけは軽い。

 でも、目だけが違った。

 こっちを真っ直ぐ見ているようでいて、どこか別のものに意識を取られている感じがある。

 

 次の瞬間だった。

 

 王馬の視線が、俺の肩越し――誰もいない廊下の端へすっと流れた。

 その動きが、不自然なくらい鋭かった。

 まるで、そこに何かがいたみたいに。

 

「……おい」

 

 呼びかけると、王馬はすぐには返事をしなかった。

 ほんの半拍遅れてから、わざとらしく首を傾げる。

 

「何?」

 

「今、何見た」

 

「別に。

 何も見てないけど?」

 

「嘘つけ」

 

「嘘つきなのは今に始まった話じゃないじゃん」

 

 その返しに、俺は小さく舌打ちした。

 そういう話じゃない。

 王馬は今、明らかに何かを見た。

 けれど、それを絶対に認めないつもりでいる。

 しかも、それをいつもの軽口の延長で処理しようとしている。

 

 だからこそ分かる。

 今のそれは、人をからかうための嘘じゃない。

 自分を守るための嘘だ。

 

「なあ」

 俺は少しだけ声を落とした。

「お前、今日やたら“総統”って言葉を出すな」

 

「は?」

 

「いつもも言ってるけど、今日は妙に早い。

 何か言われるたびに、その肩書きで返してる」

 

 王馬の笑みが、また一瞬だけ薄くなる。

 

「……よく見てるね、万津ちゃん」

 

「見えるからな」

 

「やだなぁ、そういうの」

 王馬はくすっと笑った。

「人のことじろじろ観察するの、趣味悪いよ?」

 

「今のお前見てたら、誰だって気づく」

 

「へー」

 王馬は壁から背を離して、一歩だけ俺に近づいた。

「じゃあ逆に聞くけどさ」

「オレが“総統”を名乗って、それの何が悪いの?」

 

「悪いとかじゃなくて、縋ってるみたいに見える」

 

 その瞬間、空気が少しだけ止まった。

 

 王馬の表情は笑ったままだ。

 でも、目だけが明らかに笑っていなかった。

 図星だったんだと、それだけで分かる。

 

「何かあった時、お前いつもより先にその肩書き出すだろ」

「まるで、それがないと立ってられないみたいに」

 

「……にしし」

 

 笑い声はした。

 でも、乾いていた。

 

「万津ちゃんってさ、たまに嫌なところだけ鋭いよね」

「そういうの、モテないよ?」

 

「余計なお世話だ」

 

「でもさ」

 王馬はふいに目を逸らして、窓の外の方を見る。

「別に、嘘つきなのは本当だし。

 総統ごっこしてるのも本当だし。

 それで困るのって君?」

 

 その言い方は、いつもの挑発にも聞こえた。

 けれど同時に、ひどく疲れている人間が自分へ言い聞かせるみたいな響きもあった。

 

 俺が何か返そうとした、その時。

 

「……っ」

 

 王馬が急に壁へ手をついた。

 

 小さな動きだった。

 でも、見逃せるようなものじゃない。

 肩がわずかに揺れて、呼吸のリズムが崩れる。

 視線が定まらない。

 笑おうとしている口元だけが、妙に不自然に引きつっていた。

 

「おい!」

 

 思わず一歩詰め寄る。

 王馬はすぐに体勢を立て直そうとした。

 でも、その前に、はっきりと分かった。

 

 何かがおかしい。

 

 王馬の視線の先、俺には何も見えない廊下の空間へ向かって、こいつは明らかに怯えている。

 しかも、それを必死で隠そうとしている。

 

 その瞬間、俺の耳にも、ほんの気のせいみたいな音が引っかかった。

 

 拍手。

 いや、違う。

 拍手みたいな何か。

 遠くで誰かが舞台でも見ているみたいな、乾いた手の音が一瞬だけ聞こえた気がした。

 

 けれど、周囲の誰も反応していない。

 つまり、今のは王馬の方へ寄っている何かだ。

 

「王馬、何が見えてる」

 

「だから、別に……」

 

「別にじゃねぇだろ!」

 

 思わず声が強くなる。

 王馬の肩がぴくりと揺れた。

 

「お前、明らかにおかしい」

「体調とかそういう話じゃない。

 何かにやられてるなら言えよ」

 

「……やだね」

 

 返ってきた声は、小さかった。

 でも、はっきりしていた。

 

「そういう心配そうな顔、オレに向けないでよ」

「似合わないからさ」

 

「ふざけてる場合か」

 

「ふざけてるのは元からじゃん」

 

「そういう話してんじゃねぇ!」

 

 吐き捨てた瞬間、王馬の笑みが、初めてはっきりと薄れた。

 消えた、というより、保てなくなった感じだった。

 

 その顔を見てしまった時、もう確信していた。

 こいつは今、本当に追い詰められている。

 しかも王馬自身、それを絶対に見せたくないと思っている。

 

 数秒だけ、どちらも喋らなかった。

 廊下の向こうから、誰かの笑い声がまた聞こえる。

 それがひどく遠かった。

 

 先に口を開いたのは、王馬だった。

 

「……まあいいや」

 

 その言い方は、いつものようでいて、やっぱり違った。

 無理やり会話を切るための声音だ。

 

「総統にも休憩時間くらいあるんだよ」

「今日はもうサービス終了。

 これ以上は有料コンテンツだから」

 

「待てよ」

 

「待たない」

 

 王馬は笑う。

 でも、その笑いはもう薄い。

 いつものように人を引っかき回して楽しんでる顔じゃない。

 追いつかれる前に逃げようとしてる顔だ。

 

「それにさ」

 背を向ける直前、王馬が少しだけ振り返った。

「君にそこまで心配される筋合いもないし」

 

「……王馬」

 

「にしし」

 

 最後に笑ってみせて、それから今度こそ歩き出す。

 

 けれど、その背中は明らかに急いでいた。

 余裕なんてない。

 軽口で終わらせたかっただけだ。

 それが分かってしまう程度には、今の王馬は崩れていた。

 

 俺はその後ろ姿を見送りながら、無意識に奥歯を噛んでいた。

 

 笑ってる。

 嘘をついてる。

 いつもの王馬小吉をやっている。

 でも、その全部が今日は“守り”にしか見えなかった。

 

 放っておいたらまずい。

 

 そう思った瞬間、胸の奥で昨日の零の言葉とは別の感覚が動いた。

 ソムニウム。

 ナイトメア。

 夢の中で人を追い詰める、悪夢の具現。

 今の王馬の反応は、ただの疲労や不調じゃない。

 もっと根の深い、内側からの揺さぶられ方だった。

 

「……ナイトメア、か」

 

 小さく呟く。

 言葉にした途端、嫌な確信に変わる。

 

 王馬小吉が、悪夢に苦しめられている。

 

 しかも多分、あいつの性格を考えれば考えるほど厄介だ。

 王馬は、本音をそのまま見せるタイプじゃない。

 痛みがあれば、まず嘘に変える。

 苦しさがあれば、笑いに変える。

 だからこそ、ナイトメアみたいに“隠したいもの”を暴く存在とは、最悪に相性が悪い。

 

 俺は深く息を吐いた。

 昨日の戦いが終わったばかりだっていうのに、もう次だ。

 けれど、そういうものなんだろう。

 止まってくれないから、こっちも止まれない。

 

 王馬が消えていった廊下の先を見る。

 今のところは、まだ何も見えない。

 でも、確実に何かが始まっている。

 

 その頃――。

 

 人気のない空き教室の前で、王馬はようやく足を止めていた。

 肩で息をする。

 廊下に誰もいないことを確認して、ようやく顔から笑みが消える。

 

「……最悪」

 

 小さく零れたその一言には、さっきまでの軽さが一欠片もなかった。

 

 目の前の空間が、ゆらりと揺れる。

 現実にはないはずの紙吹雪が舞う。

 色とりどりの破片が、暗い廊下の光へ反射して、不気味なほど楽しげな景色を作る。

 その向こうに、王座が見えた。

 豪華で、空っぽで、どこかひどく冷たい王座。

 さらにその周囲には、仮面をつけた観客みたいな影が並んでいる。

 拍手。

 笑い声。

 見世物を待つような空気。

 

 そして、その中央。

 ピエロと王様を無理やり継ぎ接ぎしたみたいな、歪んだ影が立っていた。

 

「にしし……まだ総統ごっこ続けるの?」

 

 声だけが、妙に王馬自身に似ている。

 でも、似ているからこそ不快だった。

 

「じゃあ次は、もっとちゃんと王様にしてあげる」

 

 王馬は顔をしかめる。

 さっきまでの軽口はもうない。

 あるのは、心底うんざりしたような、でもどこか諦めきれない目だけだった。

 

「……黙れよ」

 

 返した声は小さい。

 けれど、その影は楽しそうに笑うだけだった。

 

 拍手が、また鳴る。

 

 王馬小吉の悪夢は、もう始まっていた。

 

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