名も無き、国一番の侍   作:ファルメール

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第37話 侍の残光

 

 ドスンと重い音を立て、鉄拵えの兜が地面に落ちた。

 

「はあっ、はあっ!!」

 

 玉の汗を流して荒い息を吐くのは、焔色の髪をした少年だった。

 

「どうした、出来ないか柳寿郎」

 

 声を掛けたのは、今柳寿郎と呼ばれたこの少年がそのまま年を重ねたような風貌の、精悍な剣士であった。

 

「で、出来ません。父上」

 

「うむ」

 

 父はそれを責めなかった。

 

「確かに、兜とはそもそも槍刀から身を守る為の武具だ。故に、刀で鉄兜が斬れぬのは道理」

 

 起こるべき事が起こるべくして起こっているだけなのだ。それを責めるのは筋違いであり、理不尽とも言えるだろう。

 

「だがな、柳寿郎」

 

 父の言葉には続きがあった。

 

「人を護り鬼と戦うべき者は、不条理も理不尽も跳ね返さなければならぬ。何故なら鬼こそ、その理不尽の権化のような存在だからだ」

 

 傷はたちどころに治り、喪失した手足はくっついたり生え替わったりする。年を取らず、日光を浴びるか日輪刀で頸を切断されない限り死なず、異能の術を使う者も多い。このような相手を理不尽と言わずしてどうするというものだ。

 

 鬼狩りは、人の身でありながらそのような怪異と戦い、そして勝利せねばならない。

 

「勝てるのでしょうか、我々は」

 

「勝つ。それこそが鬼狩りの存在意義であり、その為に日輪刀と呼吸術がある」

 

 この二つの内、呼吸術はこの時代になって鬼狩りに取り入れられた技術である。

 

 だがそれをもたらした偉大な剣士達は、既に鬼殺隊には居ない。

 

「縁壱殿が呼吸術の存在を教え、巌勝殿が加わって我等それぞれに合うように様々な技を編み出し、伝えてくださった」

 

「お二人の事は聞いています。ですが…お言葉ですが父上…それはそのお二人だけが特別に凄かっただけでは」

 

「そうだな」

 

 父は認めた。

 

「確かに、それは間違いない。あのお二人が只人では到底辿り着けない、才覚とか天稟という陳腐な言葉ではとても言い表す事の出来ないものを持って生まれてきたのは確かであろう。私も、一時は今のお前と同じ事を思い、自信を無くした事もある」

 

 書物にもそれは書き残した。

 

「だが…私がいくら打ちひしがれても時は止まってはくれぬ。共に寄り添って悲しんではくれぬ。今こうしている間にも、罪無き民が鬼の謂われ無き暴力によって命を奪われているのだ。いくら己の弱さや不甲斐なさに打ちのめされようと、私達に出来る事はたった一つ」

 

 父は、どんと胸を叩いた。

 

「心を燃やすこと…ただそれだけだ。歯を食い縛って前に進み、それでも戦い続けることだけだ」

 

「重い…ですね」

 

「うむ。だがやらねばならぬ。それに柳寿郎、お前になら出来る。何故なら私と、朔夜の血を継いだ息子だからだ」

 

「母上の?」

 

 もう一度「うむっ」と父は頷く。

 

「今でこそ朔夜は無理な鍛錬で体を壊し、病を得て弱ったが、かつては柱にまでなった剣士であった。巌勝殿が長じれば自分にも届き、自分の後を継いで立派な月の柱になるであろうと評されていたほどの、な」

 

 柳寿郎は少し信じられないようだった。

 

 彼の中に在る母の姿は、おっとりとしていて優しく、箸より重いものを持たない深窓の娘のようなそれだったからだ。父はそれを察したのだろう。苦笑する。

 

「言いたい事は分かるぞ。だが朔夜が現役の頃の鍛錬は、それは凄まじかった。狂気の沙汰という言葉も言い過ぎではあるまい。心臓が止まるまで鍛錬し、止まったら気力で体を動かして胸を叩いて心臓を再動させ、また鍛錬を続けるのだ。鬼殺隊広しと言えど、継国兄弟以外でそれが出来るのは朔夜一人であった」

 

「は、はぁ」

 

「そんな朔夜にも、当然これが出来た。無論この私にもな。柳寿郎、お前はその父と母の子供だ。必ず出来るようになる」

 

 父はそう言って兜を拾うと、空中に放り投げた。そして、抜刀する。

 

 炎の呼吸・弐ノ型 昇り炎天

 

 斬り上げられた刀は、空中の兜を真っ二つに断ち割った。

 

 

 

 

 

 

 

 現代。

 

 蛇柱・伊黒小芭内はこの日、任務帰りにたまたま蝶屋敷の傍を通りかかった。

 

 この時、首に巻く蛇の鏑丸がシャーっと声を上げる。

 

「むっ?」

 

 見れば、蝶屋敷の中が何やら騒がしいようだ。

 

 門をくぐって中に入ると、屋敷の庭に人集りが出来ていた。

 

 その中には屋敷の主であるしのぶや彼女の継子であるカナヲが居て、更に水の呼吸の剣士達が十数名ほど剣術道場で稽古を見学する門弟のように正座して並んでいる。その中には村田隊士の姿もあった。

 

 そしてこの集まりの中心では療養中であった水柱・冨岡義勇が愛刀を抜いていて、日柱・竈門炭治郎、それに善逸と伊之助がそれぞれ巻き藁を持って立っていた。

 

「胡蝶、邪魔しているぞ」

 

「あら、伊黒さん、任務の帰りですか?」

 

「それよりこれは何の騒ぎだ?」

 

「冨岡さんは療養と機能回復訓練を終えられて嘴平くん・我妻くん共々今日で退院、任務に復帰されるんですよ。その前に、水の呼吸の剣士の皆さんを集めて演舞を見せると言われまして。折角ですから私やカナヲも見学させてもらっているんです」

 

 伊黒の左右色の違う瞳が、緩やかに見開かれた。

 

「冨岡がか? 珍しい、雪でも降りはしないだろうな」

 

 口元が包帯で隠されており、表情が窺い知れないので感情が読み取りづらいが、どうやら伊黒は驚いているようである。

 

「師範、始まるみたいです」

 

「ん…」

 

 柱二人が視線を向けると、義勇が纏う気迫がみるみる鋭く研ぎ澄まされていくのが肌で分かるようになっていく。ヒュウウウ…という水の呼吸の音も聞こえるようになった。

 

「よしっ!!」

 

 義勇の掛け声が掛かる。

 

「それっ、義勇さん」

 

「おりゃっ」

 

「うりゃあっ」

 

 同時に、左右に控えていた炭治郎・善逸・伊之助が同時に巻き藁を彼に向けて投げた。

 

 水の呼吸・肆ノ型 打ち潮

 

 まず二つの巻き藁が、空中で両断された。

 

 残り一つが地面に落ちようとする。

 

 水の呼吸・壱ノ型 水面斬り

 

 しかしそれも、低空に繰り出された横一線の斬撃によって断ち割られた。

 

 通常の巻き藁斬りは地面に固定された物を斬るが、今のは空中に放り投げられた物を斬ったのだ。それも三つ同時。

 

 観客である水の呼吸の剣士達からは「「おおっ」」と声が上がり、しのぶ・伊黒共に「ほう」という表情を見せた。

 

 だが驚くのは些か早かったようである。

 

 六つになった巻き藁は、ドスンと重そうな音を立てて地面に落ちた。しかも跳ねたりもしない。この異様に、観客達も表情を変えた。

 

「……」

 

 伊黒が巻き藁の一つを拾うと、想像とは違うずしりとした重みが腕に伝わってくる。それも断面を見て得心が行った。

 

「これは…芯に、鉄が仕込んであるのか」

 

 斬鉄という技があるが、それを空中の固定されていない物体に対して行なうとは。

 

 ざわめきが走る。集まった剣士達の中にも、これが出来る者は居ない。柱であろうと、純粋な剣士でないしのぶにはこれは不可能。少しだけの嫉妬と、畏敬の念が籠もったような口調でしのぶが語り掛ける。

 

「どうやら全快…いえ…むしろ前より強くなったようですね。冨岡さん」

 

「それにしても貴様がこんな見世物を企画するとは、一体どういう風の吹き回しだ?」

 

 辛辣かとも思える伊黒の言葉であるが、義勇は少しも気を悪くした様子は見せなかった。

 

「別に…俺は極力刀を振るいたくはないし、娯楽のように手合わせするのも好きではない。だが…俺は水柱だ。鬼殺隊を支える一人。健在である事を誇示して、いつでも戦える最強の剣士であるのを見せておかないと、下の者が不安になる。そう思ったまでだ」

 

「「…………」」

 

 この言葉を受けては、今度こそしのぶは目を丸くして伊黒も僅かな時間だけ言葉を失った。

 

「驚いたな。あの冨岡の口からそんな言葉が出るとは。貴様も漸く鬼殺隊に於ける自分の立場を理解して、柱としての自覚が芽生えたか。褒めてやってもいい」

 

「それじゃ、俺もやります」

 

 ここで炭治郎が進み出た。

 

「俺は他の皆さんと違って柱になったばかりですからね。ちゃんと出来る実力があると見せて他の人に安心してもらわないと」

 

 すらりと、腰の黒い日輪刀を抜く。

 

「では、俺が投げる役をやろう」

 

 義勇が予備の巻き藁を取った。そうして十歩ばかりの距離を取ると、投げる姿勢を取る。

 

 連動するように、炭治郎も構えた。

 

 如何に十二鬼月二体を倒し柱に選ばれたとは言え、炭治郎は正式に隊士となってまだ一年に満たず、天才剣士である時透兄弟を除けば柱の中でも最年少。そんな彼に、宙空の巻き藁、しかも鉄の芯が入ったそれを断ち割る神技が出来るのか?

 

 それは数秒の後にすぐ明らかになる。言葉は要らず、結果だけが全てを証明する筈である。

 

 …が、見るまでも無く幾人かは炭治郎の佇まい、その構えを目にしただけで既に答えを得ていた。

 

「で…」

 

 村田はごくりと唾を呑んだ。

 

「出来るよ、炭治郎」

 

 善逸が強張った笑いを見せた。

 

「出来るぜ、権八郎」

 

 伊之助が被り物の中で口角を上げる。

 

「出来ますね、竈門くん」

 

 しのぶにも二つになった巻き藁が見える。

 

「出来る。なるほど、不死川と渡り合ったのはまぐれではなかったか」

 

 伊黒はかえって納得したようである。

 

『出来る』

 

 義勇の中にも同じ確信が生まれた。

 

 ここで、投げる側である彼から、ヒュウウウウウ…という呼吸音が聞こえてくる。水の剣士達は、村田以外は炭治郎の方に意識が行っていて気付かない。善逸、伊之助、しのぶ、カナヲ、伊黒がそれぞれ違和感を覚える。

 

 同じく、義勇と相対している炭治郎も此は只の稽古や演舞ではあらぬ事を理解した。

 

「ちょっと、冨岡さ…」

 

 何が起きるのか察したしのぶが止めようとするが、遅かった。

 

 ただでさえ常中により寝ている間であろうと鍛えられ続けている柱の肉体が、この一瞬のみに力を発揮すべく呼吸術によって更に火を噴くような力を得て、鉄芯入りのずっしりと重い巻き藁は渾身の力によって炭治郎の顔面めがけ、砲弾のように投じられた。

 

 集まった剣士達は一瞬、理解が追い付かなかったようである。

 

 ヒノカミ神楽・烈日紅鏡

 

 炭治郎の繰り出した二連続横斬りによって、巻き藁は三つとなって、地面に落ちた。

 

 一瞬、誰もが言葉を失う。

 

 はっとして、しのぶが詰め寄った。

 

「冨岡さん、何やってるんですか? 全力で、しかも竈門くんへ向けて投げるなんて」

 

「いや、これで良いんですよ。しのぶさん」

 

 刀を鞘に納めると、炭治郎は何事も無く言った。

 

「そうだぞ」

 

 と、伊之助。

 

「戦場で敵の巻き藁が自分の来て欲しいように、ほどよい所に飛んでくるとでも思ってんのか? そういう事だろ、半々羽織」

 

「ああ。実戦で起こらない事を訓練しても仕方無いだろう」

 

 我が意を得たりと、義勇が頷いた。表情はどこか誇らしげですらある。

 

「えー、これ、俺がおかしいの? 普通に危険行為な気が…」

 

 善逸はドン引きである。

 

「そういう所ですよ、冨岡さん。折角見直していたのに…」

 

 貼り付けた笑顔のまま、額に青筋を浮かべたしのぶはシュッシュッと拳を素振りする。

 

「…………」

 

 目眩を覚えた伊黒は頭痛を堪えるように額に手を当てた。

 

 ともあれこれで、炭治郎が日柱として恥じない実力を持っている事は満座の前で証明された。剣士達の士気も上がったように思える。

 

 そこに、炭治郎の鎹鴉である天王寺松右衛門が飛来した。

 

「無限列車ノ被害拡大、四十人以上ガ行方不明。現地ノ炎柱・煉獄杏寿郎及ビソノ継子・甘露寺蜜璃ト合流セヨ!! 直チニ西ヘ向カエェ!!」

 

 新たなる任務の通達である。

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、行こうか。禰豆子」

 

「……」

 

 日柱として最初の任務に就く炭治郎。

 

 背負う箱の中で禰豆子は眠っている。返事は無い。無用であった。兄と共に在り人を護ること、それが彼女に残された人の残滓であり心を人食い鬼に堕とさない楔。

 

「俺達も行くのか。すっごく怖いけど、でも禰豆子ちゃんと一緒なら俺、頑張るよ」

 

「どうも俺達は紋次郎の継子と思われてるらしいな?」

 

 戦友であり、今やなし崩し的に継子になった善逸と伊之助。

 

「柱を三人も投入するとは…お館様はこの任務、余程重要なものとお思いなのか」

 

 炭治郎・禰豆子の監督役として同行する義勇。

 

「うまい! うまい! うまい!」

 

「美味しい! 美味しい! 美味しい!」

 

 無限列車に先行している炎柱・煉獄杏寿郎と、その継子である甘露寺蜜璃。

 

「ゆめ…ミ…ゴ……コ…………チ……」

 

 無惨の血を注がれて下弦の鬼を遙かに超える力を得たが、それを発揮する間も無く討伐された魘夢の頸を持った国士某。

 

 剣士達は集結する。

 

 次なる舞台、無限列車へと。

 

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