次次回には日記形式に戻るよ
Let’s 独自解釈
「 」
1人のエルフが、未だ夢から醒めないまま、掠れた声で何かを囁いている。
穏やかな日の中で自作の椅子に腰を掛け、閉じた目に涙を滲ませる彼女は、端麗だが影のある顔立ちをしていた。
幼さの残る体格、薄い唇、少し癖っ毛の長い髪は神経質に整えられている。
未だあどけない寝顔ながら、どこか大人びた雰囲気を纏うチグハグさは、種族の特徴によるものだろうか。緩やかな息遣いも、肘置きに置いた白い腕も、どこか品がある。
暖かい室内は心地よい静けさが漂っていたが、彼女の小さな呻き声だけがその空間に不調和を生んでいた。
「ヘル、起きろ」
彼女のまどろみは、この声により一瞬にして終わる。声をかけたのは、彼女を起こしに来た同居人のエルフだった。
ヘル、と呼ばれた少女とは異なり、青年の姿と佇まいには一切の不一致が無かった。
さぞ櫛の通りの良いだろう、さらさらの短髪。そのシミひとつない顔には、すらっと通った鼻筋と涼しげな切れ目が比率良く並んでいる。簡素で厚い服も、彼が身に纏うと高価な反物のように感じられた。どんな衣装でも着こなす長身体躯は性別に関わらず誰もが憧れるだろう。目のすぐ下にある、縦三本の小さな痕だけが妙に異彩を放っていた。
「シュラハト…………おはよう?」
「……今は昼だ。研究に没頭するのは良いが、睡眠と食事は規則正しく取れ。いつも言っている」
彼は何をするにも超然とした雰囲気が漂う男なのだが、彼女の前ではどこか父性が滲んでいた。
シュラハトと呼ばれたエルフは、床に散らばる本を拾い上げつつ、ヘルズの目元を布で拭った。
「……一ヶ月ぐらいならだいじょぶだって」
「耐えている時点でダメだ。集中力が欠けた状態で研究を進めても効率が悪い」
「うるさい、少しぐらい寝不足の方が頭が冴える」
「ただの気のせいだな」
2人は年頃の娘と父親のような会話を交わす。シュラハトが村に来てから数十年、何度も繰り返された光景だ。
こういう時は、決まってシュラハトが勝利する。今日もそうだった。
「目覚ましにお風呂にでも入ってこい。終わったら食事にしよう」
「……分かった」
舌戦に負けたヘルズはよたよたと椅子から立ち上がり、衣装棚から着替えを取り出していく。
シュラハトはその背中を見つめ、ふと彼女への用事を思い出した。
「そろそろ
「それを早く言え!」
ヘルズは手に持った服類を振りかぶって投げたが、シュラハトには魔法で簡単に受け止められた。
◇ ◇ ◇
ヘルズとシュラハトによって拘束された魔物は、気絶から目覚めると縄と魔法によって椅子に縛り付けられていた。場所はヘルズの村の倉庫として使われている家の一つだった。
水を顔にかけて目覚めさせられた魔物は、起きて早々にヘルズと顔を合わせた。彼女は魔物と同じ様に椅子に腰掛けていた。もっとも、縛られてはいなかったが。
「あー……初めまして、私はヘルズ。君が滅ぼしたこの村唯一の生き残り。以後お見知りを」
「……私には子供がいる」
「知るか。もう少しまともに考えてから話せ」
どうしてこんな状況なのか、魔物は鈍痛の響く頭で考える。
——そうだ。なぜか『
そして気づけば魔力欠乏で気を失っていた。魔物の服がところどころ千切れ、ぼろ雑巾の様になっている。
「あれから数日は経っていてな。早速お前には聞きたいことがあるんだが……まず先にだ」
ヘルズは手元の手帳を広げ、その内容を読んでいく。
「お前たち……言葉を話す魔物について。人類とほぼ同一の形態を持つ。言語・感情表現・文化を『模倣』するが、内的論理までは共有していない。人間とは行動原理が根本的に異なり、生物学的にも程遠い。外見は人類だが複数の点で人類とは異なり、完全な別種族である」
そこまで読んだところで手帳を閉じ、ヘルズは目の前の魔物に眼を合わせる。
「と、お前の種族を簡単にまとめてみたわけだ。当種族からして出来はどうかな」
「……わざわざ答えるとでも思うのか」
ヘルズの口元が緩やかに動いて弧を描く。ひたすらに相手を侮蔑するだけの笑みだ。
「勘違いするな。魔力の尽きたお前程度なら私だけでも殺せる。お前も分かってるだろ。口の利き方に気をつけろ」
少しだけ回復した魔力を使い、探知魔法を使う。その倉庫自体が一種の魔道具となっているらしい。少しでも妙な動きをすれば即座に起動するだろう。
魔物は悟った。なぜ気絶していた自分が無事に目を覚ますことが出来たのか。都合が良いから、面倒が少ないから。たったそれだけで自分は生かされてた。
「……異論はない」
「成る程、素直に答えてくれて良かった。君の魔法が私の代用品に通じなかった事からかな?負けて自分の弱さを思い知ったからかな?だから素直に話に応じてくれたのかな?魔力がそのまま自分の格になるなんてアホな事種族単位でよくやるものだね。早く滅べ」
その煽りに魔物の身体から魔力が溢れた。常人なら圧倒されるだろう。しかしヘルズの笑みは崩れない。まぁ、魔力を感知できないので当然なのだが。
「さて、ここから質問だ。お前たちはなぜ人類を殺す?」
「……質問の意図がわからない」
「お前たちをを調べていて、不思議な点があった。その最たる例が殺人だ」
“言葉を話す魔物”についての奇妙な部分。それは熊における盛り土の様な、いわゆる『食料の保存』が行われていない点だ。
例えば、この村が滅んでから一度も人型の魔物は来ていない。
人類をただの食料として見ているなら明らかに不自然。
加えて、シュラハトの証言によれば同じ様に“模倣する人”が集落の住民全員を殺し、多くの死体を放置していた事も数多くあったらしい。
「これで、魔物にとって人類はただの食糧という線は薄くなった」
故に、当種族に聞きたかった。何故人を殺すのか。
魔物は口を開いた。
「……人類は私たちを殺し、私たちは人類を殺す。相入れない存在だからだ」
「つまり種族競争だと?残念だけど、それは理由じゃない。結論だ。“何故そう判断したのか”が抜けてる。殺害はあくまで手段の一つでしかない」
「共存は不可能だった。私たちは単純なルールで動く。しかし人類、特に人間は行動の予測が困難だ。感情が激しすぎる。モデルが安定しない。我らの協調は、いつか必ず破綻する」
「理解できないから殺すなんて、研究対象への行動としては最悪だよ。どうして諦めた?」
「人は容易く嘘をつく。私たちが得た情報もどれだけの欺瞞に溢れているか分かったものではない」
「そりゃお互い様だと思うけどね。行動の予測が困難なら統計を取ればいいじゃない。傾向が分かってくる」
「人類、特に人間は個体差が大きすぎる」
「平均じゃなくて分布を見ればいい。続ければ法則が見えてくる。結論ありきの実験は思考停止のカスだよ」
「……私は長い年月を生きてきた」
「にしては君が人生を掛けて磨いた魔法で私に負けてるけど?随分と腑抜けた人生だ」
元々低かったヘルズの機嫌は止まる事なく下がり続けた。
復讐相手と話して気が晴れるわけでもない。話せる虫と会話したところで、それ以上の意味も価値もない。
「私の仮説を言おう。お前たちは人間が怖かったんじゃないの?だから原因を取り除いた。理解できない危険なものが消えた、これで安心だ……ってね。殺して解決、なんて便利な頭してて羨ましい」
そこでようやく魔物はヘルズを
幼いエルフに明確に意識を向けた。
「……お前のやり方が人類の脅威そのものだ」
「あ?」
「そうだ。私たちは人間に恐怖した。その進歩の速さを恐れた。その恐怖は正しかった」
ヘルズにとって魔物の言葉は子供の悪意を純粋培養させたようなものだった。頭のネジが何本も飛んでいて、いくらでも残虐になれる。
「人類が私を恐れる理由は私たちが作った。だが、私が人類を恐れる理由はお前が証明している。人類は私たちを必ず研究し、必ず理解し、必ず殺す」
他者への理解や寛容といった概念が存在しない。そういう種族だと、初めて理解した。
「恐怖で殺す我々と、理性で殺すお前のどちらがより質が悪い?」
「……先に手を出したお前たちが悪いに決まってるだろうが」
ヘルズの心臓が強く脈打った。椅子から立ち上がり、魔物の目の前に近づく。止めようとするシュラハトの手を振り払った。
「私の村を壊して、人を食って、それが考えた上での判断?お前たちの方が人類よりよっぽど危険だ」
ヘルズは魔物の胸ぐらを掴み、悲鳴の様に叫んだ。
「人類はな、後悔できるんだよ。お前たちにはない罪悪感でな!同じことをしない様、理屈をひっくり返してでも自分を縛るんだ!!」
だが魔物は違った。行動の全てが自分本位で作られていた。
そもそも他種族が人類の真似をしたところで、それは人類とは根本的に異なる生き物だ。それなのにわざわざ中途半端な人類の真似をして自分たちの可能性を狭めた。
「お前はずっと殺すだけで、自分が正しい前提で歩みを止めた。他の可能性を考えずに!!それが思考停止以外のなんだ!!」
ヘルズは村の人々を思い出した。既に亡くなった、記憶の中にしかいない家族。お前たちが怖かったから殺した、まではなんとか飲み込もう。弱肉強食は自然の摂理だ。恨みはするが、納得はできる。
だが、怖がらせた
魔物が人類を殺せば、人類は魔物を敵視する。当然、人類は魔物を殺すために歩みを進める。魔物がやっているのはただのその場しのぎだ。
「お前たちはふざけた合理性の後始末をあと何年続けるつもりだ!!」
喉が裂ける様な声が響いた。
叫び終えたヘルズは肩で息をする。
「……確かに私は危険だろうさ。下手すればお前が思っている以上にな。それは否定しない」
何せ持っているものが異世界の知識だ。人類が何百万年生きて積み上げた結晶だ。魔力から完全に切り離された考え方だ。その知識がこの世界に与える影響は、まだ判断がつかない。
でも、と言葉を続けた。
「私は常に考えてる。お前らよりはマシだ」
◇ ◇ ◇
「疲れた、2度と会話したくない」
精神魔法に支配され意識に失った魔物の前で、ヘルズは深い息を吐いていた。
シュラハトは魔物に追加の精神魔法と身体拘束魔法を掛けている。魔物の魔力が尽きているうちに、不可逆の支配を刷り込んでいく。
しかしそれ以外の危害は何も加えられていない。ヘルズの指示だった。
「……本当に殺さなくていいのか?」
「良いわけないけど、アイツが反省する未来は無い。君が言ったことだ」
「そうだ、契約に誓おう」
「自分の罪を自覚しないまま死んでいく。それじゃあ私の気がすまないんだよ」
だからヘルズは復讐の方法を変えた。
「まず復讐を別にしても人類が魔族に対処できる様にはしたい。でもただ魔物を狩り続けるのは、魔物のやり方と一緒。というか魔法が才能重視な分、対応できる人類が限られる。だから私は魔物を研究する。そしてどんな人間でも最低限対処できる様な魔道具を作って広める」
直接倒すのではなく、その地位を貶める。
「その初めの研究材料になるなんて屈辱でしょ?」
それが彼女なりの復讐だった。
魔法をかけ終わったシュラハトはヘルズの方へ振り返る。
「復讐は兎も角、人類全てを魔物へ対処可能にするには長い時間がかかる。それで良いのか」
「せっかく長生きできるんだ……千年か二千年か、まぁ気長にやるよ」
その方法にはある程度の説得力があった。
ヘルズが生まれて百年近く。人間としては長いが長命者から見ればあまりに短い赤子同然の年齢。下駄を履いているとはいえそれだけ幼い彼女が、ましてや魔法を直接使えない彼女が、力で大きく勝る魔物に勝った。
シュラハトは理解した。
“言葉を話す魔物”はいつしか、人類の敵対種から単なる危険生物に成り下がる。
「それが聴きたかった」
だから彼はここに来た。はるか未来で“全知の魔族”と恐れられる彼が、その未来の全てを手中に収めるために。
「それはどう……」
ヘルズの体がぐらりと揺れた。そのまま床に崩れ落ちる。
鼻から多量の鼻血が流れている。息をするごとに血の匂いが彼女の肺を満たした。
「………いう、こ…と?」
何が起きたかわからなかった。パチパチと頭の中から音が鳴ってた。頭が熱い。数千℃の鉄釘を脳に直接押し込まれたようだ。痛い、熱い、苦しい。この痛みを取り除きたい。
そう考えているうちに手足の感覚が遠くへ離れていく。だが次第に痛みも恐怖も薄れ始めた。
「ぉえ」
ヘルズの脳にはシュラハトの魔法により数千年分の情報が一気に流し込まれていた。いくらエルフの脳が優秀であろうが関係ない、記憶の濁流。
自分を塗り潰す他人の記憶にヘルズの
◇ ◇ ◇
「ご尊顔を拝して恐悦至極に存ずる。私の名はシュラハト」
シュラハトは恭しく頭を下げた。
「大魔法使いゼーリエ。貴女と数千年後の戦争について話すべきことがあり参上した」
ようやく、化け物2人の会談が始まる。