怪異憑きの幼馴染を救う方法は、美少女になった彼とキスし続けることでした   作:化け猫 いろは

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第4話 「SNSに棲む神様」ー1

あれから、数日が経った。

地獄の釜の底が抜けたかのような、あの悪夢の一夜から。

俺、識静馬(しき しずま)の日常は、その形を大きく、そして決定的に変えてしまった。

 

ちりん、と店の扉に付けられた真鍮のベルが、乾いた音を立てる。

ほとんど客の来ない古書店『天逆堂(あまのさかどう)』。その時報のような音に、俺はカウンターの奥、指定席である木製の椅子に腰掛けたまま、気のない声を張り上げた。

 

「いらっしゃいませー」

 

視線の先にあるのは、埃をかぶった民俗学の専門書。だが、その文字は少しも頭に入ってこない。俺の意識の半分は、店の外……いや、この古書店全体を取り巻く、粘りつくような異質な気配を探ることに割かれていた。

 

あの日以来、それは日に日に濃度を増している。

俺と、隣の客間で今は呑気に昼寝をしているであろう親友が放つ、甘美なまでの生命の香り。それは、闇に蠢く飢えた怪異どもにとって、極上のご馳走の匂い以外の何物でもない。

結果、この『天逆堂』は、街中の荒神どもが涎を垂らしながら集まってくる、いわば三ツ星レストランのような有様と化していた。

 

幸い、識家代々に伝わる結界が、かろうじて低級な雑魚どもの侵入を防いではいる。だが、それも時間の問題だろう。結界の表面を、カリカリと何かが引っ掻くような不快な音が、霊的な聴覚を持つ者になら一日中聞こえている。正直、心安らぐ暇なんて、一秒たりともありはしなかった。

 

(……面倒くさい)

 

心の底から、深いため息が漏れた。

あの忌々しい宿命を受け入れ、親友を助けると決めたはいいが、その代償はあまりにも大きい。俺が望んだ、退屈で平穏な日常は、もはや神話の時代の遺物よりも遠い場所へと過ぎ去ってしまった。

 

───いや、誰のせいだと思ってんだ、誰の! そもそも、あいつが好奇心という名の自爆スイッチを押して、特級危険区域に単独でカチコミかましたのが全ての元凶だろうが! 俺は被害者だ! なのに、なんで俺がこんな、街中のゴキブリホイホイみたいな役割を担わなきゃならんのだ! 割に合わなすぎるだろ、このクソゲーは!

 

脳内で、もはや日課となったフルスロットルのツッコミを展開していると、店の奥、居住スペースへと続く廊下から、ぱたぱたと軽い足音が聞こえてきた。

そして、ひょこり、とカウンターの陰から顔を覗かせたのは。

 

「おーい、シズマ。なんか面白い本、入った?」

 

濡れたような艶のある、腰まで届く長い黒髪。

磨りガラス越しの日差しを受けて、透けるように白い肌。

大きな、潤んだ黒い瞳。

その完璧な美貌を持つ少女が、俺の貸した、ぶかぶかのTシャツ(着古したロックバンドのツアーTだ)をワンピースのように着こなし、こてん、と首を傾げている。

その、あまりにもアンバランスで、あまりにも心臓に悪い光景に、俺の胃が再びきりりと痛んだ。

 

「……ハルキ。てめえ、客がいるかもしれねえんだから、あんまり店の方に出てくんなって言ってるだろ」

俺は、できるだけ平静を装い、低い声で言った。

そう。この絶世の美少女こそ、俺の日常を粉砕した張本人であり、唯一無二の親友であり、そして、現在進行系で俺の頭痛の種である、日野陽輝(ひの はるき)その人だった。

 

「えー、だって暇なんだもん。それに客なんて、さっきから誰も来てねえじゃん」

「来るかもしれねえだろうが。もし客が来て、お前のその姿を見たらどうなるか、少しは考えろ」

「どうって……『うわ、この古本屋、店員の趣味か、あるいは店長がヤバいロリコンか、どっちかだな』って思われるくらいだろ?」

「その結果、俺の社会的生命が終わるだろうがッ!」

 

思わず声を荒らげてしまった。

ハルキは、悪びれる様子もなく「冗談だよ、じょーだん」と舌を出して笑っている。その仕草の、いちいちが、心臓に悪い。見た目は完璧な美少女なのに、中から出てくる言動は、ガサツでデリカシーのない、十九歳の男子大学生のそれなのだ。このギャップという名の精神攻撃に、俺はもう何百回とHPを削られてきた。

 

「それより、腹減ったんだけど。昼飯まだ?」

「まだだ。今は昼の二時だぞ。とっくに食っただろうが、俺も、ばあちゃんも」

「あれ? そうだっけ? なんか、この身体になってから、腹は減らないんだけど、口寂しくなるっつーか……」

そう言って、ハルキは自分のTシャツの裾を、所在なさげにいじっている。

半人半怪異と化した彼の身体は、厳密には食事を必要としない。彼の生命活動を支えているのは、ただ一つ。俺が、毎晩、唇を通して分け与えている、霊力だけなのだから。

 

───毎晩。キス。

その単語を思い出した瞬間、俺の顔にカッと血が上る。

そうだ。あれから、毎晩、俺たちはあの儀式を繰り返している。魂を繋ぎ止めるための、霊力供給。通称、キス。

最初は地獄のようだった。だが、慣れとは恐ろしいもので、三日も続ければ、それはもはや歯磨きか何かのような、日常のルーティンと化していた。……いや、慣れたなんて口が裂けても言えるか。毎晩、俺の理性は、断頭台にかけられる罪人の気分を味わっている。

 

「……腹が減ってなくても、時間は守れ。人間としての生活リズムを崩したら、精神まであっち側に引っ張られるぞ」

俺は、自分に言い聞かせるように、そう言った。

そうだ。こいつを、人間に戻す。そのために、俺は戦うと決めたのだ。

 

「へーへー、ご忠告どうも。……あ、そうだ」

何かを思い出したように、ハルキがぱんと手を叩いた。そして、自分の尻のポケット(スウェットパンツを下に履いている)から、スマホを取り出す。

 

「面白いネタ、見つけちまったんだよ。シズマ、これ見ろよ」

そう言って、ハルキはカウンターを回り込み、俺の隣にぴたりとくっついてきた。ぶかぶかのTシャツから、シャンプーの甘い香りがふわりと漂い、俺の心臓が嫌な音を立てて跳ねる。

 

───近い近い近い! パーソナルスペースという概念を、こいつの頭にインストールする方法を、誰か俺に教えてくれ! 頼むから!

 

俺の内心の絶叫などお構いなしに、ハルキはスマホの画面を俺の目の前に突きつけた。

表示されているのは、有名なSNSアプリのタイムライン。

そこには、いかにもな若者言葉で書かれた、一つの投稿があった。

 

『【拡散希望】マジでヤバい都市伝説見つけたかも!

 場所は、〇〇駅前の歩道橋。

 あそこの上で、夜中にスマホの画面に願い事を入力して、空に掲げると、〝ヒサカタノカミ〟っていう神様が現れて、マジで何でも願いを叶えてくれるらしい。

 金、恋人、なんでもOK。

 ただし……その代償として、自分の一番大切な『記憶』を、一つだけ持っていかれるんだって。

 俺の友達、マジでやった奴いて、そいつ、昨日まで付き合ってた彼女のこと、マジで全部忘れてた……。マジで鳥肌立ったわ。

 信じるか信じないかは、あなた次第です。 #都市伝説 #怪奇現象 #ヒサカタノカミ』

 

「……なんだ、これ」

俺は、眉をひそめた。

よくある、ありきたりな都市伝説。ネットの海には、こんな与太話が星の数ほど転がっている。

 

「ただの作り話だろ。くだらん」

俺がそう吐き捨てると、ハルキは「まあ、最後まで聞けって」と、得意げに唇の端を吊り上げた。

「この投稿、最初はただのオカルト好きの間でバズってただけだったんだけどさ。ここ数日で、なんか様子がおかしいんだよ」

ハルキは、画面をスワイプし、その投稿にぶら下がっているリプライを俺に見せた。

 

『これ、ガチです。試しに「宝くじ当たれ」って願ったら、マジで3000円当たった。でも、飼ってた犬の名前が思い出せない……』

『私も、好きな人と付き合いたいって願ったら、次の日、マジで告白されました。代償は、小学生の時の修学旅行の記憶でした。まるごと消えてます』

『やめとけ。絶対にやめとけ。俺は、病気の母親が治るように願った。病気は、奇跡的に快方に向かった。……でも、俺は、母親の顔が思い出せなくなった』

 

ぞわり、と背筋に冷たいものが走った。

一つ一つは、ありふれたネットの書き込みだ。悪戯や、便乗した嘘も多いだろう。

だが、その数。そして、妙に生々しい、ディテールの細かさ。

それは、ただの作り話で片付けるには、あまりにも、気味が悪かった。

 

「……どう思うよ、これ?」

ハルキが、俺の顔を覗き込んでくる。その瞳は、もはや好奇心で爛々と輝いていた。トラブルメーカーの血が、騒いでいるのだ。

「どう、って……」

 

俺は、言葉を濁した。

ヒサカタノカミ

聞いたことのない神名だ。少なくとも、俺が古文書で読んだ、天津神や国津神の系譜には存在しない。

だが、この現象。願いを叶える代償に、記憶を奪う。

それは、紛れもなく、この世ならざるモノの仕業だ。信仰や噂話を糧とし、人間に限定的な「ご利益」と、それに見合った「代償」を要求する。

典型的な、荒神の手口だった。

 

「面白そうじゃん! 調査に行こうぜ、シズマ!」

ハルキが、目を輝かせて言った。その声は、これから遊園地にでも行くかのように、弾んでいる。

 

───ほら、始まった。出たよ、こいつの致死量超えの好奇心! なんでこいつは、懲りるということを知らないんだ! つい数日前、その好奇心のせいで、死にかけた(というか、ほぼ死んだ)ばかりだろうが! 学習能力は、母親の腹の中にでも忘れてきたのか!?

 

「……勝手にしろよ」

俺は、反射的に、いつもの口癖を吐き捨てていた。

「俺は行かん。お前一人で行って、今度は記憶じゃなくて、魂ごと全部持っていかれればいい」

「うわ、ひでえ言い草! でも、お前がそうやって突き放すってことは、逆に言えば、これは『本物』だって認めてるってことだよな?」

 

くそっ。長年の付き合いで、こいつは俺の「偽悪者語」を完璧に翻訳するスキルを身につけてしまっている。

俺が本当に面倒で、関わる気がない時は、「ふうん」と相槌を打つだけだ。わざわざ「勝手にしろ」と強く言う時は、心の底では「危ないから行くな馬鹿野郎」と思っていることの裏返しなのだ。

 

「……うるせえな。俺は店番があるんだよ。忙しいんだ」

「どこがだよ。さっきからハエ一匹入ってきてねえじゃんか」

 

ぐうの音も出ない。

だが、それでも、俺は首を縦に振るわけにはいかなかった。これ以上、面倒ごとを増やすのは、ごめんだった。

そう、ごめんだった、のだが。

 

ふと、俺は店の外に意識を向けた。

結界の外側。

そこに渦巻いている、無数の荒神たちの気配。

その気配が、ここ数日で、明らかに数を増し、そして、より悪質で、より飢えたものへと変質していることに、俺は気づいていた。

このまま、この古書店に籠城を続けていても、いずれは限界が来る。より強力な荒神が、この甘い匂いを嗅ぎつけて、結界を破りに来るのは時間の問題だ。

 

───待ちの姿勢じゃ、ジリ貧か。

 

それに、この「ヒサカタノカミ」とやらを放置しておけば、被害はさらに拡大するだろう。記憶を失う、というのは、魂の一部を削り取られることと同義だ。それを繰り返せば、人間は心を失い、ただの抜け殻になってしまう。

それは、ハルキが陥った状況と、本質的には同じことだ。

 

(……気に、食わねえ)

 

そうだ。

腹が立つ。

神だか何だか知らないが、人間の弱みに付け込んで、魂を弄ぶようなやり方が。

そして、そんな奴が、のうのうとこの街で好き勝手やっているという事実が。

 

「……チッ」

俺は、短く舌打ちをすると、ガシガシと、乱暴に頭をかきむしった。

その俺の態度を見て、ハルキは「お?」と、期待に満ちた声を上げる。

 

「……おい、ハルキ」

「なんだよ、シズマ!」

「その歩道橋、場所はどこだ」

 

俺がそう言った瞬間。

ハルキの顔が、ぱあっと、満開の向日葵のように輝いた。

「マジで!? 来てくれるのか!」

「勘違いすんな。俺は、ただの散歩だ。たまたま、お前と同じ方向に用事があるだけだ」

 

素直じゃない、我ながらひねくれた物言い。

だが、ハルキは、そんな俺の強がりなど、百も承知だった。

 

「へへっ、サンキュな、相棒!」

「誰が相棒だ」

 

俺は、そう吐き捨てると、カウンターの奥にかけてあった、埃っぽいジャケットを羽織った。

そして、店の入り口に掛かっている『準備中』の札を、『本日休業』の札へと、裏返す。

ちりん、とベルが鳴る。それは、客の入店を告げる音ではなく、これから始まる、新しい戦いの始まりを告げる、ゴングの音だった。

 

(……ああ、クソ。ほんと、面倒くさい)

 

心の底から、そう思う。

だが、その面倒くさい日常を、自ら選んでしまったのも、また、俺なのだ。

 

俺は、隣で目を輝かせている、絶世の美少女の姿をしたトラブルメーカーの頭を、くしゃりと一度だけ、乱暴に撫でた。

「行くぞ。……さっさと、終わらせる」

 

こうして、俺たちの、最初の〝仕事〟が、始まった。

それは、SNSに棲みつき、現代人の孤独を喰らう、悲しい神様との、邂逅の始まりだった。

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