怪異憑きの幼馴染を救う方法は、美少女になった彼とキスし続けることでした   作:化け猫 いろは

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第4話 「SNSに棲む神様」ー2

古書店『天逆堂』の『本日休業』の札が、秋の夕暮れを告げる気怠い風に揺れている。

俺、識静馬(しき しずま)は、自分の人生においても、とうとう『平穏休業』の札を掲げる羽目になったらしい。その原因を作った張本人は、俺の隣で、まるで初めて遊園地にでも来た子供のように、目をきらきらと輝かせている。

 

「うおー! シズマ、見ろよ! 駅前、すげえ人だな!」

「……当たり前だろ。ターミナル駅なんだから。それより、はしゃぐな。目立つ」

 

俺は、自分の数倍はあろうかという生命力に満ち溢れた声に、低い声で釘を刺す。

美しい少女の姿をした親友──日野陽輝(ひの はるき)は、そんな俺の小言などどこ吹く風で、雑踏の中をすり抜けるように先へと進んでいく。その華奢な身体が、人波に呑まれて見失いそうになるたびに、俺の胃は無駄にきりりと痛んだ。

 

───クソッ、なんで俺がこいつの保護者みたいな真似をしなきゃならんのだ! こいつのせいで俺の日常はスクラップ&ビルドならぬスクラップ&スクラップだというのに! しかも、あの姿でうろちょろされると、周囲の男どもの視線が鬱陶しくてかなわん! 俺がヤバい趣味の男だと思われてるじゃねえか! 違う! 断じて違うぞ!

 

脳内で全力の自己弁護を展開しながら、俺たちは数分ほど歩き、目的の場所にたどり着いた。

駅前のロータリーを跨ぐように架けられた、古びた歩道橋。

ハルキが見つけてきたSNSの都市伝説、『ヒサカタノカミ』が出現するという、今回の事件の舞台だ。

 

「……ここ、か」

 

歩道橋の下まで来て、俺は思わず足を止めた。

駅前の喧騒が、嘘のように遠のく。いや、物理的な音量が小さいわけではない。この場所だけが、周囲の活気から切り離されたかのように、異質な空気を纏っていたのだ。

 

歩道橋そのものは、どこにでもある変哲のない代物だ。コンクリートは黒く汚れ、手すりの塗装は剥げ落ち、所々に醜い錆が浮いている。だが、問題は、その上を行き交う人々の姿だった。

誰もが、一様に、俯いている。

その視線の先にあるのは、例外なく、スマートフォンの青白い画面。

友人同士らしき若者も、幼い子供の手を引く母親も、疲れきった様子のサラリーマンも、皆、そこに映し出される虚構の世界に魂を奪われ、現実の風景には目もくれていない。すれ違う際に肩がぶつかっても、舌打ち一つで謝罪の言葉もない。そこにあるのは、コミュニケーションの不在。希薄な人間関係。無関心という名の、現代の病巣そのものだった。

 

「……うわ。なんか、気味悪ぃな、ここ」

 

隣に立つハルキが、珍しく素直な嫌悪感を声に滲ませた。彼のオカルトマニアとしてのセンサーが、この場所の異常性を敏感に感じ取っているのだろう。

「空気、分かるか?」

「おう。なんていうか……ジメジメしてる。湿気が多いっていうのとは違う、もっとこう、精神にまとわりつくみてえな、嫌な感じだ」

 

ハルキの感覚は正しい。

この歩道橋には、人間の負の感情が、まるで排水溝に溜まるヘドロのように、澱んで、凝縮していた。

俺はジャケットのポケットに手を突っ込むと、意識を集中させ、ゆっくりと瞼を持ち上げた。

 

───《見鬼の眼(けんきのがん)》、限定解放。

 

カッ、と、瞳の奥に淡い金色の紋様が浮かび上がる。脳を針で刺すような、慣れた痛みが走る。

瞬間、俺の世界から色彩が剥がれ落ち、万物が持つ魂の輪郭と、霊的な本質だけが浮かび上がった。

 

「…………これは」

 

思わず、息を呑む。

目の前の光景は、俺の想像を、遥かに超えておぞましいものだった。

歩道橋を行き交う、俯いた人々。

その一人一人の身体から、紫黒色の、あるいは、鉛色の靄(もや)のようなものが、ゆらゆらと立ち上っているのが視えた。

 

あれは、負の感情の可視化された姿だ。

『誰も私を理解してくれない』という孤独

『あの人の方が私より恵まれている』という嫉妬

『もっと「いいね」が欲しい』という、底なしの承認欲求

『現実なんて見たくない』という逃避願望

 

それらの、人間の弱さそのものである負のオーラが、人々がスマホの画面を覗き込むたびに、その濃度を増していく。そして、立ち上った靄は、まるで目に見えない川の流れのように、ゆっくりと、しかし確実に、一つの場所へと吸い込まれていっていた。

 

歩道橋の、ちょうど中央。

何もないはずの、その空間。

そこだけが、陽炎のようにぐにゃりと歪み、周囲の空間から切り離されたかのような、漆黒の『染み』となっていた。

人々から流れ出た負の感情は、すべて、あの黒い染みへと、まるで生贄のように捧げられていたのだ。

 

「……どうした、シズマ? 何か視えたのか?」

俺が黙り込んだのを訝しんだのか、ハルキが心配そうに顔を覗き込んでくる。俺は《見鬼の眼》を閉じ、走り出した頭痛をこめかみを押さえてこらえながら、重い口を開いた。

 

「……ああ。視えたよ。最悪の餌場がな」

「餌場?」

「そうだ。ここは、人間の負の感情を効率よく収集するための、巨大な『養殖場』にされてる。あの都市伝説は、そのための撒き餌だ」

 

俺の言葉に、ハルキは「なるほどな」と納得したように頷いた。

「『願い事を入力して、空に掲げる』って行為が、つまりは『お供え物を差し出す儀式』そのものになってるってわけか。空に掲げたスマホの画面が、祭壇代わり。で、入力された願い事が、祝詞。……だとしたら、代償の『記憶』ってのは?」

「捧げられた負の感情だけじゃ足りない、メインディッシュみたいなもんだろうな。記憶は、魂の記録そのものだ。栄養価が違う」

 

俺たちは、歩道橋の階段をゆっくりと上り始めた。

一歩、足を踏み入れるごとに、空気の密度が濃くなっていくのが肌で分かる。まとわりつくような霊的な圧力が、全身を締め付けてくる。

周囲の人々は、俺たちの存在など、まるで意に介していない。誰もが、自分の掌の中にある小さな世界に夢中で、そのすぐ隣で、自分たちの魂の一部が喰われていることになど、気づきもしない。

 

───空を見ない人々。いや、見ようとしない人々、か。

星空の神が、信仰を失って荒神と化した、という話は古文書にもあった。だが、これは、もっと現代的で、もっと悪質だ。

人々は、自らの意志で空を見ることをやめ、手元の偽りの星に祈りを捧げている。神は、それに答えているだけ。歪んでいるが、そこには確かに、需要と供給の関係が成り立っている。

 

「……なあ、シズマ」

歩道橋の中央、あの黒い染みが渦巻く真上まで来た時、ハルキがぽつりと言った。

「こいつら、自分が何を失ってるのか、分かってんのかな」

その声には、いつもの軽薄さはない。ただ、静かな、そして、どこか哀れむような響きがあった。

 

「……分かってねえだろうな」

俺は、吐き捨てるように答えた。

「失ったものに気づくのは、いつだって、全てを失くしちまった後だ。……お前みたいにな」

「うっせ」

 

憎まれ口を叩きながらも、俺たちは同じものを見ていた。

夕暮れの空。

高層ビルのシルエットの向こうに、太陽が最後の光を投げかけ、空を燃えるような茜色に染め上げている。一番星が、どこかで瞬き始めているはずだ。

それは、スマホの画面なんかより、ずっと雄大で、ずっと美しい、本物の世界の姿。

だが、この歩道橋の上で、その光景に気づいている者は、俺たち二人を除いて、誰一人としていなかった。

 

やがて、最後の光が地平線の向こうに消え、夜の帳(とばり)が、ゆっくりと街を覆い始める。

街灯が灯り、ビルの窓にネオンが輝き出す。

それと同時に、俺たちの足元にある、あの黒い染みの渦が、明らかにその勢いを増した。

ごぽり、と、まるで沼の底から泡が湧き立つような、霊的な異音が、俺の耳にだけ聞こえてくる。

 

「……来るぞ、ハルキ」

俺は、ジャケットの内ポケットに忍ばせてきた、数枚の護符の感触を確かめながら言った。

ハルキも、悪戯っぽい笑みを浮かべると、こきり、と首の骨を鳴らす。その瞳には、恐怖ではなく、強敵を前にした武者のような、好戦的な光が宿っていた。

 

「ああ。待ちくたびれたぜ」

 

夕食の時間を知らせるチャイムが、どこか遠くで鳴り響く。

それは、この街に住む人々にとっては、ありふれた日常の合図。

だが、俺たちにとっては。

これから始まる、神様とのディナータイムを告げる、ゴングの音だった。

 

「──さあ、主役のお出ましだ」

 

俺は、闇が濃くなった空間の歪みを睨みつけ、静かに呟いた。

餌は、十分に集まった。

腹を空かせた神様が、その姿を現すまで、あと、もう少し。

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