怪異憑きの幼馴染を救う方法は、美少女になった彼とキスし続けることでした   作:化け猫 いろは

13 / 33
第4話 「SNSに棲む神様」ー3

終電の喧噪が遠くの闇に吸い込まれていくと、駅前のロータリーを支配していた光と音の洪水は、まるで嘘だったかのように急速に萎んでいった。あれほどひっきりなしに人々が行き交っていた歩道橋の上には、今や俺、識静馬(しき しずま)と、その隣で神妙な顔をして腕を組む美少女──の皮を被った親友、日野陽輝(ひの はるき)の二人だけが、置き去りにされたように立っている。

 

「……行ったな」

「ああ、行ったな」

 

ハルキの呟きに、俺は短く応じる。

昼間の、あの魂の抜けた人々でごった返していた光景が、まるで遠い昔の出来事のようだ。今はただ、冷たい夜風がコンクリートの上を吹き抜け、空虚な口笛のような音を立てているだけ。街灯の頼りないオレンジ色の光が、俺たちの足元に長い影を二つ、引き伸ばしていた。

 

静かだ。

だが、それは決して心地の良い静寂ではなかった。

物理的な音が消え去った代わりに、霊的な〝雑音〟が、その濃度を増していくのが肌で分かる。じっとりとした、粘り気のある圧力が、四方八方から俺たちの身体を締め付けてくる。例えるなら、水圧の異常に高い、深海の底にいるような感覚。

 

「……シズマ。なんか、さっきよりヤバくなってないか?」

ハルキが、ごくりと喉を鳴らして言った。いつもの軽薄さは鳴りを潜め、その声には隠しきれない緊張が滲んでいる。彼の、半人半怪異と化した身体が、この場の異常な霊的飽和状態に敏感に反応しているのだ。

「ああ。溜まってやがる」

俺は、ジャケットのポケットに両手を突っ込んだまま、歩道橋の中央、その一点を睨みつけた。

《見鬼の眼》を使わずとも、分かる。

昼間、人々から流れ出ていた負の感情──孤独、嫉妬、承認欲求、逃避願望──のヘドロが、この数時間で完全に満たされ、今にも溢れ出さんばかりに臨界点へと達している。

 

空気中の霊的な粒子が、まるで磁場に引き寄せられた砂鉄のように、その一点へと収束していくのが視えるようだ。

空間そのものが、悲鳴を上げている。

現実と、人ならざるモノが住まう幽世(かくりよ)との境界が、この歩道橋の中央の一点において、極限まで薄まっているのだ。

 

───そろそろ、だな。

腹を空かせた神様が、ディナーの席に着く時間だ。

 

俺がそう確信した、まさにその瞬間だった。

 

ごぽり、と。

 

耳に聞こえる音ではない。

魂に直接響くような、粘着質で、不快な異音。

まるで、澱んだ沼の底から、メタンガスの泡が一つ、浮き上がってきたかのような。

その音と共に、俺たちが睨みつけていた歩道橋の中央の空間が、陽炎のようにぐにゃりと歪んだ。アスファルトの模様が、コンクリートの手すりが、まるで水面に映った景色のように、その輪郭を曖昧に揺らがせる。

 

「……来たな」

俺の呟きに、隣のハルキが息を呑むのが分かった。

空間の歪みは、徐々にその範囲を広げていく。そして、その中心に、ぽつり、と小さな光点が生まれた。

それは、どこまでも冷たい、青白い光だった。

スマートフォンの液晶画面が放つ、無機質で、感情のない光。

 

光点は、瞬く間に数を増していく。

一つが二つに、二つが四つに。まるでデジタルな細胞分裂を繰り返すかのように、無数の光の粒子が虚空から湧き出し、互いに引き寄せられ、一つの形を成そうと蠢き始めた。

 

それは、およそこの世のあらゆる生命の誕生シーンとは、かけ離れた光景だった。

そこには、温かさも、荘厳さも、神秘のかけらもなかった。

あるのはただ、プログラムされた機械が、命令通りにパーツを組み立てていくかのような、無感動で、無機質なプロセスだけ。

 

やがて、光の集合体は、ぼんやりとした人型を形成し始めた。

細い手足。すらりとした胴体。そして、頭部。

その輪郭は、まるで電波状態の悪いテレビ映像のように、常にノイズをまとって明滅し、安定しない。ざらついた光の粒子が、その身体の表面を絶えず走り、その姿を一瞬たりともはっきりと結ばせることを拒んでいる。

 

「……あれが……《ヒサカタノカミ》……」

 

ハルキが、掠れた声で呟いた。

そうだ。あれが、現代の都市伝説が生み出した、新しい神の姿。

スマホの光を依り代とし、人々の孤独を糧とする、忘れられた星の神の成れの果て。

 

光の人型は、やがて完全にその姿を現した。

性別は、ない。顔にあたる部分には、のっぺらぼうのように、目も鼻も口も存在しない。ただ、冷たい液晶の光が、そこから発せられているだけ。

それは、神々しいというより、むしろ、ひどく空虚で、哀しい存在に見えた。

誰かの願いを、祈りを聞き届けるには、あまりにも空っぽすぎる。

 

荒神は、しばらくの間、その場で微動だにしなかった。

ただ、そこに《いる》だけ。

まるで、OSが起動し、システムが安定するのを待っているかのようだ。

やがて、その、のっぺらぼうの顔が、ゆっくりと、ぎこちない動きで左右に振られた。獲物を探しているのだ。この養殖場に満ちた、新鮮な餌を。

 

その時だった。

 

カツ、カツ、と。

階段の方から、乾いた足音が聞こえてきた。

俺とハルキは、弾かれたようにそちらを向く。

そこにいたのは、一人の、大学生くらいの若い男だった。

耳にはワイヤレスイヤホン。その視線は、手にしたスマホの画面に釘付けになっている。指先は、慣れた手つきで高速で画面をフリックし、タイムラインに流れてくる短い動画を、次から次へと消費している。

周囲の景色など、一切目に入っていない。

この歩道橋に満ちた、異様な霊的圧力にも、まったく気づく様子はない。

 

───出やがった。最悪のタイミングで。

俺は内心で悪態をつく。

あれこそが、この荒神にとって、最高のターゲットだ。

現実から目を逸らし、掌の中の小さな世界に没頭する、孤独な魂。

 

俺は、すぐさま《見鬼の眼》を限定的に解放した。

瞳の奥が熱を帯び、視界から色が失せる。

若者の身体から立ち上る、魂のオーラが視えた。

それは、ひどく弱々しく、そして、あちこちがささくれ立った、くすんだ灰色をしていた。その灰色のオーラの周囲には、まるで粘着テープのように、いくつもの黒い感情の澱がへばりついている。

 

『どうして誰も、俺の投稿に「いいね」してくれないんだ』

『あいつは、あんなに人気者なのに』

『俺なんて、いなくても、誰も気にしない』

 

脳内に、彼の魂が発する、声なき声が流れ込んでくる。

典型的な、現代の承認欲求と、それに伴う自己肯定感の欠如。

彼がスマホの画面に求めているのは、情報や娯楽ではない。ただ、誰かに認められたい、ここにいてもいいのだと許されたい、という、赤ん坊のような純粋で、切実な渇望だった。

そして、その渇望こそが、荒神にとって、何よりも甘美な蜜の香りなのだ。

 

案の定、青白い光の人型が、ぴくり、と反応した。

のっぺらぼうの顔が、ゆっくりと、若者の方へと向けられる。

それは、捕食者が、獲物を見つけた瞬間の動きだった。

 

荒神は、音もなく、すうっと、若者に向かって滑るように移動を始めた。

その動きには、一切の体重が感じられない。まるで、地面から数ミリ浮いているかのようだ。

若者は、まだ、何も気づかない。

イヤホンから流れる軽快な音楽と、画面の中で繰り広げられる他人の華やかな日常が、彼の五感を完全に支配している。

 

「おい、シズマ! あれ、ヤバいんじゃねえか!?」

ハルキが、焦ったように小声で言う。

「分かってる」

俺は、ジャケットの内ポケットに忍ばせた護符に、いつでも取り出せるように指をかけていた。

だが、まだ動けない。

下手に手を出せば、無関係な若者を、俺たちの戦いに巻き込んでしまう。最悪、霊的な攻撃の余波に当てられて、精神に異常をきたす可能性だってある。

助けるなら、一撃で。

相手が、若者から完全に興味を失うような、鮮やかな一撃で。

 

その機会を、俺は息を殺して窺っていた。

 

荒神は、若者の背後、一メートルほどの距離で、ぴたりと動きを止めた。

そして、そのノイズの走る腕を、ゆっくりと、本当にゆっくりと、持ち上げていく。

指先にあたる部分の光が、きらりと強く明滅した。

狙いは、頭。

魂の記録媒体であり、記憶の中枢である、脳。

 

若者は、何も気づかない。

彼は、歩道橋の中央で立ち止まると、ふと、何かを思い立ったように、スマホの検索窓に、ある言葉を打ち込み始めた。

 

『カネモチニナリタイ』

 

そして、SNSの噂を思い出したのだろう。

彼は、その画面を、まるで祈りを捧げるかのように、夜空へと掲げた。

その、あまりにも愚かで、あまりにも哀れな儀式が、引き金だった。

 

「──―■■■■■■■■■■■」

 

荒神が、初めて、声を発した。

それは、言葉ではなかった。

壊れたスピーカーから流れる、耳障りなノイズのような音。

その音と同時に、その手が、若者の後頭部へと、寸分の狂いもなく、伸ばされる。

 

物理的な接触はない。

だが、荒神の指先が、若者の頭蓋を、オーラを、魂の領域を、まるで存在しないかのように透過し、その内部へと侵入していくのが、俺の《見鬼の眼》にははっきりと視えた。

 

「あ…………」

 

若者の口から、間の抜けた声が漏れた。

彼の瞳から、急速に光が失われていく。焦点が合わなくなり、その表情は、まるで魂の抜け落ちた人形のように、虚ろになっていく。

スマホを掲げていた腕が、だらり、と力なく垂れ下がった。

 

喰われている。

彼の、最も古い、そして、おそらくは最も幸せだったであろう、『家族との記憶』が、青白い光の糸となって、脳から引きずり出されていく。

その光景は、あまりにも静かで、あまりにも一方的で、そして、あまりにも、冒涜的だった。

 

───今だッ!

 

「ハルキッ!!」

 

俺の叫びは、命令ではなかった。

ただ、相棒の名を、呼んだだけ。

だが、それで、十分だった。

 

「おうよッ!」

 

俺の隣で、弾丸のように飛び出した影。

ハルキは、その美少女の姿からは想像もつかないほどの俊敏さで、一直線に若者へと駆け寄る。

そして、記憶を抜かれて虚ろになっている若者の身体を、力強く突き飛ばした。

 

「うおっ!?」

突き飛ばされた若者は、数メートル先で尻餅をつき、そこでようやく我に返ったように、呆然と俺たちを見ている。

そして、その若者がいた場所に、ハルキが、仁王立ちになって立ちはだかっていた。

 

荒神の、青白い指先は、今や、ハルキの額の寸前で止められている。

突然の妨害に、荒神の、のっぺらぼうの顔が、わずかにこちらを向いたのが分かった。

液晶の光が、苛立つように、激しく明滅している。

 

「よぉ」

ハルキは、不敵な笑みを浮かべ、荒神に向かって、挑発するように言った。

その華奢な身体からは、俺が分け与えた黄金の霊力と、そして、彼女自身の内に秘めたる《啼哭の花嫁》の、禍々しい神気が、オーラとなって立ち上っている。

荒神にとって、目の前に現れた獲物は、先ほどの若者など比較にならないほどの、極上のご馳走に見えたことだろう。

 

「神様だってよ。ずいぶんと、安っぽくなったもんだな」

 

ハルキの挑発に、荒神の身体を構成する光の粒子が、怒りに震えるように、さらに激しくざわめいた。

餌を横取りされた捕食者の怒りが、歩道橋全体の空気を、びりびりと震わせる。

 

俺は、突き飛ばされた若者が、パニックを起こして逃げ出していくのを視界の端で確認しながら、ゆっくりとハルキの隣へと歩みを進めた。

そして、初めて、コンビとして、一体の荒神の前に立つ。

 

夕食の時間を知らせるチャイムが、どこか遠くで鳴り響く。

それは、この街に住む人々にとっては、ありふれた日常の合図。

だが、俺たちにとっては。

これから始まる、神様とのディナータイムを告げる、ゴングの音だった。

 

「──さあ、主役のお出ましだ」

 

俺は、闇の中で青白く発光する、空虚な神を睨みつけ、静かに呟いた。

餌は、十分に集まった。

腹を空かせた神様が、その姿を現した。

 

ならば、俺たちがやるべきことは、一つだけだ。

その歪んだ饗宴を、強制的に、終わらせる。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。