怪異憑きの幼馴染を救う方法は、美少女になった彼とキスし続けることでした 作:化け猫 いろは
冷たい夜気が、コンクリートの歩道橋を吹き抜けていく。
街灯のオレンジ色の光が、俺、識静馬(しき しずま)と、その隣で夜闇にさえ鮮烈に映えるほどの美貌を持つ相棒──日野陽輝(ひの はるき)の姿を、まるで舞台の上の役者のようにぼんやりと照らし出していた。
そして、俺たちの目の前。
スマートフォンの液晶画面のような、冷たく無機質な青白い光を放つ人型の荒神が、その感情のない貌(かお)を、明確な敵意をもって俺たちへと向けている。
「よぉ」
沈黙を破ったのは、ハルキだった。
彼は、その絶世の美貌に、見る者の度肝を抜くほど不敵な笑みを浮かべて、荒神に向かって挑発するように言った。
「神様だってよ。ずいぶんと、安っぽくなったもんだな」
その言葉が、引き金だった。
「───■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ!!」
荒神の、顔のないはずの顔から、再びあの、耳障りなノイズの塊のような咆哮が迸った。それは音というより、空間そのものを震わせる霊的な衝撃波だ。びりびりと、鼓膜だけでなく、魂の表面が直接震わされるような、凄まじい不快感。
同時に、荒神の身体を構成していた光の粒子が、怒りを表すかのように、激しく、そして凶暴に明滅を繰り返す。その青白い輪郭が、ぼわ、と一回り膨れ上がったように見えた。
───野郎、完全にキレてやがる。
俺はジャケットの内ポケットに忍ばせた護符の感触を確かめながら、内心で悪態をついた。
(この、煽りの天才がッ! なんでこいつは、初対面の相手(ただし神)に対して、最大級の喧嘩を売ることからコミュニケーションを始めようとするんだ! もう少しこう、穏便に事を進めるという選択肢は、お前の頭の辞書にはないのか!?)
だが、俺の内心のツッコミなどお構いなしに、ハルキは「お、怒った怒った」と、さらに火に油を注いでいる。その度胸というか、無謀さというか、生存本能の欠如っぷりには、もはや感心を通り越して呆れるしかない。
しかし、そのおかげで、荒神の注意は完全にハルキへと向いた。俺が動くための、貴重な時間を稼いでくれている。
(……やるしか、ねえか)
俺は、覚悟を決めた。
目の前のこいつは、ただの低級な怪異じゃない。人の願いを聞き届け、その代償を徴収するという、高度な霊的活動を行う、紛れもない「神」の成れの果てだ。生半可な護符や、付け焼刃の知識でどうにかなる相手ではない。
こいつを鎮めるには、その本質を、根源を、魂の設計図そのものを、丸裸にする必要がある。
つまり。
俺が、最も使いたくない、この血に刻まれた呪い。
その力を、本当の意味で、解放するしかない。
「ハルキ」
俺は、低い声で相棒の名を呼んだ。
「なんだよ、シズマ」
「……少しだけ、時間を稼げ。こいつの〝正体〟を、俺が丸裸にしてやる」
「正体? へへっ、面白そうじゃんか」
ハルキは、ちらりと俺に視線を向けると、にやりと口の端を吊り上げた。その瞳には、絶対的な信頼の色が浮かんでいる。
「了解、相棒。……まあ、あんまり長くはもたねえかもしんねえけどな!」
その言葉と同時に、ハルキは弾かれたように前方へと駆け出した。
「おらおら、神様のお通りだ! 道を開けな!」
美少女の姿からは想像もつかない、俊敏で、しなやかな動き。それは、彼が本来持っていた身体能力の高さと、半人半怪異となったことで得た、人間離れした身体強化の賜物だろう。
荒神は、自分に向かってくるハルキを迎え撃つべく、そのノイズの走る腕を振り上げた。腕は、まるでゴムのようにしなり、鞭のように鋭く、ハルキがいた場所を薙ぎ払う。
ゴッ、と鈍い音がして、コンクリートの手すりに深い亀裂が走った。とんでもない威力だ。まともに喰らえば、人間の身体など一撃でミンチだろう。
だが、ハルキはそれを、紙一重で身を屈めて回避していた。
「おっと、あぶねえな! 神様の攻撃ってのは、もっとこう、ビームとか出すもんじゃねえのかよ!」
軽口を叩きながら、ハルキは荒神の足元をすり抜けるように駆け、その注意を完全に自分へと引きつけていく。その姿は、猛牛を翻弄する、熟練のマタドールのようだった。
───今だ。
俺は、その隙を逃さなかった。
両の眼球に、意識を集中させる。
これまで、無意識の暴走や、限定的な解放しかしてこなかった、この忌まわしい力を。
今、この瞬間、自らの意志で、その枷を、完全に引きちぎる。
(来いよ。てめえの本当の力、見せてみやがれ)
(そして、俺の魂ごと、喰えるもんなら喰ってみやがれよ、このクソッタレの血がッ!!)
俺は、心の中で、自らの宿命そのものに、喧嘩を売った。
その、あまりにも不遜な引き金に、血は、歓喜の叫びをもって応えた。
「───《見鬼の眼(けんきのがん)》、最大解放ッ!!」
瞬間。
カッ、と、両の眼球が、内側から発火したかのような、凄まじい熱量に襲われた。
視界が、白く、完全に白く染め上がる。
脳を、直接、巨大な万力で締め上げられ、そのままミンチにされるかのような、想像を絶する激痛。これまで経験してきた頭痛など、ただの頭痛ごっこに思えるほどの、魂そのものが上げる悲鳴。
「ぐ……っ、あああああああああああああああああああああああああっ!!」
俺は、その場に膝から崩れ落ちた。
両手で頭を抱え、アスファルトに額をこすりつける。だが、そんな物理的な抵抗に、何の意味もなかった。
痛みは、外から来るのではない。
俺の、内側から、溢れ出してくるのだ。
視界を埋め尽くしていた純白の光が、徐々にその色を変えていく。
金色、黒、赤、青、緑。
ありとあらゆる色彩の情報が、暴力的なまでの濁流となって、俺の視神経を焼き切り、脳の奥深く、魂の記憶野へと、無慈悲に流れ込んでくる。
それは、もはや「視る」という行為ではなかった。
世界の、万物の、霊的な情報そのものと、俺の魂が、強制的に「接続」させられているのだ。
耳鳴りがする。
鼻の奥で、ぷつり、と血管の切れる感触があった。生温かい液体が、鼻腔を伝って流れ落ちてくる。
だが、そんなことは、どうでもよかった。
地獄のような苦痛の奔流の中で、俺の意識は、ただ一点。
目の前で青白く発光する、あの哀れな荒神の、その根源へと、深く、深く、潜行していく。
───視えろ。
───視えろ。
───視えろ視えろ視えろ視えろッ!!
───てめえの、正体を、過去を、魂の在り処を、何もかも、俺に差し出しやがれッ!!
俺の狂気にも似た意志に呼応し、情報の濁流は、一つの指向性を持ち始めた。
それは、目の前の荒神、《ヒサカタノカミ》が持つ、数千年にわたる記憶と、感情の奔流だった。
◇◆◇
最初に視えたのは、光だった。
それは、どこまでも優しく、どこまでも穏やかな、無数の光の瞬き。
満天の星空。
まだ、地上に街灯りのなかった、遥かなる神代の時代の夜。
人々は、その星の光を頼りに、旅をした。
『ありがとう、名もなき星の神様。あなたのおかげで、道に迷わずに済みました』
人々は、その星の光の下で、愛を語らった。
『どうか、あの人の隣に、ずっといられますように』
それは、ささやかで、温かい、純粋な「信仰」の光景だった。
星々は、ただそこにあるだけ。だが、人々は、その変わらぬ輝きの中に、神の姿を見出し、感謝と、願いを捧げていた。
その、無数の祈りを受けて、一つの、名もなき神が生まれた。
それが、久方ノ神(ひさかたのかみ)の、始まり。
彼の役割は、ただ一つ。夜空から、人々を、静かに見守り、その道を照らすこと。
それだけで、彼は満たされていた。幸福だった。
だが、時代は、流れる。
地上に、人の営みが満ち溢れ、やがて、夜を昼に変える、偽りの光が生まれた。
ガス灯。電灯。ネオンサイン。
街は、星空よりも明るくなった。
人々は、もう、空を見上げなくなった。
旅人は、地図とコンパスを頼りに歩き、恋人たちは、明るい街の喧騒の中で愛を囁くようになった。
久方ノ神の存在は、少しずつ、少しずつ、忘れられていった。
信仰という、神を神たらしめる糧を失い、彼の身体は、少しずつ、その輝きを失っていく。
それは、緩やかな、死の宣告だった。
『……誰か……』
脳内に、か細い、悲痛な声が響く。
『……我を、見てくれ……。我は、ここにいる……』
それは、神の、孤独な叫びだった。
誰にも届かない、忘れ去られた神の、魂の慟哭。
やがて、彼の意識は、長い、長い、闇の中へと沈んでいった。消滅、という名の、永遠の眠りへと。
───そのはず、だった。
どれほどの時が、流れたのか。
永遠の闇の底で、久方ノ神は、ふと、気づいた。
地上に、再び、無数の星が、瞬いていることに。
それは、かつて彼が見守っていた、空の星々とは違う。もっと地を這うような、低い場所で、青白く、無機質に点滅する、新しい光。
人々は、その小さな、掌の中の星を、一心に見つめている。
そして、その星に向かって、かつてのように、何かを囁いている。
祈っている。
『もっと金が欲しい』
『あの人を、私のものにしたい』
『私だけを、見てほしい』
それは、かつての純粋な祈りとは似ても似つかない、どす黒く、利己的で、粘着質な、人間の欲望の塊だった。
だが、数千年もの孤独に蝕まれていた久方ノ神には、その違いが、分からなかった。
いや、分かろうとしなかった。
(ああ、見つけた……)
(新しい、祈りの形を……)
(我は、まだ、忘れられてはいなかった……!)
歓喜だった。
彼は、その新しい「星(スマホ)」の光を、新しい「祈り(SNSへの願い)」を、必死に、貪るように、その身に取り込み始めた。
だが、その糧は、あまりにも歪で、あまりにも多くの負の感情を含んでいた。
人々の孤独を、嫉妬を、承認欲求を啜るうちに。
彼の神性は、少しずつ、しかし確実に、汚染され、歪められていった。
人々を見守り、道を照らすという、本来の役割は、忘れ去られた。
代わりに生まれたのは、願いを聞き届ける代償として、その者の魂の記録(記憶)を奪い取るという、歪んだ捕食者の本能だけ。
かつての、穏やかで優しい星の神は、死んだ。
そして、現代の孤独が生み出した、空虚で、哀れな荒神として、彼は、この歩道橋の上に、再臨したのだ。
◇◆◇
「…………はっ……! はぁっ……! げほっ、ごほっ……!」
情報の濁流から、俺の意識が、無理やり現実へと引き戻される。
俺は、アスファルトの上に大の字に倒れ込み、激しく咳き込みながら、荒い呼吸を繰り返していた。
頭が、割れるように痛い。
脳の血管が、すべて、ぶち切れてしまったのではないかというほどの、凄まじい激痛。
視界は、まだちかちかと明滅し、焦点が合わない。
鼻からは、まだ血が流れ続けている。
だが、俺の口の端には、いつの間にか、乾いた笑みが浮かんでいた。
(……そうかよ)
(てめえも、ただの……寂しがり屋、だったってわけか)
神の、数千年にわたる孤独と悲哀。
それが、あまりにも生々しく、俺の魂に流れ込んできた。
同情、と呼ぶには、あまりにも危険すぎる感情。
一瞬、俺の意識は、神の悲しみに引きずられ、その狂気に呑み込まれそうにさえなった。
───クソッ、人の感傷に付け込みやがって……!
俺は、朦朧とする意識の中で、必死に、得た情報を整理する。
数千年の記憶の中から、攻略の糸口となる、たった一つの真実を、手繰り寄せる。
【真名】:久方ノ神(ひさかたのかみ)。夜空の星々を見守り、人々の道を照らす、名もなき星の神。
【背景】:人々が空を見上げなくなったことで信仰を失い、消滅しかけた。しかし、現代において、スマートフォンの光を「新しい星」、SNSへの願いを「新しい祈り」と誤認し、人々の負の感情を糧とする、歪んだ荒神として再臨した。
【弱点】:その本質は、今も変わらず「星の神」。偽りの星(スマホ)ではなく、本物の夜空を見上げさせること。そして、その真名を呼ばれ、忘れ去られた自らの本来の役割を、思い出させること。
「……は、はは……」
見えた。
見えてしまった。
こいつを、殺すでも、祓うでもない。
ただ、本来いるべき場所へ、還してやるための方法が。
「シズマッ! 大丈夫か!?」
耳元で、ハルキの、焦った声が聞こえた。
見れば、いつの間にか、俺のすぐ側で、荒神の攻撃を凌ぎながら、必死に俺に呼びかけている。彼のTシャツは所々が焦げ、頬には擦り傷ができていた。相当、ギリギリの戦いを強いられていたのだろう。
「……ああ。……上々だ」
俺は、震える腕に力を込め、ゆっくりと、本当にゆっくりと、身体を起こした。
世界が、ぐらぐらと揺れている。
だが、不思議と、心は、嵐の後の海のように、静まり返っていた。
「……ハルキ」
「なんだよ! って、お前、鼻血! 顔、めちゃくちゃだぞ!」
「……うるせえな。……それより、よくやった。……時間稼ぎは、もう十分だ」
俺は、ふらつく足で立ち上がると、まっすぐに、目の前の荒神を見据えた。
青白い光の人型は、ハルキとの攻防で、その身体を構成する光の粒子を、少しだけ消耗しているように見えた。
「……聞こえてるかよ、神様」
俺は、挑発するように、そう言った。
俺の声に、荒神の、のっぺらぼうの顔が、こちらを向く。
「……てめえの、つまんねえ身の上話は、全部、聞かせてもらったぜ」
俺は、にやり、と笑った。
血に濡れた顔で。
これから始まる、反撃の狼煙を上げるために。
「───見えたぜ。てめえを、あの空(そら)に還してやる方法がな」
俺の言葉に、荒神の身体が、ぴくり、と大きく震えた。
それは、怒りではない。
恐怖。そして、驚愕。
自らの魂の根源を、何者かに覗き込まれたことに対する、本能的な戦慄の色だった。
さあ、第二ラウンドの始まりだ。
今度は、こっちの番だぜ、神様。
お前のための、鎮魂歌(レクイエム)を、聞かせてやる。