自分を傲慢悪役貴族だと思い込んでいる一般平民、努力してない天才を演じるため死ぬほど努力する 作:評価を…評価をクレメンス
ラグナの一日は、日付が変わって少しした頃から始まる。幾つかの人体改造とマジックアイテム、そして【契約】によって極端なショートスリーパー体質となった彼は、家族も使用人も寝静まった深夜、誰にも見られないよう屋敷を抜け出した。向かう先は、塀際に設けられた人気のない訓練場だ。
そこでラグナは、まず【過剰魔術《オーバードーズ》】で無理やり出力を引き上げた【火球】を二発放つ。続けて【雷撃】を撃ち込み、僅かに残っていた魔力まで綺麗に吐き切った。本来なら、ここで訓練は終わりである。
だが、ラグナはそこで終わらない。魔力がほとんど残っていない身体のまま、もう一度だけ魔術の構えを取った。指先を持ち上げ、空になったはずの魔力回路へ無理やり命令を通す。
魔力が尽きかけた状態で魔術を使うことは、魔術師にとって禁忌に近い。まして完全に魔力を使い切った後で術式を発動させれば、術者は最悪の場合そのまま死ぬ。それをラグナは、嫌というほど理解していた。
やめろ。
脳が、身体が、本能が、一斉に警鐘を鳴らす。やめろ、やめろ、やめろ、やめろ。死ぬぞ。それだけは絶対にやるなと、全身が悲鳴を上げた。
(ふざけるなよ。貴族として、何より誇り高きウースウーラの一員として、これはやらなければならない義務だ。ここで逃げるほうが、よほど恥だ)
己の責務を放棄しようとする本能へ、ラグナは本気で腹を立てた。恐怖も痛みも、彼にとっては怠惰を正当化する言い訳でしかない。歯を食いしばり、震える指先を押さえ込みながら、術式を最後まで組み上げていく。
「高貴なる者の務めを果たせ。逃げるな、ウルスラグナ・ウースウーラ」
そう自分へ言い聞かせ、意思の力で本能をねじ伏せる。次の瞬間、魔力が尽きているはずの身体から、無理やり魔術が顕現した。同時に背筋を死神の指で撫でられたような悪寒が走り、ラグナは膝から崩れ落ちる。
「ぐっ……! う、ぐうう……!」
始まった。そう理解した直後、全身を内側から噛み砕かれるような痛みが襲ってくる。呼吸すらまともにできず、視界が白く弾けた。
この世界には【自解作用】と呼ばれる現象がある。通常、魔術は体内に蓄えられた魔力を消費して発動するが、その魔力が尽きた状態でなお術式を成立させようとすると、身体そのものが強引に魔力へ変換され始める。肉体を燃料にして、足りない分を補うのだ。
当然、そんなことをして無事で済むはずがない。本来形を持つ肉体を、強引に超常の力へ変換する。その過程で術者には、言葉で説明するのも馬鹿らしいほどの激痛が襲いかかる。
感覚としては、神経と意識だけを残したまま全身を細切れにされ、叩き潰され、こね回され、焼かれ、それでも意識だけは最後まで残されるようなものに近い。心の弱い者であれば、二度と味わわずに済むなら死んだほうがましだと本気で考える。それほどの苦痛だった。
「ぐうううううああああああああっ……! あ、ああっ……!」
ラグナは地面を掻きむしった。爪が剥がれそうな勢いで土を抉り、指先から血を滲ませ、激痛で顔を醜く歪めながら転げ回る。あまりの苦痛に身体の制御すら失い、失禁しても、それでも意識だけは手放さず、崩れかける術式を必死に維持し続けた。
別に、彼が痛みを好む変態だからこんなことをしているわけではない。理由はもっと単純である。魔力を増やすためだ。
【自解作用】には、発動するたびに魔力量がほんの僅かずつ増えるという副作用がある。肉体へ魔力が混ざり、徐々に精霊に近い性質へ変化していくからではないかと推測されているが、詳しい原理は未だ解明されていない。ただし、増えること自体は事実だった。
問題は、その増加量があまりにも小さいことだ。死ぬ可能性と、正気を失いかねない苦痛を対価に支払って得られるものとしては、到底釣り合っていない。普通の人間なら一度経験しただけで、二度とやろうとは思わない。
それをラグナは、五年間、ほぼ毎日欠かさず続けた。その結果、本来なら下の上程度しかなかった魔力量は、現在では上の上と呼べる領域まで無理やり引き上げられている。才能ではなく、痛みに耐えた回数だけでそこまで持ってきた。
ラグナは別に、魔術師という職業そのものへ執着しているわけではない。ウースウーラ家の役に立つのであれば、極論、職種など何でもよかった。それでも冒険者を志し、魔術を主武装の一つに据えているのは、この訓練法なら才能の不足をある程度誤魔化せるからである。
【自解作用】で魔力が増えること自体は広く知られている。だが、それを日課の訓練法として使っている人間など、少なくともラグナの知る限り自分以外にはいない。もっと安全な薬物強化も、効率のいい訓練法も、代償の軽い契約も世の中にはいくらでも存在する。
要するにこれは、肥溜めの底へ落ちた十円玉を拾うため、自分から頭まで潜るようなものだ。利益があることは誰にでも分かる。だが、そこまでして得たい利益ではないから誰もやらない。
それでもラグナはやる。最優の血統であるウースウーラ家に生まれ、平民の税によって生かされながら、自分が弱いのはなぜか。彼の中では、その答えなど最初から決まっていた。
自分が怠惰だからだ。それ以外に理由などない。
救いようのない、血統に溺れた愚物。それがラグナの自己評価だった。ただでさえそんな落ちこぼれなのだから、やれることは全てやらなければならない。それくらいしなければ家族に顔向けできず、貴族としての誇りも保てない。
すでに薬物強化も人体改造も、代償を支払う訓練法も、思いつく限り試した。その果てに残ったのが、ほとんど利益のないこの方法だった。わずかでも強くなれる可能性があるなら、やらない理由にはならない。
何より、偉大なる父と姉の血を、自分の怠慢で穢したくなかった。自分に無駄遣いしていい時間など一秒もない。そう信じている。
五分ほど地面を這い回った末、ようやく痛みが薄れ始める。息も絶え絶えのまま身体を起こしたラグナは、震える脚で立ち上がった。まだ視界は滲んでいるし、指先もまともに動かない。
「もう一回だ」
再び術式を組み始める。自分には何もない。あるのは、ウースウーラという名だけだと、ラグナは本気でそう思っていた。
ノーブレス・オブリージュという言葉がある。貴族は平民の作物と労働によって生かされている以上、その代価として平民を守る義務を負う。ラグナにとってそれは綺麗事でも標語でもなく、守れなければ自分は詐欺師だという程度には切実なものだった。
いつか貴族として、平民を脅かす何かと戦わざるを得ない時が来る。その時に「相手が強すぎたので勝てませんでした」などという言い訳は許されない。権利を享受しておきながら義務を果たせない者など、貴族を名乗る資格はない。
だから彼は強くなろうとする。誰にも負けないように、何が来ても守れるように。この方法ではもうほとんど魔力が増えないと分かっていても、自分の能力が限界へ近づいていると理解していても、それでもやめない。
【王国最強】ブリトラのような本物の天才には追いつけないかもしれない。同級生であるルクセリアにも、遠くない未来に追い越されるかもしれない。そんなことはラグナ自身が一番よく分かっている。
◆
魔術の訓練を終えると、ラグナは剣を握った。先ほどまでの激痛で腕はまだ痺れていたが、構わず基本の型から振り始める。剣先が夜気を裂くたび、脳裏には昼間の模擬戦が蘇った。
相手は学園総合序列六位、ルクセリア・オースティン。周囲から見れば、ラグナが短剣一本で一方的に圧倒したように見えただろう。だが実態は、手札を大量に切ってようやく拾った辛勝だった。
(俺の剣術は初見殺しに特化している。もう奴のような天才に、同じやり方で勝つのは不可能だ。次は負ける)
そう理解していても、ラグナは剣を振るう手を止めない。彼の剣術は、記憶と反復への依存が極端に大きい。少しでも怠れば、身体へ染み込ませた反射が鈍り、一瞬で使い物にならなくなる。
剣術の型は世の中に無数に存在するが、実戦で一定以上の有用性を持つ動きには限りがある。ラグナの修行は、それらを片っ端から暗記するところから始まった。構え、足運び、呼吸、重心、肩と腰の連動、剣先の入り方まで、可能な限り細かく分類して覚えていく。
人間が剣で人間を斬る以上、完全な無秩序など存在しない。どれほど「型にはまらない」ことを売りにした戦場剣術や野生剣であっても、効率よく殺そうとすれば動きは似通ってくる。むしろ体系化されていない流派ほど、最終的には共通する形へ収束しやすかった。
ラグナはそれらの動きを全て覚え、それぞれへの対応も同時に暗記した。構えを見れば次に来る可能性の高い斬撃を予測し、その斬撃に対する回避、受け流し、反撃までを一つの反射として身体へ刻む。考えてから動くのでは遅いので、考える前に身体が勝手に動くまで反復する。
剣の軌道を可能な限り細かく記憶し、それに対する最適解を身体へ叩き込む。躱し、逸らし、潜り込み、そのまま急所を切り裂く。これがラグナの学んだ剣術、【瞬殺流】だった。
脳をほとんど介さず反射で動くため、初動だけなら相手より速い。さらに最適な対応を先回りして選ぶことで、多少の身体能力差であれば技術によって埋められる。考案者が一端の【暗殺者《アサシン》】であることもあり、とにかく初見での殺傷力だけは異様に高い。
ただし、万能にはほど遠い。技術で処理できないほどの膂力で押し切られれば終わりであり、こちらの反射速度そのものを上回る攻撃にも対応できない。こちらの対応を見て、さらにその上から対応を被せられるほどの達人にも弱い。
そして最大の欠点は、この剣術の仕組みそのものを見抜かれることだった。特定の動きへ反射で最適解を返しているだけだと理解されれば、相手は意図的にこちらの反応を誘導できる。そうなった瞬間、優位は簡単に崩れる。
だから、安定して通用すると言えるのは初見だけだ。
必ず一回目で殺せ。二回目はない。
それが、この剣術を教えた男の口癖だった。ラグナの脳裏に、小汚い服を着た、背筋の曲がった不細工な老人の姿が浮かぶ。傲岸不遜極まりないラグナが、ウースウーラ家の人間以外で唯一敬語を使う相手――【師匠】である。
「坊っちゃん。あんたに教えたのは、あたしら肉体に恵まれない連中が、どうにか恵まれた連中へ一矢報いようと編み出した弱者の技ですわ。これを使えば、膂力でも体格でも体力でも負けていたって、初見なら五分以上まで持ち込めます」
師匠はそこで皺だらけの指を一本立てた。いつものへらへらした笑みを消し、珍しく真面目な顔をする。「でもね、こういう小手先の技術は、あたしら弱者の専売特許なんかじゃありません。あたしらは強靱な肉体を手に入れられなくても、強者の側は技術を覚えられる。こっちのやり口まで覚えた強者には、どう足掻いたって追いつけやしません」
さらに師匠は、本気でこれを使う場面を選べと何度も念を押した。学園の模擬戦や野良試合で手札を晒すな。命のやり取りでどうしても使わざるを得なくなったなら、絶対に最初の一戦で仕留めてくだせえ。こんな小細工、二度も通用しませんので――と。
(本当に、その通りだ。俺の身体能力はもう天井を叩いている。この剣術だって、今日かなり見せてしまった。誤魔化せる限界が近いのも分かっている)
それでもラグナは剣を振るう。夜の庭に、風を切る音だけが規則正しく続いた。才能がないなら、覚えればいい。身体が足りないなら、壊してでも補えばいい。
強くなれ。ウースウーラの知性も自分にはない。ウースウーラの美貌もない。善性に至っては、自分など父や姉の足元にも及ばない。
なら、せめて強くなれ。武力しか取り柄がないのなら、世界最強程度にはならなければ話にならない。それすらできないなら、自分がこの家にいる意味などない。
強くなれ。暴力こそが自分の存在意義なのだ。生まれ以外にこれといった長所のない自分へ許された、たった一つの恩返しなのだから。
現時点のラグナへの好感度
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好き
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普通
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微妙
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嫌い
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ゲボカスウンコ頭宮沢鬼龍