自分を傲慢悪役貴族だと思い込んでいる一般平民、努力してない天才を演じるため死ぬほど努力する 作:評価を…評価をクレメンス
翌日の授業でも、ウルスラグナ=ウースウーラは相変わらずやる気がなさそうだった。頬杖をつき、教師が黒板へ文字を書いている間は窓の外へ視線を投げる。時折あくびまで噛み殺し、教科書をめくる手つきも気怠い。
そして、そんな態度でありながらラグナは勉学でも学年一位だった。当然のことながら、教師からの覚えはあまり良くない。真面目に授業を聞いているようには見えず、それでも試験を受ければほぼ満点、質問を投げれば大抵のことには答えられるのだから、才能だけで授業を舐めている生徒にしか見えなかった。
「ウースウーラ。窓の外に答えが書いてあるなら、第三術式と第四術式を接続した際に起きる魔力干渉について説明してみろ。聞いていたなら答えられるだろう」
教師が苛立ちを隠さず名指しする。ラグナは面倒そうに視線だけを戻し、指定された現象と例外、それを回避する三種類の手法まで淀みなく答えた。教師は余計に不機嫌そうな顔をして授業へ戻り、周囲からも「やっぱり天才は違う」とでも言いたげな視線が集まる。
(第三魔術理論と重複。だが今の説明は術式接続の条件が一段深い。五ページ先の補足と繋がる。教本との差分は二つ。両方覚えろ)
窓の外を眺めながら、頭の中では全身全霊で授業内容を吸収していた。教師の言葉を一語も聞き漏らさず、板書と教科書、自習で得た知識を同時に照合する。知らない用語が一つ出ただけで心臓が跳ね、誰かが自分より先に正答すれば胃の奥が縮む。それでも表情だけは、どうでもよさそうに崩さない。
一分でも遅れれば追いつかれるかもしれない。一日でも止まれば抜かれるかもしれない。一度でも一位から落ちれば、自分がウースウーラの名を名乗る価値などなくなる。ラグナにとって勉強とは知的好奇心を満たす娯楽ではなく、崖から落ちないために指を食い込ませ続ける行為に近かった。
ふと、少し離れた席にいるルクセリアと目が合った。昨日、模擬戦で打ち倒した相手である。ラグナが反射的に視線を止めると、ルクセリアもこちらを見返し、二人はほぼ同時に目を逸らした。
ルクセリアからすれば、昨日完膚なきまでに叩き潰された相手なので気まずい。ラグナからすれば、次に同じ条件で戦えば普通に負ける可能性が高い相手なので気まずい。理由は正反対だが、今は互いに話しかけないほうがいいという一点だけは一致していた。
教師はそんな二人を気にすることなく授業を進めていく。今日扱っているのは魔術体系と、その外側にある力についてだった。
「人間が体系的に扱う魔術は、大きく六種。【魔矢魔術】【火炎魔術】【雷撃魔術】【障壁魔術】【治癒魔術】【強化魔術】。細かな派生や複合術式は無数にあるが、基本はこの六系統だ」
教師が黒板へ六つの名称を書き並べ、今日はそのうち【魔矢魔術】の術式分岐を例に説明を続けていく。六系統それぞれの性質など、ラグナにとってはとうに既知の内容だった。それでも教師がどの言葉を選び、教本のどこを補足し、何を省いたかまで記憶する。
魔術は、学べる。術式を理解し、必要な魔力を用意し、適性さえあれば他人から教わることができる。だから技術として体系化され、同じ条件なら同じ現象を再現できる。
その埒外にあるものが魔法だった。魔術師ではなく【魔法使い】と呼ばれる者だけが扱う、個人固有の超常現象。体系化も継承もできず、既存の魔術法則そのものを踏み越える力である。
「そして魔法は、原則として一人につき一つだ。過去、人類種最強とされた【勇者】ですら、この法則の例外ではない。魔法使い一人で戦局どころか国家の命運そのものが変わることもある。だから各国は、魔法使いの存在を厳重に管理している」
ラグナはそこで、窓の外へ向けていた目を僅かに細めた。魔法使い一人で国家の命運が変わる。その言葉を証明する存在を、この国の人間なら誰でも知っている。
この国は腐っている。弱者が虐げられ、平民が搾り取られ、声を上げる力すら持たない者が踏みにじられる。救われるべき人間ほど救いから遠い場所へ置かれ、それを正すべき立場の者が私腹を肥やしている。
自分の六歳までの人生も、不幸ではあったのだろう。だがウースウーラに拾われ、世界を知れば知るほど、上には上がいることを嫌というほど思い知らされた。自分より惨い目に遭い、自分のように拾われることもなく、そのまま死んでいく者などいくらでも存在する。
その大きな原因の一つが、現在この国の実権を握る宰相だった。邪悪で、狡猾で、私欲に忠実な男。だが、ただ邪悪で頭が回るだけなら、ここまで好き勝手に国を動かせるはずがない。
誰も宰相を止められない理由は、その息子にある。ブリトラ=レイズデッド。現在、この国で最強と呼ばれている男であり、宰相を排除しようとすれば、その背後から一人で軍を滅ぼせる怪物が出てくる。法も軍も貴族も、最後にはその暴力によって黙らされる。それが宰相の権力を支えていた。
ブリトラは溶岩の滝を空から降らせる。吸い込んだだけで命を奪う猛毒を広範囲へ撒き、岩盤を容易く切断する水の刃を放ち、人間では認識すら困難な速度の雷を叩きつける。そのどれもが、既存の魔術では説明のつかない出力を持っていた。
それだけではない。あらゆる物質を切断するとされる黒い剣を召喚し、ほとんど全ての攻撃を通さない黒鎧を纏う。素手で触れた相手を跡形もなく消滅させ、目にも留まらぬ速度で戦場を移動し、果てには天空から隕石まで降らせたという。
一見すれば、能力同士に繋がりがない。炎、毒、水、雷、剣、鎧、消滅、高速移動、隕石。だがラグナには、それらを本当に別々の魔法として扱うほうが不自然に思えた。
魔法は一人一つ。それが絶対のルールなら、あれらは複数の魔法ではなく、一つの魔法を異なる形で使っていると考えるほうが自然だ。何か一つの原理があり、その応用として全ての現象が起きている。ラグナはそう睨んでいた。
隣国との戦争では、ブリトラ一人によって二万を超える軍勢が壊滅した。寄せ集めの雑兵ではない。熟練兵に加え、冒険者の最高峰である特級冒険者まで複数含まれていた軍が、十分と持たなかった。
ラグナ自身、特級冒険者と一対一で戦って確実に勝てるなどとは思っていない。そんな人間が複数いて、その後ろに二万の軍勢までいた。それでも十分も保たなかったという事実は、数字として理解すればするほど気分が悪くなる。
隣国が国軍の総力をもって挑んでも結果は同じだった。数で押し潰すことも、強者を集めることも、罠に嵌めることも通用しない。国家という単位の暴力が、一人の人間へ届かない。
(あれが、本物の天才か。俺とは違う)
ラグナは、それを認めている。自分のような偽りの天才とは違う。知識と技術と人体改造と契約を積み重ね、ようやく天才の真似事をしている人間ではない。世界の側が最初から規格を間違えて生み出したような、本物の怪物だった。
そしてブリトラの存在を考えるたび、ラグナは「最強の魔法とは何か」という問いへ辿り着く。魔法について調べ始めた頃から、何度となく考えてきた問題だった。
かつて【勇者】が保有した【聖剣魔法】。万物切断、破壊不可、体力吸収、強制追跡、魔力破壊。五つもの性質を一本の聖剣へ集約した、歴史上でも最高峰とされる固有魔法である。
(強い。だが違う。俺が持っても使いこなせん)
剣は相手へ届かなければ意味がない。性能を最大限に引き出すには、戦士としても魔術師としても頂点級の能力を要求される。強者をさらに強くするという意味では最上位だが、弱者が持っただけで最強になれる魔法ではない。
では【黴海魔法】か。過去、一国を文字通り黴の海へ沈め、数十万の命を奪ったとされる広域殺戮魔法。弱者を大量に殺すという一点だけなら、歴史上でも類を見ない。
(父上の領地まで巻き込むような力に何の価値がある。性質さえ知られれば対策もできる。違うな)
国家を滅ぼす力と、一対一で絶対に負けない力は同じではない。ラグナが欲しいのは、守りたいものまで巻き込む災害ではなかった。
あらゆる魔法を数秒だけ借用できる【契約魔法】も違う。超高位の悪魔との契約さえ成立すれば本人の才能に左右されにくいという長所はあるが、継戦能力が低すぎる。代償も重く、切り札としては優秀でも常勝を保証するものではない。
時間そのものへ干渉し、条件次第では擬似的な死者蘇生さえ可能とする【時間魔法】。これはラグナも、歴史上二番目には凶悪な魔法だと考えている。戦闘、救命、やり直し、情報取得。用途の広さまで含めれば、ほとんど反則に近い。
だが、それでも一位ではない。そして最強かどうかとは別の話として、ラグナが「最悪」と認識している魔法が一つだけ存在する。
【楽園魔法】。
詳細はほとんど分かっていない。まともな記録が少なすぎて、何ができるのか、何を代償にするのか、過去に何が起きたのかすら判然としない。だからラグナも、その仕組みについて語れるほどの知識は持っていなかった。
それでも、残っている断片的な記録を読んだ時から認識だけは変わらない。強い、弱い、危険、便利。そういう尺度で評価する以前に、あれは最悪の魔法だとラグナは考えている。
そして最強の魔法については、別に答えがあった。その答えだけは、様々な魔法について調べれば調べるほど確信へ近づいている。
(――アレだ。アレなら全部できる)
アレであれば、理論上はあらゆる現象へ応用できる。炎も雷も毒も、剣も鎧も高速移動も、条件さえ整えば時間操作に似た事象さえ引き起こせるのではないか。ブリトラが一人で複数の魔法を使っているように見える理由も、もしこの推測が正しければ説明がつく。
ラグナ自身も、一応は【魔法使い】だった。もっとも、自分の魔法など切り札と呼ぶのも躊躇するほど使い勝手が悪い。発動条件が異様に面倒なうえ、何度も続けて使用できるものではない。
それでも条件さえ揃えて【切り札】を切れば、そうそう負けることはない。だからこそ普段は使わない。手札を晒したくないという理由もあるが、それ以上に、一度使った後しばらく頼れなくなることのほうが恐ろしい。
自分も魔法を使えるからこそ、ブリトラ=レイズデッドが起こしている現象の異常さは直感的に分かる。真正面から敵対すれば、自分など話にならない。ラグナはブリトラを警戒し、恐れ、そしてそれと同じくらい激しく嫉妬していた。
(あの魔法が、俺にあれば――父上を王にできた)
腐った宰相から国を奪い取り、ウースウーラ家をこの国の頂点へ押し上げられた。父ならば弱者を虐げるような国にはしない。姉ならば困っている人間を放ってはおかない。少なくともラグナは、一片の疑いもなくそう信じている。
そして何より、六大貴族の連中を黙らせられる。以前、そのうちの一人が酒宴の席で笑いながら吐いた言葉を、ラグナは今でも一字一句覚えていた。
『ウースウーラ家? しょぼい無能貴族だろ』
場所も、声色も、口元の歪みも、その時どの指で杯を持っていたかまで忘れていない。魔術理論の細かな注釈すら覚える男の記憶力が、家族への侮辱だけ都合よく薄れるはずもなかった。
(あの野郎。父上から余計な問題を起こすなと言われていなければ……)
もし自分にブリトラの力があったなら、あの鼻を明かしてやれた。ウースウーラの名を聞いただけで平伏する程度まで家の名声を高め、父を王座へ座らせ、この国まで立て直せたかもしれない。
そこまで考えたところで、教師が黒板を叩いた音が響く。ラグナは即座に思考を授業へ戻し、視線だけは相変わらず窓の外へ向けたまま、次の説明を一字一句記憶していく。
知らない知識が一つあるだけで怖い。自分より先に誰かが進んでいるだけで焦る。だから今日も興味のない顔をしながら、誰より必死に授業を聞いていた。
その一方で、頭の片隅では父を王にする方法と、六大貴族の鼻を明かす方法と、世界最強の魔法について同時に考えている。分析そのものはかなり正確なのに、ウースウーラ家が絡んだ瞬間、出てくる結論だけがおかしくなる男だった。
そして、この時のラグナはまだ知らない。自分が偽物と呼び、自分とは根本から違う本物の天才だと認め、同時に強烈な嫉妬を向けていた【王国最強】ブリトラ=レイズデッドと、半日も経たないうちに真正面からぶつかることになるなど、知る由もなかった。
評価を…評価を何卒…