自分を傲慢悪役貴族だと思い込んでいる一般平民、努力してない天才を演じるため死ぬほど努力する   作:ちんこ良い肉

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第8話

「あー……学生さんか?」

 

 ブリトラ=レイズデッドは、ひどく場違いなほど軽い声で言った。白髪の下で口元を緩め、へらへらと笑っている。二万の軍勢を十分も保たせず壊滅させた男には到底見えない、気の抜けた表情だった。

 

 だが、ルクセリアの全身は一瞬で粟立った。

 

(ヤバい。ヤバい、ヤバい――!)

 

 考えるより先に身体が理解していた。後手に回ったら詰む。相手が何をするのか確認してから対応する、そんな普通の戦い方を選んだ瞬間に終わる。

 

 ならば先に潰す。

 

 ルクセリアは少女を背後へ残し、一息で地面を蹴った。構えも溜めも最小限。最短距離を一直線に駆け、ブリトラが何かを始めるより先に間合いへ入り込む。

 

 その瞬間、足首へ何かが絡みついた。

 

 先ほど倒した男の一人だった。地面に伏したまま、最後の力を振り絞るようにルクセリアの靴を掴んでいる。

 

 ぞっとするほど明瞭な死の予感が、背骨を駆け上がった。

 

 ルクセリアは男を蹴り飛ばそうとはしなかった。足を引き抜こうともしない。靴だけをその場へ残して足を抜き、裸足のまま横へ跳ぶ。着地も捨てて地面へ転がり、その勢いのままさらに距離を取った。

 

 直後。

 

 つい一瞬前までルクセリアが立っていた空間を、何かが走った。

 

 音すら遅れて聞こえた。

 

 ルクセリアの靴を掴んでいた男の身体が、何の前触れもなく幾つもの肉塊へ分かれる。腕が落ち、胴が裂け、その向こうにあった石壁まで一直線に断ち切られた。

 

 ルクセリアの喉が引きつった。

 

 剣撃ではない。

 

 少なくとも、何かが飛んできたところは見えなかった。

 

「ギャハハハハ! 勘いーなお前!」

 

 ブリトラが心底楽しそうに笑った。殺したのが自分の部下なのか、ただの追っ手なのか、それすらどうでもよさそうだった。

 

 ルクセリアは返事をしない。

 

 もう一度踏み込む。

 

 分からないなら、考える時間を与えない。相手の攻撃手段が何であれ、剣の間合いへ押し込み続ける。

 

 斬る。

 

 ブリトラの首を狙った横薙ぎが走る。

 

 その直前、ルクセリアは地面を強く蹴り上げた。乾いた土と砂が爆ぜ、二人の間へ砂煙が広がる。目潰し。視界を奪った一瞬へ、本命の斬撃を重ねる。

 

 手応えがない。

 

 刃が空を切った。

 

 砂煙を抜けた先に、ブリトラの姿が消えている。

 

「……っ!?」

 

 左右。

 

 背後。

 

 上。

 

 ルクセリアが視線を走らせ、ようやく見つけた。

 

 ブリトラは、数十メートル離れた建物の屋根に立っていた。

 

 いつ移動したのか分からない。

 

 跳んだところも見えなかった。走った形跡もない。足音も、風圧も、着地音すらなかった。

 

 さっきまで目の前にいた男が、瞬きをするほどの間に建物の上へ移っている。

 

(何をやった?)

 

 高速移動。

 

 違う。

 

 あれほどの速度で地面を蹴れば、少なくとも何かしらの痕跡が残るはずだ。なのに何もない。

 

 ブリトラは屋根の縁へ腰掛けるようにしゃがむと、顎へ手を当てた。ルクセリアが必死に思考を巡らせているのを眺めながら、楽しそうに歯を見せる。

 

「さあて、騎士様。頑張ったご褒美だ。ここで問題」

 

 ルクセリアの背後で、少女が息を呑んだ。

 

「お前を殺すのは、とりあえず確定な」

 

 あまりにも軽い口調だった。今日の夕食を決めるような気軽さで、自分の死を確定事項として告げてくる。

 

「このままその奴隷を俺に引き渡して、地面に頭擦りつけて謝るってんなら――特別に、自分で腹をかっさばいて死ぬのを許してやる」

 

 ルクセリアの眉が僅かに動いた。

 

 奴隷。

 

 背後の少女のことを、そう呼んだ。

 

「で、渡さねえなら」

 

 ブリトラの笑みが深くなる。

 

「俺の魔法で、死のうと思っても死ねない地獄を見せてやる」

 

 パチン。

 

 指が鳴った。

 

 ルクセリアの右手に異変が起きた。

 

「――っ!?」

 

 剣を握っていた親指が、消えた。

 

 正確には、切断された。切断面から血が噴き出した時には、人差し指へ炎が走っている。肉が焦げ、中指は水に溶かされたように崩れ、薬指は最初から存在しなかったかのように根元から消失した。

 

 最後に小指が白く凍りついた。

 

 皮膚がひび割れ、一瞬で色を失っていく。

 

 五本の指へ、五種類の異なる現象。

 

 しかも同時だった。

 

「ぐっ……!」

 

 剣が地面へ落ちる。

 

 痛みで意識が飛びそうになる。それでもルクセリアは左手で剣を拾おうとしながら、ブリトラから視線を外さなかった。

 

 炎。

 

 溶解。

 

 切断。

 

 消失。

 

 凍結。

 

 全部違う。

 

(魔法は、一人一つのはずだろ……?)

 

 授業で何度も聞いた常識が、頭の中でひび割れていく。

 

 ブリトラは屋根の上からそんなルクセリアを見下ろし、愉快そうに頬杖をついた。

 

「さて」

 

 笑う。

 

「返答はいかに?」

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