育成済み推奨。
ゆるーくどうぞ~
桜は青葉に変わり段々と夏の訪れを感じる夕暮れのトレセン学園。
トレーナー室に繋がる廊下に響く足音が一つ。
その音の主は鹿毛のドーナッツヘア、もみ上げの巻き毛、特徴的なハートの耳飾り。
無敗でトリプルティアラを戴冠し、数々の名だたるレースを制覇した剛毅なる貴婦人ことジェンティルドンナ。
彼女は今度のレースについての相談の為にトレーナーの元を訪ねている。
「……静かね」
明日の予定について相談する為に私はトレーナー室に来たけれど、気味が悪いぐらいに静かさを保つ廊下。
何時もならずっと過去の私のレース映像やトレーニングの資料を見ているので何かしらの音が聞えてくるはずなのだけど。
やがて目的のトレーナー室の前に辿り着いた。
扉のガラスからはトレーナーの姿は見えないが、やはり静かだなと彼女は内心で首を傾げた。
「失礼するわ。……あら」
今日はやけに静かだなと思いながらジェンティルドンナは扉を引きトレーナー室に入ると、どうやら最近寝れていないのを示す様に栄養ドリンクが転がる勤務机で力尽きるように資料を握りながら寝ているトレーナーがいた。
「全く……殊勝な心掛けなのは確かですけど頑張りすぎでしてよ?」
私は仕方ないと部屋に入り居眠りしている彼を起こそうと近づく。
近づいてみると、何か夢を見ているのか魘されているようにも見える。
「貴方……?」
起こそうと傍まで近づいた時、私は気付いた。
彼が泣いている事、彼の顔が夕暮れだとしても普段よりも紅くなっている事に。
「仕方ないわね……」
失礼するわと心の中で断りを入れて身体に触れると案の定、何時もよりも身体が熱い。
「勤勉なのは貴方の良いところだけれど、もう少し休むことを覚えてほしいものね……」
私は彼をそっと抱え、お姫様抱っこで持ち上げた。
そのままトレーナー寮まで運ぼうか悩んでいると、ちょうどトレーナーに用事があったらしいたづなさんが来た。
「トレーナーさーん今度の申請のけん……ってジェンティルドンナさん!? 何をしていらっしゃるんですか!」
扉があきっぱなしの部屋に入ってきたたづなさんは私がトレーナーをお姫様抱っこしているのをみて狼狽していた。
「ええ、ごきげんようたづなさん。実は……」
「……なるほど、事情は分かりました。でしたら私がこのあと……」
私が事情を説明すると、納得してくれたけど……このままだと彼を渡す様に言う予感がした。
それは、嫌だ。とらしくもない我儘が己の内に湧いて来た事に内心驚きが隠せないけど、今はそれどころではなくってよ。
「そのことなのですけど……私が行っても宜しいでしょう? 彼の担当ウマ娘なのですから。それに私は剛毅なる貴婦人でしてよ? 簡単に体調不良にはならないですわ」
私が間髪入れずにそう言うと彼女は渋々納得してくれた。
「……分かりました。外泊届は必要でしょうか?」
「あら、気が利くのね。ええ、お願いいたします」
「看病する為の外泊届ですので、それ以外の行為は控えてくださいね?」
たづなさんから念のためにと釘をさして来たけど、それは野暮というものではないかしら?
「承知しておりますわ、たづなさん。それではごきげんよう」
その後は許可を頂いてトレーナー寮まで行き、彼の懐から鍵を取り出して錠を回す。
彼の部屋に入り、ベッドにそっと寝かせる。
「さて……この様子だとちゃんとした食生活はしていなさそうですわね……あら?」
我が事ながら自分のトレーナーはどうしてこうも無理を重ねてしまうのかと思いつつベッドから立とうしたら、何かに手を掴まれたので振り返る。
「いか……ないで……」
手を掴んだ主はトレーナーだったが、トレーナー室で見つけた時よりも苦しい表情で魘されている。
「……どこにも行きませんわよ」
私が独り言を零すと、少しだけ苦しい表情が和らいだような気がした。
普段のトレーナーからは想像ができないほど力強く、決して離さないとその人の身にしては熱くなっている手から伝わってくる。
嗚呼、愛おしい。
今は学生とトレーナーという立場だから待たせてしまうけれど、卒業したら……貴方を必ず手に入れますわ。
他の婚約者には申し訳ないけど、彼を超えることが出来る方はいらっしゃらないでしょうし。
強者たるもの、優れた殿方を手に入れるのは当然でしょう?
私はその愛おしい彼の額を優しく撫でて言う。
「……私はずっと、ずうっと貴方の傍におりますわ。『貴方のジェンティルドンナ』として」
その言葉が聞こえたのかは分からないが、すぅすぅと安堵したように落ち着いた寝息に変わったのを確認した私は静かに熱で汗をかいている服を脱がし、起こさぬようにそっと汗を拭いて着替えさせた。
真っ暗な意識の中、ふわふわと浮いているような感覚がした。
しばらくしたらそっと何処かに置かれた。
もしかして『昔』にでもタイムスリップしたのだろうか。
また、おれは捨てられて……ひとりきりになるのだろうか。
咄嗟に行かないで、と暗闇の夢現の意識の中で手を伸ばした。
その時、誰かが手を繋いでくれた気がした。
何処から聞こえるかは分からないが確かに心休まる、大好きな声が聞えたような気がした。
それを最後にまた俺は意識の海の中に沈む。
「……んっ、ここは……」
希薄な意識の中、目を覚ます。
ぼんやりとした視界が段々とくっきりしていく。
「あれ……ここって…」
意識がハッキリした視界が映しているのは何時も過ごしている自分の部屋だ。
クソほど体調が悪い状態でトレーナー室にいたはずだ。
「あら、ようやくお目覚めかしら。トレーナー?」
俺が困惑していると、凛とした声が己の左側から聞こえ、咄嗟に向けると、鹿毛のドーナッツヘア、もみ上げの巻き毛、印象的なハートの大きな耳飾り。
俺の担当ウマ娘であるジェンティルドンナがそこにいた。
「ジェ、ジェンティル!?どうしてここに……?」
「あら、寝不足かつ食生活の乱れで倒れていた貴方を運んだからですわよ?」
どうやら俺をここまで運んでくれたのはジェンティルだったらしい。
「あはは……面目ないね、ありがとうジェンティル。助かったよ」
「大丈夫よ、強者たる者弱っているものを守るのは当然でしょう?それと、食事もちゃんと取っていない愚行を繰り返させる訳にはいきませんので」
全く返す言葉が無い。やはり俺は彼女には敵わないなぁと改めて痛感した。
「うぐ……ジェンティルの役に立てるようにって張り切っちゃってつい……」
誤魔化す様に空元気で笑うと直ぐにジェンティルにけがしない程度にデコピンされてしまった。
「それで倒れたら元も子もないですわよ。それと貴方……寝ている時に魘されていたけれど、良ければお聞きしても?」
ジェンティルに怒られつつ、何かあったのかと暗に聞かれた俺は、つまらない話だけどと忠告を入れつつ、ポツリポツリと語った。
自分は昔からよく出来損ないだと親に怒られていたこと。
何とか見返してやろうと、死ぬ気で勉強して中央のトレーナー試験に合格したこと。
それを周りに悟られないようにし続けたら自分から甘えることが出来なくなったこと。
取るに足らないことを話してしまったと拳を握るほどに怯えながら語った。
「……」
ジェンティルは俺の取るに足らない話を聞いてから黙りこくってしまった。
他の婚約者候補と比べられているのだろうか。
俺に負けるような奴にジェンティルはやらんと言っておいてこんなザマであることに酷く呆れているのだろうかと目を瞑る。
「トレーナー」
静かに、彼女は俺の名を呼び。
俺を優しく抱きしめた。
「……貴方は出来損ないなんかでは無いわ。貴方はこのジェンティルドンナを支える立派なトレーナーですわよ。胸を張りなさい?」
……あんな醜い話を聞いた上で尚そう言ってくれる事に目尻から熱いものが零れた。
「それに、婚約者として貴方を支えるのは当然のことでしてよ?」
そっと俺を優しく、愛をもって抱きしめる貴婦人は大胆な告白をしてほほほ、と微笑んだ。
その後、俺は彼女と一夜を共にした。