ボクの名はフレデリコ。
ルーラル王国王城の厨房で働いている料理人さ。
...といっても本当はアシスタントだから、正式な料理人を名乗ることはまだできないけど......
で、ボクの上司はジョバンニさんっていう人。
彼の年は29歳で、最初会った時は本当にびっくりした。
凄くハンサムな人なんだけど、顔にはメイクしてるし、喋る言葉はおネエ言葉だったから。
しかも開口一番ボクにこう言ったんだ。
「フレデリコちゃん、料理学校で学んだことは忘れなさい。ぜ・ん・ぶ・忘れなさい。分かった?」
だけど、一緒に仕事してみると、ジョバンニさんは本当に料理人になるために生まれてきたような人だってすぐわかった。
食材選びから包丁の使い方から火の入れ方まで全てが計算し尽くされているんだ。
ジョバンニさんの口癖の一つは「あたしたちは芸術家なのよ」だけど、本当にそれを実践するなんて。
彼はもちろん仕事には厳しい人で、ボクはしょっちゅう怒られてる。
でも、しばらく怒られているうちに、ジョバンニさんは無暗に怒ってるんじゃあなくって、ボクの成長を促すために叱ってくれているんだってすぐわかった。
それに、彼のおネエ言葉で叱られると、散々な言われようでもなぜか素直に受け止められて、頑張らなきゃって気にさせられるんだよね。
そんなこんなで、ジョバンニさんが着任してからというものボクは忙しくも充実した日々を過ごしていたんだ。
そんなある日のこと。
まだお昼前で、厨房のカウンターから見渡せる食堂にはまだ誰も客がいなかった。
すると扉が開いて、小柄な女の子が入ってきたんだ。カウンターの奥で働いていたボクは女の子と目が合った。
その瞬間、ボクは魔法にかけられたようになってしまった。
女の子はボクと同年代か少し年上くらいだろうか。
端正で理知的な顔立ち。長い黒髪に青い瞳。修道女の服を纏っても隠し切れない美しさ。
彼女は微笑みながらボクにこう言った。
「申し訳ありませんですわ。お昼にはちょっと早く食堂に来てしまいましたけど、まだ準備中でしたわね?」
ボクは心臓を撃ち抜かれたような気がした。まるで珠を転がすような声とはこのことだった。
しばらく固まっていたボクは慌てて答えた。
「だ...大丈夫です!すぐお持ちしますから!」
そう答えてから、まだ注文を聞いていなかったことに気づいてボクは彼女から注文を聞くと、すぐに彼女の所望の定食を用意した。
ボクは窓際の席に座っていた彼女のところに盆に乗せた定食を持っていった。彼女はボクに礼を言うと、長い食前の祈りを捧げてから食事を始めた。
カウンターの中に戻ったボクは気づかれないように注意しながら、彼女をチラチラと見てしまった。
本当に見れば見るほど美しい。
ああ、駄目だ。これではストーカーみたいじゃないか。
気づいたボクは目を伏せて、ジョバンニさんから指示された仕込み作業に集中した。
ボクの担当は王城の職員や侍従たちの食事。ジョバンニさんの担当は王様とごく稀に出勤してくる大臣や貴族たちの食事だ。
同時にジョバンニさんはボクの作業全体を監修してくれている。それに、たまには貴族用の食事の仕込みをやらせてくれることもある。
ボクがそうして黙々と作業をしていると、食事を終えたあの女の子が盆を持ってカウンターにやってきた。
「とっても美味しかったですわ。丁寧なお仕事をなさっているのがわかりましたわ」
ボクは心臓が口から飛び出しそうになるのを抑えながら顔を上げて彼女に笑顔を向けた。
「それは光栄です.....ええっと.....」
頑張れ、ボク。こんな美少女と口をきけるチャンスなんてめったにないんだ。
「ボクの名前はフレデリコ。君は?」
「わたくしはルクレティアと申しますわ。以後よろしくお願いしますわ」
彼女はにっこりと微笑んだ。ああ。もう今すぐ昇天しても悔いはない。ボクは続けた。
「君は修道女だね?その若さで神様に身を捧げるなんて凄いね。尊敬するよ」
すると彼女は言った。
「申し遅れましたわ。わたくし、実は法務官補佐としてこの城に着任いたしましたのですわ」
「法務官...?」
聞き慣れない肩書にボクは戸惑った。
「王城の事務全般に関する法的アドバイス、税の徴収から商人たちとの取引に至る諸事に関するコンプライアス、ならびに諸外国との条約や交渉にも関わりますわ。これが法務官の仕事ですわ。わたくしはあくまで補佐という立場ですけど」
「な...なんだかすごく頭の良さそうな仕事だね」
ボクは圧倒された。
「でも...わたくし本当はこの仕事に就くことは少し不本意なのですわ」
彼女は目を伏せた。
「不本意?」
ボクは聞き返した。
「ええ。でも大学院の学費は親に頼らず絶対に自分で払うって決めた以上、卒業後すぐになんらかの仕事をすることは必須だったのですわ」
「凄いね。大学院の学費を自分で払うなんて」
ボクは彼女との会話が思いのほか続いていることに、期待の念が膨らんでいくのを感じた。もしかすると....もしかすると仲良くなれるかも知れない。
「ルクレティアさん。あの......」
ボクは切り出した。
「夕食用なんですが良いワインがあるんです。少し味見してみますか?」
(ちなみに、この王国では勤務中であっても昼食時にお酒を飲むことは何ら悪い事とは見られていない。)
「いいえ、結構ですわ。わたくし未成年ですから」
彼女は手を振って言った。
「え?未成年?...でも今大学院って....」
「わたくし今19歳ですわ。飛び級いたしましたのですわ」
ボクはちょっと言葉を失った。そうすると、彼女がしたのは一年や二年の飛び級ではないことになる。
「実は大学院に入るさいにローンを組むのもひと悶着ありましたわ。親からは自分で払うなんてムチャだって怒られてしまい、結局3時間かけてわたくし説得しましたわ。あの時はいっそのこと聖女として冒険者の方々と一緒にダンジョンで稼いでから一括で学費を払おうかとも思い詰めましたわ」
話しを聞いてボクは耳を疑った。
「え....今聖女って言ったよね?」
「はい、わたくし聖女の資格も持っておりますわ」
彼女は事も無げに言う。
だけどボクが以前に聞いた話では、聖女試験の倍率は100倍くらいってことだった。出題されるのは聖典・神学の知識から祈祷実技まで幅が広く、ヘタすると神官になるより難しいって。
「え...じゃあキミって大学院行きながら聖女資格取ったの?」
「いいえ。わたくし、小学校一年のときから全寮制の修道院付属学校におりましたので。聖女資格を取ったのは11歳のときですわ」
ボクは殆ど絶句していた。ケタ違いの天才ってこの世に存在するんだ。
視線を感じて、ボクはふと振り向いた。
休憩から戻ってきたジョバンニさんがボクを見ている。
彼は、人差し指を立てながら軽く首を横に振っていた。
ボクは彼の言わんとすることが即座に理解できた。
「あ.......すみません。ちょっとオーブンの具合を見に行かないと...」
ボクは曖昧な笑みを浮かべて彼女に言った。
「お忙しいところをお邪魔して申し訳ありませんでしたわ。フレデリコさんとお話できてとっても楽しかったですわ」
彼女は微笑んでそう言うと立ち去った。
ボクはジョバンニさんと肩を並べての仕込み作業に戻った。
しかし、ボクの脳内には彼女との会話が何度もプレーバックされていた。
決して気詰まりで弾まない会話というわけではなかった。
それに初対面にも関わらず、彼女は自分の身の上を色々と話してくれた。
これは行ける可能性が......ゼロではないかも知れない。
そう思ったボクは顔を上げた。ジョバンニさんの横顔を見る。
誰がどう見てもイケメンのジョバンニさんはきっと恋愛経験が豊富なはずだ。
相手が男女どちらなのかは、ちょっと分からないけれど。
ボクは思い切って口を開いた。
「ジョバンニさん....あの....ルクレティアっていう女の子...」
「やめときなさい。忘れなさい。思い出さないようになさい」
彼はボクを見ないまま即座に答えた。ボクは驚き戸惑った。だがジョバンニさんは作業しながら続けた。
「あの子はね、天才で、聖女で、弁護士資格持ちで、おまけに王様の親戚なのよ。あんた一つでも勝てる要素ある?」
「え....」
ボクは考え込んでしまった。確かにボクは凡人だ。料理学校を主席で卒業できたけど、ジョバンニさんの指導を受けるようになってからは、そんなもの初歩の初歩に過ぎないんだってことを痛感させられたし。
「で..,でもスープづくりだったら...」
それでもボクが絞り出すように言うとジョバンニさんは畳みかけてきた。
「それだってあたしが教えてあげたものでしょうが。さ、あたしの勝ちね。彼女のことは忘れて仕事に集中なさい。恋煩いでボウっとしながら良い料理が作れるほどこの世界甘くはないわよ」
ボクは何も言い返せなかった。
ああ、でも。
ルクレティアさん。
その後、長い間彼女の名と顔がボクの頭の中から消えることはなかったんだ。