まったく...今思い返しても人生であれほど焦ったことはなかった。
俺、ラファエロは、騎士団のメンバーと一緒に旧ヴァルグ家邸宅に潜入し、
厨房の隣の広い物置部屋から二階に登ったんだ。
部屋に放置されていた木箱を積み上げて階段代わりとし、
俺が先頭、ジョバンニが二番目にそれを登って上階の踊り場に到達した。
そして、次にジュゼッペが登ってきた。
ところがいつまで待ってもルクレティア嬢が来ないのだ。
それで階下を覗き込むと、彼女は影も形も無かった。
俺はジュゼッペに尋ねた。
「おい、一体どういうことだ?なぜルクレティア嬢がいない?」
俺は続けて言った。
「彼女が隊列の真ん中だと指示したはずだろう。なぜ先に行かせなかった?」
ジュゼッペは後ろを振り向くと申し訳なさそうに答えた。
「いや旦那....ワシはただ、お嬢様に恥をかかせないようにと....」
「ちょっと落ち着きなさいよラファエロ」
ジョバンニが横から言ってきた。
「あの子、女子なのよ?あんただって女子は色々面倒だってことくらい知ってるでしょ?」
彼はそう言いながら俺にウィンクした。
「きっとおトイレか何かよ。まさかうら若い乙女が野郎三人に向かって、『用足しして来る』なんて言えないでしょ?」
ところが、五分ほどが経ってもルクレティア嬢が戻る気配はなかった。
焦れた俺は一旦階下に戻り、大声で彼女の名を呼んだ。だが返事はない。
冷や汗が俺の額に浮かんできた。残る二人も俺に続いて降りてくる。
「ジュゼッペ、彼女に変わった様子はなかったか?あるいは不審な物音を聞かなかったか?」
俺は庭師に向き直った。
「....いんや...何もありませんでしたです、旦那...」
ジュゼッペが答える。彼も焦り始めたのか、額に汗が浮かんでいた。その目は俺と同じようにせわしなく部屋の中を見回している。
「これはヘンね...大鼠か何かに襲われたとしても、声ひとつ立てないなんておかしいわよね」
ジョバンニも真剣な顔になっていた。
「でも、狼に襲われたとか...?まさか、よね?」
「ジョバンニの旦那、狼はワシの故郷の森にもいたですが、奴らは群れで獲物を追い立てて狩りをするです。猫みたいに待ち伏せて器用に獲物を狩れる連中ではありませんです」
ジュゼッペが応じた。
「その通りだな。物音ひとつ立てずに人間を連れ去るなんてイヌ科の動物にできることじゃあない」
俺も同意した。だが、ルクレティア嬢が消えた原因が全くわからないことには変わりはない。
「....やっぱり、もしかして何かあるみたいね。この屋敷」
ジョバンニが片方の手を顎に当てて呟く。
「考えてみたら、あたしのヒイヒイおじいちゃんが言ってたじゃない?ヴァルグ・エンリーコ・デメトーリオ2世の祖母、ベネディッタは一筋縄ではいかない女だって。それにその次女で母親のエリザベッタも生まれながらの魔力体質だったってことだし。ってことは....」
「魔力による仕掛けがある可能性か?」
俺は尋ねた。
「あり得なくはないわね...正直あたしもこの屋敷そのものからは魔力を感じなかったから油断してたんだけど」
ジョバンニが答える。俺は提案した。
「よし、今からルクレティア嬢の捜索を最優先にしよう。日没を目標に全ての部屋を調べるぞ」
「旦那、ワシにお任せください」
するとジュゼッペが言った。
「何か名案があるのか?」
「ワシがこの建物を上から順に壊していきますです。そうすれば魔物がお嬢様を隠していたとしてもすぐに見つかるです」
俺は一瞬意味が分からずにポカンとしていたが、直ぐに手を振って打ち消した。
「おい、さすがにそれは不味いだろ。そんなことをしたら懲戒処分どころじゃ済まないぞ」
「でも、これはワシの責任です。ワシさえ...ワシさえしっかりとしていたらお嬢様は...」
ジュゼッペは床を見ながら呟いた。
俺は庭師の肩を叩いた。
「焦らないでくれジュゼッペ。まだルクレティア嬢が誘拐されたと決まったわけじゃあない。ともかく一部屋づつ捜索すれば必ず見つかるはずだ」
庭師は頷いた。俺たち三人は、まず一階からしらみつぶしに捜索することにした。
物置部屋には入ってきた扉以外にも北側に扉があった。それを開くと、今度は狭い廊下が伸びている。
前進していくと十メートルほどですぐに扉に行き当たった。
扉を開くと、真四角の広い部屋に出た。隅に置かれたいくつかの家具にはリネンの布が被せられているが、経年変化で虫食いや変色が著しい。
俺は、万が一を考えその家具の中も調べることにし、片端から布を取り去っていった。
「ちょっと何なのよこれ?」
ジョバンニが声を上げた。
しっかりとしたオーク製の二つの大きな衣装箪笥の間に、等身大の人形のような奇妙なものが立っている。
「服をかけておくマネキンじゃあないのか?」
俺は言った。だがよく見ると、人形にしてはおかしい。その姿は人間に似ていたが、全く同じ形というわけでもなかった。
陶器製と見えるツルっとした頭に、人間と同じような形の顔がついている。眼窩にはガラス製の目玉がきちんと入っていた。
そして執事のような黒ベストを着て蝶ネクタイを締め、ご丁重に白手袋までしている。もっとも、それらの布地は経年変化でボロボロになっていたが。
腕も人間と同じように二本ある。片方の腕の小脇には銀製の盆を抱えていた。
だが、下半身は人間と違っていた。脚は四本あり、斜め前方と斜め後方にそれぞれ二本づつが突き出ていて、足先には乳母車のような車輪がついているのだ。
「どう考えても違うわね。少なくとも服装に気を遣う人間ならこんなヘンなマネキン...」
だが彼がそう言った瞬間、人形の頭がカタリと音をたてて動いた。
ジョバンニがヒイと悲鳴を上げてまた俺の肩にしがみついた。
「落ち着け。きっと内部が脆くなっているんだろう。それで布を取り除けた拍子に頭が動いたんだ」
俺はそう声をかけた。俺たち三人は少しの間、その人形を見つめていたが、何も起きなかった。
「やっぱりただの人形だ。さあ、捜索を続け...」
そう俺が言った瞬間、人形の頭が再びカタカタと揺れ始めた。
そして眼窩に嵌ったガラス製の眼球の内部に赤い光が仄かに浮かび上がった。ただし片方だけだ。
またジョバンニが悲鳴を上げて飛び退った。俺とジュゼッペは思わず身構えた。
やがて人形の頭が揺れる音が止まると、そいつは左右を見回すように首を回し始めた。
人形は何度かそうした後、俺たちのほうに顔を向けてやおら口を開いた。
...........そう、口を開いたのだ。
「大変失礼イタシマシタ。機能停止状態カラ只今回復イタシマシタ。オ客様ガタ、ゴ用向キヲオ申シツケクダサイ」
俺たち三人は物も言えずに目を丸くしていた。すると人形がもう一度言った。
「オ客様ガタ、大変失礼ナガラ、コノ私、暫クノ間機能停止シテオリマシタヨウデス。ゴ用向キヲ再度オ申シツケ頂ケレバ幸イデス」
俺は頭が混乱していたが、とりあえず口を開いた。
「ああ....その...なんだ...エヘン....」
俺は管理会社に話したカバーストーリーをここでも繰り返すことにした。
「我々は王城の総務部から派遣されてきた者でね。いま王城では職員の保養所を作る計画があるんだ。それで候補地の一つとして内見させてもらっているところだ」
俺はこう続けた。
「念のため言っておくと、管理会社の許可も貰っている。不法侵入者ではないから安心したまえ」
すると人形は納得したように頷いた。
「カシコマリマシタ。王城職員ノ皆サマ、歓迎イタシマス。私ハ執事ノヴァルドールト申シマス。ゴ案内イタシマショウ」
「ねえちょっと...す...凄くない?人形が喋れるなんてあたしも初めて見たわよ」
思わずジョバンニが呟いた。
「私ハカラクリ工学ノ粋ヲ尽クシテ造ラレタ人形デス。コノ屋敷ノ事ナラ何デモオ尋ネ下サイ」
人形はそう言うと、まるで床の上を滑るようにして俺たちの前に進み出た。四本の脚の先についた車輪が回転して進む仕組みになっているようだ。
「助かるよ。何しろ広い屋敷だからな。今さっき大広間と厨房と物置部屋を見たところだが、たまげるほどの大きさだったよ」
俺が言うと人形は片手を伸ばして俺たちを誘いながら部屋の北側に向かって進み始めた。
「部屋ハ全テ合ワセテ五十部屋ゴザイマス。ソレデハマダ御覧二ナッテイナイ部屋ヘゴ案内イタシマショウ」
するとジョバンニが口を出した。
「あ...ちょっと待って。あたしたち、本当は四人だったんだけど、一人はぐれちゃったのよ。一緒に探してくれない?」
人形はそれを聞くと、立ち止まってカタカタと頭を揺らしながら答えた。
「ソレハ大変デスネ。デハ、迷子ニナラレタオ客様ノ特徴ヲオ話シクダサイ」
「十九歳の女の子よ。顔の可愛い子で修道女の服装してるわ」
「了解イタシマシタ。ソレデハゴ案内シナガラ、人ガ迷イ込ミソウナ場所モゴ一緒ニ捜索イタシマショウ」
人形は答えた。
「話がわかるお人形さんで助かったわ。ついでにその箪笥の中、見せてもらってもよくって?」
安堵した表情でジョバンニが言う。
すると、人形は上半身だけクルリと回転させて二つの箪笥に向き直り、手をかざした。驚いたことに、二つの衣装箪笥の扉がひとりでに開いた。
「コノ中ハ空デスネ」
「ありがとう、もういいわ」
ジョバンニは感心しながら礼を言った。人形はもう一度手をかざして衣装箪笥の扉を閉めると、再び部屋を横切り始めた。
「ねえラファエロ」
ジョバンニが歩きながら俺のほうに耳打ちしてきた。
「何だ?」
「ヴァルグの生誕碑ってやつ....この子にありかを聞いたら話が早いんじゃあないの?執事なんだから家の内部のことは何でも知ってるはずでしょ?」
「確かにそうだな...」
俺は答えた。
「コチラハ、第二遊戯室ニナリマス」
人形はそう言いながら、部屋の北側の扉を開け、先に進みながら俺たちを手招きした。
その部屋もやはり広々とした四角い部屋だ。
だが先ほどの部屋のガランとした様相と違い、各所に長方形の奇妙な机のようなものが置いてある。それぞれの机にはやはりリネンの布が被せられていた。
また、部屋の四方の壁には奥行の浅い棚が造り付けられていて、そこには長い棒や子供の握り拳程の球が沢山置かれていた。
「ええっと...君の名は、確かヴァルドール...だったな?」
俺は人形にそう尋ねた。
「ハイ。オ客様。何デモオ尋ネクダサイ」
「ヴァルドール、これらの台は何に使っていたんだ?」
「『ビリヤード』トイウ遊戯デス。台ニ置イタ球ヲ棒ノ先端デ突イテ穴ニ転ガシ入レル遊ビデス。宜シケレバオ相手イタシマショウカ?」
人形は台の一つに近寄ると、その上にかぶさったリネンの布を取り除け、器用な手付きでそれを畳んだ。台の上には緑のビロードが張ってある。彼が言ったとおり、台には四隅と2つの長辺の中央に穴が空いていた。
「ここに人を隠せそうな場所はないわね」
ジョバンニは言うと、再び俺の顔を見、そして人形に向かって顎をしゃくった。俺は頷くと、口を開いた。
「ヴァルドール、実はもう一つ聞きたいことがあってね」
「何デショウ、オ客様?」
「我々はヴァルグ伯爵家の...その...歴史にとても興味があってね」
人形はリネンの布を再び台に掛けている。俺は続けた。
「特に、ヴァルグ・エンリーコ・デメトーリオ2世、つまり...君のご主人様かな?」
人形は黙っていた。相手の表情が分からないので気詰まりだったが、俺は尋ねた。
「彼の出生について知りたいんだ。できれば彼の出生碑を見せてくれないか?」
だが人形は反応しなかった。俺はジョバンニと顔を見合わせた。少し迷ったが、俺は続けた。
「もちろん無理にとは言わない。我々も、他人の家にお邪魔している身だからな。だが....貴族というものは血筋を明らかにするのが習わしだと聞く。見せてもらっても問題ないだろう?」
その途端人形の片目の奥の赤い光が点滅した。俺はギョッとして口をつぐんだ。
「どうした、ヴァルドール?」
「...論理不整合反応。警戒モード発動。警戒度第二位」
俺が尋ねると人形は誰にともなくそう言い、こちらに向き直った。
「オ客様ガタ。コレ以上ノゴ案内ハ出来カネマス。オ引キ取リ頂キマショウ」
俺は耳を疑った。すぐに手を上げて弁解した。
「ま...待ってくれ。ちょっと言ってみただけさ。そんなに警戒しなくてもいいじゃあないか。ダメというなら大人しく君の案内に従うよ」
「モウ一度申シ上ゲマス。スグニオ引キ取リ下サイ。モシモオ引キ取リ頂ケナイナラバ....」
人形は続けた。
「警告シマス。コノヴァルドール、実力行使サセテ頂キマス」