わしの名はドナテロ。
剣術流派「リベリ流」の第三代宗家である。
わしは流派を継いで以来、この生涯を全て剣術のために費やしてきた。
その間、犠牲にしてきたことも枚挙に暇がない。
他の者が遊び惚けあるいは酒宴に
また、剣を自在に操れる身体を維持するため、食べる物、飲むもの全てについて節制を心がけてきた。
そしてわしは、息子が生まれたときには、これをわしを凌ぐ剣術家に育て上げようと決心したものだ。
息子は幸い物覚えがよく、十代も半ばになると、門弟の誰よりも技に秀でるようになった。
だが、それと同時に、妙に知恵の働くようになった息子は剣士になることへの抵抗感を示し始めた。
確かに、剣士の仕事というのは割りに合うものではない。
身の危険は大きく、報酬は少ない。
さらには、世の中に溢れるニセ剣士と間違えられ、世人から白い目で見られたり、あるいは剣を下げて歩いているだけで訝しく思われることもしばしばある。
だが、わしは息子に対して剣士という仕事の誇りについて毎日のように言い聞かせ、教育してきた。
民間剣士は、民の暮らしを脅かす魔物を制する最初の防衛線である。
無論、どの王国にも軍隊や衛士たちはいる。
だが、そのような機構は、民が何度も何度も魔物に襲われ、人身および経済的被害が甚大なものとなり、これ以上はもう看過できないといった事態に発展して初めて用いられるものだ。
畢竟、もしも民間剣士が各地にいて目を光らせていなければ、かかる救済が行われるまでに何人もの命が犠牲になり、多額の資産が失われてしまうことになるのである。
だが、息子はそれを理解しなかった。
十八の歳を迎えたとき、あれはわしに言ったのだ。
「親父....俺は安定した仕事に就きたいんだ。剣士にはなりたくない」、と。
わしは、息子を説得した。他に職業を持ちながら兼業剣士となることもできる、と。
だがあれは耳を傾けなかった。
確かに兼業剣士というのも生易しいものではない。
剣士活動に時間を取られ、本業が疎かになってしまうことも多いし、剣士活動で負傷して休業しても、保障があるわけではない。休み過ぎて本業のほうをクビになってしまうこともある。
だが、それでもわしは説き聞かせた。
剣術を修めた者には、それに伴う責任というものがある。
それは社会に果たすべき責任である。
それなのに、息子は首を横に振り続けた。
あまつさえ、あれは「そもそも俺は剣術家の家を選んで生まれてきたわけじゃあない」とまで抜かしおったのである。
それを聞いた時、わしは失望し、意気消沈した。
あれは結局簿記学校に通い始め、成人すると王城の総務部の経理課に就職したのである。
わしは、あれのことは諦めて、今いる自分の門弟たちを育成することにひたすら力を注いだ。
ところがである。
ある日、わしは王都刑務所から知らせを受けて驚愕した。
なんと、あれが逮捕されて拘留されている、というのである。
聞くところによると、罪状は王墓の盗掘と貴族の邸宅への不法侵入ということであった。
わしは愕然とするとともに、次の瞬間あれを今すぐ一刀両断にしてやりたいという怒りが湧いてくるのを必死でこらえた。
そして、妻が入れてくれた茶を飲んでどうにか落ち着くと、どうしてあれがそのようなコソ泥まがいの行為に手を染めるようになったのだろう、と思いを巡らした。
だが、考えても答えは出なかった。
あれは、昔から目端は利く奴だったから、そんなことをすればすぐに逮捕されると知っていたはずである。だから思い当たる節は、父親の贔屓目を差し引いたとしても全くない。
わしは首を振ると、書状を一通したため、それを持参して馬車に乗り、王城に向かったのである。
書状には、国王陛下にあててこう記した。
「愚息を我が家に引き取り、社会規範のなんたるかを厳しく教育し更生させますゆえ、何卒寛大な処置をお願い申し上げたく候」
そしてわしは王城に着くと、陳情を願い出た。
通常、ルーラル王城において陳情はその旨の願いを出してからしばらくすると陛下にお目通りできる期日が指定されるものである。
ところが、応対に出た侍女らしき女性が言うには、陛下はしばらくの間会議が連続していて謁見を賜ることはできないという。
仕方なく、わしは携えてきた書状をその女性に託すと、踵を返した。
しかし、わしはふと足を止めた。
この王城に来るのは実に二十年ぶりである。
昔、わしはある仕事でここに通っていたのである。
わしは、わしが勤めていたころと変わらぬ城の前庭を懐かしく眺めた。
植え込みや樹木はほどよく手入れされ、下草は刈り込まれている。
すると、わしの名を呼ぶ声がどこからか聞こえてきた。
辺りを見回したが、前庭には誰もいない。
もしやと思い城のほうを見上げると、
わしは思わず驚きに目を見張ってしまった。
なんと、窓を開けてわしに呼びかけておられたのは国王陛下ご自身であったのである。
* * * * * * * * *
「久方ぶりじゃの、ドナテロよ」
「はい、仰せの通りにございます。確か最後にお会いしたのは二十年前。ご即位の式典のとき以来かと」
陛下のお言葉にわしはお答えした。
陛下はわざわざ謁見の間にわしを招き入れ、差し向かいに座ってくださったのである。
「しかし、歳月というのは無情なものじゃな」
陛下は悪戯っぽい目をしながら、わしの前頭部をチラ見された。
「まさしく。どれほど鍛錬を積もうとも、抜けていく髪の毛を引き止めることはできませぬゆえ」
わしも苦笑いしながら申し上げた。陛下の前頭部は対照的に、黒い髪の毛がふさふさと生えている。わしは少しだけ心の中で羨んだ。
「どうせ、お主のほうでは儂の腹が随分と出たと思っておるんじゃろう?」
陛下は調理服を着た少年が運んできた菓子を受け取ると、わしのほうを向いてウィンクされた。
「いいえ、滅相もございません、陛下」
少年はわしにも菓子を勧めたが、わしは固辞した。少年はわしの前の小机に紅茶だけを置くと、頭を下げ退出していった。
「この度は、愚息が大変なご迷惑をおかけしてしまい、お詫びの言葉もございませぬ」
わしは居住まいを正すと、頭を下げた。
「かくなるうえは、我が道場にてあれの弛んだ精神を一から鍛え直すとともに、社会規範を初歩から叩き込んで参ります。ですから、何卒、寛大なご処置を...」
わしがそう請い願うと、陛下はすぐに手を上げられた。
「いんや、そのことなんじゃがのう.....」
陛下はしばらく言葉を探して口ごもっておられたので、わしは怪訝に思った。やがて陛下は仰せられた。
「このことは、ドナテロよ、お主が思っているような事案ではないのじゃ」
わしはますます不思議に思った。
「....と....言いますと...?」
「うむ。お主の息子は儂の命で動いておったのじゃが、政治的な変動に巻き込まれてしもうたのじゃよ」
陛下はそう仰ると、言葉を継いで言われた。
「わしはどうにかしてお主の息子を牢から出してやれないか、思案しておったところなのじゃ。だが、時間がかかる。もう少し待ってくれんかの」
わしは陛下の意外な言葉にしばし沈黙していたが、やがて口を開いた。
「で...では、陛下。愚息は無実と仰るのでしょうか...?」
「うむ。儂の見立てでは完全にシロじゃ。だが...貴族連中の間で面倒な動きがあってのう」
陛下は言葉を濁された。
「面倒な...動き..ですか」
わしは重ねて質問しようとしたが、思い直して口を閉ざした。
王族や貴族の間で起こっていることは、庶民には知ることさえ許されていない事柄が多い。
これはわが王国での暗黙の掟のようなものである。
今わしは、かつて陛下の剣術指南役であったという立場に甘んじて、
陛下からこのように親しく拝謁を賜っているのであるからそれだけでも感謝せねばならない。わしは頭を下げた。
「ご配慮くださり、有難く存じます。愚息に会った暁には陛下からのご恩を忘れぬよう、重ね重ね言い聞かせ...」
「いや、あやつに礼を言わねばならぬのは.....儂のほうなのじゃ」
陛下はわしの言葉を遮って言われた。わしはますます意外の念に打たれて目を丸くした。
「あやつは儂の無茶な指示にも関わらず忠実に働いてくれた。民を苦しめる魔物を剣もて打ち払ってくれたのじゃ」
それを聞くとわしは再び言葉を失った。
あれは剣士になることを嫌って経理係となったとばかり思っていたからだ。それなのに、あれが剣もて魔物を打ち払ったと、陛下は仰せられたのだ。
わしが絶句したままでいると、陛下は続けられた。
「わしはあやつが城に来たときから認識しておったのじゃ。あやつはお主の一人息子であるから、剣の腕前もまたお主譲りのはずだとな。じゃから、魔物が出現したと陳情を受けたとき、真っ先に頭に浮かんだのもあやつの顔じゃった」
「で...では陛下。陛下は剣士としてのあれを使ってくだされたということでしょうか」
辛うじてわしが尋ねると陛下はやや微笑まれた。
「そうじゃ。何も知らぬ振りをしてな。だがあやつの働きは期待を遥かに上回るものじゃった。しかも、魔法使い、斧使いと聖女を加えた四名のパーティを率いる統率力も見事に発揮しおったのじゃ」
陛下はそう仰ると、わしの顔を覗き込まれた。
「ドナテロよ、今や儂にとってラファエロのような人材は貴重な宝なのじゃ。お主は父親としては実に良い仕事をしたのう」
陛下は言い終わると、小皿に乗せたティラミスをフォークでつつき始めた。だが、思い出したように顔を上げて付け加えられた。
「じゃが、風の噂に聞いたところじゃと随分な亭主関白ぶりだそうじゃの。細君をちっとは労わってやらんと、熟年離婚などされたら老後は目もあてられんぞ」
陛下が再びおどけた口調に戻られたのでわしは曖昧に笑った。
だが内心では、わしは年甲斐もなく落涙しそうになるのを必死で堪えていた。
わしは愚息を剣士にしようとして奮闘したが、反発されて諦め、七年が経過した。
ところが今、国王陛下ご自身が、剣士としてのあれの働きを頼りにしていると仰せられたのだ。
わしは自分の了見のなさを恥じるとともに、息子を抱きしめて褒めてやりたいという気持ちが湧いてきた。
わしが顔を上げると、陛下は既にティラミスを完食して紅茶をすすっておられた。
「陛下、どうかこれからもあれをお役立て下さいませ。あれの幼い頃から、よき剣士とは王国のために命をも差し出すものだと....」
そうわしが申し上げると、陛下はやや物憂げな表情で顔を伏せられた。
「...陛下?」
「うむ」
陛下は紅茶を飲んでしまうと、わしを見られた。そしてしばらく躊躇われたあとこう仰せられた。
「確かに儂はあやつを頼りにしておる。だが命まで捧げて欲しいとは思わん。と言うより...」
陛下は声を低めて言われた。
「儂の統治が果たして命を捧げて守るに値するものなのか。儂は今、自らに問うておるところなのじゃ」
わしは陛下の次の言葉を待って口をつぐんだ。
「....愚痴っぽくなって済まんの。じゃが、儂はこれまで王国の平和を保つためと思い、耐えがたきも耐え、忍び難きも忍んできたのじゃ」
陛下は溜め息をつかれた。
「しかし、最近...その儂の統治のあり方が果たして正しかったのか、自問自答することが増えてのう」
「陛下、恐れながら、申し上げてよろしいでしょうか」
それを聞いたわしは思い切って口を開いた。
「ドナテロ、思ったとおりに言うがよい。そもそもお主は儂の指南役じゃったのじゃ。お主の直言を聞きたくなければわざわざ呼び立てたりはせんでのう」
陛下がそう請け合われたので、わしは続けた。
「剣術に静と動がございますように、統治にも静と動があるとこのドナテロは考えまする。静による統治が吉と出る時勢というのは確かにございまする。そして、その静による統治にて、陛下はこれまで国をよく治めてこられました」
わしは一旦言葉を切ると一呼吸してから続けた。
「しかし、時勢はいつまでも同じように続くわけではございませぬ。動の時勢が来たるときには、動による統治が必要になる時もまたやって来るものかと」
「ふむ...そうか」
陛下は顎に手を当てて考え込まれた。
「陛下は王としての重責を一人で担っておられます。ですから、これまでと統治のあり方を変えることに対して不安や葛藤を感じられたとしても、世人は--そして後の世の歴史家たちもまた--決して陛下を心弱き統治者と見下げることはないでしょう。しかし、陛下....」
わしはここで息を吸うと言った。
「今の陛下が、動の時勢を目にしながらその御手にある権能を用いられないとしたら、陛下は眠れる獅子となりましょう」
「眠れる獅子...か」
「眠れる獅子であっても人は獅子を恐れます。しかしその目の届かない場所では好き勝手なことをするものです。動の時勢の中にあっては、獅子がその吠え声を上げて初めて国の津々浦々まで正義が行き渡り、平和が取り戻されるのではないでしょうか」
こうしてわしは常々心にあったことを申し上げたが、自分でもかなり思い切ったことを言ってしまったと内心肝を冷やした。
だが陛下はお気を悪くされた様子ではなかった。
わしと陛下がその後しばらく歓談していると、侍女らしき女性が部屋をノックして入ってきた。次の会議の時間だということであった。
わしは腰を上げると、拝謁を賜ったことに礼を申し上げ、部屋を退出しようとした。
だが、直前になって振り向き、わしは陛下にお尋ねした。
「陛下、ところで...剣術の稽古のほうは続けておられますかな?」
陛下は答えられた。
「無論じゃ。素振りも一日千本はしておる」
そして陛下はニヤリと笑うと付け加えられた。
「それと、お主直伝の居合斬りもな、腕は昔のままじゃ」