てなわけで、俺、ラファエロは仲間たちとともに無事に王都刑務所の未決囚房から出され、
その足で馬車に乗って二泊三日の旅をし、とうとう「ハデスの門」と呼ばれる洞窟があるという古代の神殿の近くまでやってきた。
その神殿は小高い丘の上にあったが、打ち捨てられて数百年が経過しているらしく、周囲には民家とて一つもない。
その神殿が見える場所まで我々がやってきたときには日没が近かった。
そこで我々は宿営を張り、灌木の枝を集め焚火を起こして簡単な夕食をとった。
日が暮れゆく平原のはるか向こうにあるなだらかな丘の上に巨大な石造りの建造物の群れが横たわっている。
周囲に人っ子ひとりおらず、その建造物群の中にも生きた者の影が少しもないというのはいささか異様な風景である。
俺たちは夕食を終えるとしばらく歓談していた。
そこで珍しくルクレティア嬢が身の上話をしてくれたのである。
彼女は教えてくれた。貴族の女性は家に縛られており、成人する前から政治の道具としての役割が期待される。
すなわち婚約や結婚を通じて家の権勢を強化し更なる繁栄を遂げるための要員として扱われるのだ。
彼女が修道女でいるのは、それが自分の自由と尊厳を保つ唯一の方法だからだという。
それを聞いた俺は考え込んでしまった。
俺は今まで、貴族たちが額に汗して働かずとも豊かに暮らしているのを見て羨んだことは一度や二度ではない。
もちろん、俺も働くのは嫌いではない。
だが、働くということはしばしば思うに任せない状況に我々を追いやるものだ。
理不尽な命令。多すぎる仕事量。細かすぎる指示内容、急な仕様変更や注文主の意味不明な拘り。
しかし、そういった事どもから全く自由に生きているように見える貴族たちも、
政治と競争という名の桎梏にがんじがらめに縛り付けられているのだとしたら、果たして俺たちは彼らを羨むべきだろうか。
そんな話をしているうちに、俺は小腹が減ってきた。
考えてみれば、しばらく拘置所の粗末な飯が続いたうえに、
今度は特急の馬車旅行で食事もスキップしがちだったのだから当然である。
そこで俺は、ここに来る途中通りすがりの村で奇妙な祭りを見たさいに老人からもらった菓子の袋を開けてみた。
ところが中を覗いた俺は顔をしかめることになった。
菓子そのものは普通の小麦の焼き菓子なのだが、
その形状が、人間の指だったり、目玉だったり、耳だったりするのである。
「どうしたのよラファエロ?」
ジョバンニが俺の顔を見て聞いてきた。
俺は立ち上がると菓子袋の中身を焚火の中に捨てた。
「あら、倹約家のあんたらしくもないじゃない。よっぽど不味そうだったのね」
ジョバンニが笑って言う。
「いや...あの村は明らかにおかしい。普通じゃないな」
俺は呟いた。
「さっきの村でしょ?あんた今頃気づいたわけ?」
ジョバンニが応じた。
「もうあの連中、村人なのか魔物なのか区別つかなくなってたわよね」
「それに、魔物たちが以前からヴァルグと和平関係にあったというのが気になりますわね」
ルクレティア嬢が口を開いた。俺も同意した。
「確かにな...。奴の出自から考えれば当然の話だが、しかし陛下の話によれば奴は自作自演とはいえ魔物と戦う英雄を演出していたはずだ」
「つまり領地の内と外では言ってることが違うってわけよね。領地の外では魔物をせき止めて王国を守ってるってことになってた。でも実際には領民ぐるみで魔物と仲良くやってるってわけね」
ジョバンニは言うと、頭を振った。
「あたしの見立てじゃあきっと領民が魔物に親しむように仕向けてるのもヴァルグね。奴はひょっとして、本気で『魔物と人間の共生』を狙ってるのかも」
「...その通りですわね...。ただし人間が魔物化していく、という前提ですけども」
ルクレティア嬢が言った。
「...に...人間が魔物化?どういうことだ、ルクレティア嬢?」
俺は驚いて尋ねた。
「むろん、本当に人間が魔物になれるわけではありませんわ。でも、魔物のように考え、魔物のように振舞うということなら不可能ではありませんわ。人がその心に住まう良心を捨てさえすれば....」
「戦争より恐ろしい未来.....と君が言っていたのはそういうわけだったのだな」
俺は呟いた。
俺たちは念のため交代で不寝番を立ててその晩を明かした。王墓の幽霊騒ぎのときとは違い今回はそれほど揉めなかった。
...ジュゼッペだけはどうしても夜起きていられないということなので早朝の番になったが。
翌朝、我々は荷物を纏めると古代神殿に向かった。セバスチャンと馬車は、万一を考え安全地帯で待機だ。
歩を進め近づけば近づくほど、巨大な構造物だとわかる。
まず、平原に二つの門柱がそそり立ち、
その向こうには丘の斜面を登るなだらかなスロープが続いていて、
やがて闘技場や神像を囲む野外礼拝場からなる施設群に至っている。
「一体こんな巨大施設を何のために造ったんだろう?」
俺は誰にともなく尋ねた。
「そんなの決まってるじゃない、神殿っていうからには何かの神様を祀ってたんでしょうよ?」
ジョバンニが答える。
「その割にはやけに大仰じゃないか。闘技場まで設えてあるなんてな」
「おそらく犠牲の儀式のためですわね」
ルクレティア嬢が答える。
いつもながら驚きなのが、彼女は我々男三人の歩くペースに少しも遅れることなくスタスタと歩いていることだった。
「犠牲の儀式?」
俺は尋ねた。
「古代の異教...つまり、わたくしたちに聖典が伝えられる以前の宗教では、さまざまな形での犠牲の儀式が行われておりましたわ。そしてその多くは動物、そして時には人間をも犠牲として捧げることがあったと言われておりますわ」
「人間の犠牲?」
俺とジョバンニは同時にギョっとした声を上げた。
「神々を宥める犠牲というものは血を流すことを伴うのが通例ですわ。そしてその血を流す者の身が尊ければ尊いほど、犠牲の価値も高いとみなされるのですわ」
ルクレティア嬢は眉一つ動かさず続けた。
「従って、これら異教の神に対して大きな誓願を行うさいには、しばしば人間を捧げる儀式が行われたのですわ」
俺とジョヴァンニは言葉を失い、しばらく黙って歩き続けた。だが最初に俺が口を開いた。
「だとしたら、この神殿が打ち捨てられたのは良いことだ。そんな野蛮な儀式をする連中が生き残っていないこともな」
「まさにその復活こそがヴァルグの狙いかも知れませんわね」
ルクレティア嬢がまたも不気味な言葉を口にする。
「昨日の村の祭りをご覧になって?彼らは魔物の形をした灯籠に動物の犠牲を捧げていましたわ。これはわたくしたちの間には存在しない習慣ですわね。これが発展すれば....」
「人間を捧げる儀式が復活するってこと...?」
ジョヴァンニが眉をひそめて呟いた。ルクレティア嬢は答えた。
「魔物をなだめ共同体の安寧を保つために誰かが犠牲になるべし、という思想が発展すれば、人が人を犠牲にし始めるまでに多くの過程は要しませんわ」
「恐ろしいな。そんなことはあってはならないと俺は思う」
するとルクレティア嬢は意味ありげな笑みを浮かべて俺を見た。
「ラファエロさん、その価値観はどこから来ているのかおわかりになって?」
「どこからって...そんなの当たり前のことだろう、ルクレティア嬢?」
「それがそうでもないのですわ」
彼女は神殿の方角を見ながら言った。
「聖典が伝えられる前、人の命は今のわたくしたちが考えるように価値があるとは思われていませんでしたわ。生まれた赤子を捨てるのはごく日常的に行われておりましたし、強い者が弱い者を虐げることも悪とはみなされていませんでしたわ」
そう言われて俺は口をつぐんだ。考えてみれば彼女は飛び級で修士号を取った秀才なのである。知識で俺などが及ぶものではない。
「つまり、人間ってのは一皮剥いたら獣とたいして変わらない存在ってことね」
ジョヴァンニが皮肉っぽく呟く。そんな会話をしているうちに俺たちは施設群の入り口を示す門柱までたどり着いた。
「しかし『ハデスの門』はどこにあるんだろうか?」
俺が言うとルクレティア嬢が紙片を取り出した。
「地図ですわ。わたくしの実家の父の蔵書の中から探し出しましたの。考古学者の間では結構有名な遺跡みたいですわよ?」
「君は相変わらず優秀過ぎるな」
俺は苦笑いした。
「ホント。最初の頃のトンチキお嬢様のイメージが吹っ飛んじゃったわ」
ジョバンニも相槌を打った後、自分の口を押えた。
「あ..ごめんなさい。言いすぎちゃったわね」
「あら、お詫びには及びませんわ。わたくし、自分が相当な変わり者だというのは自覚しておりますもの」
涼しい顔でルクレティア嬢が応じる。皆で地図を覗き込むと、現在地である門柱から登っていく参道の先にある闘技場を横切り、さらに神像の足元を通り過ぎた場所にある構造物の中に『ハデスの門』があるとわかった。
目の前にある二本の門柱は太く、それぞれの頂上には奇妙な形の彫像が置かれている。
よく見るとそれもやはり魔物のように角と牙が生えていた。
「これも昔拝まれてた神様の一種なのかしらね」
見上げながらジョバンニが顔をしかめる。ルクレティア嬢が答えた。
「これはおそらく守護者ですわね。悪しき者が境界内に入るのを防ぐのですわ」
「こいつ自身がワルそうに見えるのに。おかしな神殿ね」
「行こう。内部に何があるか分からないから油断は禁物だ」
俺は剣を抜くと先頭に立って進んだ。ジョヴァンニとジュゼッペは自然とルクレティア嬢を守るようにその左右後ろに位置する。
斜面を登っていくと、やがて巨大な闘技場の入り口にたどり着いた。
闘技場は丘の斜面に精緻な技術で石を積み上げることで建造されたようだ。見上げるような高い壁は正確な円形で、その直径は二百メートルはある。
壁にぽっかり空いた四角い入り口を慎重に通り抜けると、俺たちは砂を敷き詰めた闘技場の内部に入った。周囲を見回すと、石造りの観客席がぐるりを取り囲んでいる。
ところが俺たちが闘技場の中央あたりまで来たとき、入り口のほうから金属が軋む音が聞こえてきた。見ると、鉄格子が降りてきて入り口を塞いでいる。
「ちょっとぉ、ラファエロ。油断禁物って言ったさきからこれ?」
ジョヴァンニが言う。だが、その口調はそれほど深刻でもなかった。俺は剣を油断なく構え周囲を警戒しながら応じた。
「ジョヴァンニ、君もずいぶん肝が座ってきたようだな」
「何よ、あたしがビビりみたいな言い方しないでほしいわね。こんな朝っぱらから出てくる魔物なんてきっとタカが知れて....」
その瞬間だった。俺たちの周囲の闘技場のグラウンドのあちこちで砂が盛り上がり始めた。
盛り上がった砂から、人間のような何かが姿を表す。だがそれは人間ではなかった。
いや、かつては人間だったのかも知れない。
襤褸をまとったその肌は灰色に干からびている。口元は耳の下まで裂け、真っ黒な舌がだらりと垂れていた。その肉はところどころ剥がれ落ちて骨が露出している。
グール(屍鬼)どもだ。
「....ちょっとちょっとちょっとちょっとちょっとちょっと聞いてないわよこんなの!」
ジョヴァンニが悲鳴じみた声を上げる。俺は叫んだ。
「防御隊形をとれ!」
俺とジョヴァンニとジュゼッペはルクレティア嬢を守るように背中合わせになった。屍鬼どもは次々と姿を表し、俺たちを包囲し始めた。全部で数十匹はいる。
「ルクレティア嬢、まさか屍鬼にも人権があるから殺すなとは言うまいな?」
俺は剣を中段に構えながら言った。すると彼女は平静な声で答えた。
「それは微妙ですわね。冒険が終わったら調査いたしますわ」