私はレオナルド・ヴァン・ディアナ伯爵である。
十指では数えきれぬ企業と領地を束ねる伯爵家の当主だ。
また貴族会議のメンバーであり、さらにはその中ではヴァルグ派の筆頭として王国の秩序の維持に尽力してきた。
ある朝のことである。
私は起床し、執事の用意した朝食を手早く済ませると身支度を整えて階下に降りた。
屋敷の前に待たせていた馬車に乗り込み、王城に向かうよう御者に告げる。
今日も王城では貴族会議が開催される。
議題は立憲君主制への移行と貴族院の設立だ。
この議題は既に大筋で陛下の承認を受けており、あとは詳細な制度内容と移行手順とを決めるだけであった。
だが私の心はひどく騒いでいた。
それは我が娘ルクレティアのことであった。
彼女は4日前、王墓盗掘と貴族邸宅への不法侵入の容疑で逮捕された。
貴族特権により勾留は免れたものの、父である私が厳しく自宅蟄居を言いつけたにもかかわらず窓から逃げ出して行方をくらましたのだ。
馬車の窓から外を眺めながら私は溜め息をついた。
娘は幼いころから風変わりな子だった。
勉学の成績は飛び抜けて優秀。一度読んだ本の内容は決して忘れない記憶力の持ち主。
だがそれと同時に自立心がひどく強かった。
彼女は親に相談もせず修道女の誓願をし、
女性としての普通の幸せを願う母親からの説得にも一切耳を貸さなかった。
だが、父親の私としては、娘が健康で暮らしていてくれさえすればよかったのだ。
ところが、彼女は学校を出ると王城の法務課に就職し、そこである「特別プロジェクトチーム」に抜擢されたという。
そのプロジェクトチームというのは剣士、魔法使い、斧使いからなる四人のパーティであり、
魔物の出現その他の怪奇現象を調査し、原因を除去・解決する国王陛下特命の組織なのだという話であった。
だが当初聞いた話では御用聞きに毛が生えたようなものだということだった。村人からの陳情をもとにオークやゴブリンを狩る。そして聖女資格を持つルクレティアは負傷した仲間を治療する。
ところが、娘の逮捕を機に問い詰めたところ、彼女の任務はそれだけではなく、ダンジョン探索の真似ごとまでやらされているという。
そのような冒険には多大な危険が伴い、おとぎ話のように常に上手くことが運ぶわけではない。
私は思わず娘を叱った。なぜ危険な仕事を引き受ける前に親に相談しなかったのか、と。
すると彼女は涼しい顔で答えた。
「お父様、このお仕事は王国の安全を守るためですわ。とっても名誉なことではなくって?」
思えば、娘は幼い頃から女の子らしくないところがあった。
人形遊びやドレスよりも甲冑や刀剣に興味を示したし、
王子と姫が結婚して幸せになるおとぎ話よりも、魔物や怪物との凄惨な戦いの話を好んだ。
そして彼女は成長するにつれ、普通の枠では収まらないような女性になりつつある。
私は戸惑いながらも、少しづつその事実を受け入れようとしてきた。
だが今、彼女は飛び立った鳥のように父である私の手からは遠く離れてしまったのである。
「もし、旦那様。着きましてござい」
御者のアントニーオが声をかけてきた。
我に返ると、いつの間にか馬車は王城の前庭で停車していた。
私は御者に労いの声をかけると馬車から降りた。
城の扉の前に立つ衛士たちの横を通り過ぎ、貴族会議の開催される大広間に入っていく。
既に他の出席者たちはあらかた着席していた。だが、何か様子がおかしい。
いつもなら上席につく私が入場すると多くの出席者が起立して迎える。
ところが、今朝に限っては誰も私に目もくれず、
手に手に新聞を持ちながら互いに侃々諤々の議論に興じているのである。
私は自分の席に着くと、隣の席にいた同じくヴァルグ派に属する老伯爵であるコレッルリ氏に挨拶した。
「おお...おお....ディアナ卿。来られましたか」
伯爵は顔を上げた。その目は酷く動揺していた。
「皆さまは今朝はどうなされましたのですかな?やけに騒がしく...」
「それどころではありませんぞ、ディアナ卿」
コレッルリ伯爵が言い、手に持った新聞と紙片を私に示した。その額には脂汗が浮かんでいる。
「この号外を見てくだされ。ヴァルグ伯の先祖の血筋にとんでもない人物がいると....」
私が何気なく号外を見やるとそこには大きな文字が踊っていた。
『ヴァルグ伯の秘められたルーツ---救国の英雄は悪魔の子孫?』
私は苦笑して首を横に振るとコレッルリ伯爵をたしなめた。
「伯爵、よもやこのような下品なゴシップを信じておられますまいな?暇にあかせて下らぬ噂話に花を咲かせるのは庶民の常。我々貴族はそんなものには...」
すると彼は手に持ったもう一つの紙片を私に差し出した。
「し...しかし...これが昨夜拙宅に届いたのです。それも差出人は...」
コレッルリ伯爵は唾をゴクリと飲むと続けた。
「.....ルクレティアお嬢様からですぞ」
私は意味がわからず、取り敢えずその紙片を手に取った。
その紙片は拓本を複写したものらしい。そこにはこうあった。
『王国歴1598年11月3日ヴァルグ・エンリーコ・デメトーリオ2世ここに出生す。父: 光輝ける暁の子・ツロの君主・訴える者 母: エリザベッタ・ベファーナ・アレッサンドロ』
「おわかりですかな。...これがもし本物であればヴァルグ殿は悪魔の子孫ということになりますぞ」
「下らん。こんなものはいくらでも捏造できるではないですか」
私は吐き捨てた。私はヴァルグ伯を尊敬していたからである。
彼は高齢にして壮健、武勇の人でありながらその物腰は柔らかく、会議においては常に王国全体の利益を考えながら発言する。その彼の権勢と人望を羨み、スキャンダルを捏造する者が出てきてもおかしくはない。
「ですがディアナ伯、ではなぜお嬢様がそのようなことをなされると?」
コレッルリ伯爵は食い下がってきた。
「それはわかりませぬが...いや、そもそも娘の名を騙った何者かがやったのでは?」
私が答えると、伯爵は机の上から封筒と便箋を取り上げ私に示した。
宛名も文の内容も小さく几帳面な文字が書き連ねてあった。間違いなくルクレティアの字だ。
その時だった。その場にいた一同がどよめき、一斉に起立し始めた。
顔を上げると国王陛下が入場されていた。
私とコレッルリ伯は急いで起立した。国王陛下は手を上げると、皆を着席させ、口を開かれた。
「皆の者、大変恐縮だが、処理せねばならぬ所用があって本日の会議は早めに切り上げさせてもらいたくての」
陛下はそう前置きすると着席された。
そして会議が始まり、いくつかの議題が処理されると陛下は落ち着かない様子で席を立たれた。そこで我々は一旦昼休憩を取り、残りの議題を貴族間で話し合ってからその結論を後日報告することになった。
休憩になるとコレッルリ伯は早速私の袖を引いてきた。
「ディアナ伯...これは由々しき事態ですぞ。我らヴァルグ派の根幹を揺るがしかねませぬ」
私は再度首を振って否定した。
「お気に召されるな。くだらぬ噂にすぎませぬ、よりによってヴァルグどのが...」
「しかし、専門家によればあの拓本は本物と....」
すると我々と差し向かいの席に座っていたマウリツィオ伯爵が口を出した。
「ディアナ卿。ヴァルグ伯は信頼できないと私が前々から申し上げておりましたのを覚えておいでか?」
私は音を立てずに舌打ちした。マウリツィオは前々からヴァルグ伯の影響力の拡大に警戒心を抱いていた者の一人だ。古来から王都周辺に住む貴族たちの中には辺境領主への偏見が根強い。彼もそんな王都貴族の一人だった。
「これで私の勘が証明されましたな。立憲君主制への移行はともかく、ヴァルグどのに発言権を持たせるのは感心しない。どこの馬の骨とも出所の知れないような人物が貴族院の要職を務められるはずがないと最初から申し上げていたではないか?」
「口を慎まれよ、マウリツィオどの」
私は遮った。
「ヴァルグどのは救国の英雄。我らが王都で安全に暮らせるのも彼のお陰というものではないか」
マウリツィオはふんと鼻で笑うと、手に持った新聞を掲げた。
「英雄、とな。笑わせるわい。新聞の記事にあるではないか。『魔物との戦争は自作自演の疑いも』、と」
「自作自演?何を根拠にそんなことを。貴殿がご自身で見たわけではあるまい?」
私が立ち上がると、コレッルリ伯が恐る恐るの調子で切り出した。
「....実は私も疑っておりましたのです、ディアナ伯」
「疑う?何をです?」
私が問うと、老伯爵は言った。
「私は以前からヴァルグ伯の話に不審の念を持っていました。その...なんというか...話が出来すぎているというか......」
彼は躊躇いながらも続けた。
「....魔物との休戦講和など最初から不可能なのではないか、と。古くから魔物は人を襲い、奪い、傷つけるのがそのならいです。なんとなれば聖典にあるではないですか、『悪魔は最初から人殺しで嘘つきだ』、と」
「その通りだ。奴らが誠実に約束を守る保証などどこにもない」
マウリツィオが『それ見たことか』といった表情で私を見ると、別の新聞を手に掲げた。
「別の記事によればヴァルグは『ハデスの門』を開いて2億の魔物を呼び出すことを画策している、とある。つまり休戦で手を出せないようにしておいてから、大量移民によってわが王国を制圧する思惑があったともとれるではないか」
「まだそんなデタラメを信じられるのですか。貴族としての品位を疑いますぞ」
私はマウリツィオに精一杯の抗議をした。だがそれもむなしく、彼の展開する議論に対して次々と賛同の声が上がり始めた。
「私も思っておりました。魔物との休戦講和条約の裏には何かの思惑があるのではないか、と」
「私もです」
「私もだ」
出席者たちが次々と声を上げる。私は驚愕の思いで一同を見回した。
「で..ではなぜあの時にそう言われなかったのですか」
「それは..ヴァルグどのに逆らうことがどうしてもできなくて..」
コレッルリ伯がおずおずと呟いた。
「ヴァルグ伯の有する領地と権勢は王国随一ですからな。彼のやり方に賛同できなくとも、ついつい口を噤んでしまっていたとしてもおかしくはない」
マウリツィオ伯はそう言うと、声を張り上げた。
「皆さま、いかがですかな?忌憚のないご意見を伺いたい。ヴァルグ伯の『魔物との共生』の提言に疑念を持っている方は決して少なくないとお見受けする。実現可能だと考える方はどれくらいいるのか、挙手願いたい」
すると席は静まり返った。
「では、実現可能性に疑義があると考える方は?」
驚いたことに半分以上、いや殆どの貴族たちが挙手している。
「御覧になったとおり、我々貴族の総意は講和条約の破棄と言えましょうかな」
マウリツィオ伯は人差し指を挙げると私に向き直った。
「ディアナ卿、貴殿はヴァルグ派の筆頭と言える。この条約についても積極的に賛意を表明しておられた。だが、これによってもし王国に被害が生じたらどう責任を取られるのだ?」
「せ...責任?」
私は答えに窮したが、辛うじて反論した。
「条約の調印は貴族会議の総意のもと、王陛下が自らが行われたのではないか。なぜ私一人が責任を負わねばならないのだ?」
「白々しいことを申されるな、ディアナ伯」
マウリツィオ伯は畳み掛けてきた。
「貴殿はいわばヴァルグどのの右腕。これまで彼の手になる数々の議案を成立させるべく手腕を振るってこられたではないか。そして今、ヴァルグ伯の不在中もその意を受けて働いておられる」
ここまで言うとマウリツィオ伯は皮肉っぽく唇を歪めた。
「........ヴァルグの傀儡として、な」
それを聞いた私は色をなして相手に詰め寄った。
「なんたる侮辱!取り消されよ!」
「何が不都合だと申されるのだ?事実ではないか」
「取り消せ!取り消さぬなら...」
私がなおも詰め寄った瞬間、大広間の扉が大きく開け放たれる音が響いた。
その場にいた全員が戸口に注目したのが気配でわかった。
私は思わず立ち止まり、戸口に目をやった。
そこには奇妙な人影が立っていた。いや、人影と表現するのが適切かはわからなかったが。
その者は背が高く、頭髪のない頭に、鱗だらけの身体、そして鉤爪の生えた手足を持ち、
背中には蝙蝠を思わせる大きな翼が生えている。
部屋の外で戸口の前に立っていた衛士たちがおずおずとした口調で告げた。
「ま....魔物界からの使者殿がおつきです」
その者は大広間の中に足を踏み出すと、口を開いた。
「我が名はセレク=ヴァル=ノクス。魔族を代表し急ぎお伝えしたき儀があって参った」
出席者たちがヒソヒソ話をする声が聞こえてきた。
「いったいあやつは?」
「見たことがありますぞ。魔物側の代表として条約調印式に...」
「たしかドラコニアン(竜人)とか‥‥」
「おぞましい姿ですな」
「シッ、あれでまがりなりにも外交官ですぞ。怒らせると面倒になりますゆえ」
するとドラコニアンが再び声を上げた。その声は冷たいがよく通り、発音は完璧だった。
「国王にお目通り願いたい。国王はいずこに?」
「陛下はご多忙だ。いくら外交官と言えども来てすぐにお目通りできるものではありませぬぞ。まずは面会の申し込みをされたうえで待たれよ」
マウリツォ伯が答えると、竜人は言葉を継いだ。
「生憎だがこちらも時間がない。すぐに発たねばならぬゆえ、国王の代理たる人間側の代表と話をしたい」
「我々は貴族会議です。この会議体が陛下の承認のもと政治的最高執行機関となっており、議論の内容は全て陛下に報告される。ここでお話しくだされ、ノクス閣下」
相手が重ねて問うたので、今度は私が手を上げて促した。
「では貴族諸候に伝えよう」
竜人は一呼吸置くと、切り出した。
「本日早朝、王城から派遣されたと思しき人間四人がアブレンツィオ地方で魔族を殺害した。犠牲者の数、ゆうに四十を下らぬ。これは先に調印された休戦講和条約への重大な違反である。ゆえに、我らは誠意ある対応を求めるものである」
途端に会議がざわめいた。
「容疑者たちは当方にて拘束中である。条約の精神を尊重し、我らのほうからは彼らに危害を加えてはおらぬ。だが、我々は人間の側が自らを正し、容疑者たちを厳しく裁き、償いをなし、もって条約に基づく正義と平和を回復するよう求めるものである。なおこの者たちの名は、剣士ラファエロ、魔術師ジョヴァンニ・メルリーノ、斧使いジュゼッペ。そして....」
竜人は淡々と告げた。次の瞬間私は金槌で頭を殴られたような衝撃を感じた。
「....自称聖女、ルクレティア・ヴァン・ディアナである」