やあ、こんにちは。
フレデリコだよ。覚えてる?
久しぶりだから覚えてない人もいるかもね(汗)。
ボクは王城の調理助手、ジョバンニさんのアシスタントさ。
だけどここ最近はたった一人で厨房を切り盛りしてる。
なにしろジョバンニさんは庶務騎士団の仕事で何かトラブルがあったらしくて、
自宅謹慎処分になってしまったんだ。
しかも、その後勝手に出歩いて貴族の邸宅に侵入したとかの容疑で逮捕されちゃった。
でもボクはジョバンニさんが悪い事をする人だなんて絶対に思わない。
これは何かの間違いなんだって、確信してる。
ともあれ、ジョバンニさんがずっと出勤してこないのでボクはワンオペで厨房を回すことになってしまった。
しかも、ここ最近どうしたわけか連日のように貴族会議が城で開催されているんだ。
そうするとお昼を王城で食べる人の人数が倍増するし、相手は貴族だから粗末なものは出せない。
そんなこんなでボクは毎日フル回転でヘトヘトになるまで働くことになった。
ま、でもこういう経験を若いうちに積むのも悪くないって思ってるんだけどね。
お陰で仕事の手際は最初に比べると信じられないくらい良くなったんだ(エヘン)。
ところが、ある日の夕方のことだった。
レティシアさんから指示があり、ボクは王様の応接室に紅茶とケーキを二人分届けることになったんだ。
ボクが紅茶を入れ、ティラミスをふた皿お盆に乗せて廊下を歩いていると、
応接室の中にとびっきり良い身なりをした壮年の紳士が入っていくのが見えた。
ボクはその姿を見てひと目でわかった。
彼は、ルクレティアちゃんのお父さん、ディアナ伯爵だった。
なぜって、いつだったか貴族会議が開かれたときに、この紳士がルクレティアちゃんと親し気に話をしているのが王城の窓から見えたからだ。
ボクはそのあと図書館で貴族名鑑をめくってディアナ伯のことを調べたんだ。
それは、恋に浮かれていたボクに現実の厳しさを冷や水のように浴びせた。
どう考えたって、たかが料理人風情が、十は下らぬ企業と領地を配下におく伯爵家の令嬢と一緒になれるわけがない。
苦い諦念が胸に溢れてきたボクは、そっと貴族名鑑を閉じたものさ....。
だから、その後仕事がやたらと忙しくなったのは、ボクにとって良いことだったんだ。
この恋の苦しさを忘れられるから....。
でも、応接室にケーキを運ぶことになって、ボクはもう一度彼女のことを思い出してしまった。
ああ、この人がルクレティアちゃんのパパなんだな。
ルクレティアちゃんは小さいころどんな子だったんだろう。
彼女はいま、自宅蟄居中だって聞いたけど、どうやって過ごしているんだろう。
そんな思いが次々と湧いてくるのを頭を振って振り払いながら、
ボクは応接室の扉を叩き、中に入ったんだ。
「ディアナよ。この度はスマンかったの....」
王様が差し向いに座ったディアナ伯爵に話しかけているのが聞こえた。
ボクは恭しく紅茶とケーキを王様の前の小机に置くと、
今度はディアナ伯爵の前に進み出た。
「お主の娘は王都を離れる際にそれをわしに託したのじゃ。お主に渡してくれ、と」
陛下がそう仰るのが聞こえた。
ところが、顔を上げて伯爵の顔を見ると、ボクはもう少しのところでお盆を落っことしそうになってしまったんだ。
なぜって、伯爵の両目は涙に濡れていたからだ。そして、彼の手には手紙が握られていた。
ボクは見てはいけないものを見てしまった気がして、
必死で顔を伏せると、音を立てないようにしながら紅茶とケーキを彼の前の小机に置いたんだ。
「だがわしは約束しよう。お主の娘は必ずわしが奴らから取り戻し、生きてお主の手に帰らせる」
王様はそう言ったんだ。
ボクは頭を下げ、しずしずと後じさりし、扉を開いて外に出た。
そして厨房に戻ろうとしたとき、何かが頭の中で鳴り響いた。
『お主の娘は必ずわしが奴らから取り戻し、生きてお主の手に帰らせる』
....これっていったいどういう意味だろう?
ディアナ伯爵の娘って、ルクレティアちゃんのことだ。
他に娘さんはいなかったはず。
「奴ら」っていったい誰だろうう?
「生きて」って....ルクレティアちゃんはそんなに危険な目に遭ってるのか?
ボクは心臓が物凄い速さで打ち始めるのを感じた。
そして、いけないこととは分かっていたけど、
扉の前に立って聞き耳を立てたんだ。
「そもそもこれはわしが命じたことだ。庶務騎士団を名付けたのも、彼らの出撃を許可したのもわしだからのう...」
王様が話すのをディアナ伯爵は黙って聞いていたみたいだった。
「しかし、よいか、ディアナよ。この王国は今、動乱と危機に瀕しておる。それはわしの権力基盤が弱体化しているからではない。いや、わしはむしろ貴族会議がこの国を平穏に統治できるのなら喜んで権限を委譲しようと思っておる。だが....」
王様は続けた。
「だが...お主も聞き及んだとおり、ヴァルグの手がこの国を造り変えようとしている。それも光と秩序と正義をもってではない。闇と混沌と悪をもって王国を塗り替えようとしているのだ」
「お言葉ながら陛下。このディアナ..今でも...し...信じられませぬ」
ディアナ伯爵が呟くのが聞こえた。
「私、ヴァルグ伯を当代一の英雄と見上げておりました。それが自作自演など....」
王様は静かに言葉を継いだ。
「わしがこの目で見て、この耳で領民から聞いたのだ。間違いはない。それはわしの皇太子時代から続いておったことだった」
そこで王様は溜め息をつくと、こう言われたんだ。
「そのことをお主らに黙っておったのはひとえにわしの過ちであった。詫びて許しを請うしかないと思うとる。わしは王政からの移行が済んだら潔く責任を取ろうと考えている。だが今はまだ猶予して欲しいのだ。奴と戦うにはこの王国が一丸となって戦わねばならぬからだ」
「しかし....ヴァルグ伯が王権簒奪を企てているなど、陛下も本気で信じておられるのですか?」
伯爵が問いかけた。それに対し、王様は少し間を空けた後口を開いたんだ。
「ディアナよ、わしの父王の統治時代を覚えておるであろう」
王様は続けた。
「わしの父は25人の妾を持ち、彼女らの豪勢な暮らしは財政を圧迫し、国民の不満の種となった。だがわしは常々不思議に思っておった。父がそのような放蕩を始めたのは母が死んでから突然であったのだ。だから、父にどのような心境の変化があったのか知りたかった。それである時、わしは父の古い日記を探したのじゃ」
ボクはいつしかますます聞き耳を立てていた。
「すると、母の喪が明けた頃の日付の日記のページに手紙が挟まっておった。差出人はあのヴァルグであった。その中にはこうあった。『陛下におかれましてはさぞご心痛とお察しします。お見舞いとして、わが領地からえり抜いた妙齢の娘25人をお送りいたします。是非とも末永くお楽しみくださいませ』、と。何のことは無い。あの乱脈はヴァルグの唆しによるものであったのじゃよ」
王様はもう一度溜め息をつくと、伯爵にこう言ったんだ。
「しかし、それもまたわが父が犯した罪。その後始末がわしの責任であるのは当然のこと。だからわしは即位後、極端なまでに財政を引き締め、庶民と見紛うほど質素な暮らしを心がけてきた」
「それは我々もよく存じてございます、陛下」
ディアナ伯は答えた。
「陛下は庶民を第一に心にかけられる賢王と、津々浦々まで褒め称える者が絶えませぬ。貴族院においても陛下のその精神を引き継ぐことを....」
「いらぬ世辞はよいわい」
王様は低く笑うと、また話し始めた。
「よいかディアナよ。点と線を結ぶ、という言い方をすることがあろう。ヴァルグはまず、わしの父を道徳的に切り崩し、乱脈政治へと誘導した。それと同時に、自らは自作自演をもって魔物と戦う名君との名声を得た。これは国民の目を逸らしたい父王の指示でもあった」
ボクは、以前王様が食堂で庶務騎士団のメンバーに話していたことの内容を思い出した。
「そして、あれから四十年が経過し、あやつの次の手が明らかになったのだ。それは人と魔物をともに暮らさせること。そして最終的には戦わずして人の社会を魔物の中に呑み込むことだ。二億の騎兵を連れてきてこの国を占領させるとかどうとか言う話も、その詳細の真偽はともかくわしにはいかにもありそうな話に見えるのじゃ。なぜなら人というものは...」
陛下は少し言葉を探しておられるようだったけど、こう続けたんだ。
「人というものは染まりやすいからの。魔物と交わればその心の中の悪もまた強まろう。ひとたび人の良心が崩れれば、あとは奴らにとっての仕事は
ボクは話を聞きながら、この国がとんでもない状態に陥りそうになっていることを初めて知った。
そして、ジョバンニさんたちは、それをどうにかするために出撃したんだ。
それにルクレティアちゃんも。
「ディアナよ。先ほど言ったとおり、お主の娘は必ず取り戻す。その代わりと言ってはなんだが....」
王様が続けるのが聞こえた。
「お主に頼みがある。ヴァルグ派の筆頭であるお主にしかできぬことだ。ヴァルグを貴族会議から追放する。そして講和条約を破棄する。その決議に協力してほしい。だが....」
王様は間を置いた。
「だが、庶務騎士団の連中の身柄を取り戻す、そのギリギリの瞬間まで、お主にはヴァルグの味方を演じてほしいのだ。そしてひとたび成功したら、わしは奴に戦いを挑む。お主は貴族会議として援護してほしい。できるかの?」
「つ...つまり私に偽装工作をせよと....」
伯爵が戸惑って言うのが聞こえた。
「そうじゃ。使者を送り、奴らへの恭順の意を示し、そして騎士団をこちらに引き渡させる。それが合図じゃ」
話しを聞いていてやっとボクは理解した。
細かいことはよく分からないけど、
ルクレティアちゃんは今魔物たちに捕えられているんだ。
そして、それを理解した瞬間、ボクはもう居ても立っても居られなくなってしまった。
そして、応接室のドアを思い切り開けてしまったんだ。
中では、陛下とディアナ卿が驚いた顔でこちらを見ていた。
「....陛下...ディアナ卿....」
言葉がボクの口を突いて出てきた。
「ボ...ボクを行かせてください....!」
ボクは涙が次々と目から頬に流れ落ちるのを感じた。
「ボ...ボクを行かせてください...。ボクが、みんなを連れ帰りますから...!」
呆気に取られていた陛下がやがて口を開いた。
「フレデリコよ..お主聞いておったのか?」
ボクは頭を下げた。
「す..済みませんでした陛下。ルクレティアちゃんがどうなったのかが気になってつい..」
「では、お主、今この国で何が起こっているのかも理解しておるのじゃな?」
そう聞かれてボクは頷いた。細かいところは自信がなかったけど。
「ふむ....しかし料理人のお主が使者に立つなど説得力の面で弱いのう」
ボクは思いっきり叱られるか、ヘタをすると牢屋行きかと覚悟してたけど、陛下は意外なことに顎に手を当てて真剣に考えておられる様子だったんだ。するとディアナ卿はボクに向き直った。
「フレデリコ、とやら。お前のことは娘から聞いておる」
ディアナ卿はそう言ったんだ。
「いつも気にかけてくれている優しい少年で、彼と話していると心が癒される、とな」
そして卿は少し寂し気に笑いながら続けたんだ。
「娘は幼い頃から変わり者だった。私はあれが普通の少女らしい青春を送ってくれることを願っていたが、お前のお陰で少しはそれらしいものを味わう事ができたようだ」
卿にそう声を掛けられ、ボクはますます意外の念に捕らわれた。すると卿は陛下に向き直られたんだ。
「陛下。ご指示の旨、全て承りました。これより貴族会議で緊急決議を取り、騎士団の処断を取りまとめた書状と賠償金を用意しましょう。そして陛下....」
ディアナ卿は続けた。
「私自ら使者に立ちましょう。そしてこの少年を従者として連れて参ります。何しろ盗み聞きされた以上は秘密を漏らさぬよう誰かが監視せねばなりませぬからな」
なんだか話がどんどん意外な方向に転がっていくので、
今度はボクのほうが目を丸くして陛下と卿のお顔を交互に眺めることになってしまった。
そんなわけで、ボクは思いもよらない冒険に出発することになってしまったんだ。