ルーラル王国——
とある地方にある、平和で文化的な王国である。
農業と牧畜に適した広大な国土には、国境近くの高山地帯から流れ出る澄んだ雪解け水の川がいくつも走っている。国民の大多数は農民だが、都市部もそれなりに発展しており、文化と民度は“そこそこ高い”と評されている。
そんな王国の王城に、ひとりの青年が勤めていた。
ラファエロ。28歳、独身。
肩書きは総務課長。
だが、肩書のイメージに反して、彼は総務のトップというわけではない。
要するに、総務に関する実務の全てを押し付けられているに過ぎなかった。
すなわち、施設関連、勤怠、人事、会計....その他全てである。
しかも、彼には上司が三人いた。人事課長、経理部長(経理部という部は存在しないのに部長という肩書が与えられているという怪現象についての説明はなされていなかった)、そして法務部長(以下同文)。
案件の性質に応じて、それぞれの上司に決裁を仰ぐ。
上司どうしの意見が異なる場合は、その折衝も行わなければいけない。
そんなこんなで、彼はいつも大量の業務を抱えていた。
もともと総務主任だったが解雇されたレティシア嬢が担当していた案件がそのまま降りかかってきたことも状況に拍車をかけていた。
とはいえ、王城には新たな変化もあった。
ルーラル王は正式に政治的権限を貴族院に移譲した。彼は象徴的な元首となったのである。
だが魔物大戦争で彼が発揮した勇気、決断力、指導力はまだ国民の記憶に鮮明に残っており、
権限移譲を惜しむ声も多く、人気も高かった。
貴族会議を母体とする貴族院は正式な立法組織となった。
そして、ディアナ伯爵が初代総理大臣に選出されたのである。
彼は幾人かの同志たちとともに行政改革に取り組み、その手腕を発揮した。のちに彼はルーラル中興の祖とうたわれることになる。
話を戻す。
王城のトラブル解決チーム、庶務騎士団は、ルクレティアの退職以降聖女のポジションを空席としていた。
もともと聖女などそこらにいるわけでもないことに加えて、
そもそも魔物の発生件数や案件の危険度が激減したこともあり、
聖女を雇い入れる必要性を感じなかったためだ。
そして入れ替わるように、チームにはディオが新たに加わった。
自宅に引きこもっているとロクなことをしない、と兄のジョバンニが口利きをして王城に抜擢させたのだ。
しかも、ディオは魔力・戦闘力ともに優秀であったため、
兄のジョバンニは自然と騎士団活動から手を引き、
厨房に専念することとなった。これは彼の念願どおりであった。
だが、このディオがラファエロにとって思いもかけない頭痛の種になったのだ。
* * * * * * * * * * *
ある日のことであった。
ラファエロはディオが何気なく彼のデスクに置いていった領収書を前に愕然としていた。
「ラ.......ランチ代.......五万ルピーだと..........!」
ラファエロは慌ただしく席を立つと食堂に向かった。
本来はディオにも自席があるのだが、彼は勤務時間のほとんどを食堂でくつろいで過ごしていたのである。
「おいディオ!これはどういうわけだ!」
ディオは案の定窓際のテーブルに足を投げ出して雑誌を読んでいる。ラファエロは領収書をかざしながら詰め寄った。
「うん?なんだラファエロか。領収書がどうかしたのか?」
ディオは少し目を上げたが、また雑誌を読み始める。
「どうもこうもない!ランチに五万ルピーなんて予算の百倍じゃないか!」
「予算?そんなの知らないよ。常識の範囲で納めただけさ」
平然とディオが言う。ラファエロは唇を震わせた。
「じょ...常識...って...お前....」
気を取り直すとラファエロは続けた。
「着任のときに渡した規程集にあったろう。出張時の食事代の制限は出張規程第15条と細則の28条付属表Bに明記してあるはずだぞ!」
「うん?そんなの貰ったっけ?」
とぼけた顔でディオが言う。
「しかもお前、勤務時の誓約書に各規程を遵守して勤務しますっていう条文があったのを読まなかったのか?サインしただろ?」
「ボォクがサインする書類にいちいち目を通すわけないだろ?そんなの秘書とか執事の仕事じゃないか」
「おい、お前は王城職員であって貴族じゃあないんだぞ。だいいちヴァルグ伯爵家はもうとっくの昔に取り潰されたんだからな。忘れたのか?」
「いちいちうるさいなぁ。だからなんだってんだよ。食事くらい人間なみのものを求めて何が悪いんだ?」
「だが王城の予算には限りがあるんだ。予算の財源は税金だ。国民の納得を得られないような浪費はできない。この理屈、お前だってわかるだろ?だからこそ五百ルピーと....」
ラファエロは滔々と説き聞かせる。
「五百ルピー....五百ルピー.....」
ディオは何かを思い出すかのように呟くと顔を上げた。
「思い出したよ。ボォクのパパが飼っていたハムスターの食事が一食それくらいだったっけなぁ...あいつ今頃どうしてるかなぁ。ネズミとの生存競争に負けてないといいんだが」
「話を聞かんか!」
厨房では肩を並べて仕込み作業をしていたジョバンニとフレデリコが笑いをこらえていた。
「着任したばかりのあたしとラファエロの会話そっくりじゃない?」
「いえ、ジョバンニさんのほうがよっぽどディオより素直でしたよ」
「そうかしら?まあそうかもね。あいつ、あたしと違って都合悪くなると逃げるところあるし」
そこにジュゼッペが食堂の扉を開けて入ってきた。
「旦那がた。ちょっとお話があるです」
ラファエロとディオは言い争いをやめた。
「どうしたジュゼッペ、改まった顔をして?」
「実は、ワシは王城勤務から外されることになったのです」
それを聞いたラファエロは驚いて目を丸くした。
「外されるって‥‥まさか‥お前不始末でも起こしたのか?」
「わしから説明するのう」
唐突にルーラル王が扉から入ってきて、その場にいた皆が畏まってしまった。ディオ以外は。
「いいえ陛下、私が説明します。直接の担当者ですから」
ディアナ総理大臣が続いて入ってきた。
「皆んな、こちらの勝手な都合で済まない。ジュゼッペくんには、是非やってもらいたい仕事があってね」
大臣は皆の顔を見回すと言った。
「彼には新たなポストに就いてもらう。それは‥‥」
皆が不思議そうな顔をした。総理大臣じきじきによる引き抜きという前代未聞の人事で庭師がどうなるのか見当もつかなかったからだ。
「道路整備局局長だ」
全員の頭にはてなマークが浮かんだ。
「道路整備...局?」
大臣は続ける。
「王城でいえば部長クラスだ。思う存分その腕を振るってもらおうと思ってね」
「なッ......部長クラス?」
ラファエロが驚いて呟いた。つまらなさそうにしていたディオまでもが雑誌を横に置いて聞き入る。ジュゼッペが口を開いた。
「ワシが戦争のあとの道路修復を手伝ったとき、ディアナの旦那さまがワシの腕を誉めて下さったです。ですからこれからは国中の道路を手直しして馬車を走りやすくするです」
総理大臣が補足した。
「もちろん彼に単独でやらせるわけではない。専門職員を配置して組織を立ち上げる。だが私はむしろ、彼のデザインセンスに目を付けたんだ。彼の整地は実に美しい」
「そ‥‥そうか。大出世じゃあないか。おめでとうジュゼッペ!」
ラファエロが叫んだ。
「庶務騎士団も寂しくなるわね」
ジョバンニがしんみりと言う。
「でも庭の手入れは誰がやるんですか?」
フレデリコが素朴な質問をした。
すると、ジュゼッペが扉を開け、部屋の外に向かって手招きした。
ガッチリした体格の若者が入ってきた。無愛想な表情だが、田舎出身の素朴な感じがどことなく漂っている。ジュゼッペが紹介した。
「倅のガブリエーレです。ワシが辞める前に責任もって仕事を引き継ぐです」
「よろしくね。ボクはフレデリコ」
フレデリコは厨房から出てきて握手を求めた。ガブリエーレ青年は口を真一文字に結んだまま握手を返す。
「君も...その...ジュゼッペと同じような力を持っているのか?」
ラファエロも握手しながら尋ねる。青年は黙ったまま軽く頷いた。
「世代交代ねぇ。なんかしみじみしちゃうわ」
ジョバンニが呟く。ラファエロが笑顔を浮かべ青年の肩を叩いた。
「いずれにせよ歓迎するよガブリエーレ。新しい職場に慣れるまで、わからないことはなんでも質問してくれ」
「あ...あのよぉ」
ガブリエーレはためらいがちに口を開いた。
「何だ?遠慮することはないぞ」
「あ..あのよぉ、この食堂っておかわり自由なのけ?」
ガブリエーレの朴訥とした喋り方に思わず吹き出しそうになったラファエロだったが、危ないところでこらえながら答えた。
「もちろんそうさ。そうだろ、ジョバンニ、フレデリコ?」
確認すると二人とも頷く。
...............だが.....。
この不用意な一言がラファエロの新たな頭痛の種の始まりだったのだ。
* * * * * * * * * * * * * * * * * *
「....なっ....厨房予算が幾何級数的に増加している?」
彼はデスクの上で書類を眺めながら呟いた。そこへジョバンニがやってきて新たな帳票を置いた。
「はい、ラファエロ。今月の申請ね」
「わ...わかった」
だが受け取ったラファエロは目を見開いた。
「お...おいジョバンニ。仕入れ二百食×営業日数ってどういうことだ?」
「あら、知らなかったの?半分はガブリエーレよ」
ジョバンニが平然と言う。ラファエロは顔面蒼白になった。
「な....な...なんだとぉ?」
「だってあの子ってばまだ二十歳そこそこよ?そりゃ肉体労働したらお腹すくに決まってるじゃないのよ」
「し....しかし...これでは予算のバランスが崩れてしまうぞ。一体どうすれば.....」
しかしジョバンニは微笑むとラファエロの背中を叩いた。
「ま、これも人材育成の一環だと思ってあげなさいよ。あたしたち、不愛想なあの子が満足そうな顔するのを見るのが一番やる気出るのよねぇ」
そこにジュゼッペとガブリエーレが扉を開けて入ってきた。二人とも顔に泥がついている。
「旦那がた。そろそろワシも最終日ですから、貸与品を返却したいです」
ジュゼッペが言った。ラファエロはやや寂し気な顔になった。
「そ...そうか。ご苦労だったな」
「倅にはしっかり仕事を叩きこんでおきましたから、ご安心くださいです」
ジュゼッペはガブリエーレの頭に手を置きながら続けた。
「ねえ!あたしってばいい事思いついちゃった!」
ジョバンニが手を叩く。
「送別会しない?王城のみんなを集めてさ、パアッとやりましょうよ!」
「あのぉ....それってオラも出席していいのけ?」
おずおずとガブリエーレが尋ねる。
「もちろんじゃないの!お父さんの門出のお祝いだもの、あんたも目いっぱい楽しんでいいのよ?」
ジョバンニが青年の肩に腕をかけながら言う。
だが、ラファエロの頭の中には次の展開が既に浮かんでいた。
処理しきれないほどの帳票の山。バランスを遥かに超える申請金額。
「勘弁してくれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
このようにしてラファエロの日々は続いていったのである。
その他、このルーラル王城で起こったハプニングには枚挙にいとまがない。
だが、これらすべてを書き記すにはページが足りないため、
筆者は一旦ここで筆を置くことにしたい。
読者の皆様に、神の祝福がありますように。