「何なんだ、これは!!」
煮詰まった激情が噴き上がる。
目が覚めたら自身を殺した者になっていたのだ、冷静でいられるはずもない。
自分の頬を殴る。
どうか夢であってくれ、と願いながら殴打する。
だが脳はこれが現実だと通告してくる。
(まさか、術式に間違いがあったのか?)
そう思い《輪廻転環》の術式を確認しようとする。
だが、どんな術式だったか思い出せなかった。
それどころか他の魔法の術式も思い出せない。
唯一覚えているのは初級魔法をいくつかだけ。
「あ、あり得ない……この”俺”が魔法を忘れるなんて」
魔族にとって魔力と魔法は強さの証明だ。
上位の魔族になればなるほど、習得難度の高い魔法を修めている。
魔王ともなれば他の追随を許さないほどの魔法を習得している。
現にアトラ自身も数多の最上級魔法を操っていた。
(土中で魔法を発動できなかったのは、術式を”覚えていなかった”から。
は、はは。この”我”が。
魔王が魔法を失う? 悪夢にも程がある)
乾いた笑いが喉に引っかかる。
しばし呆然としていたが、ふと考えが反転した。
(絶望的と思っていたが、これはむしろ好機では?
魔王すら殺せる勇者、その肉体を手に入れたのだ。
ならば、この器で再び世界を支配すればよい)
希望が見えてきた。
(そうと決まればまずは情報収集だ。
今の世を知り、征服の準備をする!)
先ほどの落ち込みが嘘のように、”アトラ”は駆け出した。
木々を抜け、小高い丘に出た。
眼下には森が鬱蒼としている。
ただ道が整備されているので、先には街でもあるだろう。
(いるのは人か、はたまた魔族か)
そのとき、鋭い悲鳴が風に乗った。
男女の声だ。
視線を走らせると、森を逃げる人間二人。
その背を複数の狼型魔物が追う。
人間がいるということは人間界だろう。
(何だ、人間か。
どうでもい!?)
どうでもいい、と考えているのに身体が勝手に走り出した。
丘を蹴り、谷へ飛ぶ。
(なっ……! 身体の制御が利かん!!
止まれ、 止まれぇえええ!!)
命令を無視して肉体は疾駆し、狼どもに追いつくや、空中に光の剣を顕現させた。
一閃。二閃。三。
光刃は瞬く間に群れを細片へと刻む。
あまりに洗練された斬撃──幾度も魔族を屠った剣技に違いない。
顕現した剣は役目を終えると淡く消えた。
(何が起きた。
我の意志ではない。身体が勝手に──)
思考を遮るように、助けた人間たちが叫ぶ。
「「へ、変態だー!!」」
そう、勇者の身体はいま、全裸である。
「す、すみません。助けてもらったのに”変態”だなんて……!」
青年が平謝りする。
「ご、ごめんなさい……」
女、というか少女の方は顔を隠しながら謝る。
(ええい、貴様らなどどうでも──)
「いえ、お怪我はありませんか?」
内心とは裏腹に、口が勝手に動いた。
「は、はい。
あの、助けてもらっておいて何なんですが……もう少し前を隠してもらえませんか?
妹もいますので」
(なぜ我が人間の言に従う必要がある!)
「これは失礼。乙女に見せるべきではありませんでしたね」
身体はやはり勝手に局部を隠す。
「その……服は?」
(目覚めたら無かったのだ!)
「目覚めたらありませんでした」
珍しく心と口が一致した。
青年は「大丈夫か」とでも言いたげな目で見る。
「で、では村まで来てもらえれば、お礼に服を譲りますよ」
(ふん。人間の施しなど──)
「それはありがたい! 服が無くて困っていたところです」
村まで兄妹に案内してもらうことになった。
道すがら、アトラは思考を巡らせる。
(この身体、完全に我のものになったわけではないのか……?
いや、森では我が動かしていたのは確かだ)
自身で殴った頬の感触は覚えていた。
(だが人間の悲鳴に反応した途端、制御を奪われた。
”人間の危機”に反応した、ということか?)
「僕はキオと言います。こっちは妹のクー。
お兄さんの名前を聞いても?」
「俺は……俺の名前…………ぉ、おれ……のの……なまえぇ……」
(な、何だこの異様さは……!?)
途轍もなく根源的な恐怖を感じる。
「──もしかして、頭とかぶつけました?
なんか顔もちょっと腫れてるし、無理しないでくださいね?」
「お兄さん、大丈夫ー?」
「え、ええ。ご心配なく。
これでも身体は強い方ですから。
ただ少し名前が……」
アトラの感じた恐怖が去った。
青年キオは何か事情を察したように頷く。
「では”勇者さん”と呼んでも?」
(なぜ我が勇者などと──)
「いいですよ。でも、どうして勇者と?」
「”光り輝く剣で人を救う”──さっきのお兄さんは伝説に出てくる勇者みたいだったので!」
「すっごい強かったもんね!
魔物を一瞬で倒してたし」
「ふふ。俺も、そう呼ばれる人間になりたいと思ってますから。嬉しいです」
そうこうしていると村が見えてきた。
「すみません、ちょっと待っててください。
すぐに服を持ってきます!」
「またねー!」
全裸の男を村には入れられない、当然の対応だ。
(ちっ。まあいい。
情報収集には好都合。
存分に利用してくれよう)
間もなくキオは戻ってきた。
「勇者さん、父のお古ですけど良ければ」
袖を通す。
いかにも庶民の装いだ。
「ありがとうございます」
「勇者さんはこの後どうします?
村に泊まっていきます?」
「そうしたいところですが、路銀が無いので」
「だったらうちに泊まってください」
(助けてやったんだ、当然だな)
「いいんですか?」
「ええ。命の恩人ですから」
「では、お言葉に甘えさせてもらいます」
こうして“勇者の身体を得た魔王”は、服と今夜の寝床を手に入れた。
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