「狭い家ですが、どうぞ」
キオに案内されたのは、古びた一軒家。
乾いた木の匂いがする。
(我の宿としては些か不満だが、野宿よりましか)
キオに奥へと案内されると、ベッドに横たわる女がいた。
腕や首元には、黒い痣が絡みつくようにうねっている。
「母さん、さっき言ってた勇者さんだよ。
今日はうちに泊まってもらうから」
「キオとクーを助けていただいたとか……。
本当に何とお礼を申し上げれば……」
(ふん。感謝にむせび泣き、首を垂れるがいい!)
「いえ、当然のことをしただけです。
それよりも、その”痣”はどうされたんですか?」
「これは……”黒蛇病”です……」
キオが沈痛な面持ちで応える。
(黒蛇病……知らんな。
そも人間の病など、どうでも良いではないか)
「《清浄の輝き》」
身体が勝手に魔法を放つ。
掌が光り、女の痣は見る間に薄れ、やがて消えた。
「え……!? か、母さんの痣が……!?」
「い、一体何が……?」
「勇者さん……! な、何をしたんですか!?」
(そうだ、我にも説明しろ!)
「《清浄の輝き》の効果は…………こう、か……は、は……」
喉の奥で歯車が噛み合わず、言葉が軋む。
アトラは先ほど同様に慄く。
(まただ。
この異様な雰囲気──なぜ我ほどの者が畏怖する?
何だこれは!?)
「母さん、身体の痛みは大丈夫?」
「ええ、嘘みたいに無くなったわ……!」
(なぜ平然としていられる。
こいつらはこの空気を感じないのか?)
「勇者さん、あなたは一体……?
もしかして”教会”の方ですか?」
「教会?」
圧迫感が消える。
「違うんですか?
黒蛇病を治せるのなんて、相当上位の光属性魔法だと思うんですが」
(教会──まさかアレスタリア教か?)
アトラの記憶では、人間界には多くの神が居たがその悉くが去り、唯一残ったのが女神アレスタリアと聞いたことがある。
アレスタリア教はその女神を信仰する宗教で、光属性魔法の使用者が多数在籍していたはずだ。
光属性には怪我や病を治す魔法があり、他にも結界を張ることもできる。
アトラも侵略時、結界魔法には手を焼かされた。
「アレスタリア教のことですか?」
「ええ。てっきりそうなのかと」
「いえ、俺は特に信仰してないです。
でも、俺なら治せると思ったので」
(《清浄の輝き》──効果的には浄化の魔法か?)
「あ、すみません。まずはお礼を言うべきでしたね。
僕とクーだけじゃなく、母まで助けてもらって──本当にありがとうございます!」
「いえいえ。
俺の憧れた”勇者”は、困っている人を見捨てないはずですから」
「本当に……本当にありがとうございます……」
「何と言えばよいか……お礼の言葉も見つかりません。
本当に……」
親子は頭を下げ、こらえ切れぬ涙で目を潤ませた。
「お母さん、お薬もらって来たよ。
あ、勇者さん。
──二人とも、どうして泣いてるの?」
クーにも事情を説明したが、彼女の防波堤が決壊し、落ち着くまで時間がかかった。
疲れたのか、今は母に寝かしつけられている。
「妹がうるさくて、すみませんでした……」
(全くだ)
「お母さんが大好きなんですね」
「うちは父が早くに他界したので……。
ずっと母が一人で僕たちを育ててくれたんです」
キオは母に目をやる。
安堵が滲む視線だった。
「でも去年、母は黒蛇病を患って。
痛みで働けなくなってしまって……」
黒蛇病を発症すると、身体に黒い痣が現れる。
痣は鈍痛が伴い、徐々に広がっていく。
そして痣が首を一周すると死亡する。
治すには教会に高い寄進をし、高位の浄化魔法を受けるしかない──と、キオが説明した。
「今日は痛み止めになる薬草を取りに行ってたんです」
「そこを俺が助けた、と」
「ええ。普段、森の表層には魔物はいないので油断しました……」
「でも、どうして妹さんまで?」
「妹は《植物探知》というスキルを持ってまして。
効率良く薬草を探すために連れて行ったんです。
でも危険な目に合わせてしまいました……」
(スキル──人間に”稀”に発現する力か。
女神が与えているらしいが、”与えられた力”で強くなるなど虫唾が走る。
自ら強くならずして何が“英雄”か。何が“勇者”か。
──お前のことだぞ、勇者!!)
その嘲りは誰にも届かない。
「本当に、どうお礼をすれば良いか……」
「報酬なら、今夜泊めていただくことで、もう充分ですよ」
(足りんだろうが!
もっともらえ!
もっと吹っ掛けろ!)
「でも、それだけではあまりにも……」
(そうだ、もっと言ってやれ!)
もはやこの身体を“自分のもの”と感じられぬアトラだった。
「なら俺のことを覚えておいてください。
そしていつか俺が勇者になった時は、俺の功績を大々的に喧伝してください。
”次”の勇者の道標になるように」
(これは我の言葉ではない……これは我の言葉ではない……)
羞恥を押し込めるように、心中で繰り返す。
「勇者さん……僕にとってはあなたが本物の勇者です!」
(ぐ、グギギ)
アトラにとっては聞くに堪えない談笑が、しばし続いた。
(……そうだ。
この世界の現状、とくに魔族がどうなっているのかが知りたい。
世界征服の尖兵として使えるやつがいればよいが──おい、このポンコツ。
こいつに魔族のことを訊け!)
「キオさん、今って魔族はどうなってるんですか?」
(ん? 口調こそ我ではないが、言うことを利いたぞ?)
「魔族って”あの”魔族ですか?」
(あのもこのもあるか。
魔界の住人、人間を恐怖に落とす偉大な種族だろうが)
「魔界の住人のことです」
「で、ですよね?
その……魔族なら、大昔にこっちと魔界を繋ぐ”門”が壊されてから、現れてませんよ?」
(な、なぜ門が壊されている!?
あれを壊せるものなど……)
起源も不詳の“門”は、どれだけの年月を紡ごうと劣化しなかった。
また如何なる衝撃にもビクともしなかった。
それが壊れるなど信じられない。
「誰が壊したんです?」
「大昔に、勇者と魔王が結託して壊したって、結構常識ですけど。
……勇者さん、本当に記憶喪失なんですね」
(なぜだ……。なぜ勇者と魔王が結託してそんなことを……?
これでは魔界に行けんではないか……)
「勇者と魔王が結託したのは、なぜでしょう?」
「さ、さあ? 戦争が嫌になったんじゃないですか?」
(戦争が嫌になる? そんな魔族がいるものか!)
「戦争が嫌になる魔族なんているんですか?」
「僕に聞かれても……まあ、いたんだと思います。
確か魔王の名前が、アテル? アルタ?」
(──ま、まさか)
「”アトラ”?」
「そうそう、アトラです!
魔王”アトラ”と勇者”アルケイド”、二人が門を壊したんですよ」
心臓が一拍遅れる。
(この悪夢は、いつ覚める?)
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