マキマに転生したら姫野にめちゃくちゃ敬愛される   作:あきnobu

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5話

私は孤児だった。 孤児院の門の前に、籠に入れられ、毛布に包まれて捨てられていた赤ちゃん。それが私だ。 そうして保護された孤児院での生活は、今思えば決して悪くなかったと思う。当局の支援は辺境の院にまで行き届いていたし、お母さん(孤児院の職員)たちはみんな優しかった。もう顔も思い出せないけれど、友達だっていた。 決して裕福ではなかったけれど、少なくとも「平穏」はあった。

 

私が十歳の誕生日を迎えて、半年ほど過ぎた頃のことだ。 その「平穏」を切り裂くように、一人の少女が院にやってきた。

 

年齢は分からない。背丈や容姿からして、十五歳かそこらだろうか。燃えるような赤髪と、吸い込まれそうな金の瞳。黒いロングコートを羽織った彼女は、子供とは思えないほど完成された美しさを湛えていた。 彼女の後ろには、威圧的な黒服の男が二人控えていたけれど、私たちの視線は彼女一人に釘付けになった。それほどまでに、彼女の美貌はこの寂れた孤児院で異彩を放っていたのだ。

 

最初、お母さんたちは彼女を「迷い込んだお嬢様」のように扱い、子供に対するような態度で接していた。 けれど、黒服の男が耳元で何かを囁いた瞬間、お母さんたちの顔から血の気が引いた。

 

「も、申し訳ございません! すぐに、すぐに準備を……!」

 

さっきまで優しかったお母さんが、見たこともないほど必死な形相で、子供のように若すぎる少女に何度も頭を下げ始めた。 当の少女は、その謝罪に怒るでもなく、かといって興味を示すでもなく、ただ冷淡に、流れるような足取りで院の中を歩き出した。 無視されたお母さんの一人が、糸が切れた人形のようにその場にヘナヘナと座り込んだ。その顔に張り付いた絶望を見て、私の胸は嫌な音を立てて疼いた。

 

少女は、並んでいる子供たち一人一人の顔を、値踏みするように一瞥していった。 ほとんどの子には興味を失ったかのようにすぐに目を離していたけれど、私の前まで来たとき、その歩みが止まった。 私は思わず身構えた。何か、彼女の気に触るようなことをしただろうか。

 

少女は私の前で静かに腰を落とし、顔を覗き込んできた。 至近距離で見る彼女の瞳は、まるで複雑な模様を描く美しい工芸品のようだった。

 

「……君、何歳?」

 

鈴の音のような、透き通った声だった。

 

「わ、えっと……十歳です」

 

私が震える声で答えると、彼女は立ち上がり、考え込むように折り曲げた人差し指を顎に当てた。 お母さんたちの怯えようから、彼女に得体の知れない恐怖を感じていたはずなのに、その仕草だけは、年相応の少女らしく、酷く可愛らしく見えたのを覚えている。

 

「十歳か……」

 

彼女は小さく呟くと、そのまま視線を上げて、孤児院の煤けた天井をじっと見つめ始めた。 沈黙が流れる。私は何も言えず、固唾を飲んで彼女の次の言葉を待った。 やがて、彼女は満足したように口を開いた。

 

「……うん。決めた。君でいいや」

 

君でいいや? どういう意味だろうか。 首を傾げる私の頭に、彼女の白く細い手が伸びてきた。 彼女は優しい手つきで私の髪を撫で、微笑んだ。

 

「今日から、私が君のママだよ」

 

「……あえ?」

 

あまりに唐突な宣言に、間抜けな声が漏れた。 混乱する私を置き去りにして、彼女は後ろの黒服へと振り返る。

 

「この子にします。少し成長が早いようですが、それを差し引いても適性は十分でしょう」

 

事務的な口調でそう告げると、彼女は再び私に向き直り、その金の瞳を細めた。

 

「君の名前は?」

 

「れ、レゼです。名字はなくて、ただの、レゼ……」

 

「レゼちゃんね」

 

彼女はしゃがみ込み、私と同じ目線に合わせると言った。

 

「これからよろしくね。レゼちゃん」

 

こうして私は、その赤髪の少女に連れられ、あの静かだった孤児院を後にした。 それが、私の新しいママとの、六年に及ぶ歪な日々の始まりだった。

 

 

孤児院から連れられた私は、赤髪の少女に手を引かれて、トコトコと孤児院から最寄りの駅までの道を歩いていた。

地方都市の郊外にある孤児院は、最寄りの駅といっても徒歩数十分はかかる。

少女に付き従っていた黒服の男達は気づいたら消えていた。

どうやら彼らは少女の身分を証明し、手続きを強引に進めるための存在だったらしい。

 

どこまでも続く、代わり映えのしない一本道。

最初は少し高揚していた。

だって孤児院からこんな離れた場所に来るのは初めてだったから。

でも、ひたすら同じ景色の道を歩いていてもつまらないし、次第に足も疲れてくる。

次第に私は、何も言わずに私の手を引く、この赤髪の少女のことを考えるようになっていた。

 

彼女はなぜ、私を選んだのだろうか。

彼女は何者なのだろうか。

そもそも私は彼女の名前を知らない、もうこの人は私の母親だというのに。

 

私は思い切って赤髪の少女に彼女の名前を尋ねることにした。

 

「…えっと…貴方の名前はなんですか…?」

 

私がそう言うと、赤髪の少女は少し困ったような顔をして言った。

 

「ごめんね。私に名前なんて無いんだよ」

 

それは予想外の答えだった。

姓がない人なら孤児院にいくらでもいた。

私だってそうだ。親が分からないから、孤児院のお母さんがつけてくれたレゼという名前しかない。

しかし、彼女は名前がないというのだ。

そんなことがあり得るのだろうか。

 

赤髪の少女の予想外の答えに黙ってしまった私に、彼女は再び口を開いた。

 

「ママでいいよ…私の呼び方は。だって私は君のママなんだから」

 

えっと…それはママと呼べということだろうか。

少なくとも、私にはそう言っているように感じられた。

 

「ママ」

 

「ん、よろしい」

 

「ママ、私達ってこれからどこにいくの?」

 

今、最も切実な疑問をぶつけてみる。孤児院という狭い箱庭が世界のすべてだった私にとって、その外側は未知への恐怖と期待が入り混じる場所だった。

 

「ヴォルゴグラードって街は知ってる?」

 

ヴォルゴグラード…。西の果てにある大都市ということだけは知っている。

 

「えっと…西にあるということだけ…」

 

「私はその街に住んでるんだ。南部の一大都市だけど、意外にのどかで住みやすいんだよ」

 

「じゃあ私は、これからはその家でママと一緒に住むの?」

 

「当面はね。ほんのしばらくの間だけだけど、よろしくね」

 

その言い方だと、私はこの人とは短い付き合いになるのだろうか。

この人と離れた後は私はどうなるのだろうか。

 

「それじゃあ、ママと別れた後は、私はどうなるの?」

 

思わず、直接的な言い方をしてしまった。

言った後になって私はもう少し上手い聞き方があったのではと後悔する。

 

「今、それを君が知る必要はないよ。でも安心して。悪いようにはしないから。まぁ君の頑張り次第だけど」

 

「…私は何を頑張らなきゃいけないの?」

 

「まだ秘密」

 

「……」

 

その後、何度かママに遠回しに尋ねてみたが、うまい具合に、はぐらかされてしまった。

そんな不毛な会話をしている内に、私達は鉄道駅に着いた。

 

 

シベリア鉄道。

モスクワと極東の最果ての都市ウラジオストクを結ぶ鉄道。

その全長は7500キロメートルに達し、世界一長い鉄道として知られる。

それは巨大な国家の血管であり、そこから枝分かれした線路が、ソ連や東欧共産圏の主要都市を網の目のようにつないでいる。

 

「鉄道に乗るのは初めてだよね」

 

少女の手には二枚の切符。

 

「はい。孤児院からこんなに遠くに出たのは初めてなので…」

 

「ん。じゃあ売店で酔い止め買おっか。ついでに、適当なおやつとかも。列車の出発まで、まだ時間あるし」

 

そい言いながら、赤髪の少女は再び私の手を引き、駅の構内にある売店へと足を進める。

私は少女に手を引かれるがままに歩いた。

 

売店の中には、たくさんの物が売っていた。

お菓子、飲み物、薬、食べ物、文房具。

商品棚は一つの品切れもなく、商品が全ての棚の充足を満たしていた。

 

「すごい…なんでこんなに…」

 

「珍しい?商品棚に商品があるのは。街の方じゃ生活物資はすっかり配給制になってるもんね。あんまり人には言えない話だけど、駅の構内は官僚達がよく利用するから優遇されているんだ。権力の中枢に近いものほど優遇されるのは、程度の差はあってもどこも同じだよ」

 

「…ママは権力の中枢に近いの?」

 

「まさか。私はただのしがない女の子だよ」

 

嘘。

じゃああの時後ろに連れていた黒服の男は何?

孤児院のお母さんは何に怯えてたの?

色々疑問に思うことはあったが私はそれ以上少女に追求することはしなかった。

それよりも今は重要なことがある。

 

(お菓子、どれにしようかな)

 

私は売店に入ると真っ先に、お菓子コーナーに向かった。

孤児院から出たら、いつかこうして好きなお菓子を買うのが夢だった。

お菓子コーナーは小さな区画だったが、それでも今まで私が見たことがないくらい大量のお菓子が置いてあった。

私は、自分の財布の中身を確認するため、孤児院のお母さんが持たせてくれた手持ちカバンの中から財布を取り出す。

財布といっても大したものではなく、古びた巾着袋のようなものだ。

そこに、私が孤児院にいた時に、今日のような日のために貯めてきたお金が500コペイカほどあった。

 

「何してるの?」

 

その時、赤髪の少女が私に話しかけてきた。

その手には薬の紙箱が握られている。

私がお菓子コーナーにいる間に、酔い止め薬を見つけてきたのだろう。

 

「私の全財産を確認していたんです」

 

「へー、よく集めたもんだね。どれくらいあるの?」

 

「500コペイカです」

 

「これだけあって5ルーブルしかないの?」

 

「5ルーブルじゃなくて500コペイカです」

 

「…じゃあレゼちゃんは、その500コペイカの全財産をどうして今確認してたの?」

 

「お菓子買うからです」

 

「つまりレゼちゃんは、自分のお金でお菓子を買うつもりだったの?」

 

「…?はい」

 

「バカか、レゼちゃんは。そんなの、私がお金出すよ」

 

「…ほんと?」

 

「ん、ほんと。ヴォルゴグラードまで4日間ほどかかるから、たくさん買っていいよ。まぁ到着するまでに何回も駅に停車するから、まだまだ売店に行くチャンスはあるけど」

 

何故だろう。さっきまで胡散臭かったこの赤髪の少女が今はすごく頼れる存在に見える。

流石にこの少女をまだ母親として見ることは無理だし、そもそも私には母親がいなかったので母親という概念をあまり理解出来ていない。

しかし少なくとも頼れるお姉さんぐらいには、私の赤髪の少女への認識が上方修正された。

結局私も、お菓子を買ってもらっただけで簡単に大人に靡いてしまう単純な子供なのだ。

 

「ママ!ありがとう!」

 

「いいよ。私もお菓子は好きだから。列車の中で一緒に食べようね」

 

 

それなりに大きな駅のはずだが、人影はまばらだった。ホームには、私たちと同じ列車を待っているであろう乗客が数人、点在しているだけだ。駅というものはもっと人がごった返し、活気に溢れているものだと思っていたけれど、現実はこんなものなのだろうか。

 

私はホームのベンチに座り、口にスナック菓子を放り込みながら、そんな事を考えていた。

赤髪の少女はというと…私の横でタバコを吸っている。

1本、また一本とタバコを消費していくその様は、赤髪の少女のまだ未成熟な外見には全く似合わない。

というか彼女は何歳なのだろうか。

外見からして15歳ほどだと思っていたが、案外成人しているのだろうか。

いや…どう見たってタバコを吸える年齢には見えないのだが。

 

そんなことを考えていると列車が到着した。

その瞬間、ホームで待っていた数人の他の乗客達がざわめき立ち、驚いたように言った。

 

「おいおい、列車が時間通りに来るなんて…、生まれて初めてだぞ」

 

「明日、ソ連が崩壊するんじゃないかしら」

 

「ここは東ドイツか?」

 

ひどい言われようだ。

そんなに列車が時間通りに来るのは珍しいことなのだろうか。

 

「ママ。列車って時間通りに来るってすごいことなの?」

 

「別に。珍しいことでも、すごいことでも何でもないよ」

 

「でも周りの人はなんか騒いでるよ?」

 

「んー、それは今までの彼らが運が悪かっただけだよ」

 

あまり腑に落ちない回答だ。

やっぱりこの人は少し胡散臭い。

 

 

 

「22番…22番……ここだ」

 

赤髪の少女が私と手を引いて列車の通路を歩きながら、切符に書かれた番号の部屋を探す。

どうやらこの列車は寝台列車というらしい。

長距離を移動するために、ベッドが備え付けられているのだとか。

お金さえ払えば、列車に常駐しているシェフが料理まで振る舞ってくれるようだ。

 

「うん、悪くない部屋だね。レゼちゃんはどう思う?」

 

「…孤児院の居住環境知ってて言ってますか?」

 

その個室は控えめに言っても、孤児院の10倍は居住環境が良さそうだった。

まず目を引くのは、壁一面の半分を占めるほど大きな車窓だ。外は骨まで凍てつく極寒だが、二重ガラスのこちら側は、空調によって春のような温かさに保たれている。

 

部屋の両端には、向かい合うようにして二つのベッドが配置されている。それらは、ここが移動する列車内であることを忘れさせるほどに高品質だ。真っ白なシーツは糊がピシッと効いていて清潔そのもの。試しに手を沈めて見ると、羽毛の弾力が優しく私の手を包みながら押し返し、驚くほどふかふかで柔らかい。

 

窓の脇には、壁の木目に馴染むようにしてコンパクトなクローゼットが埋め込まれている。その隣には小さな冷蔵庫が備わっており、中には冷えた飲み物が保存されている。ペプシコーラしかないことを除けば、100点満点だ。

 

さらに、部屋の隅にある小さな扉を開ければ、機能的にまとめられた専用のシャワールームとトイレが現れる。限られたスペースを最大限に活用した設計ながら、清潔感あふれるタイル張りの空間では、いつでも温かいお湯を使うことができる。

 

さて、問題なのは値段だ。

私には相場というものが分からないが、これだけの個室、相当値が張るに違いない。

 

「ママ、この部屋結構高かったんじゃないの?」

 

「んー、確か200ルーブルぐらいだったかな」

 

に、200ルーブル!?それだけあれば孤児院の子供達のご飯を1ヶ月は賄えるよ!?

 

「ふ、2人で?」

 

「んーん。1人200ルーブル。それに、食事も追加サービスでつけてるから合計600ルーブルくらいかな」

 

私はもはや驚きを通り越して呆れてしまった。

この金銭感覚バグったバカ女に。

いかにも知的そうな、澄ました顔をしてるけど、もしかしたら結構バカなのかもしれない。

 

「ママには私が必要かもね」

 

「どうしたの急に?」

 

少女は不思議そうに首を傾げた。

 

ジリリリリリリリッ

 

その時、駅のベルがけたたましく鳴る。

列車の発車を知らせる合図だ。

 

「あ、レゼちゃん。酔い止めーー」

 

 

 

……っ、はぁっ……!

 

意識が跳ね起きる。 永遠に続いてほしかった、どこまでも続くと思っていた幸せな夢の序章。 けれど、現実は無慈悲だった。全身を焼くような激痛が、甘い余韻を容赦なく掻き消していく。

 

だからもうケリをつけないと。

 

さて…何が、起きた? 私は、タクシーの運転席に座っていたはずだ。

 

視界が揺れる。

 

ここはどこだ。なぜ私は、こんな……。 ああ、そうか。私は今、地面に這いつくばっているんだ。

 

急いで立ち上がろうとした。けれど、身体が命令を聞かない。 腕に力が入らない。足の感覚もない。いや、それ以前に――重さがない。

 

ふと、視線の先、アスファルトの地平に何かが転がっているのが見えた。 泥と油にまみれた、白く小さな塊。

 

あれは、手だ。 ……私の、手だ。

 

そこでようやく理解した。私は四肢を切断され、ダルマのような無残な姿で転がされているのだと。

 

コツ コツ コツ コツ

 

真っ二つに割れ、エンジン部分から白い煙を立てて出火しているタクシーの方から革靴がアスファルトを打つ音が聞こえてくる。

 

「初めて使ったけど、すごい威力だね」

 

「う、そ…どうして…」

 

白い煙の中から悠々と現れるマキマを見て、思わずそう溢す。

私が少しでも声を出すと、口から大量の血が溢れる。どうやら、さっきの衝撃で内臓もどこかやられたらしい。

 

「安心して、公安には手足を治せる者がいる。死なせはしない」

 

マキマは、四肢を失いうつ伏せになった私を冷たく見下ろした。 その顔。いつもと同じ、何の興奮も関心も抱いていない、透き通った無表情。 何より、その眼だ。愛情を求めた哀れな子供の人生、その全てを無価値だと切り捨てる、冷酷な金の双眼。

 

「……あ、貴方の眼……大っ嫌い……。くるくるしてて……気持ち悪い……」

 

「ひどいことを言うね。でも、あまり喋らない方がいい。内臓も破裂しているようだし」

 

「貴方に……そんなこと言われる……筋合い、ないっ……!」

 

うめく私をよそに、マキマはコートのポケットに手を伸ばした。 取り出したのは、場にそぐわないほどありふれた、一箱のタバコだ。

 

彼女は細い指で一本を抜き取ると、手慣れた様子で唇に挟んだ。

 

シュッ、ボッ。

 

安っぽいライターの火が、彼女の金色の瞳を赤く照らす。 深く、深く吸い込まれた煙。 マキマは夜空を見上げ、ゆっくりと紫煙を吐き出した。

 

炎上するタクシーから上がる黒煙と、彼女の吐き出す白く細い煙が、深夜の空気の中で混ざり合っていく。

 

「……ごめんね。手加減できなくて、初めて使う能力だったんだ」

 

「わ…悪いと思ってるんならさ…もっと悪びれてよ…」

 

「貴方から襲って……あれ?私から攻撃したっけ?…まぁでも、私を襲う宣言してたわけだし、やっぱり貴方が悪いのかな」

 

……違和感がある。 さっきからマキマの様子が変だ。こんなに喋る奴だっただろうか。タバコを吸うイメージだって、少なくとも『マキマ』には微塵もなかったのに。

 

「さ、さっきから…なん…なのっ…、こんな…会話…意味ある?…さっさと…私を殺すなり…支配するなり…すればいいじゃない」

 

「…支配ね。それができたら私だって苦労しないよ」

 

呟くようにマキマが言った。

何だ?やっぱりマキマの様子が変だ。

言動もそうだけど、あまりにも隙が多い。

私を舐めていると言えば、そうなんだろうけど、それにしたって…

 

「……ねぇマ…マ。最後…にさ…タバコ…私…にも…吸わせ…てよ」

 

「……だから最後じゃないってば。まぁいいや。タバコね。私の吸いかけでいいなら…ほい」 

 

マキマは、短くなったタバコを口から離すと、指に挟んだまま、ゆっくりと私の顔の前に屈み込んだ。 彼女から漂う硝煙と、安っぽいタバコの匂いが、鼻孔をくすぐる。

 

思わず笑みがこぼれそうになる。

マキマ、獲物を狩るときは最後こそ肝心なんだよ。

後がなくなった獲物は、生きるためだったら何でもするのだから。

 

私は睨む。彼女の、綺麗な指。 人差し指と中指に挟まれた、小さな火種。

 

(……今)

 

私は残った力の全てを首の筋肉に込め、獣のように上体を跳ね上げた。

 

「っ!?」

 

マキマの顔が、驚愕に歪む。

 

私はタバコごと、彼女の指に喰らいついた。

 

グヂュリ。

 

口の中に広がる、タバコの葉の苦味と、鉄錆のような血の味。 私は躊躇なく顎に力を込め、奥歯で彼女の骨ごと噛み砕く。

 

「…ぐっ、あ…!」

 

マキマが短い呻き声を上げ、反射的に手を引こうとする。 だが遅い。私は彼女の人差し指と中指を食いちぎり、口の中に侵入してきたその肉塊を、噛み締めた。ハンバーグを咀嚼した時の肉汁のように、ジュワリと口の中いっぱいにマキマの血が溢れる。

 

私の本命は、首元にある安全ピン。

 

四肢を失った今の私には、指に安全ピンを引っ掛けることができない。

だが、それがどうした。指がないなら、骨がある。

 

私は剥き出しの腕の骨の先端を、ピンのリングに強引に引っ掛けた。 激痛が走る。だが、この場においてはそんなこと、些事でしかない。

 

マキマの金色の瞳が大きく見開かれる。

 

「しまっーー」

 

遅いよマキマ。

貴方は強い悪魔を支配したようだけど、地力自体は格段に落ちている。

以前の貴方ならこんなヘマはしなかった。

さよならマキマ。

他の誰の手でもなく、私の手で貴方を地獄に送れてよかった。

 

私は、骨に引っ掛けたピンを、全力で引き抜いた。

 

カチッ。

 

その小さな音が、起爆の合図。

 

ドォォォォォン!!!!

 

私の体が、爆風の核となる。 凄まじい熱量と衝撃波が、至近距離にいたマキマを木の葉のように吹き飛ばした。

 

爆発の反動を利用し、私は夜空へと弾丸のように射出された。

 

眼下で燃え盛る炎の渦。 その中心で、マキマだったものが四方八方に吹き飛ぶのが見えた。

 

 

 

 

爆風が意識を焼き切り、残ったのは真っ暗な虚無だけだった。

 

死んだのか、俺。

 

あんな至近距離で爆発を受ければ、十中八九助からない。きっと、痛みを感じる暇もない即死だったに違いない。

 

あいつの匂いから、あいつがただの人間でないことは分かってた。分かってたのに、俺は……。 クソ、最後の最後で油断して死ぬなんて。ダサすぎる。

 

『私は警告したよ?』

 

聞き慣れた、けれど今は少しだけ癪に触る幼い声が響いた。

 

ああ、分かってるよ。悪かったな。お前は散々、俺に言ってくれてたのにな

 

『全く……。本当に君はどこかパッとしないというか。もっと社会経験を積むべきだったんじゃない?』

 

暗闇の中に、ぼんやりと赤髪の少女が浮かび上がる。

 

くっ……何とでも言え。今の俺には反論する資格すらない。甘んじて受けてやるよ

 

『でーてー』

 

はぁ!? 童貞じゃねーし! ……童貞じゃねーし!!

 

『今、二回言う必要あった?』

 

くそ、ムキになるな、俺。ただの子供の戯言じゃないか。

 

あのなぁ、一つ言わせてもらうが……俺が今こんな危険な目に遭ってるのって、大体はお前の過去の行動のせいなんだぞ

 

『私は悪魔だからね。何したっていいの』

 

この性悪幼女! どうせあのチョーカーの子にも、昔お前がなんかしたんだろ!?

 

俺が詰め寄ると、少女は退屈そうに空を仰いだ。

 

『ああ、あの子ね。……多分、祖国で作られた人間兵器だと思うんだけど。全く記憶にないんだ。そもそも私が、いちいちモルモットの名前を覚えてるはずないよ』

 

こんの……性悪幼女! クズ! 悪魔!!

 

『ふふ。そんなこと言ってるうちに、君の肉体の再生を終わらせておいたよ。あ、でも……何故か人差し指と中指は、噛みちぎられたまま治らなかったから。そこだけ注意してね』

 

嘘だろ!? 俺、一生右手で箸もペンも持てないのか? 俺、右利きなんだけど!

 

『なら右手と左手を取り替えればいい。悪魔の力でさ』

 

ふざけてんのか、もっと不自然になるわ!

 

『ふふ。でも不思議だね。私へのどんな攻撃による損傷も、総理大臣との契約によって治るはずなのに。……契約があれを『攻撃』と認識できなかったのかな?』

 

嘘だろ? マジで治んない感じなのか?

 

『実のところ、方法はあるよ。でもそれ以上に君自身にたくさんの問題があるから、今の時点で元の指に戻すのは不可能だね』

 

教えてくれ、その方法

 

『どうせ言っても無駄だけどね。……人間を支配すればいい。そうすれば、君の肉体の損傷を支配下にある人間に押し付けられる』

 

一瞬、思考が止まった。 誰かを「支配」し、俺の身代わりに指を失わせる。それは今の俺にとって――。

 

……いや……それは……。いや、というかそもそも俺は――

 

『本質的に、人間を見下せないもんね。分かってるよ』

 

少女がふっと表情を崩した。 その顔を見た瞬間、俺の胸の中に奇妙なざわつきが走った。

 

…なんだよ。俺、何か不味いこと言ったか?

 

『ん、何のこと?』

 

俺が戸惑いながら尋ねると、少女はすぐにいつもの、感情の読めない冷淡な顔に戻った。

 

……いや、なんでもない。それじゃあ、俺、戻るよ。そろそろ戻らないと、死んだと勘違いされちゃいそうだ

 

『うん。バイバイ』

 

意識が急速に現世へと引き戻されていく。 暗闇が溶け、現実の「痛み」と「冷たさ」が戻ってくる感覚。

 

 

来訪者が去り、静寂が再び空間を支配するその真ん中。 小学生ほどの背丈の赤髪の少女が、ポツリと呟いた。

 

『…泥棒猫』

 

 

 

 

意識の断絶から引き戻された時、視界を覆っていたのは、ひび割れたアスファルトと、タクシーの残骸から立ち昇るどす黒い煙だった。

 

肺に冷たい空気を送り込み、マキマはゆっくりと上体を起こした。全身を焼くような熱気と倦怠感。だが、それ以上に右手に走る強烈な違和感が、彼女の意識を覚醒させた。

 

「……治らない」

 

マキマは右手を目の前にかざした。人差し指と中指が、根元から無残に欠損している。

 

マキマは立ち上がり、爆心地を冷めた目で見渡した。

 

ふと、瓦礫の山の中に、白く細長い「何か」が落ちているのが目に留まった。マキマはそこへ歩み寄り、静かに腰を落としてそれを拾い上げた。

 

それは、肘から先を失った、襲撃女の右手の断片だった。

 

凄まじい衝撃に晒されたはずなのに、その指先だけは、綺麗なまま形を保っている。

 

「…………」

 

マキマは、自分の欠損した右手と、拾い上げた指を交互に見つめた。そして、その指の関節を一つずつ、確かめるように折り曲げてみる。

 

コリッ。コリッ。

 

冷え切った肉体。だが、その関節は驚くほど滑らかに動く。

 

マキマは、指の感触を一通り確かめると、短く呟いた。

 

「これでいいか」

 

 

 




「バンッ」 やっぱりマキマといえば指鉄砲ですよね。次回から右手の人差し指から指鉄砲が出るようになります。

あと、急な二重人格に驚くかもしれませんが、プロローグと本編の間の期間に色々あったという設定です。その期間が内調編になります。
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総合評価:2275/評価:8.38/完結:11話/更新日時:2026年01月15日(木) 19:36 小説情報

個性:奇跡を起こす程度の能力(作者:弱小妖怪)(原作:僕のヒーローアカデミア)

本社は神隠しに遭遇し、超常黎明期の争乱によって信仰までもが絶え果てた守矢神社──その分社に住まう風祝の話。


総合評価:1665/評価:8.6/連載:12話/更新日時:2026年04月28日(火) 19:00 小説情報


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