廃工場の屋上はなんとも殺風景な場所だった。
もともと放棄されていたのもあるが、長年に渡る劣化で崩れている所も多い。まともに残っているのは貯水槽と非常階段ぐらいだろうか。
そんな荒廃した地へ続く扉が開き人影が現れた。
夕凪悠。七人目の神殺しは静かに歩を進め、そこにいるであろう人物に目を向ける。予想通り目当ての相手はいた。
草薙護堂。八人目の神殺しは屋上の中央で待ち構えている。
「こういう時は待たせた? って聞くべきなのかな」
「それはデートの決まり文句だろ」
到着と同時に襲撃されるかもと考えていた悠は、堂々と待っていた少年へ声をかけた。
護堂の方はしかめっ面でそれに応じる。仮に相手が女性だったとしてもこんな殺伐としたお誘いは願い下げだった。
「こっちはさっきの礼をするだけだ。人のこと容赦なく撃ちやがって。それとこの
「む、しょうがないでしょう。あの人の性格はともかく、神様としての性質がそうなんだから」
護堂の糾弾に頬を膨らませて悠は答えた。
てっきり適当に受け流されるかと思っていた護堂は予想外の反応に少々面食らう。それに語り口も妙だ。
まるで親しい知己のような言い方に疑問を覚えるが、今は目の前の相手に集中するべきだと頭を振った。
「とにかく、やられた分はきっちり返させてもう」
「やる気だね。最初とはえらい違い。それに何か策もあるみたいだし」
開けはなした扉と非常階段を護堂がさっと眺めたのを見て悠は牽制の言葉を投げる。
ここへ誘い込んだ以上は単純に逃走を選ぶとは思えないが、念のため退路の事は頭の片隅に置き悠は警戒を強める。
それに対し護堂が選んだのは逃亡や投擲などではなかった。なんと正面から一気に距離を詰め蹴りを放ってきたのだ。
まさかの接近に驚きながらも、悠は
しかし護堂の攻めはそこで終わらない。前蹴り、蹴り上げ、廻し蹴りと休むことなく放ち続ける。
繰り出される攻撃はどれも並の格闘家なら反応すら出来ないものだが、一度経験した悠は焦ることなく対処していく。
【操流ノ型:柳】
逸らし、ずらし、受け流す。それは先の戦いの焼き直しだった。
悠は護堂の行動に内心で首を傾げる。既に接近戦における優劣は証明されているはず。通じないと分かっていてわざわざ格闘を仕掛けてきた意図は一体。
その答えは当人からもたらされた。
「やっぱりか。お前のその権能、攻撃されることが条件なんだな?」
確信が籠った問いを護堂は投げ掛けると、蹴りの勢いを使い跳び、貯水槽まで下がる。興味を引かれたのか、悠は手出しせずに見送ると護堂へ向き直った。
「どうしてそう結論付けたのかな」
「ここへ来る途中も息苦しさはあったんだ。けど、お前とやりあってた時はもっとキツかった。走り回ってた方が長いのにだ」
違和感を抱いたのはそこだ。
運動量でいえば遁走中の方が上にも関わらず体力の消耗は少ない。それが戦いの時は明らかな変調をきたしていた。
ではその違いは何か。護堂にはおおよその見当がついていた。
「今もそうだ。攻めるのをやめたら体が楽になった。ようは条件付きのペナルティ。そういうことだろ」
確かめるように推測を語る護堂に悠は舌を巻いた。
指摘通り、それは夕凪悠が権能を発動させる条件の一つに違いなかったのだから。
「それを確かめるために打ち込んできたんだ。そっか、護堂はそういうタイプか」
悠もまた先の問答で確信した。
相手や状況を観察し戦略を練り、切るべき手札を決め必要な場を整える。それが草薙護堂の戦い方なのだと。
つまりはここからが正念場、必ず何か仕掛けてくる。
「なら策を使わせないのが一番だね!」
言うが早いか悠は地を蹴った。相手の格闘の腕は見切った。こちらの優位は確実。このまま接近戦で押しきる。
「お断りだ! 今度はこっちのやり方に付き合ってもらうぞ!」
叫び返すと護堂は蹴りを放つ。しかし狙いは悠ではなかった。隣の貯水槽、その足場に蹴りを叩きつけた。
同時に支えを失ったコンクリートの塊が悠へ倒れ込むが、後方へ跳躍し難を逃れる。
護堂が貯水槽の近くに陣取った時点で何かあると悠は読んでいた。おそらく足場に細工を施していたのだろう。でなければこうも簡単に崩れはしない。
けれど躱わした以上、攻め手はこちらの番──
「〝主は仰せられた。
行動に移そうとした悠の元に、声が響いた。
「〝背を砕き、骨、髪、
これは聖句だ。〝
ならば次に起こるのは決まっている。
「〝我は鋭く近寄り難き者、主の仰せにより
直後、建物が揺れだした。窓が割れ室内に住み着いていた小動物だちは怯えたように一斉に逃げ去っていく。恐ろしい何かがこの地に降臨しようとしていた。
悠も巨大な気配を感じ取る。近い、しかし辺りに変化はない。いや違う足元、真下から気配が──
出所を掴んだ時、それは
──オオオオオオォォォォォンンンンッ!!
咆哮とともに屋上の床が砕け、元凶はその全容を見せる。
黒い毛皮に象を遥かに越えた体躯を持つ巨獣。
ウルスラグナ第五の化身たる『
当然、仕掛人の護堂は予期しており、非常階段から倉庫の屋上に跳躍。そのまま屋根づたいに駆け地面へと降り立つ。
駆け出す直前、護堂は『猪』が少年を突き飛ばすのを確かに目撃した。
奇襲は成功、間違いなく直撃した。さしもの魔王もただでは済まないはず。そこまで考えたときだった。
ピシリという異音を護堂は拾う。大きな亀裂音は始め建物からのものかと思ったが、次いで響いた叫びが否定した。
──ルアアアアァァァンン!
なんと『猪』が苦悶の絶叫を
その原因を護堂は見た。巨大な牙の一本に入る
何が起きたと視線を『猪』の先に向けた時。
【金剛ノ型:不壊】
異様なものを護堂は目撃した。
宙に舞う人影、それは『猪』によって飛ばされた夕凪悠。だが、その姿に護堂は息を呑む。
少年の右腕が身の丈を越えるまでに変容していた。
鋭い短剣のような長さの爪と黒い甲殻と鱗に覆われた
実際、護堂の所感は的を射ていた。異形と化した腕に付く白い欠片が『猪』の牙を受けたのを物語っている。
信じ難いことに、あの猛襲を真っ向から受けきったばかりか手傷すら与えていた。どんな強度があればそんなことが可能なのか。
それでも、このまま落ちれば下に待ち構えている巨獣が再び襲いかかるだろう。やられっぱなしで黙っている『猪』ではない。
「〝汝、王を追い立てる者〟」
その声を護堂は確かに聞いた気がした。遠く離れていながら響く静謐な
「〝
神殺しの魔王が世界に振りかざす己が力の宣言にして聖なる詩句。
「〝仇敵の血を呑み干し、破滅を喰らえ〟」
聖句は紡がれ、ここに宣誓は成された。瞬間、空が歪み白い影が視界を掠めると『猪』の巨体を弾き飛ばす。
そのまま黒き神獣は倉庫へ激突し、呻くような叫びを上げた。
そして宙を駆ける白影は大地に立ち、悠然と威容を現す。
白い毛皮に『猪』に
巨獣が向かい合う中、悠は『狼』の背に落ち、そのまま滑るように地面に降り立った。
主の無事を確認すると大狼は『猪』に襲いかかるべく駆け出す。横やりを入れられた『猪』も邪魔者にいきり立ち真っ向から突撃していく。
魔王たちの隣で神獣同士の戦いの火蓋が切られたのだった。
一方、地上への帰還を果たした悠は安堵の息をつこうとしていた。
『猪』の牙が当たる寸前に権能と金剛ノ型で防御しなければ重傷は免れなかっただろう。
まったくもって容赦がない。これで戦いが嫌いなど聞いて呆れる。とてもではないが平和主義とは程遠い。
文句の一言でも言ってやろうかと悠は顔を向け──肉薄する護堂と視線がかち合った。
驚愕を露にする悠とは対照的に護堂は猛々しい笑みを浮かべた。
ここまでの大立ち回りの末にようやく策が実を結んだ。神獣を呼んだのも少年を吹き飛ばしたのもこの時のため。『猪』すら注意を引く囮に過ぎない。
本命は召喚によって自身にもたらされる効果の方。この化身を使っている間、護堂は猪じみた突進力を得る。
全ては少年が地上へ着地した一瞬、体勢が崩れた僅かな隙を突くため。
もはや回避は不可能。そのまま押し倒そうとして──
【水天・異能ノ型──
「がッ!」
瞬間、視界が反転した。遅れて背中に衝撃が走り肺から空気が叩き出される。息苦しさと痛みに護堂が呻き、何が起きたのか現状を把握しようと目を開け、頭上を覆う影を見た。
──杭喰】
大地を穿つ音と共に、異形の指先が護堂の手足を縫い付けるように拘束する。
気付いた護堂は慌てて抜け出そうとするが動けない。巨大な指先は四肢の関節を挟み込み行動を完全に封じていた。
それでも暴れようと身を捩ろうとして。
カチリと鉄の音が鳴り響いた。
音源へ視線をやれば銃口が目に入る。
悠は異形の右手で動きを抑え、左手に持った得物を護堂の額へ向けていた。
しばし互いに無言の時が流れた後、沈黙を破ったのは悠だった。
「僕の勝ちだね」
無邪気な笑顔で告げられた勝利宣言。呆気に取られた護堂はそこでようやく体の力を抜いて息を吐いた。
最初に決められたる勝利条件。行動不能にされた上で詰めの一手までかけられた。
ここまでされたら認めざるを得ないだろう。
「ああ、俺の負けだ」
青空のもと、極東の魔王同士の戦いは夕凪悠の勝利で幕を下ろしたのだった。
決着
主人公の情報一部開示
主人公が修める武術について
主に下記の四つの系統の型からなる武術。
操流ノ型・いわゆる合気に近い力の操作を得意とする型
火天ノ型・歩法や走法など機動力に関わる型
金剛ノ型・筋肉を絞め固めることで攻防に転用する型
水天ノ型・肉体の軟化や関節技を旨とする型
【水天・異能ノ型:杭喰】
相手の体制を崩し片手の五指で四肢の関節を
異能ノ型とは
用語解説
聖句
神々やカンピオーネが権能を行使する際に効力を高めるための言霊。魔術師における詠唱にあたるもの。