ガヤガヤとした人波に洗われる、朝の魚市場。
磯の匂いと鮮魚の香りが混じり合って鼻をつき、高らかに叫ぶ声が、そこかしこから聴こえてくる。
今日もオルトはリナに連れられて、ジーノ捜索に励んでいた。
とはいえ、別に成果は上がらない。
この人通りの多いトラーパニの港。しかも魚市場にて、一人の男を探すのは困難な事だった。
「てーか、冷静に考えれば、ブラブラしていて見つかる訳ないんじゃねーの?」
「若様は浅慮ですねー。お魚好きなら、現れる場所なんて決まっていますよ」
ごく当たり前の事を言っただけなのに、リナにまで浅慮と呼ばれてしまう。
今日も彼等は探偵用服装であった。
市場という場所においては、とても浮いている。
ルカはいない。学園があるので。
「おう、坊ちゃん。おめかしして、デートかい?」
「ちげーって、見てわかんねーのか? 捜査だぜ」
「お、おう……」
声を掛けられた。なんの気なしに答えれば、相手は面食らっている。マジマジと、その顔を見てみれば。
「? 若様、お知り合い?」
リナの惚けた声が、やけに遠く感じる。
「う、う、う、う、う、……」
「鵜、鵜、鵜、鵜、鵜?」
吃るオルトへ、問い返すリナ。
その二人の目の前にいる男は。
背は高くない。痩せている。
青白い肌に、無精髭。
朝陽ギラつく港の朝に相応からぬ、街の男の姿。
「
「えー!」
オルトの肩を外し、幾名もの騎士達を血祭りに上げた、危険人物であった。
すかさずオルトは、背中に荒縄で縛りつけていたカツオを構える。ブチブチと荒縄が千切れ飛び、陽光を受けた魚身が輝いた。
掌から伝わる、ズシリとした重み。
今朝獲れたての大物だ。
その身は死後硬直で硬く引き締まっており、硬度は鋼鉄の丸太をも凌いだ。
普段の得物である斧とは違い、切れ味こそなかろうとも、質量は負けていない。
重く、硬い魚。
カツオは凶器だ。人の頭蓋程度なぞ、容易く潰す。
諸手上段。閉所での構えとして最善でないが、背中に負っていた以上、それ以外の選択肢はなかった。
「おいおい、危ねぇな。場所を考えやがれ」
「おー。大漁ですねー」
言いながら、魚籠を掲げるジーノであった。
その中には小振りな魚達がひしめいている。コアジやイワシなどだった。
その釣果に、リナは大変感心している。
「ちっと小銭でも稼ごうと思ってな。今朝の釣り立てだぜ。買ってくかい?」
「是非。丁度、お夕飯にカルパッチョでも足そうとしてたんですよね」
そんなリナへ、ジーノが提示した額はかなり割安なものだった。
市場を通していないので、会場使用料が掛からない。その為の、お得価格である。柳のジーノは中々の商売上手なようだった。
「おい、小僧。いい加減、剣……じゃなくて、カツオを収めやがれや。まともな商売人の、邪魔をするもんじゃねぇぜ」
カツオを構えたままのオルトは、正論に鼻白む。
何故、密輸犯に叱られなければならないのかと。
だが、剣……ではなくカツオを収めようにも、荒縄は千切れ飛んでしまっている。収めどころがない。
「おい、坊ちゃん。こいつでも使えや」
そう言われ、ジーノから放り投げられたもの。
筵であった。
オルトはいそいそとカツオに筵を巻き付けて、小脇へと抱えた。ジーノはリナから受け取った硬貨を数えると、「まいどあり」と笑う。
「悪いな。確かに場所を弁えてなかったわ。筵は洗って返す」
「いらねーよ。魚臭い筵なんざ」
一先ずは落ち着き、会話となる男達。
魚籠ごと小魚を受け取ったリナは、とてもご機嫌であった。
「んで、こんな所で何してんだ? また密輸——じゃなくて、今度は密漁か?」
「ちゃんと、届出は出してるぜ」
ジーノが首から下げたものを掲げた。
その日限りの漁獲許可証である。手数料を払えば簡単に手に入るものだった。
「んで、デートじゃねぇなら、何してんだお前ら?」
ここで、お前を探していた。などとは、とても言えない。ジーノの間合いの中にはリナがいる。最悪を想定するならば、ここは穏便に——。
「私達、
などと考えていたのだが、魚籠を持ったままに淑女の礼を見せる、リナがぶっ込んだ。
「ああん? 最近の侍女ってなぁ、人探しなんかもやんのかい?」
「そうではなく、若様がコテンパンにのされたみたいですし、やっぱり借りは返さないとですからね」
探偵らしく胸を張り、妄言を吐き出すリナ。その姿に、ジーノはククッと笑った。
「別に俺ぁ、構いがしねーがよ。『何もしていない』俺に因縁付けようってなら、ちぃとばかし、痛い目を見るぜ?」
「ええ。ですから、是非その時をお待ち下さい。まだ街へ留まられていらっしゃって、幸いでした」
それまではニヤニヤと薄ら笑いを浮かべていたジーノから、表情が抜け落ちる。
瞬間、オルトは地を蹴った。リナの前に立とうと。
「早まるじゃねぇ」
だが、ジーノは掌を掲げただけだった。それは、嫌に大きい。
「度胸のあるお嬢ちゃんだな。俺ぁ、もう暫くはこの街に居っからよ。坊主、落とし前を付けてーなら、いつでも、好きな時に来いや」
またニヤニヤとした薄ら笑いを浮かべ、言いながら紙片をオルトへと投げた。
そして、踵を返す。ジーノはリナより受け取った小銭を片手で弄びながら、足音も立てずに去って行った。
「なんか、普通のおじさんでしたね?」
「お前、何を見てたんだ?」
リナには、ジーノの怖さがわからないのだろう。
肩を外された時も、そうだった。騎士達が返り討ちにあった時だって、同じだ。
凪いでいる。
異名の如く、風に靡く柳の様なその殺気のなさが、オルトにはとても恐ろしいモノに見えていた。
投げ渡された紙片を広げたオルトは、深く眉根を寄せる。そこに書かれていた住所には、キエッリーニ邸の立つ丘の下、かつては騎士達が屋敷を構えていた、現在の高級住宅街。その一つのものであったからだ。
「おう。ルカ、今日も学園は楽しかったか?」
「普通」
今日も今日とて、ルカの迎えはオルトとリナの二人である。
「普通に楽しかったんですよねー? ね? ルカ様」
「……うん」
兎角、夜会がなんだので、屋敷の者達は忙しい。
オルトは役に立たないと追い出され、リナは「帆を下ろして」いた。
なんでも、十五の種子には参加資格がないと、除け者にされたからだという。
夜会という航路において、リナは乗組員でもなければ乗客でもない。ならば、
というのが、彼女の主張だった。サボりたいだけにしては、やけに声高でもあった。
という訳で、この、いつ終わるのだかも知れない夜会期間中は、二人がルカの送迎を担当している。
面倒ではないし、何やら大人達がバタバタとしているので、良い息抜きにもなった。
なお、オルトは既に成人した大人である筈だが、その扱いに疑問を抱いていない。
「の、割にはちっと、顔色が冴えないな? もしか、イジメられてんのか?」
「違う」
ルカはオルトへは、つっけんどんだ。
「ルカ様は、イジメられなんかしませんよ。皆の王子様ですし」
「違うけど、友達がね」
が、リナには素直である。この女好きめ。と、オルトは思っていた。
「お友達が、どうかしたんですか?」
リナが首を傾げて尋ねる。彼女の口は上手い。
任せておけば良いだろうと、オルトは軽く聴き流す事にした。
「……友達のお父さんが、相場で大儲けをしたんだって。それで、他の友達のお父さんやお母さんにも儲けさせてあげるから。って今夜、皆で議員様のお家に行くんだって。ほら、丘の下の、目立つ赤い屋根の」
その言葉に、オルトの足が止まる。
赤い屋根。それが差し示す唯一の邸宅は、紙片に書かれていた住所と一致している。
「その屋敷っの住所って——」
「凄いね、オルト。番地なんて何桁もある数字、覚えられたんだ」
オルトは番地を誦じた。驚きに瞳を見開くルカだった。リナと顔を見合わせている。
「おう。俺って、なかなか良い記憶力だな」
馬鹿笑いをするオルトに構わず、ルカは話を続ける。
「何か、変なんだよね。投資って、利益の分配でしょう? 人が増えたら確かにお金が集まるけど、何か、変……。なんか、認証も受けられとも言ってたし」
上手く言語化出来ないのか、ルカはもどかしそうにする。シーゲルソン風衣装を纏ったリナは、その姿へ一瞬で、探偵風の顔付きになった。
「投資は自己責任。分配効率が落ちるのは、投資家にはあまり歓迎されません。これは、臭いますねぇ。これは、事件の香りですよ!」
突然におかしな口調で叫び出したリナに、さしものオルトも驚いてしまう。ルカなんて、少し涙目である。リナの様子の方が、余程に事件だった。
ルカが嫌な予感がすると言い、リナもふむふむと頷きながら、兄さん、これは事件ですよ。などと言い出すので、詳しそうなヤツに聞くことにする。
屋敷に戻れば、そういった難しい事が好きなヤツらがいるのだ。母ちゃんとか、フィオナとか。
「それじゃ、厨房にお魚を届けますんで、付き合って貰いましょうか。その後で、奥方様か、フィオナお姉様の所へ行く。で、良いですか? ルカ様」
「うん。いいよ」
オルトもカツオを抱えている。届けなければならなかった。
そんなこんなを考えながら、ルカへ寂しいなら、肩車をしてやるよ。と慰めたのだが、にべもなく断られてしまっていた。
「おーい、帰ったぞー。良いカツオを買ってきたぜ」
オルトはズシンと、デカい、重い、硬いカツオを厨房の調理台へと置いた。
仕込みは粗方終わっているのか、少し落ち着きを取り戻している厨房は、料理人もまばらであった。
「ちょっと! うるさいわね馬鹿オルト!……ぃたたたたぁ……」
そこには何故か、部屋着のままにシジミ汁を啜る、フィオナの姿があった。
「おう、フィオナ。丁度良いところに。聴きたい事があんだけどよ」
「うっさい! アンタ、声がデカいのよ。頭に響くんだから。……痛っ」
頭を抑えるフィオナである。顔色も良くない。
「おう。働きすぎとか、引きこもりとかじゃ、頭もおかしくなるよな。大丈夫だフィオナ、カツオを食えば元気が出るぞ」
「だから! うっさいって!」
苦しみながら叫ぶという高等技能の発揮をするフィオナの背中を、ルカが優しく摩った。
リナは生簀へと小魚達を放流している。割と年少組は自由であった。
「んで、あによ? 聴きたい事って」
ジトリとした視線をオルトへと向けるフィオナ。その視線は、また下らない事じゃないでしょうね、という強い殺気の籠ったものだった。人は痛みに引き摺られると、寛容さを失うものである。
「フィオナお姉様、実は……」
「なぁに? ルカ。お勉強で、わからない所でもあったの?」
が、フィオナもルカには寛容だった。とても優しい顔付きと声音で微笑みかける。
この状況の方が変じゃね? これこそ事件だろ。などと思ったオルトであったが、口を挟まない。
戻って来ていた料理人の一人が、カツオを見て、思いっきり親指を立てたので。
オルトもまた、親指を天へと向けて立てている。
その横で、ルカは熱心にフィオナへと向け、説明をしていた。
「……霊核先物の認可、ね。あの胡散臭い、『霊核相場安定のための、暫定認可制度』ね。財務省のバカたちが苦し紛れで捻り出した、その場凌ぎよ」
フィオナはシジミ汁を飲み干すと、ルカの頭を撫でた。
「そういえば、バカに踊らされているバカも、増えているわね」
その目は据わったままに、なお言葉を続ける。
「いい、ルカ。投資ってのは本来、何かを生み出すためのものよ。でも今、丘の下でやっているのは違う。あれは、ただの共食いよ。……財務省はね、市場を冷え込ませないために、中身のない箱に『価値がある』と印章を押したの。嘘を本物だと認めたのよ。だから、誰も止められない。……合法なの。今はまだ」
そして、再び頭を抑えた。
「いい? 貨幣が貨幣を生む。そんな理屈は幻想よ。冒険者組合が臍を曲げてみなさい。『国家』の発行する信用なんて、紙切れほどの価値さえ消えるわ」
冒険者組合は唯一神教会と並ぶ、最悪の暴力装置である。力により担保された管理でなければ、この世界では通用しない。
フィオナはカツオへ視線を向ける。大物だった。
「結局、信頼出来るのは技術と現物よ。数字遊びを価値だと信じられるのは、平和な時だけよ」
一つ伸びをしたフィオナは、湯浴みしてくるわ。と言って、部屋へと戻っていった。
三人も、調理場を後にする。
調理場では料理人達が慌ただしくも賑やかに、宴の準備を再開していた。
「で、何で二人は着いてきてるの?」
ルカは問う。
「お子様の夜歩きには、大人が同伴だろ?」
「ちよっとした、好奇心ですかね」
オルトとリナが返した。
余計な詮索なのかもしれない。奥方様や父上に何も言わずに出るのも、浅慮なのかもしれない。
でも、友達のお父さんやお母さんが、危ない事に巻き込まれているのならば、止めたかった。
ルカはそう思っている。
「投資話がどんな内容なのか、確かめるだけだよ」
その為の、情報収集だ。内容が不適切なものであれば、きっと大人達は考え直す。
「潜入捜査ですね」
「ダチのためなんだろ? 俺も付き合わせろよ。良いよな、男の友情ってよ」
何かオルトは勘違いしている様なので、一応正しておくことにする、
「女の子だよ。友達って」
「お前って、本当に女好きだよな。いんのかよ? 男友達。ま、どっちだってやることぁ、変わんねー」
呆れ顔のオルトを、ルカは鼻で笑う。
夜闇の中密やかに、キエッリーニの屋敷を抜け出てゆく、三つの青い影。
義侠心、冒険心、好奇心。
様々な感情を沸かせた子供達は、気付いていない。
月に照らされた屋敷の窓辺から、静かに見守る目があることに。
読まれたいものです。酷評でも。