フオリエ・ナスコシテ   作:カズあっと

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3話 宴と残響。

 

「破損のある船は工廠へ運びなさい。此度の海難での責任、領主としてキエッリーニが負う」

 

 毅然として声を張るアウグスタ。港の空気が締まった。

 誰もが知る。彼女が言葉だけでなく、その後の処理まで引き受ける人だということを。

 

「おおっ! 祝いだ宴だ! お前ら存分に楽しめ!」

 

 歓声に湧く海の男たちに、遠き日の残照が重なった。生き生きと、動き回る人々。

 流れ着いた残骸や破損した建材を荷車で運ぶ男達。

 苦難にも負けず、磯の匂いの中で明るく振る舞っていた。

 

「流石は奥方様だぜ。俺たちの商売もちゃんと考えてくれている」

「近頃は魔銀も高くなってるしな。助かるぜ。霊核相場も騰がってるしよ」

 

 用意もまだなのに、酒瓶を手に取る者までいた。

 気の早い話で、既に酒臭い息を吐き出している。日の高い内こそが至高だと。

 

「騰がってんのか? こっちじゃ、いつも通りだぜ」

「そりゃ、シシリアは一大産地だから影響はねぇよ。王都の商人たちはまだ、この異界産の蒼珠貝粉(そうじゅかいふん)に夢中だけどよ。香料にも染料にもなるかんな」

 

 瓶を手に、足を止めて「金の匂いがするな」と語り合う商人達。

 塩田や漁港の話題も出る。シシリアを囲む四つの海、マルメディテッラネオの恵みは港町を支える大切な資源だ。

 

 遠くで笑い声が上がる。活気ある港の姿は、アウグスタの胸に十四年前の記憶を呼び起こす。

 夫と一門の男性たちを喪ったあの日から、彼女は剣ではなく、理と利益で町を守る道を選んだ。

 

 そんな感傷を吹き飛ばすように、甲高い女の声が飛ぶ。

 

「こらっ! アンタたち! 油売ってないで、キリキリ働きな!」

「そうだよ、この怠け者どもが。船がないから遊べるなんて、浮ついているんじゃないよ」

 

 港の女衆である。箒を動かし、繕い物をしながら、尻を叩くように男達を叱りつけていた。

 その逞しさに、アウグスタも思わず微笑む。

 ——理で立つ町とは、こういう人々に支えられてこそなのだ。

 

「奥方様、被害報告がまとまりました」

 

 現場監督の一人が駆け寄り、書状を差し出した。

 焼け焦げた手帳の紙片を綴じ直しただけの簡易な報告書だ。

 アウグスタは受け取り、淡く息を整える。

 

 ——航行中の船舶四艘、停泊中の船舶六十八艘。

 ——堤防破損、灯台損壊、桟橋溶損、倉庫流失。

 簡潔に記された被害は甚大で、記す手の震えさえ伝わるようだった。

 

 それでも、彼女は静かに書状を畳む。

 記載のなかった、たった一つの事項——死者達の名に安堵して。

 

「ご苦労様。明日には復旧班を組みましょう。……今日は祝いの日です」

 

 港町であるトラーパニの殆どの民は港湾関係者なので、この被害は生活に直結する。

 それでも、港の女性達からは明るい声が響く。

 

「誰も失わなかった祝日だよ! 明日は明日でなんとかなるもんさ!」

 

 そんな幸運など、滅多になかった。

 だからこそ、戦勝の喜びも大きい。

 

「今日一日くらいは英気を養って、明日からは頑張って、働こうじゃないか」

 

 調子をあわせる快い歓声に、気が抜けてしまう。それに——。

 

「奥方様っ!」

「平気よ。少し躓いてしまっただけ」

 

 よろめいた所をリナに支えられたアウグスタも、全くの同感だった。

 指先が僅かに痺れる。術を締めた名残——顕現の流れがまだ体の奥でざわついている。

 

 微かに声が掠れてしまったが、鼓動まで伝わっていない。震えも——きっと抑えられている。

 今は、少しだけ休もう。

 白い水鳥達が青い空にて遊ぶ。戒めから解かれたように悠々と。

 

 喧騒の中、火の準備に追われつつ宴の支度に励む者もいる。魚や肉、野菜などが手早く捌かれる。

 そんな一角へ、瞳を細めるアウグスタであった。

 

「若に坊主、丁寧に剥ぎ取れよ。海蛇は全身お宝だ。無駄になる場所なんてないぜ」

「ルカ、こうやるんだ。よく見て学べ」

 

 冒険者あがりの騎士(脳筋)たちに背中を叩かれ、ルカへ手慣れた動きを見せるオルト。

 斧でさえ通らなかった鱗を剣にて剥がし、剥き出しの肉を切り取った。

 

「どんな化物だって、死んじまえばこんなもんよ。海蛇は皮も筋肉も柔らかいから、簡単だぜ」

「わかった」

 

 既にセルペンテ・マリーノ(海蛇)の遺骸から霊核は摘出され、冒険者組合へ送られた。

 発術所で使われる術力の結晶も、肉体がなければ安全な資源となる。

 

 ルカも中々手際良く解体を手伝っている。初めてだろうに肝の据わった子だ。

 

「雑。そのやり方じゃ骨まで砕けちゃう」

 

 綺麗に皮を剥ぎ、筋繊維に沿ってナイフを通す。

 

「骨まで旨いから良いんだよ。ポルペッティ(つくね)にするんだから」

 

 オルトは背骨から力任せに肉を剥がそうとし、背骨を砕いて渋い顔をする。

 かつて恐るべき脅威も、今ではただの食材に過ぎなかった。

 

「言い訳しないで。おじ様は丁寧にって言ってる」

 

 叱られて、オルトは少しだけ丁寧になった。婆やがやって来る。その視線は赤い紋章で封ざれた、積荷を追っていた。

 

「すっかり尻に敷かれておりよる。……奥方様、そろそろお掛けになられては?」

 

 険しい目付きをもっと厳しくしてのお小言。

 

「あらあら、婆やも心配性ね。これくらい平気よ。もう少しだけ、海を眺めておりますわ」

 

 軽い調子で答えてやれば、首を振って吐息を一つ。

 海を見ればトラーパニの男衆達が難破船の残骸を引き揚げている。

 海上には難破船の引き揚げの指揮を執る、アントニオ・マリオ・ペントラ男爵の姿があった。

 

 日が暮れる前に宴は始まった。

 

「飯の心配はすんなよな! 肉ならたんとあるぜ。乾杯!」

 

 オルトの音頭により宴の幕は上がる。

 二年後の襲爵に備え、近頃はこういった役目も譲る様にしていた。教育のためである。

 陽気な息子の周囲にはよく人が集う。それも人徳だと思いたい。筋肉ばかりなのは不安だが。

 

「奥方様、本日は早くお休みに……」

「大丈夫ですって。たった五度よ」

 

 それだけ、海を縛った。必要なことだった。婆やのお小言は、消耗を心配してのことだろう。

 昔から、変わらない。大人しくするに限った。

 

 壁の花となったアウグスタは、宴を静かに見守る。

 身体の奥底でまだ、微かな疼きが残っていた。それが、理で立つ者の証でもあった。

 

「そちらの被害は?」

「人は無事ですよ。荷は全部やられましたけどね、まあ計算のうちです」

 

 抜け目ない男達の言葉に暗さはない。

 人を失わなければ、どこからでもやり直せる。その自信が彼等に活力を与えていた。

 

「フィオナ嬢は帰られないとか?」

「霊核相場が荒れてるそうでね」

 

 噂好きな淑女方の関心は、若者達へと向かい易い。

 

 ——霊核相場の異常ね。

 

 耳に留めたアウグスタは、十四年前の予兆を思い出す。状況がよく似ていた。穿ちすぎだと思いながらも離れない。

 【同時多発暗殺事変】、彼女達だけでなく王国史にも刻まれた、解決不能事件が。

 

 ——フィオナにも、連絡を取らねばならぬだろう。

 

 そんな事を考えながらも、ついアウグスタの視線が向かってしまうのは、多くのご婦人方と同じ場所。

 

「私がお酌しますね。はい、ルカ様。甘口で飲みやすいお酒ですよ。初めてには、丁度良いかと」

 

 ルカ達の座る一画だった。

 準備に奔走していたリナも、宴会に参加している。

 世話焼きなあの子はルカへと侍り、とても嬉しそうだった。騎士達の妻女や港の奥様達と共に、『みんなの王子様』にべったりである。

 

 その光景に束の間、アウグスタは救われるような思いがした。

 

「ありがとうございます。リナ様」

「いやーん。可愛いー」

 

リナは小さく跳ね、手を叩いて頬を赤く染めた。

 

「ルカ様、孤児上がりの侍女の私には、様付けなんて不要ですよ」

 

 小さく胸を張り、ふっと目を細める。その瞳に少しだけ、得意げな光が宿った。

 

「あ、でもお姉ちゃんなら嬉しいかも」

 

 リナは小さく肩を揺らし、くすぐったそうに笑う。

 ルカは一瞬だけ考えて、真面目な顔で頷いた。

 

「はい、リナお姉様。お姉様もお酒を楽しんでくださいね。私も見習いとはいえ、騎士の身。婦女を護りし剣なれば」

 

 そう言って杯を掲げる仕草に、周囲の女性たちが一斉に声を上げた。

 

「まあ、健気!」

「ほんと、まだ愛し子みたいに見えるのに……もう十二歳なの?」

 

 ウキウキと華やぎ微笑む彼女達。

 

「じゃあ、今年が誓いの儀(ジャメンタ)ね。立派に務められるわよ」

「可愛い可愛い、連れて帰りたくなるわ!」

 

 賑やかに頬を緩める女衆に囲まれ、ルカは小さく背筋を伸ばした。

 

「モテモテだなルカ! ……ちょっと羨ましいぞ」

 

 楽しげに笑い合う人々。次々に空となってゆく杯。

 

「俺たちの『英雄』は何処行った? ——あ? 帰った? んじゃ、ガキんちょ共で良いか。おーい飲め」

 

 酔いに紛れた笑い声。

 だが、その名を呼ぶ声は寂しかった。

 

 彼らが探す『英雄』はもういない。夫も、仲間も。

そして戦勝を支えた男も、この場には「いない」。

 

 笑い声は高らかに響く。だが、その隙間には沈黙があった。

 

 

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