フオリエ・ナスコシテ   作:カズあっと

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ありがとうございます。


34話 ささやかな幸福と、不躾な客人達。

 

 ——アントニオが戻って来た。

 

 その報せを受けた時、アウグスタの胸には、どっと安堵が込み上げていた。

 思わず、迎えに出てしまう程には。

 

 少し足早となり、息を弾ませてしまうのも無理もないと、彼女は思う。

 

 昔から不器用で無表情な彼は、いつもと変わらぬ、少し息苦しいくらいに吹く潮風の中に、立っている。

 

「アントニオ・マリオ=ペントラ。ただいま、帰参いたしました」

 

 燦々と輝く陽光に灼かれ、甘く薫る茉莉花(ジャスミン)の咲く庭で、そう言ったのだから。

 

「おかえりなさい。ペントラ卿」

 

 微笑を浮かべ、彼と、彼の率いる騎士達へと。

 尊大に、されど優雅に淑女の礼をする。

 貴族として、統治を救ける者として。

 

 頼もしき「武力」へと敬意を示すのは、当然の礼儀であるのだから。

 

 

 

「こーきたから、こーやって、それでよ……」

「その場合、逆らわずに内へ向かえ」

 

 オルトは、アントニオ相手に話し込んでいる。

 ここ二日間、夜会は止めていた。目玉が不在であるし、用意や都合もある。屋敷の者達には休養日でもあった。

 

 交代した騎士達も、多くは街へと繰り出している。寝床の用意はあるが、流石に大人数の食事の用意までは出来ないからだ。

 感覚として、街の空気を感じて貰う。元々の予定通りでもあった。

 

 夕食の前である。リナと婆や以外には暇を出していて、用意は自らしなくてはならなかった。

 献立を何にしようか頭を悩ませていたところ、アントニオがマグロの切り身を持って来ていた。

 オルトとルカの好物だった。

 

「動きにくい……」

「我慢なさいな。足元が見られないのですから、技の出も隠せる……らしいわよ」

「……腕が出てるから、意味ない」

 

 ルカにはドレスを着せている。子供向けの可愛らしいサマードレスだが、どうやら、あまりお気に召してはいないらしい。

 裾丈が長いや、肩がスースーするなどと、唇を尖らせていた。

 

「またまたー。自分から、着るって言った癖に」

 

 給仕をしているリナが突っ込むと、ルカはモゴモゴと口を動かして、黙った。

 しかし、黙ってしまったのは彼女だけでなく――

 

 目を見開き、口をあんぐりと開いたオルトもだった。騒がしい大声も、止まってしまっている。

 

 開け放たれた窓辺からは少し熱の下がった潮風と共に、「アホー、アホー」と鳴く、アルバトロ(アホウドリ)の声が、響いていた。

 

「貴方ねぇ。もう良い歳なんだから、少しは気の利いた挨拶も出来ないの?」

「……ル、ルカ……お嬢様、本日は、た、大変お日柄も良く、おめでたい日でありまして……」

 

 まるで頓珍漢な妄言を吐き始めた息子に、アウグスタはつい額を抑える。

 視界の端で、白く薄い帷が、はためいている。

 

「オルトは気が利かない」

「まぁ、若様ですからねー」

 

 ルカの当然の指摘に、同意するリナである。内心ではアウグスタも、大きく頷いた。そして、気が利かないと言えば、もう一人。

 

「ルカ。左手側が、少し弱い」

 

 アントニオであった。思わず、隣のルカと顔を見合わせる。

 

ポヴェロ(残念)

 

 まったく同じ言葉が、唇から零れた。

 

 ささやかな日常の優しさに、浸っている。

 

 ——これ以上の幸福など、望むべくもないと。

 

 

 

 明けて翌日。夜会の支度に賑わう屋敷に、不躾な客達が訪れた。

 浮き立つ足音に、まったく異なる種類の熱が混じり混む。

 

「今朝お手紙を頂き、その日の内にお目にかかれるとは。王都の『学府』は、良い足を所有しておられる様ですのね」

「それはですな! 吾輩の開……むぐ、むぐぐ!」

 

 アウグスタが扇を閉じ、微笑みと共に放った一言に、老齢の学者らしき男性が、椅子から立ち上がりかけた。

 だが、たちまちの内、周囲に取り押さえられる。

 連携の見事さから、いつもの事だと見て取れた。

 

「すみません、奥方様。教授は少し認知に問題が出始めておりまして……」

「おま! こらっ! 若造供! 語らせろ!」

 

 彼のみはもっと喋らせろ、とやたらと恨みがましい目をしているが、他の「教育者」達は、「熱意を認めて貰えた」、とばかりに頬を緩めている。

 

 とはいえ、何もこの席にいるのは、学府付属の教育関係者ばかりではない。

 傍に座る、財務省の役人もまた、教授とは異なる意味で、苦虫を噛み潰した様な顔をしていた。

 

 朝に寄越した手紙で、当日の面会を強いる。

 それが、王より地方を預かる貴族に対するどれほどの非礼か、この「熱心な教育者達」は無自覚なのだろう。

 だが、付き添いの役人は違う。視線を逸らした後に、スッと顔付きを平坦なものとした。

 

「遠路遥々王都よりのお越し、歓迎いたしますわ」

 

 微笑みも、丁重な態度も崩さずに、アウグスタは舐められたものだ、と内心で毒づく。

 十四年。夫を亡くした後、曲がりなりにもトラーバニを守り抜いてきている。

 それは何も、彼女自身の力だけではないが、貴族とは面子商売だ。

 

「既に『収納』も修められたとか。ルカ様の類稀なる才能を思えば、一刻の猶予も惜しいと思いましてな。急な訪問をお許しいただいた、代行のお心の広さに感謝いたしますぞ」

 

 悪意のない、純粋なまでの傲慢。

 才ある若者に目を付けて、早期の囲い込み。

 古代より、「学府」は一人でも多くの「碩学者」を世に送り出す為に、情熱を注いでいる。

 

「計数や書に明るく、利発であるとも聞いておりますぞ。少なくとも我々のご提供出来る教育は、国内において、いや、大陸においても最高峰。ご令嬢の将来を考えるならば、是非……」

 

 熱っぽく、語り続ける「善意の人達」。

 情熱は時として、礼も儀も忘れさせる劇薬だ。

 だが、それは赦そう。道理を教え導くのも、また貴族の責任である。

 

 アウグスタは、ゆったりと椅子へ背を預けた。

 

「それで、本日は何故、財務省のお役人もご一緒でして?」

 

 情熱とは程遠い、冷徹な視線。推移を見守る事に徹する男へと、言葉を向ける。

 

「これは、これは。麗しの奥方様。私めは彼等の高い志に絆されましてな。耳よりな、『良いお話』を持って来た次第てあります」

「あら、お上手だこと。しかし、少し規律を甘く見ておいででは、ありませんこと?」

 

 ねっとりと、絡みつく様な視線。それを感じたアウグスタは、胸の前で腕を組んだ。

 

「ご心配なさらず。中央調達庁の職務には、適切な予算の分配があります。その一環ですよ。それが、古き同胞の忘れ形見の為とあらば、尚の事ですな」

 

 アウグスタの亡き夫にして、オルトの父親である先代キエッリーニ・トラーパニ子爵は、財務省、中央調達庁の官僚であった。

 

「お若いのに、主人を知っておりますのね」

「記録の中でございますが、それも縁というものでしょう。決して、損なお話ではありません」

 

 腐敗は正義より起こる。公平な分配を大義名分としながらも、恣意的な利益誘導は、ままあった。

 

「お聞きしましょう」

 

 清濁併せ呑まなければ、個々の欲望を纏め上げる統治など立ち行かない。それに、この場においての議論は無意味であった。故に、冷たく尋ねた。

 

「何、そう生臭い話ではございません。有望な人材への、投資にございます。我々は円滑な行政の維持の為、研修生制度を設けておりましてね。そこへ、ご子息を送られてはどうかと」

 

 囲い込み。目的は学府と同じだが、それをオルトへも向けてくるか。

 それは提案の形を取った、要請だった。

 断れる余地が残されている様に見えて、その実、拒否すれば必ず記憶される類の。

 

「年端もいかぬご令嬢を、王都に一人送るのは、さぞご心配でしょう。ですが、成人済みの兄君がおられる。ご一緒ならば、寂しさも薄れましょう」

 

 更に、情と縁をも用いるか。一見、なんの瑕疵もない、合理的で好意的な提案だ。

 

「無論、生活費、学資、居宅、全てこちらで用意いたします。先代殿の功績を思えば、これくらいは当然の配慮」

 

 理論的にも実益的にも、そして情においても。簡単に反論するのは、憚られる提案だった。

 そして、つるりと顔を撫でた役人は言う。

 

「……ああ、いや。お二人は確か、従兄妹同士でしたか。確か、二人目は、お出来にならなかったのでしたな」

 

 ジロジロと自らに注がれる視線を、アウグスタは冷たく見ている。

 

「高貴なるご麗人。お子様と離れるのは、さぞお寂しゅう事でしょう。その無聊をお慰めするのも、我等が責務の一つにござれば。ご心配なく」

 

 恭しい一礼を、アウグスタは見下ろしている。

 

 理、情、利、欲。

 

 成程。こういったやり口で、「赤い獅子」たちは勢力を広げるか。

 改めて目の当たりにした手管は、よく見知ったものだった。

 

「とても、魅力的な提案で、ございますわね」

 

 貌には甘く、誘う様な微笑を。声には艶を。

 顔を上げた男は、他愛無く鼻の下を伸ばした。

 

「私自身、夜戦においては槍の様に強いと、方方でご好評いただいておりましてな」

 

 視線が合う。怖気の走る声音も、受け流す。

 男はだらしなく顔を歪ませて、やがて視線は、やや下、アウグスタの胸元へ、露骨に留まった。

 

 ——ケダモノめ。肩が凝るだけの脂肪の塊が、役に立つなんてね。

 

 そんな感慨は漏らさず、あくまでも優しく、諭す様に言ってやる。

 

「ですけれど、商都トラーパニの領主である子爵家を、みくびらないで欲しいわね」

 

 男は鼻息を荒くしながらも、眉を跳ね上げるという、随分と器用な真似をした。

 

「生活費、学資、居宅、これらの心配はご無用よ。私達は、それらを自ら賄う為に、商売をしているのですから。トラーパニの納税額を、一度ご覧になってから発言なさいな」

 

 役人の、顔付きが変わった。腑に落ちないという表情だ。

 その小ささに、思わず口許も綻んでしまう。

 

「中央調達庁の官僚であった亡き主人は、よく申しておりましたわ。官吏の仕事とは、人々の生活を安定させ、淀みなき血の如く、予算を巡らせることだと」

 

 ふ、と視線を落とし、かつて愛した男の背中に思いを馳せる。

 

「主人は、自らの懐を温めるためでも、他人に貸しを作るためでもなく、ただ王国の、ひいては故郷の静謐のために心血を注いでおりました。……少なくとも彼は、今朝届いた手紙で即日の面会を強要するような、無作法な真似はなさいませんでしたわね」

 

 アウグスタは微笑みを深くする。それは、明確に目の前の小役人を「同じ穴の狢ではない」と断じる蔑みの笑みだ。

 

「貴方の仰る『投資』や『配慮』という言葉は、主人の言葉に比べて、随分と……そう、安っぽく聞こえますの」

 

 役人の顔が、屈辱に赤黒く染まっていく。

 

 アウグスタは、それを楽しむように見つめ。

 

「ルカとオルトは、このトラーパニの次代を担う宝ですわ。それを、情熱に浮かされた老教授や、下卑た下心を隠せぬ小役人の研修材料として差し出すほど、私達は落ちぶれてはおりませんの」

 

 青褪める役人と、呆然とする教育者達。

 趨勢は決まっただろうと、当主代行は微笑む。

 

「けれど、……そうね。最も大切なのは、本人の意思ではないかしら?」

 

 項垂れた男達を放って、「約束」の呼び鈴を鳴らす。束の間、訪れる静寂の中で、アウグスタは彼等へと呼びかけた。

 

「本人を説き伏せられるなら、逆転の目もありましてよ? 王都での学問は、魅力的ですものね。私、子供達の自主性を重んじましてよ」

 

 色めき、希望に染まる教育者達。

 良いのだろうか、そんなに単純で。

 そして役人は、掌で顔を覆っている。

 

 やがて扉が開かれ、オルトとルカが姿を現した。

 それぞれが椅子に座るやいなや、役人と教育者達は二人へ向けて、熱心に諭した。

 

 彼等も、論理的には破綻している訳ではない。

 一般的には、王都という華やかな都会や学園は、魅力的にも映ろう。けれども。

 

「それ、楽しいの?」

 

 小さく首を傾げて、ルカは尋ねた。

 誰も、答えられない。

 

「なら、行かない」

 

 あっさりと、ルカは答えた。

 

「ここでも学問は出来るし。ごはんは美味しいし、友達もいるし、……奥方様もいる。王都、つまんなそう」

 

 そんなルカへと、オルトが語りかける。

 誰一人として、口を挟めなかった。

 あまりにも簡潔な拒絶に、教育者達の魂は抜けた様だった。

 

「……ルカ、この兄ちゃんが何言ってんだか、わかりやすく教えてくれ」

「生活の面倒を見るから、王都で学問しないか。という意味」

 

 この息子が、それを魅力と感ずるだろうか。

 

「え。嫌だよ今更学問なんて。俺は、シシリアの冒険者だぜ? 来年には兵役にも行くし」

 

 そんなオルトへ、小役人は食い下がる。絞り出す様な、声音だった。

 

「研修生ならば、兵役も免れますぞ」

 

 悪手であった。

 

「あんな、兄ちゃん。……冒険者、舐めんなよ」

 

 オルトが呟く。その気に中てられ、役人はびくりと竦んだ。それに気付いたのか、息子は一度、こちらを見やる。そして。

 

「……失礼、閣下。私めは、王より認められ、子爵家を継ぐ者。民を護る盾となりますので、ご厚意ありがたくはありますが、お断りいたします」

 

 言葉も態度も改めたオルトに、役人殿は目を白黒させている。この変わり身は、初見では驚くだろう。息子も成長している。

 

「つーか、なんか財務省の役人? 兄ちゃんもそうだけど、なんか安っぽいんだよな。身体鍛えろよ。金勘定ばかりじゃ、良い仕事は出来ないぜ。行こうぜ、ルカ。稽古だ稽古」

 

 役人は何か言おうとして口を開き、そして閉じた。喉がひくりと鳴っている。

 何度か瞬きを繰り返し、やがて肩を落とした。

 

「……失礼、いたしました」

 

 二人の背中は既にない。

 アウグスタは立ち上がる。そして瀟洒な淑女の礼を一つ。

 

「さぁ、お客人様方。ご用件がお済みでしたら、お帰りはあちらになりますわ」

 

 扉を指し示せばそこに、騎士を従えたアントニオの姿がある。

 役人はまたもや顔を青褪めて、教育者達は盛り上がる。

 

 ——逞しいな、コイツら。

 

 アウグスタは、はしたなくもそう思ってしまう。

 結果は見えていたものだが、これで、一つの懸念は片付いた。

 

 だが、しかし。今、キエッリーニの当主代行である彼女が最も頭を悩ますのは、一向に進まないアントニオの後添い探しであった。

 

 

 

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