実態の伴わない投資話を、さぞ美味い儲け話として語り、出資を募る。
元本保証、高利回り。聞こえの良い言葉はいくらでも並ぶ。
規制法の草案を書いている彼女は、大きく息を吐いた。
フィオナには任せなさい、と言ってみたが、正直な話、かなり大変な作業だった。
違法ではない。そこで胴元が行方を眩ませたとしても、騙された方が愚かなのだ。
探し出し、「決闘」で落とし前を付ければ良い。
統治者達のその理屈は、アウグスタにも理解が出来る。法の上に立つ、理なのだから。
だが。
裏路地で、泣き崩れる老夫婦を見た。
蓄えだけでなく、住居や信頼さえをも失って、ただ呆然と座り込んでいた。
市場の正義が、それを許すのなら。
その先に、どれほどの破滅が待つのか。
この遥か昔からありながら、近年急速に拡大し始めた商法。
実に、性質が悪い。
この世界にあるのはただ、抜け目ない勝者と、無知故に全てを奪われた敗者。
ただ、それだけだ。
奪い、奪われることは、人が呼吸をするのと同じく正当な、この世の理なのだから。
だが、その「正当な商行為」の果てに、街の血が枯れ果てるのを、アウグスタは許さない。
先人達の血を吐く様な努力の末、制度は既に予防線となっている。
だが、それを活かし、自制を貫ける者は、思うほど多くはない。
情報開示も、連帯責任も、契約の撤回権も、既にあった。
それでも、欲望の前では容易く形骸化する。
「……楔が、必要ね。……反対が目に浮かぶわ」
傍に控えていた婆やが、目を見開いた。
侍女は口を挟まない。
だからこれは、単なる独り言だ。
「……『収益の遡及回収』。これに、同意する者はどれだけいるのかしらね」
実態のない言葉遊びで得た利益を、過去に遡って没収する。
それは、ただ幸運に預かっただけの無知な民草からも、生活の糧を奪い取る「逆方向の略奪」に他ならない。
婆やはまだ、沈黙を守っている。少しだけ、叱って貰いたかった。誰も、幸福にしないのだと。
誰一人として救われない。ただ、不当に歪んだ富の天秤を、力ずくで水平に戻すだけの冷たい法。
彼女は、自分が強者ではないことを知っている。
ただ、この野蛮な世界で、トラーパニという「生活基盤」を維持するために、自らもまた「制度」という名の牙を剥く道を選んだ。
「地獄を編んでいるわ、私は。……弱者が、より弱き者を救おうなんて、土台無理な話だったのかしらね」
アウグスタは自嘲気味に呟きながら、書き上がった草案に署名を記した。
空は重く、灰色にも似た雲が覆っている。
巫女の予知通りに、曇天となっていた。
本日は宣託によると、夕刻から嵐が訪れると予報されている。
一方、シシリア州トラーバニからは遠く離れた内陸の地。
学術都市とも呼ばれる王都ロウムでは、湿った空気とは無縁の、乾いた夏の陽射しが石畳を焼いている。
その熱を完全に遮断した、中央省庁府。
――財務省会議室。
高い天井と、磨き上げられた石床。適温の保たれた、冷ややかな空気。
夏の陽射しを遮る厚い帳を避け、細長い窓から斜めに差し込む光。それだけが眩く、長机の中央だけを照らしていた。
座する者たちは、光の外に身を置いている。
壁に掛けられた、赤い獅子の紋章を背にした二人の男。
そして、その間。ビタロサ王国旗の前に控える財務省主席高官。
机の末席には、二人。
一人は、監査官。もう一人は、先日の暴動未遂を主導した、煽動者である。
空気は、重く、冷たい。
その沈黙を破ったのは、本拠へと帰還していた煽動者だった。
「王都にも、報告させていただきます。この不当な扱いを――」
震えを押し殺した声で、彼は言葉を重ねる。
地方貴族の横暴、都市行政の腐敗。
民衆の怒りに、秩序の崩壊。
あらゆる言葉を並べ、あらゆる正義を振りかざしながら。
だが、机の上に置かれた数枚の書類が、その全てを無言で否定していた。
赤い獅子の一人が、淡々と告げる。
「人質奪取、失敗」
もう一人が、続ける。
「暴動誘発、未遂」
主席高官が、眼鏡の奥で視線を走らせた。
「結果として、貴殿の行動は、地方行政への圧力としても、政治的成果としても、何ひとつ残していない」
煽動者の口が、閉じた。
反論は、許されなかった。
沈黙が落ちる。
その空白に、野太い声が割り込む。
「ならば、制度で締め上げましょう」
監査官だった。五十を数え、官僚としての円熟と、隠しきれぬ野心をその肉厚な顔に刻んだ男だ。
だが、場にそぐわぬ程、彼の低く酒焼けをした声音は明るかった。
「監査権限を用いれば、地方都市など、三十日もあれば白黒つけられます」
主席高官が、視線を向ける。
「対象は?」
「トラーパニ」
即答だった。
「貿易港としては、成長が早すぎる。異界資源の流通も、帳簿が甘い。叩けば、必ず埃が出ますわい」
赤い獅子が、わずかに口角を上げた。
「行け」
短い命令。
「結果を出せ」
監査官は、深く一礼する。
「御意」
会議室を辞した彼は、ふと斜め後ろを歩む煽動者の方へと視線を投げた。
「護衛は、例の『輸送船』の男を使う。ジーノ、とかいう破落戸だ」
煽動者の喉が、わずかに鳴った。
その名は、彼にとっても、決して軽くはない。だが、誰も、そこに意味を求めなかった。
「儂に任せい。帳簿の整合性など、こちらが『黒』と言えば黒になる。トラーパニ如き田舎街の繁栄が、王国の法を上回ることなぞ、許されんぞ」
カラカラと笑う監査官。背中を叩かれて、深く頷いた煽動者。
どれほど熱弁を振るおうと、どれほど野心を燃やそうと。
赤い獅子にとって、煽動者も、監査官も、そしてトラーパニも。
全ては、秩序の名の元に動かす、駒にすぎない。
こうして、静かに。
だが確実に、欲望という名の劇場が、幕を開けた。
嵐の中、涙を切り裂き海上をひた走る、一台の船舶があった。
見た目には、古い客船でしかない。
「ぐわっはっは! 見ろ。儂の愛船は、嵐なぞものともせんわい!」
それは自ら舵を取る、監査官の喜色溢れた怒鳴り声だった。
煽動者はオエッとしている。船酔いだった。
彼等には、荒れた海を走る程の力量はない。
晴天を待っての出航を提案したが、笑い飛ばされている。
「若いのに、情けないのう!」
高揚する監査官の声吐き気以上に不快だが、それ以上に頼もしかった。
三十年という果てしない月賦で監査官が購入したというこの船舶。見かけこそ型落ちの客船だが、その中身は「学術都市」の技術の粋が詰まっている。
「速度では騎士にも負けんし、重さがあるわな!」
それ程の、速度が出ていた。そして、武装も豊富である。サメ程度ならば砲の一撃で海の藻屑となるし、なんとあの一角クジラの衝突にも耐えるのだ。
「まぁ、貴様は暴動未遂を起こした身、少々バツが悪いだろうがな。儂の部下としている限りは、何の心配もないぞ。儂は、『監査官』なのだからな!」
それに、この船には絶大な「力」が載せられている。訓練次第で誰でも扱える、最新式の火器だ。
「ええ、偉大なる閣下。某は無能非才の身でありますが、犬馬の労も惜しみませぬぞ」
今は使い手がいないが、トラーパニへ戻れば、自らの無力を嘆く「義民」の牙にもなった。
「うむ、うむ。まぁ、簡単な仕事だがな。働き次第では、追加報酬も出るぞ」
「それは、楽しみにございますな。とはいえ、閣下のお零れに預かる我が身としては、心苦しくありますが」
鷹揚に笑う監査官へ、煽動者も笑みを送る。
「僭主の方針に異を唱える者は、少なくありませんからな。閣下のご威光があれば、気軽な観光とも違いありますまい」
「選挙で選ばれた訳でもない、あの女狐か。売女はそれらしく、尻でも振っておれば良いのだ。まぁ、態度次第では、情けを掛けてやらんでもないがな」
言いながら、霊薬を飲み干す監査官の左手薬指を煽動者は見ている。黒い刻印が刻まれていた。
契約の証、転じて呪いの刻印。
「色々と、儲けさせて貰おう。グフフ、楽しみな事じゃわい」
彼は、この俗物の様に金を信奉していない。
だが、金は「力」を担保する。
だからこそ、集め続けた。
「見えてきおったぞ、トラーバニの灯りが。……なんとも贅沢は街だのう。叩けば埃が、仰山出てきそうだわい」
男達の目に、嵐の中でも燦然と輝く街が見えてくる。港町トラーパニは海の道標となる為に、夜中であっても煌々と海を照らしていた。
「ったくよぉ。何で、態々嵐の夜に来やがる」
激しい風雨の中、埠頭に立つのは特にこれといった特徴のない、中肉中背の男。
強いて言うのなら、こけた頬と無精髭が特徴なだけである。
唸る風、叩きつける雨粒の下、片手に持つ光源を揺らしていた。
闇の中、眦を見開いたままに沖合から迫る船を見る。
彼こそは、近頃売り出し中の無頼。
王都にて仕事を選ばす請け負う破落戸。
魔銀位階の冒険者、柳のジーノであった。
この気象条件の中、まったく体幹にブレがない異常さを見抜く者は、どれだけあるだろう。
雇い主は王都の大商家。
赤い獅子の尻尾と囁かれる貿易商の依頼で、
彼は輸送船の用心棒役から、監査官の護衛へと回された。
「……さっさとこんな街からは、オサラバしたいもんだがね。マトモな野郎なら良いが」
誘導灯を振る男のささやかな願いが、叶う事はない。
この夜、港町——貿易港トラーパニへと、嵐の第二波が辿り着いた。