フオリエ・ナスコシテ   作:カズあっと

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44話 たまには、お願いね。

 

 アウグスタはフィオナの肩を抱いている。

 

 アントニオは涼しい顔で酒盃を傾けているし、迎賓たちもまた、めいめいが好きな様に過ごし始めていた。

 

「どうどう、フィオナ。少し落ち着きなさいな。はい、お水。後でちゃんとお話も聞きますからね?」

 

 なんとも纏まりのない空気感の中だが、ゆっくりとグラスへ口付けるフィオナも、ようやく落ち着きを取り戻した様だった。

 

「お酒の方が良いんですけど」

「飲み過ぎちゃ、ダメよ」

 

 そんなフィオナのためにアウグスタは給仕を呼んでやる。ついでに軽く、その背中を押していた。

 もう心配はない。それに、周囲のご婦人方が彼女へ話し掛けたそうにもしている。

 

 ——こういった求めに応じるのも、責任ある大人の役目よ。ちゃんと果たしなさいね。

 

 そう内心で呟いたアウグスタにもまた、責任を負う大人としての務めが残されていた。

 それは足元で尻餅をついたままの、監査官殿への対応だった。

 

「お手をどうぞ、監査官殿」

「これは、かたじけない」

 

 茫然としたままの彼へ手を差し伸べれば、素直に手を取った。

 アウグスタの腕力ではとても引き起こす事は出来ない。監査官は自ら立ち上がる。

 やはり掌の感触は、ヌメっとしたままであった。

 

「少々、飲み過ぎたのかもしれませんわね? 気を遠くしかけた様なので、フィオナが応急処置をいたしまして」

 

 一瞬、赤黒く染まった監査官の顔。だが、顔を一撫ですると、その表情をすぐさま拭い去った。

 

「稀に見る美酒でござったからな。年甲斐もなく、飲み過ぎてしまいましたわい。助かりましたぞ」

「うふふ。私共も王の臣下として、不測の事態への備えがありましてよ」

 

 ガハハと笑いを見せられて、アウグスタも愛想よく微笑んだ。腹芸が通じた様だと、胸の奥で息を吐く。

 

「つい、心配になりましてな。新法案の施行はとかく、反発も多いものですからな!」

 

 面子を保ちたいだろう彼ならば、失態をなかった事としたいだろう。そう予測していた。

 だからこそ先回りをして促しておけば、乗ってくる。互いに得るものこそないが、傷の付かない落とし所であった。

 

「ありがたい事ですわ。『監査』とは別の公務でありますのに、実にご立派な心掛けにございます」

 

 釘を刺しておけば、苦い顔付きながらも鷹揚に見せて頷いた。

 やはり、自覚はあるか。アウグスタはそう確信をしながら手を離す。

 

「公僕としては当然の心掛けですぞ」

 

 この変わり身。やはり、賢い。それとも、場の空気にでも中てられたか。

 アウグスタの心は、既に平和に凪いでいる。

 

「それでは、某はこれにて失礼つかまつりますぞ。お邪魔しましたな」

 

 大仰な紳士礼を見せる監査官。ここまでなら、痛み分けで充分だった。

 

「邪魔なんて、とても。ええ。ですが、もしも夜会が年明けまで続く様でしたら、お孫さんと共に遠慮なくいらっしゃいませ。王都とは異なり社交の練習くらいには、なりましてよ?」

 

 丁重な淑女の礼を返して差し上げれば、男に引き攣った顔が浮かぶ。

 流石に身内は可愛いか。情報を握っているという牽制は、覿面であった。

 今この場にて、彼を支持する者はない。またそれは、知恵と勇気こそを尊ぶ王城においても。

 

「では、またな。『代行』殿」

 

 それでも、これで終わりではないだろう。

 監査官殿には、信念がある訳ではない。

 少し調子に乗り易く、欲が深いだけの、ごく「普通の人」だと、アウグスタは見切っている。

 

 騎士達へ、「休め」と号令を掛けたアントニオを彼女は見ていた。

 

 だからこそ厄介なのだと、十四年前のあの日から知っている。

 当たり前を求める、普通の人たち。小物であろうと、俗物であろうとも変わらない。

 

 勧められるまま、パカパカとグラスを空けだしたフィオナを見る彼女は、己の歩んで来た道を信じ、監査官殿を送り出そうとした。——その瞬間。

 

 けたたましい足音と共に、迎賓室の扉が開かれた。

 

「奥方様! 御前失礼つかまつる! 急報にて!」

 

 叫ぶのは、行政府の制服に身を包んだ男。大急ぎで駆けて来たのだろう。全身は汗に塗れ、吐息も大きく上がっている。

 その額当てに描かれるのは、キエッリーニ家の紋章である、燦々と照りつける陽光を模した日足紋。

 

「ご苦労様。何が、ありましたか?」

 

 一部の迎賓たちはどよめくも、ここトラーパニの地において、その意味を知らぬ者はない。

 日輪に十二の日足が描かれた額当ては下がる。

 

「はっ! 四番通り商店街付近にて、大規模な破壊音、並びに混乱を確認とのこと。詳細な被害規模は未だ不明ながら、破壊系術式、もしくは火器の恐れありとのことにございます!」

 

 跪いた行政府の職員が、一息に捲し立てた。

 

「な、何だとっ!?」

「大義であった。少し、お休みなさい」

 

 一番に声を荒げたのは監査官殿であったが、アウグスタは静かに告げる。

 

「誰か! 『使者殿』のお世話を! 『危急の時』です!」

 

 当主代行が声を張る。

 瞬く間の内に幾人かの侍女達が、行政府から送られてきた「領主」への使者の身体を支えた。

 

 混乱が、ないではない。

 若いご婦人方の何人かは顔色を失っているし、若き紳士達の幾名かもまた、血気に逸った様相をしている。

 だが、年嵩の者達。「以前から」この街を知る大人たちは、泰然としたものだった。

 それでも、カチカチと杯が鳴る音や、囁き合うドヨドヨとした騒めきが、夜会の中へと広がっていくのは止められない。

 

「ど、どういうことだ!? おい!」

 

 殊に、監査官殿は酷く狼狽えてもいる。足を踏み鳴らし、子供の様に叫んだ。

 それが未知への恐怖からか、武器——暴力への畏れによるものか。

 アウグスタにしても、わからない。

 

「落ち着きなさって、監査官殿。誠に残念ながら本日は、お帰しすることが出来なくなりました」

 

 だが、冷たく事実のみを告げる。

 幾名かの紳士淑女は、ゆっくりと頷いていた。

 フィオナだけが、変わらず杯を空け続けている。

 

「ご存知かと思いますが、それは皆様もでございます。ご安心なさって? 此処はトラーパニにて、最も安全な場所ですの」

 

 言い終わり様に、立ち上がった騎士たちによる、賓客たちへ向けての最上礼。

 今、この場には冒険者組合とも並ぶ、最高の暴力装置が集っていた。

 

 それを知る大人たちが、若者たちを諭してゆく。

 徐々に会場内は落ち着きを取り戻していった。

 

「わけがわからんぞ。どういうことだ?」

 

 たった一人、監査官殿を除いて。

 

「そんなの決まってんじゃない。おじ様は、そんな事も知らないの?」

「うぐ……」

 

 猫の様な流し目を送るフィオナに、監査官は言葉を詰まらせる。格付けは、既に済んでいた。

 

「家紋を付けて送られる急使は直奏よ。助けてっていうね。おじ様たちだって、何かあったら王様にお願いするでしょ? 同じ(おんなじ)

 

 平和が続いて忘れられてはいるが、領主とは土地の守護者たる責務を負う者。場における、唯一無二なる王である。

 そこへ繋ぎをつけるべく、用いられるのが王との繋がりを記した額当てだった。

 

 二心があったり、詐称を許さない権能が施されている。それ以外の機能はなくとも、契約の福音は希少であった。

 

「まぁ、理解できないか」

 

 酷く退屈そうに言ったフィオナが立ち上がり、大きく伸びをする。

 

「アタシはここらでお暇を。オルトかリナでも捕まえて、揶揄ってきますね。新刊の絵物語とリナが欲しいって言ってた医学書を持って来てるんで」

 

 ヒラヒラと手を振って、外へ出ようとしていた。

 

 ——確かオルトは、リナと一緒に買い物に。街に? 待って。まだ、帰って来ていないわ。

 

 不在だと伝えようとしたアウグスタだったが、視線は窓の外、窓から見える丘の下へと広がる星々にも似た街の灯火へと向かっていた。

 

 不安とは全く別の言葉が、唇から昇る。

 

「それなら、ルカの相手をしてやって頂戴。退屈しているでしょうし」

 

 彼女は了承の意味で親指を立てるフィオナの背中を、静かに見送った。

 毅然として立ったままのアウグスタだが、薄絹により織られた黒の喪服が、微かに揺れている。

 

「……アントニオ」

 

 影の如く侍った男へ、アウグスタは短く告げる。

 表情は変わらない。

 強い、声だった。周囲がシンと静まった。

 

「|これは命令です。夜の平和を奪還しなさい《エ・ウン・オルディネ。リコヌィスタテ・ラ・パーチェ・デッラ・ノッテ》」

 

 凪の中で、女主人が命ずる。

 貌へは微笑の仮面を貼り付けたままに。

 

はい。我が夫人(スィ・ミア・シニョーラ)

 

 跪き、瀟洒な騎士礼にて応じる男。

 

 漏れるのは、息を飲む声。そして、微かな吐息の漏れる音。

 ゆっくりと、騎士が立ち上がる。

 絵画にも似た、静謐の中で。

 

 だが、領主代行は二つだけ注文を付け加える。

 

「一人でお行きなさい。ただし、誰も傷付けてはなりませんよ」

 

 聴こえていたのだろう。周囲がどよめきを見せる中、忠実な剣は静かに頷いた。

 

 踵が返る。

 彼を見詰めるは、豊かな黒髪を靡かせし女主人。

 のみならず、居並ぶ聴衆たち。

 

「……出るか。キエッリーニの剣が」

「それだけ、ヤベーってことっスよね」

 

 銃器談義に花を咲かせた紳士たちが。

 

「……はぁ。やっぱり素敵よね。アントニオ様」

「キラッキラッの美形顔で、あの硬さ。……はぁ」

 

 経済情勢を憂いていた、淑女たちが。

 

「ペントラ卿! 業を! 技を見せて下され!」

 

 傲慢な中央官僚さえも、少年の顔をする。

 

 全ての視線が奪われる。

 

 僅かな満足感であっても、「彼女」にとっては誇らしい。今も変わらぬ、愛すべき子。

 

 私の騎士。

 そして、トラーパニ最強の剣。

 

 背中を見せる姿へ、全幅の信頼を寄せてアウグスタは再び頷く。

 

「たまには、格好を付けなさいね」

 

 彼女は、少し遠くなった背中を見送った。

 

 ——頼みましたよ、アントニオ。

 

 絢爛たる光の中。

 

 遠ざかってゆく男の背中へ、祈りを捧げるアウグスタであった。

 

 

 




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