フオリエ・ナスコシテ   作:カズあっと

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お読みいただき、ありがとうございます。話数間違えました。45話でした。


45話 選別(トリアージ)

 

「おい、リナ。もっと、ないのかよ?」

 

 大荷物を抱えたままの若様(オルト)が、無茶なことを言う。

 おっと、主人である「お兄様」を、つい呼び捨てしてまった。と、キエッリーニ子爵家の侍女であるリナは、オホホと笑った。

 

 もう夕暮れも近いというのに、二人は商店街に来ていた。

 なんでもオルトは、お昼にルカ様の初めて作ったクッキーを平らげてしまったらしい。

 それでルカ様があんまりにもお冠なので、お詫び代わりに原料調達がしたいとのことだった。

 

 だがしかし、この若様にお菓子の材料なぞわかるはずもなく、拝み頼まれ同行を求められたのがリナだった。

 

「あるんだろ? これっぽっちじゃ足んねーし」

 

 実の所、もっとないではない。

 アーモンド(アルマンドラ)なんて、「食用」とするならば、産地以外はそう違いはなかった。

 

「色々あんじゃねーか。丸いのとか、四角いのとかも。苦いのとかもあるぜ! 山で食ってるし。なんで街にはねーんだよ? あれか、もったいぶってんな? それか、種類が違うんだろ? そうだろ?」

 

 喚くオルトが五月蝿い。

 形状については、単に選別しているだけだ。しかも、この脳筋は恐ろしいことを言う。

 

「ないわよ。小熊様は、奥方様(マンマ)を殺す気?」

「はあっ!?」

 

 馬鹿みたいに驚くオルトだった。

 リナは知っている。どれだけ気丈に振る舞おうと、奥方様は貴族ではない。

 貴族は武力により統治する者。

 その力を持たない奥方様が、貴人となることも、貴族としてあり続けることも、ない。

 

「聞きなさいな。若様というより、お兄様?」

「おう! 兄ちゃんに、なんでも相談してくれ!」

 

 安全に食べられるバラ科の種なぞ、あまりないのである。体内で胃酸と反応し、青酸という毒物を発生させるのだから。

 

「山で拾うような『苦い』のは毒なのよ。あんまり食べると、呼吸が止まって死んじゃうんだから」

 

 精一杯に、怖い顔をする。

 リナは、奥方様(お母さん)の健康を管理する立場にあった。

 

「いい、若様? 私たちが買っているのは、誰かを幸せにするための『甘い』種。間違えちゃダメよ」

 

 どんな物でも、毒であり、薬である。

 

「別に、アーモンドが毒って事ぁねーだろ? 毒っつーのは、犬の……」

 

 何やら、「お山」で当たった花か木の実の話をし始めたが、そんなものは関係ない。

 

「自己治癒ができるなら、そんなに問題はありまけんけどね! できないんですよ! 普通は!」

 

 つい、叫んでしまうリナだった。

 

 毒物を克服した一部のお貴族様なら、なんとでもなると思う彼女だ。

 といっても、奥方様は貴族であるとはいえ、そんな「デタラメ」ではない。

 今日日、物心ついた頃から毒沼に沈める親が、どこにいようか。

 

「奥方様やルカ様に食べさせたいなら、変なモノはやめてよねっ!」

「じゃあ、俺とお前で秘密に食おうぜ」

 

 ちょっとだけ、赤くなってしまうリナだった。

 小熊だなんだと言われていても、オルトの顔は良い。髭を剃り、身形を整えれば、ちょっとした王子様にも見えるのを、リナは知っている。

 

「そういう台詞は、髭をあたってから言うものですよ?」

 

 やんちゃな子供のまま、大人になってしまった未来の「ご主人様」だ。

 このままで良いのかと思いつつ、まぁ、良いやと思うのが、新米侍女であるリナだった。

 

 なんでもない、日常。

 トラーバニの変わらない毎日。

 活気溢れる平和な故郷。

 

 そんな当たり前に、耳が壊れそうな程の炸裂音が轟いた。

 

 ——え?

 

 肌を刺す、空気の震え。

 痛い程の静寂。

 たった一音すら、声にもならない。リナは何かが身体を覆うのを感じる。

 

 ——何?

 

 何も認識出来ないままのリナ。彼女の困惑とはまるで関係もなく、その轟音は何度となく響いた。

 

 ——オルト?

 

 主家の若様に、押し倒されている。

 頭を抱えられ、強く抱きすくめられていた。

 だが、そんなリナの疑問を整理するまでもなく、街中には喧騒が湧き上がる。

 

 悲鳴、怒号、沢山の足音。聴覚による情報処理が出来ない。

 無意識にもがいたリナだが、オルトの顔を見た。

 どこか遠くを、見つめている。その鼻が、ヒクヒクと小さく動いている。

 

 リナが良く知る港の潮風の匂いとアーモンドの甘い香り。そして、鼻先では夕陽に照らされた街路の臭いがしていた。

 舗装に混ぜ込まれた貝殻や石灰石が熱を帯びて放つ、あの乾ききった白亜の匂いだ。

 そんないつもの匂いの中に、オルトの体臭が強く混ざっている。汗と石鹸と、鉄錆の臭い。

 

 ——鉄錆?

 

 違う。そうじゃない。

 清浄なはずの匂いの向こう側に、あってはならない異物が——無意識にリナは、「強化」を発動している。

 

 喧騒と生暖かい潮風に混じるのは、酸化した鉄にも似た、重い、ねっとりとした生臭さ。

 「苦いバラ科の毒」なんかよりも、ずっと鋭く鼻を突く刺すような、酸っぱい臭い。

 

「……血? ……火薬?」

 

 漏れた言葉と同時に、耳鳴りの向こう側から、誰かの引き裂かれたような悲鳴が鼓膜を叩いた。

 

 耳鳴りの中で首を動かせば、散らばった荷物が見える。

 アーモンドの袋は破れ、優しい種子たちは無惨にも転がっていた。

 

「バカっ! リナは伏せとけ!」

 

 悲鳴に怒号。リナが意味の読み取れた音は、オルトの声だけしかない。

 だが、そのいつもの声がリナの思考を動かした。

 

 ——違う。伏せていて、良いはずもない。

 

 もがくリナ。強化は素体の性能を乗算する術式でしかない。

 強度を高めていても、少女でしかないリナでは、屈強なオルトの腕力に敵う筈もなかった。

 

「立って、若様!」

 

 だからこそ、叫んでいた。

 

「何言ってんだ! 危ないだろ!」

 

 怒鳴り返すオルトだ。

 リナにとって、いいえ誰にとっても優しくて、勇敢なキエッリーニの若様、小熊の坊ちゃん。

 早く混乱の元へと駆け付けたいのに、我慢をしている男の子。

 

 ——それは、戦う力を持たない弱いリナ()を護るため。

 

 でも、それは思い違いで、視座が低い。

 そんな言葉が、彼女の胸には過っている。あのお方の、いつだかの言葉だった。

 

「立てって言ってんのよバカオルト! 怪我人がいるわ!」

 

 手の届く範囲に怪我人がいるならば、動かぬ道理はないのがリナだ。オルトの胸が、離れていった。

 

「足は、いるか?」

 

 ニヤリと笑うオルトがいた。彼は両手で抱っこの姿勢を見せている。

 

「いらない、走るもん。若様は『収納解除』しててよ。どうせ、時間かかるんだし。あるんでしょ?」

「あったりめーよ。冒険者の嗜みだぜ」

 

 オルトは鉄の冒険者だ。

 危険に身を置く者達が、応急救護の道具を備えていないはずもなかった。

 まだ「収納」を使えぬ若木のリナとは違い、一人前と認められた戦士であった。

 

「霊薬があればすぐに使える様にお願い。お湯と包帯の用意もしておいて」

 

 だが、リナにも代替品はある。

 路上には、手提げ鞄が落ちている。彼女自身の荷物だった。「収納」の術式が施された術具。

 ただ、それだけではない。

 中身には、治癒の助けとなる霊薬や術具、医療器具が詰められていた。

 

 鞄を持ち上げる。軽く丈夫な荷物には、質量はなくとも、とても重い意志が込めらている。

 一瞬、茜に照らされて、地面へ転がるアーモンドに目が奪われた。

 だけれども、助けを求める声がある。

 

 初めは、ただの遊びでしかなかった。

 退屈な孤児院で暇を潰せる書物など、分厚い医学書しかなかった。

 やんちゃな弟たちを初めて癒した日のことは、今でも記憶に残ってる。

 

 ——痛がって、大泣きをしていたっけ。

 

 認められて、手を取って、学ばせてくれる人たちがいた。

 既に、ただの暇潰しは大好きな趣味であり、リナの誇りとなっている。

 

 治療、治癒、癒し。

 

「誰か! 癒師を! 医者を! このままじゃ、死んじまう!」

「助けて! 痛い! 嫌だよ!」

 

 はっきりと聴こえる声。

 ならば、治癒術式の使い手として責任を背負うリナが、求める者達を救わぬ理由はなかった。

 

「急ぐわよ、若様。私がいるからには誰も、死なせないわ」

 

 十五の小娘は傲慢に、一歩を踏み出す。

 

はいよ、お転婆お嬢様(スイ・ミア・シニョリーナ)

 

 板につかない言葉遣いをする失礼な「お兄様」の声を聞き流し、少女は駆け出した。

 

 

 

 最初に目に入ったのは赤だった。

 

 倒れ伏す多くの人々から流れ出る生命の証。

 大きな悲鳴に彩られているというのに、とこか嵐が去った後みたいな、奇妙な静けさ。

 

 幾条もの燻んだ、焦げたみたいな痕が、道路やお店だったモノへと走っていた。

 

 ガサリとした崩れた落ちる音に、硝子や石材が砕ける声が混じる。

 悲鳴と怒号が大きく鳴ったまま、叫びとなっていた。

 焦げた臭い、血の鉄臭、粉塵の白さ。

 夏の暑さとは別の、重苦しい熱が肌を刺す。

 

 お母さんだろうか。子供が女性に縋りつき、泣いている。

 

 違う、子供だけではなかった。

 大人も子供も、男も女も。皆変わらず恐怖に泣きくれている。

 

 その光景は、まさしく地獄絵図だった。

 

 だがそれは、リナの足を止める理由にならない。

 惨状は予測出来ていた。

 ここまで駆けてくる間に、治癒術式の展開維持をしている。

 本当に最小限の生命を繋ぐための術式でしかないが、即時発動が可能となっていた。

 

 子供に縋りつかれ泣かれているのは、崩落した庇に足を潰されている女性。

 

 ——違う。貴女ではない。

 

 リナは彼女へと向かわない。しかし、叫んだ。

 

「オルト! そこの女性を救助して止血! アンタは近場の負傷者から片っ端からやってって!」

 

 即座に動いたオルトは、期待通りの働きをした様だった。

 女性の足は潰れていても繋がっている。意識はなくとも、胸も上下していた。

 

 リナの目では、あまりにも速いオルトの動きは追えない。

 だが、信頼があった。

 それに、結果だけは見える。

 

 俯瞰して周囲へ意識を配れば、見えるのは深い裂傷、貫通創、出血。聴こえるのは、悲痛な悲鳴。

 

 ——違う、貴方ではない。貴女でもない。そして貴方でも。

 

 だが声は、明確な証明だった。

 

 リナは走り抜けて行く。

 切り捨てたそれらの人々にある傷は、手足や肩などへのものである。

 

 出血が、危険なことに変わりない。

 だが、応急処置にて保つ。そう判断している。

 探すのは、最も重篤な者。今、介入せねばならない、失われゆく者達。識別名を、赤と呼ぶ。

 

 ——視えた。赤。コーディチェ・ロッソ。

 

 首からの大量出血。見診を走らせた訳ではないが、推測など容易に出来た。ほぼ間違いなく、頸動脈をやられている。

 

 黒と白。清楚でありながら機能的なエプロンドレスを纏うリナは、最優先治療群へと真っ直ぐに。

 

 彼女の行っているのは優先順位付け(トリアージ)。残酷で冷酷な、生命の選別だった。

 

 脈々と生命は流れ出てゆき、死は迫る。

 だが——。

 

「我はここに集いたる人々の前に、厳かに主に誓わん。我が生涯を清く過ごし、我が任務を忠実に尽くさんことを」

 

 駆けながら、詠唱は紡がれる。

 

「我が望みたるは、癒し。地に踊る、強き力の躍動よ。水に宿りし、生命の誕生よ。火に揺れる、熱量の再生よ。風に流れし、息吹の循環よ。天の星々、夜の帷。そして儚き人」

 

 その手は届く。鮮やかな赤に、染まる指先。

 

「森羅万象全てのモノへ、我が愛を捧げよう。慈愛深き、救いのラッパを吹く御使よ。我に御力を貸し与えたまへ。優しき光を賜りたまへ。治癒(キュア)

 

 そして秘蹟は紡がれた。

 

 やるべきは単純だ。

 繊細に裂傷付近から不純物を取り除き、潰され、切断された部位を再生させながら繋ぎ直してゆく。

 治癒の光を操って。

 

「オルト!」

「おうよっ!」

 

 絶えず全身へ必要な生命力を送り込み、循環させながら活力を与え、自然の代謝を促した。

 

 やがて切断された血管は再生し、生命力の循環経路として正しく機能する。

 

「霊薬、飲ませてあげてっ!」

「任せとけっ!」

 

 だが、失った生命力はすぐには戻らない。治癒における生命力譲渡では、離れれば途切れた。

 そのための霊薬だ。

 ルカのためにオルトが買ってきた霊薬ならば、時間を稼げる。

 本職が、駆け付けるまでの。

 

「次っ!」

 

 叫んだリナは、既に次の患者の元へ向かっていた。

 足元の流血に滑りかける。構わず、鞄を開けた。

 その患者は頭の一部が吹き飛んでいた。

 

 手足をのたうち回し、暴れている。

 そう、息はある。

 ならば生命は、まだ紡がれている。

 

「いくよっ! 荒縄くん二号!」

 

 リナが鞄から取り出したのは荒縄。

 縛りつけ、拘束するだけの術具である。

 だが、それが存外に役に立つ。

 精密な操作を要求される治癒にとり、最も厄介なのは患者自身の運動であった。

 

「とまれえっ!」

 

 投擲も縛りの技術も必要ない。当てれば拘束してくれる、術具である。

 二号なのはついこの間、オルトに脚を砕かれた騎士を治癒した際、引きちぎられてしまったからだ。

 

 それでも、只人ならば充分に機能する。強化込みのルカの力でさえ、拘束するのだから。

 おかげでリナは存分に愛でている。

 まさにフィオナお姉様、様々だった。

 

「大人しくっ! 癒されなさいっ!」

 

 流れる様に治癒は発動される。

 砕け散った頭蓋も溢れる脳漿も、全部纏めて癒すのだ。

 怪我ならば、場数の自信がリナにはあった。

 

 やる事は変わらない。

 負担が少し、重いだけ。

 瞬く間に修復された男性は、静かな吐息を立てている。

 リナにも、目覚めるかまではわからない。

 それでも、確かに生命だけは繋いでいた。

 

「……次っ!」

 

 そして再び駆ける。

 次へ、次へ。

 次から次へ。

 目に付く近場のコーディチェ・ロッソたちを癒してゆく。

 

「おらっ! おめーらも手伝えっ! 応急手当ての心得くれーあんだろ!」

 

 オルトも手際よく動いていた。

 寧ろ、期待以上に。

 個人として手を止めず、声と、その背中だけで人々を奮い立たせている。

 

 これならリナも治癒だけに専念出来た。

 同時に、この場で引き起こされた災厄の実態を推測している。

 負傷の中に混じる不純物。

 金属片に火薬の跡、血臭の中に漂う化学的な異臭。

 仮称「爆裂」の範囲からは、銃、あるいは砲か。

 散弾型、面へと向けて照射される、恐ろしい火器によるものだと、あたりがついていた。

 

 ——でも銃で、こんな被害を?

 

 治癒の詠唱を紡ぎながら、そして生命を分け与えながらリナはゆく。強化と治癒の反動で、鼻血を流しながらも。

 

「…つ、ぎ」

 

 止まれない、止まらない。まだまだ怪我人は、沢山いるのだから。

 

 突き進む。少しずつ、周囲からは危険な状態の患者はいなくなる。

 優先順位を下げようとしたときに、その男性を見つけた。

 倒れ伏す、男の人。苦悶の声が漏れている。

 だが、見える背中が、ぽっかりと空いていた。

 胸を、心臓を打ち貫かれている。

 

 ——だけど、まだっ!

 

 そう、息がある。まだ、間に合う。そう願ったリナは、その人の顔を見る。

 真っ青な顔をした、揃えたお髭の似合う、素敵なおじさん。

 ミリオッツイ商会頭、フィオナの父の瀕死の貌。

 孤児院にもお屋敷にも本を届けてくれて、世界の広さを楽しそうに語ってくれた人。

 

 リナは素早く駆け寄った。

 ——はずだった。

 

「……はひゅっ、はひゅっ……」

 

 患者の呼吸が安定していない。急がなきゃ。

 手が、届かない。

 早くしなくちゃいけないのに。

 リナの足は、一歩も動けていなかった。

 

 やることは、変わらない。

 繋いで、生かして、動かして。たったそれだけのことが、出来ないでいる。

 

 だって、知ってる人の死にそうな顔なんて見たことないから。

 皆元気で、笑っていて。

 オルトは大怪我をしても平気な顔をしていて。

 ルカだって痛くても平気って言って笑っていた。

 

 傷だけなら、まだ良い。誇りもあった。

 でも、顔を見てしまえばもういけない。

 現実が、異常な興奮を飲み込んでしまえば。

 

 たとえ治癒を使えても、強化ができても、冒険者であっても。

 どれほどの知識と技術、そして想いがあったとしたって。

 まだ、リナは十五歳の小娘でしかなかった。

 

 けれど——。

 

「びびってんじゃねぇぞ、リナ」

 

 バシンと背中が叩かれ、背中に大きな痛みが走る。

 遠慮も気遣いもない、大きな掌だった。

 

「おう、おっさんヒデェ顔してんな。せっかくのイケオジが台無しだぜ」

 

 オルトはガハハと笑いながら、懐から取り出した霊薬らしきものを振り撒いた。

 ドロドロとした、紫色だか緑色して妙な輝きを放つ液体で、酷い臭いがしている。

 

 そんな謎の液体を、ミリオッツイ商会頭へと向けて、ぶっかけた。

 

「オェッ、くっせぇな……。こんなんが、滅茶苦茶高いんだよな……」

「な、何を……」

 

 思わず声に出したリナへ、キエッリーニの若様は笑いかける。

 

「すっげぇ効く霊薬。あまりのマズさに、死人でも文句言いたくて生き返るってくらいヤベーヤツ」

「そんな、都合の良いものなんてっ!」

 

 鼻を摘みながら答えるオルトに、リナは叫んだ。

 

「はっ! 見ろよ。嘘じゃねぇ」

「嘘つきっ!」

 

 指を差しす、小熊様だった。

 まったく意味がわからないが、リナが見た会頭の顔には赤みが差している。

 主に怒りで。

 

「つーか、時間がねぇ。ほんのちょっとなんだよコイツ。やれるな?」

「任せて」

 

 考えるまでもなく、やる事など変わらなかった。

 短く告げて、凄いお顔で呪詛を吐く、イケオジの空っぽになってしまった肉体へ、手を当てる。

 

 心臓がない? 肺がない? 肝臓がない? 腎臓がない? ああ、そうだ。五臓六腑がなくとも、再びそれらを生み出し、機能させる事こそが秘蹟。

 

「我はここに——」

 

 紡ぎ慣れた詠唱を始め、これで最後だと意識を手放すリナだった。

 落ちる前の彼女の脳内には、単純な数式が浮かんでいる。

 

 選別(トリアージ)成功。死者、及び再起不能者=0。

 

 その解は、キエッリーニの新米侍女の勝利宣言でもあった。

 

 ——あ、頭打つかも。でも、いっか。

 

「おう、頑張ったな。もう休め」

 

 結果として、彼女は頭を打たない。「お兄様」が、優しく受け止めたからだった。

 

 沈みゆく意識の片隅で、ああやっぱりオルトは英雄なんだと、思ってしまうリナである。

 熱を、勇気をくれる。暖かなお日様。

 その腕の中には、少しだけ幸福な倦怠感へ、身も心も埋める大人未満、子供以上の少女があった。

 

 

 

 とうに日は暮れていた。

 

 現場は落ち着きつつあって、怪我人は既に治療院へと運ばれている。

 到着した官憲隊に野次馬たちも追い出され、残るのは眠るリナと、彼女を抱くオルトだけだった。

 

「ご苦労様。どうも突発的な凶行みたいだな」

 

 裏付けの取れた状況は、オルトの予測とも一致していた。何かしらの意図ある暴力にしては、あまりにも雑で、杜撰であったからだ。

 

「目撃証言によればですが。既に探索を行っておりますので、確保までそう時間はかからないかと」

 

 オルトは事件現場に駆けつけた官憲たち、その責任者と話をしている。この、惨劇についてだ。

 リナを横抱き——所謂、お姫様抱っこにしたままで。

 

「若い男だったみたいだが、大丈夫なのか?」

「無傷での確保となると、難しいかもしれません」

 

 偶々居合わせただけで、彼自身も、この「事件」については多くを知らない。

 ただ、責任ある立場として、こうして動くのは自然なことだった。

 

「俺が言わなくてもだが、民の安全を第一に考えてくれ」

「当然であります」

 

 敬礼した責任者は、部隊を取りまとめると去ってゆく。探索に向かってゆく彼らへ、オルトも敬礼にて返した。

 

 頭は、この事件について考えている。リナは眠ってしまっているので、彼自身の言葉で「母ちゃん」へ、報告をしないといけないからだ。

 

 どうも話によると、学生らしき若者が突然に銃を乱射したらしい。見た事もない型だったそうだ。

 広い通りであり、凶器の散弾という特性上、被害はこれだけで済んでいる。

 だが場所や状況によっては、もっと酷い現実だってありえた。

 

 こんなんで、良いだろう。そう結論付けている。

 

「なんつーか、おかしな世の中になってねーか?」

 

 つい、愚痴が溢れてしまうオルトであった。

 

 普通なら、闘う者。冒険者や騎士たちなんかは暴力が必要であっても、振るい方にも作法がある。

 昔からある「決闘」でもよいし、場所を選び、模擬戦なんかをしてもよかった。

 

 意味もなく、誇りなく振るわれる暴力なぞ、あってはならない。それが、闘う者達の倫理であった。

 

 路上を見る。灯火と星明かりに照らされた白い道は、綺麗に片付けられていた。

 血の跡も、破壊の痕跡さえも。散らばってしまったアーモンドだって、既にない。

 

「はぁ。出費はひでぇし、なんか疲れたわ」

 

 仕方なく、不景気な気持ちを吐き出していた。

 瞬間、背筋に悪寒が走る。

 

「無事か」

「な、なんだ。アントニオの兄貴かよ。いきなり、びびらせんなって」

 

 現れたのは、秀麗な騎士だった。

 母ちゃんの騎士にして、ルカの父。そして、オルトにとっても武術の師であり、昔からの兄貴分でもあるアントニオが、そこにいた。

 

「奥方様が心配している。さっさと帰れ」

 

 オルトとその腕の中のリナを一瞬だけ見たアントニオはそう言い残し、夜闇の中へと消えてゆく。

 

「な、なんだよ? 随分と機嫌悪いな」

 

 いつもと変わらぬ美形顔だが、肌を刺す重苦しい何かを、オルトは感じている。

 だが、仕方ないかと思い直した。

 

 惨状に、気高い騎士が思うことがないはずもなかろうと、オルトだって思う。

 正直に言えば、オルトにだって胸糞悪い事件なのだ。何のために振るわれた力かが、わからないでいる。

 まだ若く、未熟であっても彼とて武人の端くれであった。

 

 それでも、本能的に背筋が凍るのは避けられない。

 冷たくなった背中とは裏腹に、抱いているリナの身体は暖かく、柔らかい。

 

 ——それにしてもコイツ、結構おっぱい大きいな。

 

 つい、そんなどうしようもない感想が浮かんでしまう若者だった。

 

 

 

 




ありがとうございます。楽しんでもらえるものが描きたい。頑張ります。
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