フオリエ・ナスコシテ   作:カズあっと

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48話 若鳥は飛び立つ。

 

 朝が来る。

 

 波音の心地よさも潮風の匂いも、燦々と照る陽光の熱さも、夏の日には何一つ変わりがない。

 羽ばたく海鳥たちが、空を彩っている。

 

 ただ、港町トラーパニの朝を騒がせているのは、行政府広報からの報せであった。

 個人向け広報紙を握りしめた市民たちが、官庁に、冒冒険者組合に、市場や広場などといった公共施設へ集っていた。

 

 自らに届いたものと同じかを、確かめるために。

 

「こんな事件があって、いいのかよ」

「しかも、まだ十七の子供だってよ? 親は何をしてるんだい。世も末かい?」

 

 事件そのものを憤り、また憂う者たち。

 

「使われたのは、霊獣用の新型だってよ。そんな物を人になんて、正気かよ」

「金さえ払えば手に入るのも、問題じゃねぇか?」

 

 過剰な武力を嘆く者がいて、問題提起する者がいた。当然、そんな人々ばかりではなく。

 

「アントニオ様が捕まえたのですって」

「良いわよねぇ、美形の騎士って」

 

 刺激的な噂話を、無邪気に楽しむ者たちもいる。

 

「彼女たちはよくあんなに、気楽でいられるわね。多くの怪我人が出ていますのよ」

 

 花の香りを纏わせながら、憤慨とも冷笑ともつかぬ態度を見せる歳若いご令嬢がいて。

 

「そうは言いましても、一命を取り留めたのではありませんか? ならば、少しくらいは……」

 

 それを嗜める、やや歳上の侍女がいた。

 

「生命だけは、ですわよ」

 

 吐き捨てた少女の表情は苦い。

 だが、老若男女の区別なく、話題はたった一つの事件へと収束していた。

 

 黄昏に起きた、未成年者による銃乱射事件。

 凶器はアヴェンティーノの新型散弾銃と一致。

 犯人は既に拘束済みだが、被害者も多数報告されている。

 死者はないものの、四名が未だ意識不明の重体であり、その身元は——。

 

「……はぁ、ミリオッツィ商会頭が意識不明だなんて、我が家の香水は誰が捌くのでしょうか」

 

 明らかになっている。

 三名は、そう影響力のある人々ではなかった。

 

「……やっと、まともな倫理観が育ったのかと思えばお嬢様。心配事は、それですか?」

「当然だわ。まだフィオナじゃ、荷が重いもの。奥方様は、どうお考えなのでしょうか……」

 

 それぞれに都合があり、好き勝手に語りあっている。それは、別に不思議なことではない。

 誰もが、自分の都合以上に優先することなど、何もなかった。

 

 

 

 喧騒に沸く港町、トラーパニ。

 港町として栄える平坦なこの街には、一つの小高い丘があった。

 そこに建てられた白亜の屋敷には、一人の貴婦人が、家族と共に住んでいる。

 

 アウグスタ・ビアンカ=キエッリーニ。

 

 キエッリーニ当主「代行」にして、トラーパニ領主「代行」。

 十四年の歳月を服喪し続ける、子爵家未亡人。

 

 彼女が窓から覗くのは、朝焼けと喧騒に彩られた街の景色。

 活気溢れる朝とは裏腹に、彼女は自室を兼ねる執務室にて、深い溜息を吐いていた。

 手には、皺の寄った、だが、まだ真新しい一通の手紙を持っている。

 その一つ一つを眺める様に見た彼女が思い出すのは、昨夜の出来事だった。

 

 

 

 

「……行けません」

「何を言っているのです。貴女の、お父様がなのですよ」

 

 あっさりと、簡潔に伝えられたフィオナからの言葉に、ついアウグスタの語気は平坦となった。

 彼女には感情が昂ると、冷静になる癖がある。

 

「……だからですよ。行って、何になりますか?」

「フィオナ、貴女……」

 

 寝台に座ったまま顔を上げたフィオナは、冷静な姿に見えた。

 飄々として微笑を湛え、真っ直ぐに見返してくる綺麗な少女。

 その肩と膝が、細かく上下をしている。

 

「私が今、父の所へ行ったとして、何か出来ることがありますか?」

 

 淡々と尋ねてくるフィオナ。

 実のところ、それはなかった。

 貿易港トラーパニにおける公的な医療機関では、患者に対し徹底的な介助がされている。

 

「……きっと、会頭も心強いわ」

 

 だから、アウグスタもそう答えるしかない。

 

「はっ! ど素人が駆け付けたところで、専門家の邪魔になるだけよ。私にも彼等にも、無駄に割く労力の余裕なんてないのよ」

 

 吐き捨てたフィオナは黙り込む。落ち着きなく彼女の爪先が、細かに床を叩き続けていた。

 

 医療機関の充実は、限られた労働力を無駄なく機能させるための措置だった。

 行政により専業の介護従事者が用意され、領民に対しては経済活動への参加を奨励している。

 十四年の復興計画の中、この体制構築に尽力したのは、他ならぬアウグスタ自身であった。

 

「無駄なんて。貴女自身がお父様に出来ることがなくとも、側に居ればそれだけでも……」

 

 言い掛けたアウグスタだが、続きを躊躇う。

 伸ばしかけていた手が止まっていた。

 伝えようとしたのは、「貴女の救いにもなるわ」という、酷く傲慢なものだった。

 それは背筋を伸ばそうとする彼女への、侮辱にしかならない。

 

「無駄足を踏むくらいなら、専門家たちを信じて待ちますよ。それくらいしか、私には出来ないし」

 

 強く、合理的な言葉に、踏み出し掛けた足もまた止まる。

 

「そうね。面会も出来ないでしょうし、今はまだ」

 

 肯定で、返すしかなかった。

 意識不明。原因に推測は立つも、確立された治療方法は、未だ見つかっていない。

 フィオナが唇を舐めた。僅かに呼吸も浅い。

 爪先が床を叩く音が、規則正しく刻まれている。

 ヘーゼルの瞳の色だけが、眩いほどに強かった。

 

 ——我慢ばかりして。

 

 若き淑女が大人の女であろうとしている。先達としては、その意思を尊重するしかない。

 

 フィオナも子供の頃は今ほどの落ち着きはなく、好奇心旺盛で、感情表現も豊かな子だった。

 お転婆で、オルトと一緒に探検や冒険と称し、良く街中へ遊びに出ていたものだ。

 

 一つ大きな伸びをして、腕を回し始めたフィオナを眩しさ半分、不安半分でアウグスタが眺めていると——

 

「それにこれでも、商人の端くれです。ズルをして得た情報で、動く訳にはいきませんよ」

 

 なんの気無しに紡がれた言葉に、思わず唇を噛むアウグスタ。軽口は、彼女の胸を刺すものだ。

 

 ——また私は、この子たちを苦しめているのか。

 

 そうさせたのは、私が選んだ価値観だ。

 それが正しいと思い、だからこそ、恥じることはない。だが——

 

 一瞬だけ暖かな熱を帯び始めていた思考が、氷の様に冴えていく。

 変わらず、「心配なんてしないでくださいよ」と冗談めかして笑うフィオナは震えている。

 

 ズルとは、アウグスタが伝えた、情報の先行開示にあったとわかる。そう指摘され、自分が何をしたのかを知った。

 基本的にトラーパニにおいては大きな法令の改正、事件や事故などがあった際、行政による情報規制が敷かれる。

 

 市場の公平性を担保するための統制だった。

 焼き払われた港町を、再び立たせるための政策。

 誰もが同じ開始点に立てる市場として、トラーパニは経済という力を蓄えた。

 この政策もまた、アウグスタによるものだった。

 

「……そうね。随分と立派になっちゃって、『お母ちゃん』としましては、少し寂しいところね」

「……なんですか、急に。ま、いいですけど。これでもトラーパニの子ですからね」

 

 アウグスタはいつの間にか、自信に満ちた表情を見せる若き淑女の肩を抱いている。

 彼女の腰掛けた寝台の、隣に座っていた。

 体温の温もりと共に、細かな震えが伝わる。

 

「眠れるかしら?」

「睡眠は活力の元で、美容の基本ですよ」

 

 軽く驚きを見せたフィオナだが、その頭をゆっくりとアウグスタへと預けていった。

 

「明日の朝は早いわよ」

「そうですね。おやすみなさい、マンマ(お母ちゃん)

 

 細身の身体から、力が抜けてゆくのを感じる。

 母親を亡くしたばかりの頃、この子の寝付きは悪かった。癇癪を起こした夜は、力尽きて眠るまで良く付き合っていたものだった。

 

「おやすみなさい。愛しい私たちの子」

 

 だから、昔と同じ様に告げてやる。

 

「……いつまでも、子供扱いしないで下さいよ」

 

 不満気に漏らしたフィオナだが、その表情は緩んだものであるのが見えた。

 

 夜は静かに更けてゆく。

 

 カサリと、軽い音が鳴る。

 穏やかに寝息を立て始めたフィオナの指先から、手紙が落ちた。

 白い、規格通りの手紙。

 ずっと、握られていたものだった。

 強く握りしめられて、まだ真新しいというのに、多くの皺が刻まれてしまっている、一通の手紙。

 

 拾い上げたそれには、「辞表」と書かれていた。

 

 頭を撫で、髪を梳っていた指が止まる。

 

「……んっ」

 

 短かな吐息に、再びアウグスタの手指は動き出す。フィオナは穏やかな寝息を取り戻していた。

 

 すぐに、それが何へのかという察しはついた。

 相場の暴騰と急落を防ぐための、王都への霊核輸出事業、その事務方の責任者としてのものだ。

 

 少しだけ、腕に籠る力が強くなる。伝わる体温。

 

 正しく、そして強く育った「娘」を起こさぬ様、今日までトラーパニを導いてきた女は、小さく息を吐いた。

 

「歪みは、私の責任ね」

 

 その自覚があるだけに、苦い。

 

「私が作ったモノが、この子の心を苦しめる」

 

 違う、誰もがだ。それを深く見つめた彼女は、自嘲的に鼻を鳴らした。

 

「甘え過ぎ、だったかしらね」

 

 フィオナに、無意識の甘えがなかったとは言えない。そしてそれは、今や意識のない、ミリオッツィ商会頭にも。

 

 政策相談のみならず、キエッリーニの事業にも彼には世話になりっぱなしであった。

 領主であるキエッリーニ家は強く、一商会に過ぎないミリオッツィに依存している。

 

 これまで、よくやって来たつもりだった。

 必要が満ちれば、人はそう残酷になることがない。

 だが、昨今の社会の動きは、その確信を削っていた。

 

 功罪はある。そして、残る負債も。

 

「マンマ……」

 

 寝言を呟くフィオナに、頬が緩んだ。

 この寝顔を守るために、出来ることとは。

 

 アウグスタは、まんじりともせず、暖かな体温を感じながらも考え続ける。

 

 それでも闇は不安も不満も取り込んで、鮮やかな朝へと向けて活力を蓄える。やがて——

 

 

 

 海の香りを孕み、強い風が吹いている。

 水平線から登りゆく光が、港を照らした。

 

 そしてまた、朝が来た。

 

 アウグスタは、受け取った辞表を手にしたまま、空になったフィオナの部屋へと視線を向ける。

 

 思わず、苦笑が溢れた。

 

 思い出すのは、うずうずと首を伸ばし、窓の外を何度も見ていたフィオナの姿。

 彼女は寝起きと共に身を整えて、すぐに出られる用意をしていた。

 

 行政府からの広報が届くと共に、彼女は中身も見ずに病院へと吹っ飛んで行った。

 その背筋をピンと立て、踵を高く鳴らしながら。

 アウグスタは、たった一言の「行ってきます」へ、「行ってらっしゃい」と返し、その背中を静かに見送った。

 

 

 見舞いだけでは済まないだろうと彼女は知っている。

 フィオナはこれからの商会の運営、その意思決定のみならず、会頭の志半ばであった社会的責任さえをも、果たさねばならない。

 

 拡散型先物投資事業破綻に対する、受益者による弁済制度。

 手にした辞表の上で、その文言をなぞる。それもまた、アウグスタの編んだ地獄であった。

 

 それでも、思い出すのはフィオナの言葉だ。

 

「嬉しいこと、言ってくれちゃって」

 

 目覚めたばかりの彼女とは、話をしていた。

 少し、新法についても触れている。

 社会的な責任が重過ぎはないか、制度として課されるのは息苦しくはないかと尋ねてみれば。

 

 ——それが良いって、皆で決めた方法ですし、私もそう思いますから。あーあ、忙しくなるわね。

 

 フィオナは、そう嘯いた。

 ハシバミ色の瞳は迷いなく、はっきりと。

 

 私たちの負債を押し付けた様なものだが、あの子は自身の意思で選んだ。ならば、その背中を見守るしかないとアウグスタは想う。

 

 窓の外、蒼い空には海鳥が羽ばたいている。

 飛び立った若鳥は、広い世界でどう舞うか。

 実に楽しみなことだが、翼を休める宿り木は、動かずに待つだけだ。

 

 朝日の眩しさに瞳を細めたアウグスタは、呼び鈴を鳴らす。

 

 ——あの、そのね。私は大丈夫だから、リナのこと、お願いします。……マンマ(お母ちゃん)

 

 出しなに恥ずかし気に呟いたあの子に、頼まれるまでもない。

 

「おはようございます、奥方様」

「おはようございます、婆や。リナは?」

 

 やって来た婆やに尋ねれば、肩を竦められる。

 永く巣立ちを見守ってきた先達の視線が向く先。

 

「今日、リナは休暇ということで良いわよね?」

「しょんなかと」

 

 苦い顔のままの婆やへ頷いて、立ち上がる。

 翼の傷付いた雛鳥が、まだ巣に篭っていた。

 

「ああ、婆や。フィオナの後釜を、……そうね、五名もいれば、なんとかなるかしら? 集めておきなさいな。なるべく早くね」

 

 今日もまたキエッリーニの当主「代行」は、親鳥として働き始める。

 

 

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