フオリエ・ナスコシテ   作:カズあっと

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56話 怒りの日。

 

 結局のところ、行政府もアウグスタたちも有効な手を打てずにいた。

 市民たちの不安や不満についてのことだ。

 あちらを立てれば、こちらが立たず。それぞれに思惑や主張があるからして、都市運営は難しい。

 

 そんな大人たちの苦労とは関係ないのが、子供たちだった。ルカは今日もまた、リナに着いて病棟へと来ている。

 

「肉体的には健康そのもの。が、体力的にはまだまだのようですな」

「私の治癒や活性では、維持が限界なんですよね」

 

 リナは医師との相談をしている。意識不明者の回復についてであった。

 

「月並みではあるが、食事と運動、精神の充実がなければ健康の維持は難しい」

 

 そう医師が悔しそうに吐き出せばリナは。

 

「意識がないと、どれも難しいんですよね。かと言って、刺激に頼るのも副作用が」

 

 ああだこうだと言い合っても、結論が出るものでもなかった。

 点滴により栄養が補充され、肉体への刺激により身体的な劣化は防げる。だが、それだけだった。

 

「運や奇跡に頼るしかないのは、悔しいなぁ……」

 

 医師も愚痴を吐いたリナと同じような気持ちなのだろう。けれども、ルカは思う。

 

 確かに、劇的な回復は望めない。

 だが、現状を維持し、変化へも柔軟であるからこそ、運や奇跡に頼ることが出来るのだ。

 優し過ぎる人たちは、背負おうとし過ぎる。

 

「本来、介護はもっと大変。可能性が残されていて打てる手段があるならば、続けてゆくべき」

 

 止めても、止められない。ならばせめて側に。

 まだ何も持たないルカが出来ることは、ただそれだけだった。

 

「また、明日も来ますからね」

「ありがとう。だが、リナ様も無理はせんでな」

 

 医師との面会は終わったが、それが終わりでない。

 意識のない患者に付き添うのも大事だが、意識のある患者にも、向き合わなければならない。

 

 

 

 動ける傷病者たちの介添をしたり、話し相手になるのも治療には大事なことだった。

 

「じゃ、一緒にお散歩しましょうか」

「ありがとうねぇ」

 

 リナとルカは、転んでしまい、骨折をしてしまったお婆さんと共にいる。彼女はあの「銃乱射事件」の被害者でなく、その前からの入院患者だった。

 日当たりの良い中庭に、三人で出ている。

 杖を突いて歩くお婆さんを、二人は見守っていた。

 

 リナが治療に関わるのは、意識を取り戻さない四名の患者だけ。というのも——。

 

「チッ……」

 

 ベンチに座っていた男性が不機嫌に舌打ちをする。

 

「フン」

 

 彼とともにいる女性も、鼻を鳴らした。

 

「よくもノコノコとやってこれるな。『英雄』気取りがよ」

「気分悪いわね。行きましょうよ」

 

 聞こえよがしな悪態をついた男女は、女の方が腕を引いて去っていった。

 

 ルカには、あんまりな態度に見えた。

 二人に向かって頭を下げたリナの手は、隣からでもわかるほどに震えていた。

 

 だけじゃ、なかった。

 遠巻きに見ている人たちだって、どこかよそよそしかった。

 別に、何かを言うわけじゃない。

 けれども、そっと子供の手を引いて去ってゆく母親、息を潜める男の人たち。皮肉気に、笑う女の人たち。

 見える誰もが、一歩引いている。

 

「えへへ。こうなるから、やめておきなさいとは、言われてたんだけどさ」

 

 顔を上げたリナだった。少し歪んだ顔に、笑顔を乗せている。

 

「気にしちゃ、ダメだからね」

 

 心配そうなお婆さんの言葉。

 ルカの頭の中で、糸がすっと繋がった。

 

「リナは、それでも来た」

 

 彼女はリナの手を取った。震える手を、小さな手のひらで包むように。

 誰かに、認められたい。ずっとルカは求め続けてきている。だからこそ、伝えたかった。

 

「リナちゃんは、勇気のある優しい子ね」

 

 その手を更に包むのは、皺だらけなお婆さんの手のひら。カサカサとして、だけど暖かく包むもの。

 

「もう、褒めてもなんにも出ませんよー」

 

 彼らは、あの事件の被害者だろう。

 応急に救われ、入院をしているに違いない。それがわかれば、彼らの気持ちも腑に落ちる。

 決して、誰が悪い訳でもない。

 

「ならいい。けど、リナが自分からやり出したこと」

 

 そもそも、病院の規律においても救命医が、その後の治療に関わることはそうあることではなかった。

 目の前で、自分の手を取らなかった人を信頼できるほど、人は成熟していない。

 だからこその規律であった。

 

 で、あったとしても——。

 

「大丈夫ですよ。わかっていることです。……それに、私だって思いますもん。なんでって」

 

 そう言い切れる強さが、羨ましい。

 今まで、自分の力で選びたいと思い続けてきたルカだ。けれど、ここにきて「選択」という行為の難しさ、理不尽さを段々と感じ始めている。

 

「まだ、気持ちの整理がついてないだけよ。そのうち、納得できるから」

 

 空元気にしか見えないリナへ、お婆さんが言った。

 治療を優先されなかった幸運に、気付ける者はいるのだろうか。ルカにはわからない。けれども。

 

「あはは。おばぁちゃんも、ルカ様もありがと」

 

 そんな何もかをも受け入れて、リナは笑っていた。

 

 ——私は、笑えるだろうか。

 

 そう考えたのは、このときばかりではない。病院通いを始めてから、何度もの感慨だった。

 

 

 

 既に昼も過ぎ、日は高い。

 熱い潮風は変わりなく、どこか生臭い磯の匂いを乗せていた。

 病院帰りのルカとリナは、市場へと向かっている。

 

「皆、一生懸命だったね」 

 

 病と闘う人たち、怪我と向き合う人たち。

 そんな人たちが日常を送れるようにと支援する、多くの人たち。

 一生懸命な人たちが、確かにいた。

 けれど、ルカは頷けない。

 

「皆、じゃない」

「え? なぁに?」

 

 ルカの言葉は、潮風に流されていった。

 

「なんでもない。市場にもう着く」

 

 ここ数日のリナは、外勤の形式を取ることで、外出を勤務の一環とされていた。

 本来ならば難しい、侍女としての労働と癒師としての勉強を両立させるためだった。

 

 慈悲深い措置。けれども、厳しい規律に縛られる。

 

「残り物の見切り品。選んで料理をするのも仕事」

 

 こんな遅い時間の市場だ。品揃えは限られる。

 だが、市場としても翌日に商品を残しておく訳にもいかないもので、かなりお得な値となった。

 翌朝にはまた大量に商材が運び込まれるのだから、僅かにでも処分をしておきたい。商売上の必要によってのことである。

 

「まっかせなさーい! 目利きのリナちゃんの実力、ご覧に入れましょう。……ねね、ルカ様? 朝に出てきたタチウオ(ペッシェ・シャーボラ)巻物(インボルティーニ)、美味しかったでしょ」

 

 ルカはコクンと頷いた。太刀魚は旬の上に豊漁で、安値となっている。

 結構調理も手間である。だが、食べる専門の彼女たちにとっては、美味しいおかずでしかない。

 

「私たちは行政府の、怠慢を許しません! 義務を果たしてください!」

「安全を! トラーパニの港に、子供たちが安心して暮らせる日々を!」

 

 リナは、今日は何を買い入れるのだろう。そう思っていたルカの耳に、女性たちの怒鳴り声が届く。

 

「あちゃー。またやってるよ……」

「……」

 

 それはリナにも同様であって、彼女は眉を顰めている。自分も同じ表情をしているとの自覚が、ルカにもあった。

 

 三十名ほどだろうか。大人の女性たちが隊列を組んで行進しながら、口々に叫んでいた。

 その内の何人かは、見知った顔でもある。商店街のお母さんたちだ。級友の、母親たちもいる。

 

「気持ちは、わかる。……気がする」

 

 誰だって心配などしたくはないもので、その苛立ちを叫んでしまうのも、仕方がないことだった。

 

「かといって、妙案があるわけじゃないしさ。変に目立って、絡まれでもしたら危ないもん」

 

 冒険者でもあるリナが言いたいのは、それだけではないのだろう。昨日も見た光景だ。そして——。

 

「ババアども、うっせぇぞ!」

「あー。うぜぇ、うぜぇ。鼓膜が破れるぜ」

 

 ガラの悪い、男たちだった。

 男と言ってもリナくらいの年頃だ。まだ少年と言ってもよい。当然、ルカよりも年長なのであるのだが、その手には白刃が握られている。

 

「リナ」

「待って」

 

 駆け出そうとしたルカは止められる。

 

「生意気をお言いでないよっ! クソジャリがっ! お姉さんだろっ!」

 

 女性たちの中の一人が「銃」を抜く。

 大口径の拳銃で、護身用のもの。

 

「ほう、面白ぇ。抜きやがるか」

 

 薄ら笑いを浮かべた少年たちが、白刃を構えた。

 

「リナっ!」

「大丈夫。来たみたいだよ」

 

 慌ただしいと言うには憚られる、足音が轟いた。その先頭にいる男性が叫ぶ。

 

「こらーっ! 街中での私闘は許さんぞっ!」

 

 彼等は女性たちと少年たちの間へ、割って入った。

 数は十。皆、揃いの制服を着ている。

 行政府より市中の治安維持を請け負っている民間軍事組織——護衛団の団員たちだった。

 

「行こっか、買い物」

 

 彼等に任せておけば、この場は問題ないだろう。揉め事の仲裁もまた、彼等の職務に含まれている。

 

「う、うん」

 

 興味はないとばかりにリナがスタスタと市場へ向かってしまったので、ルカも慌ててその後を追うこととなった。

 

 

 

「ルカ様も、欲しいモノがあったら言ってね」

 

 市場を見て周りながら、呑気な声が掛けられる。

 先程の一件に後ろ髪が引かれる思いのするルカだが、リナを一人にする訳にはいかなかった。

 

「アジとかタコも、もう少しで旬も終わっちゃうし、ああ、でもアワビとかウニも良いよね」

 

 お気楽で食いしん坊なことを言い出すリナだが、彼女は身を守る牙を持たない。

 

「料理長に任せておけば、なんでも美味しくしてくれる。厨房の王を信じる」

「お腹がいっぱいだと、もったいないもん。私も手伝うんだしさ!」

 

 リナが、銃を持つことはなかった。

 というよりも、剣や槍など、それ以外にもある、様々な武器さえ持つことはない。

 

「うえっへっへ。私の包丁が、火を吹きますよ! 荒縄くん三号も仕入れますからね」

 

 彼女がいつも持ち歩いている鞄に入れておくのは、医療用品と生活用品ばかりである。

 

「別に、火は吹かなくていい」

 

 身体能力はそこそこ——以上にはある気がするが、武芸に嗜みがあるわけでもないリナ。

 彼女が身を守るための武器を何故、持ち歩かないのか。それをルカは尋ねたことがある。奥方様にだが。

 

 ——癒し手としての、誇りですってよ。

 

 まだ、キエッリーニの屋敷にやって来て、日も浅い頃だった。

 聞かされた教えに、少しどころか、かなりの衝撃を受けたルカはそれ以来、リナの「お出掛け」には着いて行くようにしている。

 

 彼女は木剣でこそあるが、腰に帯びている双剣を、無意識に握りしめていた。

 

「おじさーん。なんか今日のお魚たち、昨日より高くなってない?」

「おうおう。流石リナちゃんだ。目敏いねぇ」

 

 お会計をしながら、「収納」の付与された鞄に魚介類を放り込んでゆくリナと、魚売りののおじさんの言葉に、引き戻された。

 

「つーのもよ。漁に出る奴らが、日に日に減っていっちまってよ。ほら、最近物騒な事件があったろ? アイツらよ、家族よりも大事なもんなんてねぇってな」

 

 どうやら、朝漁に出る男手が、かなり減っているらしかった。家族、特に子供のある親は心配で、通学の送迎、そして護衛などをし始めているらしい。

 

「トラーパニ市民らしい、立派な心掛けですねっ!」

 

 リナは素直に感心している。心持ちは同意だか、ルカには懸念があった。

 

「まぁな。ウチらも往生しているが、止められるこっじゃねぇからな。なんで、日に日に相場は上がっちまう訳だ。旬の魚は、一期一会の気持ちでお買い上げを頼むぜ」

「いいね! 一期一会。このぉ、商売上手めっ!」

 

 朗らかに笑い合うリナとおじさんであるが、ルカにとっては不安であった。

 なにせ、今でこそ交易による税収が市経済の主柱となってはいるが、海沿いの街であるここトラーパニの経済は、塩田と漁業、つまりは「大異界・海」による恵みを柱としていた。

 

「まぁ、落ち着けば元に戻るさ。少しばかし辛抱だが、旬の魚は短けぇぞ」

「くぅーっ、見切り品じゃなければ、危なかったぁ」

 

 その柱の担い手が、一時的にせよ減っている。

 大海蛇による被害からの復興、高騰する霊核市場の相場安定。だけでなく、実態のない空約束での取引が蔓延し、また幾つかは破綻している。

 その、補償。

 

 行政府、というよりも奥方様は、その多くを負担していた。

 正直な話、火の車なのは行政府だけとは思えない。立て続けに起こる経済危機に、キエッリーニも疲弊しているとルカは見ていた。

 

 そして、行政府と領主キエッリーニ子爵家による利益の分配が、民の安心の元だった。

 

 ——もしも、それが揺らぐなら不満は。

 

 いつも通りに天真爛漫なリナを見ながらも、それがどこへ向かうのか、ルカは何となくだが感じ取れていた。

 

 

 

「リナ、私が持つ」

 

 ルカは手を差し出す。

 

「いいですって、結構重いですし。私の方がルカ様よりもよっぽど、力持ちなんですからね」

「ぐぅ……」

 

 残念ながら、それは間違えではない。だが、ルカには手があった。

 

「私には『強化』がある。だから、リナよりは力持ち。何の問題もない」

「街中での不用意な『強化』は禁止です。奥方様に、叱られちゃいますよ」

 

 それも正論だった。

 とはいうものの、なんだかんだで一期一会の誘惑に負けてしまったリナは、収納を施した鞄に入らなかった食材という大荷物を抱えている。

 

「……心配」

 

 あっちへフラ、こっちへフラと、華奢な身体が揺れるので、少々ながらも危なっかしい。

 乙女として、婦女を護りし剣として、ルカも放ってはおけなかった。

 

「あ、こら。ルカ様ったら……」

「一個だけ持つ。それなら『強化』なしでも持てる」

 

 ウニの入った箱をひったくって、両手で抱える。

 両腕は塞がってしまうが、大丈夫だろうと計算もしていた。護衛団のお兄様たちが、かなり出ている。

 決定的な手こそ打てていないが、行政府とて無策ではない。取り締まりの強化によって、安全を担保しようとする意思が見えていた。

 

 ——それに、いざとなれば。

 

 ウニの箱など、放り出すつもりでいるルカだった。

 実の所、ルカはウニがあまり好きではない。なんかしょっぱいので。美味いと賞賛する父上やオルトの気持ちなぞ、これっぽちの共感もしないでいた。

 

「今こそ行政府に、民意を問うときです。我等の苦難に、我等の不安を前に、何を齎してくれるのか。それを、問いましょう。そうすれば、お互いに有益な意見ともなるに違いありません」

 

 よく通る、男性の声が聴こえる。

 張りがあり、自信に満ちていて、落ち着きがある中にも、確かな熱がある。

 抑揚も、深く、そして高い。論理も明快で、明瞭であった。

 彼の言葉には何故か、頭の中にスッと入り込む。そんな気がさせられた。

 

「あの人……」

 

 リナの困惑に、ルカは頭を振った。

 

「昨日もいた」

 

 そして短く応える。

 男性を前にして、先程の女性たち。ルカの級友の母親たちや、商店街の奥様たちだ。

 彼女たちは皆、口から泡を飛ばしながら、叫び声にも似た悲鳴をあげている。

 

「なんのつもりなんだろ?」

 

 彼の語り口は、誰かに似ている。そう思いかけた十二歳を迎える少女は、即座に否定する。

 

 ——奥方様になんて、全然似てなんてない。

 

 あの方は、お……様は決して、そんな不実な真似なんてしないと、ルカは知っている。

 思わず男性を、睨みつけていた。

 

 彼は昨日、市場の周りでたむろしていた冒険者たちへ教えを説いていた。

 

 意見の異なる一団もありますが、決して短慮を起こしてはなりません。どうか、短慮はお控えください。などと。

 

 注意喚起にも、戒めにも聞こえる言葉だ。

 だがそれは、別の可能性の刷り込みにも似ていた。

 

「言葉は、通じるのです。話せば、分かり合えるのです。我々は、恐れてはなりません。心を、届けましょう!」

 

 ゾワリと、肌が粟立つようだった。

 

「行こう、リナ」

「あ、うん。そうだね」

 

 怒りで、腑が煮えている。

 皆、責任を抱えて一生懸命に生きている。

 私だって、そうだ。そうでありたい。

 

 それに——。

 

 言論で人を弄ぶ軽薄な男と、あの方を一瞬でも比べてしまった自分が、許せなかった。

 

 いつだって「奥方様」の言葉には、責任が乗せられている。全てを背負おうとする意思が、お……様にはあった。

 だからルカはとても腹立たしくて、屋敷へと向かう足音を荒げてしまっている。

 とても、淑女らしくもなく。

 

 

 

 

 

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