フオリエ・ナスコシテ   作:カズあっと

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よろしくお願いします。


58話 夢と現の狭間で。

 

 もうそろそろ、帰ってくる頃だろう。

 

 そんなことを考えながら、茉莉花が薫る室内にてアウグスタは茶の用意をしていた。

 

 彼女の執務室——兼自室であるが、そこには応接用のテーブルが置かれている。

 

 器と皿が三つが並べられており、湯気を昇らせる茶器からも、芳しい匂いがしていた。

 茶葉にもまた、茉莉花の香りが付いている。

 花茶であった。

 

 ——けど、あの子たちにはあっちかしらね。

 

 硝子張りの氷室の中には、カッサータと共にブラッドオレンジジュースとセルツの小瓶が並べられている。

 

 酷暑と呼ばれる夏であっても、室内は適温が保たれていた。

 それでも、まだ陽は高く、港町を抜ける風も熱い。

 

「たっだいまーです!」

「ただいま、戻りました」

 

 扉の外から、外遊びから帰って来たリナとルカの声が聞こえてくる。大きくて、元気の良い声だった。

 アウグスタは扉へと軽やかに駆け寄る。

 

「お帰りなさい、二人とも」

 

 そして扉を押し開けば、ニコニコと笑う二人の姿があった。

 

 

 

「報告があります!」

 

 グラスに注がれたセルツを飲み干したリナが言う。

 ルカはまだチビチビとブラッドオレンジジュースを味わっていた。

 

「まぁ、まぁリナ。もう少しルカを待ってあげなさいな。リナ、おかわりは?」

「いただきます! ……ルカ様は?」

 

 アウグスタは気が急いた様子を見せるリナを宥め二人の汗を拭いた後、冷えたグラスを差し出している。

 

「大丈夫。ゆっくり味わう」

 

 早々に飲み干してしまったリナのグラスへ、二杯目のセルツを注いだ。

 手に取ったリナはゴクゴクと半分ほどを飲むと、プハッと息を吐く。

 

「くぅーっ! この一杯のために生きてるぅ」

「二杯目だけどもね。それで、今日はどんな一日だったのかしら?」

 

 タハハと笑ったリナがルカへと目配せを送り、二人は頷きあった。

 

「私たちは今日もまた、病棟へ行って来ました」

 

 一通りの報告はルカが行うようになっていた。リナの報告では、技術的な話題に逸れがちだからである。

 報告書にするとちゃんと書けるのに、何でなのかしらね? と、疑問の尽きない当主「代行」であるが、スッと姿勢を正した。

 

「到着した後、主治医の皆様方からもお話を聞きまして——」

 

 淡々として、冷静に語っているように見せるルカ。

 だが、頬や目元が優しくなり、頭を揺らしていることに気付いているのだろうか。

 

「ルカ、ご苦労様。けれど、各人の立ち位置や間合いについての説明までは結構よ」

 

 ルカの場合は戦闘や軍事訓練の報告に近くなるのだが、簡潔なだけに注文も付けづらかった。

 

「はい。肝に銘じます」

 

 良い返事だ。少し無骨な物言いであるが。

 が、これも毎回のことだった。いつも澄まし顔をしているが、一向に改善の兆しは見えない。

 

「ここからの説明は専門家にお任せしたく存じます」

 

 それに、喜びを隠せていない。ニコニコしたままリナへと視線を送っていた。

 まだまだ、未熟な子供である。そんな姪が可愛らしい。

 

「じゃ、専門家であるリナに報告をお願いするわね」

 

 ウズウズと、待ちかねていたかのような彼女が立ち上がる。元気いっぱいなリナも可愛らしいのだが、そろそろ慎みを覚えて貰いたいものだった。

 

「お姉さんが、幸せなキスをしました!」

 

 主語はある、述語もある。とても簡潔な報告だった。だが、それだけでは伝わらない。

 

「どちらのお姉さんが、どういった経緯で、そうなったのかしら?」

 

 促してやれば、いっけね。と頭を掻くリナだった。

 

「お姉さんは、こないだの事件でですね、首に酷い裂傷を負って、意識不明となっていたお姉さんです。要重点介護者四名のうち、一人ですね、彼女の負傷は、散弾による跳弾でしょうか、確か、調べに寄ればかなり鋭利となった硝子片により、頚部、その左頸動脈に直径で——」

「リナ、簡潔に話す」

 

 ルカが止めてくれた。怪我の内容を詳細に語られたところで、アウグスタに何が出来るでもない。

 致命傷を負った患者ということがわかれば、それで充分だった。

 

「大怪我をして、意識不明だったお姉さんが、目覚めたんです!」

 

 大体、傷の状態を詳しく語られたところで、なんとも言えない気分になるだけである。

 彼女はあまり、そういった話が得意ではなかった。

 

「あらあら、それはリナの努力が報われたということよね。よくやったわ」

 

 ともあれ、朗報には違いない。アウグスタは労いの言葉を掛けるが、リナは大きく首を振る。

 

「ああっ! いや、全然そんなことはなくって! 私たちが治療をした後なんです。お姉さんの彼氏さん、ずっとお見舞いに来ている方なんですけど、手を握っていたら、突然!」

 

 リナとルカが、二人きりにしておこう。そっとしておこう。そう思って退室しようとしたときに、目を覚ましたそうだった。

 

「めでたし、めでたし」

 

 ルカが訳知り顔で頷いている。

 

「なんでもお姉さんの話を聴くと、死んじゃったかと思っていたそうなです。これは、もしかしたら意識と肉体の乖離状態からの症状かもしれません。戻って来て欲しい、そんな願いが『無界』を漂う魂に楔となって、意識を、心を連れ戻せたのかも? そもそも、魂、生命や心というものは——」

 

 リナの暴走は続いていた。「無界」とは魂の、心の行き先だとされている。だが、アウグスタは信じてはいない。

 

 行き着く場所があるのなら、何故、届かない。還らない。失ったものを、取り戻すことは出来ない。

 

 ——やめましょう。

 

 それを想って、何になるのか。喜びに、水を差すことではなかった。喪服の淑女は遺された子供たちのために、立ち上がる。

 

「運が良いわね、二人とも。『たまたま』、良いものがあるのよ」

 

 アウグスタは氷室まで足を運んだ。扉を開けば、三本分だけ抜けた飲料の棚。そして氷室の真ん中に置かれているのはカッサータ。

 羊乳から造られた濃厚なチーズクリームに乾燥果物と粉状としたアーモンドやピスタチオを混ぜ合わせ、マルッァパーネと砂糖漬けの果物などにより飾り付けたもの。砂糖もたっぷりと振りかけられている。

 

「おおーっ!」

 

 取り出せば、リナだけでなくルカまでもがゴクリと喉を鳴らしていた。カッサータは少しだけ特別な日に食べられるドルチェ。

 パレルモの修道女たちが、春のお祝いへの供物として作り始めた豪華絢爛な冷菓子だ。

 

「料理長に、材料が少し余ったからと、お裾分けされてね。勿体無いから、作っておいたのだけれど」

「奥方様が?」

 

 宝石の様なカッサータを切り分けて、皿へと並べてやる。

 

「飾り付けだけね。一人じゃ食べきれないから、丁度良かったわ」

 

 下拵えは、素敵な料理人たちによるものだ。味の保証に間違いはなかった。

 

「やったぁ! 主よ、感謝します!」

 

 叫ぶリナと、静かに祈りを捧げるルカ。随分と現金な信仰であるが、それはよい。

 

「はいはい。冷たいのと暖かいの、どちらがよい?」

「「茉莉花で!」」

 

 よく弁えた子供たちだった。冷たいドルチェには、暖かい茶が良く合うものだ。

 

「本当に、ありがたいことよね。感謝しましょうか」

 

 主にではなく、子供たちより前に、朗報を届けてくれた行政府職員へ。

 おかげで、こうして娘たちへの労いとお祝いの準備を整えられたのだから。

 

 二人へ茶を注いだアウグスタも、カッサータに舌鼓を打つ。

 

「リナの方がちょっと多い」

 

 ルカが唇を尖らせると、リナは自分のカッサータを掬った。

 

「はい、なら、あーん」

 

 ——私のお菓子作りの腕だって、まだまだ捨てたものじゃないわね。

 

 賑やかな娘たちと共に甘味を味わいながらも、そんな自画自賛を始める当主代行であった。

 

 

 

 特に何事もなく「ご褒美」の時間は終わり、三人は茉莉花茶を啜っている。

 アウグスタとルカは三杯目、リナは二杯目だ。リナはもう一本、セルツの小瓶を空けていた。

 

「ただいまー。暑っつぅー」

 

 そこへ、朗らかな声が入って来る。アウグスタが開けに行くよりも前に、扉が開かれた。

 

「おかえりなさい」とアウグスタが告げれば、ルカとリナも同じ言葉を重ねて続けていった。

 

「フィオナ・ローサ=ミリオッツィ。只今、帰還しましたよっと。ルカとリナも来てたのね」

 

 優雅な一礼と共に、紅い上衣が翻る。

 

「報告」

「なのですよ」

 

 二人へ「よき、よき」と頷きながら、フィオナは氷室の扉を開いた。

 

「いただきますね」

 

 快活に笑った彼女が手にしたのは、フロスト・トラウヴェン。

 寒冷なロストールで生産される、凍結した葡萄を発酵させた甘味と香りの高い醸造酒。

 細かな生産規程からも高級品とされている、冷たいワインであった。

 

「貴女が、持ってきたものじゃないの。お行儀は良くね」

 

 苦笑したアウグスタはワイングラスを出してやる。

 うかうかしていると、このご令嬢はラッパ飲みを始めるのだから油断がならない。

 フィオナは、スッとルカの隣に座った。

 

「あら、お茶会は終わってたのね」

 

 空いた皿を見た彼女は一言。

 

「カッサータ。奥方様の」

「ええっ! ずるっ!」

 

 得意気に呟いたルカへ、素っ頓狂な声が上がった。フィオナのものだ。そういえば、昔から好物だった。

 

「美味しかった」

 

 自慢気なルカが浮かべるのは、渾身の笑顔というものだ。

 

「こ、このメスガキめ……」

「リナも、食べてるじゃない」

 

 慄くリナに、突っ込むフィオナ。

 

「ふふーん。早い者勝ちなんですー」

 

 そしてリナも、何故だか勝ち誇った顔をしている。

 

「メスガキが増えたわ……」

 

 フィオナが額を抑えた。

 

 成程、これがオルトも良く言う「メスガキ」という流儀かと、興味深く頷いたアウグスタであった。

 息子の言うように、確かに悪いお顔をしている。

 

「こうなりゃ、ヤケ酒よ」

「程々にね。まだ夜会があるのだから」

 

 手酌をし始めたフィオナを、一応だが嗜めておく。

 とはいえ、特に心配はしていない。この程度の酒精で変調を来たす少女でないからだ。

 ミリオッツィ商会頭「代行」となった少女は、強化も治癒も、領主「代行」よりも遥かに高みにいる。

 

「ちぇーっ。いいよね、二人は。奥方様のカッサータなんて、お祝いでくらいしか、作ってくれないんだからさ」

 

 というよりも、それはフィオナのせいだった。

 まだ幼い頃の彼女が「お祝いのケーキ」だと喜ぶので、自然と特別な日に用意するものとなっていた。

 誕生日やら、節目の祝いのときである。

 ちゃんと作ると、かなり手間もかかるのでと、言い訳としていたともいう。

 

「あ! それならルカ様の誕生日にお願いしましょうよ。ねね、良いでしょ? ルカ様、奥方様?」

 

 ブンブンとルカが首を振る。フィオナもだった。

 

「ルカの十二のお祝いね。でも、良いのかしら? 料理長が腕によりをかけてくれるわよ?」

「甘味は別腹」

 

 すかさず反応したルカに、「まぁ良いか」とも思うアウグスタである。それに、釘を刺すには良い機会でもあった。

 

「それなら、ご注文(オルディネ)にお応えしますけど。ルカも、わかっていますね?」

「ヤです。私は騎士」

 

 姪は今日もまた、男の子っぽい服装をしていた。

 

「なら、この話はなかったことにしましょう」

 

 十二歳は「主と国家の間の愛し子」を離れる節目の歳だ。自らの立ち位置を社会へと示す、初めの成人の日でもあった。盛装をさせぬ訳にもいかない。

 

「ダメよルカ。カッサータのために我慢なさい。もうドレスだって仕立ててあるんだから」

 

 フィオナは非情であった。

 

「ご心配なく奥方様。私たちが、しっかり飾り付けておきますので」

 

 そしてリナもヤル気満々である。

 モゴモゴとお口を動かすルカだが、彼女の命運は定められている。

 

「頼りになるお姉様たちね。ルカ、覚悟をお決めなさい」

 

 正式な式典行事としては年末となるが、誕生日を迎えれば、その日が誓いの儀(ジャメンタ)となる。

 神聖なる後ろ盾を失って、人として歩み出す一歩目なのだから、我儘を言わせることなど出来やしないものだった。

 

「ぐぬぬ……」

 

 十五まで、人としての権利を持ち合わせないのが子供たち。けれども、十二までは世界と国家の意思により守られた。けれども、その先は——。

 

「望み通りに、オルトの騎士となることは認めましょう。でもね、ルカ? 貴女は女の子なのですから、その業を磨くのも、また務めです」

 

 人は未熟であり、弱い。だからこそ、力持つ者がその責任を背負わなければ、社会は無法に晒される。

 太古の昔から、続きられてきたことだった。

 

「……わかった。我慢する。だから」

「請け負いましょう」

 

 苦渋の如く吐き出すルカである。ならば、応えてあげねばならない。意外と食いしん坊な姪に。

 そうなれば、早く料理長とも打ち合わせをしないとならなかった。

 少しだけ、気持ちが浮き立つ。

 

「んじゃ、私たちは大人のお仕事があるから、子供たちはそろそろお部屋に帰りましょうか」

 

 場を纏めようとするフィオナ。

 まだ日は高く、空は茜にさえ染まっていなかった。

 

「二人とも、お疲れ様。いいこと? 暇だからと『お散歩』にはいかないこと。オルトがバカを言い出したら、ちゃんと報告なさいな」

「「はい、失礼します」」

 

 ちゃんと淑女の礼にて応えた二人は退室してゆく。

 扉が閉じられて、束の間の静寂が訪れた。

 

「それで、街の様子に何かありましたか?」

 

 商会頭代行として多忙を極めるフィオナが、日の高い内に帰ってくることはここ暫くなかった。

 つまりは、直接伝えねばならないことがある。それを察せぬ領主代行ではない。

 

「街では着々と、銃というよりも武器ですか。規制派が、数を増やしておりますね」

 

 恐怖に耐えられず、短絡的な規制を求めるか。それが、どのような断裂を産むかも忘れて。

 アウグスタは、グッと唇を噛んでいた。

 

「一応、組合支部長やオルトが冒険者たちを抑えているので、まだ我が街の冒険者に心配はないでしょう」

 

 心ある者たちが誇りを飲み込み、力による解決を我慢してくれている。しかし、危うい均衡だった。

 

「監査官殿は、抑えられていると思います。それとも別口で?」

 

 監査官殿による、三日に一度の来訪を受け入れたのは何も、オルトの望みによるものではない。

 そうしておけば時間を拘束し、不穏な動きに気付けるだろう。そんな狙いがあった。

 

「王都からの冒険者たちが、またもや多く流入しています。一覧はこちらに」

 

 「収納」を解除したフィオナから手渡された名簿は分厚い。見るでなく、アウグスタは机へ仕舞い込む。

 

「問題があるのは、護衛団も手薄になってしまっていることです。収賄の疑いへの、任意徴収によって」

「また、厄介な真似を……」

 

 監査官殿は行政府への寄付金名簿に不審を持ち、司法へ調査を求めていた。

 それは、収賄に当たらぬのかと言って。

 その心配は本来ならばない。明朗な資金の流れであるし、後ろ暗いところは何もなかった。

 

「それでも、訴えがあったならば精査せねばならないのが司法であり、行政です」

 

 そうして人員が取られていた。街の治安を維持する護衛団たちの手でさえも。

 

「騎士団から監視をつけますか」

「良い手とは言えませんが、最悪を回避するには、ありかもしれませんね」

 

 視線は自然と窓の外へと。

 海を船が行く。街並みの多くの家で、煮炊きの煙も上がっていた。

 黒でなく、灰色の煙。

 

「皆、いつもの顔をしてますよ。でも心中は、決して穏やかではないでしょうね」

 

 フィオナが肩を竦める。

 

 思い出されるのは、行政府へ赴いたときに見た、見慣れた顔の商人の、見慣れぬ表情。そして、足早に路地裏へと消えてゆく足音。

 街にはありふれた大人たちの子供を叱る声さえも、どこか上擦っている。

 霧のように、立ち込めてゆくもの。

 

 今、恐れるべきなのは市民の分断だった。

 もしもこれ以上の血が流れれば規制派は過激化し、暴力の排除という名の暴力を振るうことだろう。

 

「誰がやったのか。どのような意思があるのか。それは、関係ありません」

 

 フィオナが大きく息を吐く。トントンと、爪先が床の絨毯を叩いている。

 

 仮に事件が起こる。犯人探しは無益なものだ。

 いつ、誰がやっても不思議でないからだ。象徴の存在は、亀裂を深めることとなろう。

 

「そうですね。見えるのは結果だけ。そして思い込んでしまえば、止まらない。止まれない」

 

 緊張は既に膨れ上がっている。針が刺されてしまえば、行き着く所まで行かねば止まらない。

 それは、確信だった。

 

「監査期限さえ乗り切ってしまえば、手は打てます」

 

 監査対応や無茶な要求のせいで、行政府の人手は足りていなかった。

 ただでさえ、大海蛇による災害に続いた霊核高騰があった。そこに、不穏な商法だけでなく他州の冒険者たちまで流入している。

 

「それまで、なんとかやり過ごすしかありませんか」

 

 それがギリギリの綱渡りであると、女たちは予測している。

 フィオナのグラスは空いていた。そして、ボトルも。

 

「手さえ回れば、なんとかなります。……飲む?」

 

 アウグスタは優雅な手付きで、花茶を立ててゆく。

 

 乱ありとして中央の武力介入を許せば、更なる血が流れることとなる。そしてアントニオがいる以上、相応の戦力が送られることとなるだろう。

 

 そうなれば、白き街は再び紅に沈むこととなる。

 

 そんな思考を滲ませることもなく。

 茉莉花の茶が、匂い立っている。

 

「あと、二十日くらいか。いただきます」

 

 楚々とした仕草で、フィオナはカップに口付ける。

 

「二十三日ね。——仕方がありません。もう少しだけ、視線を逸らせる何かがあれば。……少し、薄かったわね」

 

 茶葉を替えたばかりだというのに、どこか味気がなかった。

 

 不満から目を逸せるために催した英雄の婚活劇は、既に機能不全となりかけている。

 あまりにも、手応えがないためだ。

 挑む女性は減っており、婚活会場はどちらかといえば、社交の場となっていた。

 

「まぁ、そういった時の常套手段なんかは、著名人の不祥事発覚とか、結婚や出産のお祝いなんですよね。と言っても、そんな急な仕込みは無理ですけど」

 

 糸が、繋がった。繋がってしまった。フィオナの顔が、「しまった」とばかりに歪む。

 察しの良い娘だ。だからこそ苦労を背負い込む。

 けれども——。

 

「丁度良い、催しがありましたか」

 

 平坦な口調となったアウグスタの言葉に、フィオナは答えない。

 

「意識不明者の覚醒も、追い風となるでしょう」

 

 父親がまだ意識を取り戻さない(フィオナ)には、酷なことを言っている。

 

「あと、丁度二十日ですね。それまで、どう保たせますか?」

 

 フィオナの声は、理解している者の言葉だった。

 

「明日の広報の後から、ミリオッツィにも宣伝を頼みましょう。——婆や」

 

 程なくして、婆やがやって来る。彼女は何も言うこともなくフィオナの横に立った。

 

「トラーパニで今年、誓いの儀(ジャメンタ)を迎える子供たちは、何名おりますか」

「千四百名ほどかと」

 

 すかさず返された数字に、アウグスタは首を振る。

 

「正確に」

「千三百七十二名。ルカも含めとる」

 

 かなり日程は厳しいが、目算はあった。

 

「公的なジャメンタの日程を前倒します。ルカの、誕生日での開催へ」

「そ、そんな無茶を……」

 

 領主代行が宣言をすると、商会頭代行が呻く。

 二十日。それも伝統や習慣を無視しての、四月もの前倒し。マトモな者ならば、取り合わないだろう。

 

「強制はいたしません。年末の式典も、予定通りに執り行うことになりましょう。ただし、今回の誓いにおいてはトラーパニでなく、キエッリーニが後見となります」

 

 つまりは会場も、白の屋敷。ここキエッリーニ邸となる。婆やがフンと鼻を鳴らした。

 

「また、口さがなく言われよるばい」

「望むところよ」

 

 膨れ上がりつつある、一触即発の不穏を祓うのならば今しかなかった。

 

 ——僭主、暴君、暗愚、独裁者。良いでしょう、何とでもお呼びなさい。

 

「忙しくなりますよ。私たちは、未来を取りこぼさない」

 

 領民に負担を強いるだろう。不公平に、憤りを感じる者もいるだろう。だから、なんだというのだ。

 

 生き残るために。血を流さぬために。

 

 理と利による共生を選びし領主代行は、何もかもをも利用する。

 

 ——門出を、汚すことでしょう。

 

 たとえ、子供たちの政治利用であっても。

 

 ——ルカ、義姉様。私は謝らない(誤らない)

 

 愛する姪が誓いを捧げる日まで、たったの二十日。

 そして、「赤い獅子」たちの侵略中断までには残り二十三日があった。

 持ち堪えなければならない。

 

 窓の外へ、目を向けるアウグスタ。

 遠く並ぶ白き街並みに、茜が差し込み始めていた。

 

 トラーパニの母と呼ばれる女は、赤き記憶を抑え込み、白き希望を見つめ続けている。

 

 




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