フオリエ・ナスコシテ   作:カズあっと

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59話 女と女と夏の空。

 

「こらっ! 大人しくしてなさいっ!」

「待ってるの、ヤーだもん」

 

 母親の怒声に、子供の癇癪。

 巷には、そんなありふれたものが溢れている。

 港町トラーパニの街並みは今、大きく揺れていた。

 

 霊獣による大災害に、大陸全土における物価の高騰、怪しげな商売。そして、未成年による銃乱射事件の傷痕。

 社会に問題は数あれど、この街の今を騒がせているのは、暗い話題ばかりではなかった。

 

「ウチの子も、はしゃいじゃって」

「良いじゃないの。誓いの儀(ジャメンタ)を白のお屋敷でなんて、素敵じゃない」

 

 毎年催されている、十二歳となった子供達が世間にお披露目される儀式。その前倒しにより、トラーパニは蜂の巣を突いたかのような騒ぎとなっている。

 

「ウチの子の衣装が間に合わないじゃない! 何よ突然に前倒しなんて! 晴れ姿をどうしてくれるの!」

 

 予定が狂ったと猛る母親がいて。

 

「別に、前倒しという訳じゃありませんわ。従来の誓いの儀も年末には開催されますし、『領主様』の私的な催しでしょ? そんな肩肘をはらなくとも……」

 

 嗜めるご婦人があった。

 

「子爵家のお祝いにお呼ばれなんて、一生の思い出に残るわよ。ウチの子も、一年早く産まれてれば……」

 

 嘆きもあれば期待もあり、様々な思惑が絡み合う。

 

「エーリチェ男爵のお見合いも、あまり進んでないみたいだし、この突然さってさ」

 

 噂話や、勝手な憶測に興じる人々も予感している。

 

「街の気鬱を祓いたい、そんなところかしらね? 奥方様のお心は。いつもみたいに私費でしょ。よくやりますわね」

「お金持ちは、やることのスケールが違いますなぁ」

 

 この一大事に乗り遅れては勿体ないと。

 街の服飾店や理髪店には子連れが溢れ、勝手に盛り上がる。それは、お祭りの活気にも似ていた。

 

 暗い話題が続いたことで、誰もが閉塞感を感じていた。その中で、唐突ながらも子供達の未来を寿ぐ催しは、概ねでこそあるが好意的に受け取られている。

 

 

 

 

「——街ん声ば、そう悪かはなか。特需んごだるこつばってん、景気よう金ば使っとる。揺り戻しが、えすかばい」

 

 婆やの報告によれば、狙い通りの結果は出ていた。

 

「逞しいわよね。私達の同胞は」

「お調子者のだけや」

 

 だからこそ、転んでもタダでは済ませない。

 一度は燃え尽きたこの街で、十四年を共に歩んだ仲間達の強かさに、アウグスタは目を細めた。

 

「少しは、矛先を逸らせておりますか?」

「お調子者だけん」

 

 街中で沸騰しかけていた、武器規制問題はやや落ち着いている。

 最もそれに熱心だった、子を持つ母親層。彼女達がそれ以上に目を向ける催しによって。

 

「かといって、根本的な解決とはなりませんが」

 

 銃を始めとする武具については、大きな利権も絡んだ。複雑化した収益構造により、規制は現実的ではない。それに公権力による規制では、決して上手くいくはずもないのだとアウグスタは見ていた。

 

「未来に棚上げすれば良か。なんともならんもんや」

 

 また大きな課題を残してしまうが、それに関しては同感だった。

 無理をして、分断を産むことこそが脅威となる。力でどうにかなることでなく、理知と博愛という「割に合わない」投資を重ねる必要があった。

 

「ルカは、お行儀よくしているかしら……」

 

 今日も屋敷の侍女たち(お姉さんたち)に囲まれて、姪は着せ替え人形となっている。晴れ姿を楽しみたいという願望からだった。

 気持ちはわからぬでもないが、程々にしてあげて欲しかった。

 

「毎晩子守で大変ばいな」

 

 随分と甘えん坊さんになってしまい、連日一緒に寝ているからだ。夜の貴重な時間が削られてもいる。

 

「しなければならないことも、沢山あるのですけど」

「よかよ。肌艶も良うなっとんけんね」

 

 仕事が滞るほどでもないし、良いことばかりのはずなのに、少しだけ「困った」。

 

「オルトを見習って、少し運動もしないと……」

 

 下着が合わなくなってきている。太ったわけでもないのに何故と、アウグスタは嘆いていた。

 

 問題は何一つ解決しないまま、それでも寄せては返す波間のように、日々は続いていた。

 

 

 

「本日も未熟者をお叱り頂き、ありがとうございます奥方様。拙者らはここらで失礼いたしますぞ。また明後日」

「いつも、ありがとうございます。息子のために」

 

 恭しい礼をして、アントニオに送られてゆく巨漢。

 淑女の礼を解き、アウグスタは息を吐き出した。

 続いていると言えば、これである。

 

 ルカが連日一緒に寝たいとねだってくるのは可愛らしいが、三日に一度訪れる監査官殿は、全く可愛くもなかった。

 亡き父と変わらぬ歳の男性に、「お叱りを受けに参りましたぞ」などと言われても、正直困る。

 

 それが社交の挨拶ならばまだしも、彼は本当に叱られるようなことばかりをしている。

 態度こそ、行政府や夜会で会った時とは見違えるほどだった。

 だが、議員や行政府の職員への侮蔑を囀るし、彼らへの嫌がらせじみた真似を誇らしげに語る。

 

 ——監査官殿にとっては武功のつもりなのかもしれないけれど、聴くに耐えないのよね。

 

 そう思ってしまうのは、アウグスタだけではない。同席しているアントニオ——それも、やけに機嫌の悪い。彼を我慢させるだけでも、かなり大変だった。

 大人になり落ち着いたにも関わらず、相変わらずのところがある。肘を突けば顔を逸らす昔の暴れん坊は可愛いいのだが、それはそれだった。

 

「ご苦労様、アントニオ。オルトは?」

 

 戻って来た彼は、騎士礼を一つする。

 

「転がっている」

 

 伸びたオルトを背負っていないあたり、今日は意識を保ったらしかった。そういえば、監査官殿の表情は十ばかりの頃の、オルトに似ていた。

 寂しさから、構って欲しくて悪戯を繰り返していた頃だ。叱られることで、繋がりを確かめたかったのだろうと、今でも考えている。

 

「あまり、良い母親じゃなかったのでしょうね……」

 

 つい、独り言が漏れてしまう。聴く者はアントニオしかいないからこその、油断であった。

 

「次は、断られてはどうか」

「お客人ではあるし、そうもいかないわ」

 

 不器用な癖に、無駄な気遣いだけは出来る騎士だ。

 彼は一礼し、踵を返した。

 

「あら、少し休んではいかないの?」

「充分、休養致しましたので。失礼」

 

 無愛想な男は、にべもない。アウグスタも少しだけ唇を尖らせかけたが、何も言わないでいる。

 慇懃な騎士とは扉で遮られ、大きな息を吐く。

 

 ——相変わらず、慇懃ではあるのよね。慇懃といえば監査官殿もなのだけど、少し無礼よりかしら。

 

 話の中身は最低であるが、態度は悪くない。礼儀も弁えている。

 諭している間は全身を耳にするようでもあるし、反論や言い訳をするでもなかった。

 

「やはり銃の出所であるだけに、監査官殿なりに思う所があるのかしらね?」

 

 また一人呟く。

 怒りを堪えるように頬を紅潮させ、小刻みに震えながら身体を緊張させる姿が浮かんだ。

 鼻息は荒く、時折だがお口を開けてしまっていて涎が垂れるのも、我慢によるものだろうとアウグスタは見ている。

 

 だが、どうも熱に浮かされたようでもいて、視線の粘つきが、やけに気になった。

 視線が意味するものに、気付かぬ女ではない。

 

 ——あれは狂信、まではいかなくとも、執着、崇拝、依存……。一体、どういうことかしら。

 

 取り敢えずは、そういった感情がフィオナやリナたち、若い娘さんへ向けられていないことに安堵しながら、思考に蓋をする。

 

「偏見は、毒ね。ここは自由貿易港トラーパニ」

 

 彼女の愛する、そして誇りとする故郷だ。人への悪感情など、余計な荷物でしかなかった。

 この後には、とある女性との約束がある。

 あまり、彼女の恋人を邪推するのも良くないだろうと切り替えるのに立ち上がり、手を鳴らした。

 

「婆や。片付けと、もてなしの用意を」

 

 それでも、ここまでの幾度かの会談から彼女も薄々だが察し始めている。

 あの男性は、どこかおかしいと。

 

 

 

「愛が、愛が感じられないのよ〜! おかわりっ!」

 

 激しく泣きながら、それでも静かにカップを置いてソーサーを押し出してくる女性。

 彼女のお望み通りに、アウグスタは茶を注ぐ。

 頷きはしたものの、彼女は無言であった。

 

「夜のもね、たった一回でお終いなのよ。疲れているからって。信じられる? ……なかなか良いお茶ね」

 

 泣いたかと思えば、即座に微笑み、優雅な手付きで茉莉花茶を堪能している客人。彼女の名は——。

 

「疲れてるなんて嘘よね、『キエッリーニ夫人』。あの人、疲れるようなお仕事なんてしてないもの! 男を立てられないのは淑女の、いいえ『好色婦人』の名折れ! 貴女も、そう思うでしょ!? ヨヨヨ……」

 

 名で呼ぶべきか、姓で呼ぶべきかと迷うアウグスタなど気にもせず、随分と気分のままに振る舞う「好色婦人」の二つ名で呼ばれる女性であった。

 

「ま、まぁ。落ち着きなさいな。監査官殿も責任あるお立場ですし、心労などがあれば、疲労が抜けないこともありますわ。お歳も召しておりますしね」

 

 何故、私が彼を庇わないとならないのか。そして、彼女を慰めているのか。

 世の理不尽というものを、一身に背負った気分となるアウグスタであった。

 

 そんな女主人など気にもせず、次にはカンノーロをアムリと咥える女性。お茶請けとした出したものだ。それ自体は悪いことではない。

 

「こんな小さなモノじゃないの彼は! それに、毎晩六回はシてたのよ。それが……」

 

 悪くはないのだが、急に怒り出すのは心臓に悪かった。情緒不安定とはこういうものだろうと、アウグスタは遠い目をしている。

 

「味は悪くないわね、濃厚で。これも、あのイケオジな料理長様が?」

「残念ですけど、私の手ですわ。お墨付きは頂いておりますので、ご安心ください」

 

 アントニオの婚活、夜会こそ一時中断となってはいるが、ルカの誓いの儀(ジャメンタ)までも、とうとう十日を切った。

 

「貴女が? これを?」

「ええ。ルカに教えてあげたくて、ですね」

 

 料理長は、参加者である子供達、その家族と来賓を含めた推定七千を超える客。

 その食事を用意するために、指揮を取らねばならない。あまり手を煩わせるわけにはいかなかった。

 

「ルカ様、本当に可愛いわよね。どうして、男の子ではないのでしょう。とても、もったいないわ」

 

 とんでもないことを言い出すご婦人であった。アウグスタの微笑の仮面がひび割れる。

 

「……先日は、ありがとうございました。ルカも美味しいと喜んでおりましたよ」

 

 なんとか言い返すも、どこかぎこちない。

 

「そんな顔しないでよ。私は男にしか興味がないの。でもたまに、娘を産んでいればとも思うわね」

 

 そして、固まった。しかし、すぐに取り繕った。

 結構な危険思想を持つ女性であるが、恐らくは嘘でもないのだろう。

 この女性、何一つ見返りもないのにも関わらず、王都では複数の孤児院へ支援を行っている。

 また、滞在中のトラーパニにおいても孤児院へ差し入れを行っていた。ルカの頂いたものは、その残りだと思われた。

 

「色々、教え込むことが多いのですけどね」

「あら、母親気取りなのかしら? 義叔母様は」

 

 悪びれない彼女の評判は、かなりよかった。

 家事だけでなく化粧や服飾などにも明るい彼女は、特に女の子達から慕われてもいる。

 尤も、孤児院側が男の子達を近付けないこともあるのだが。

 

「確か、九つになるのでしたか」

「あらあら、抜け目のない。お調べになりまして?」

 

 話題を替えるアウグスタ。

 夜会で見かけた後に、調べさせている。「好色婦人」と呼ばれる女性は、王都のさる商家より七年前に離縁されている。息子を嫁ぎ先へ残したままに。

 

「失礼ながら、お調べしておりますわ」

「そ。なら、こんな物は邪魔よね。暑いし」

 

 そうして好色婦人は左手袋を脱いだ。

 目に映るのは、薬指に刻まれし黒き紋。婚姻の誓いの反転した呪いであり、不貞の証。

 

「望むべくもないけど、恋に生きたからね。ウフフ。顔が、真っ青よ?」

 

 証を刻まれた女性が、子を孕むことはない。故に呪いとなった。解呪が成されるには、永きを清く正しく過ごし、御使の赦しに縋るしかなかった。

 

「……会いたくは、なりませんか?」

 

 夫を失おうとも、息子がいたから耐えられた。

 

「あるけどね。けれども、ふしだらな女が許されると思って?」

 

 切なく、頬を歪める女。

 離縁の成立と共に子供との接触も禁じられている。

 その表情を見てしまったアウグスタにはとても、愛がないとは思えなかった。

 

「まぁ、私は男の人が好きで、好きで堪らないのよ。愛されるって、とても素敵よね。最近は物足りないから量で我慢しているのだけれど、なかなか良い男もいなくてね」

 

 軽く、明るく、実に愉しげに「好色婦人」は笑う。

 決して、褒められたものではない。だが、自信に溢れたその貌は、しがらみも、理屈も薙ぎ倒していきそうな、生の力強さがあった。性だけでなく。

 

「ねんねには、刺激が強過ぎたかしら? そろそろ、冷たいものは出ないのかしら?」

 

 再び手袋を嵌め直した女性のお求めに応じ、アウグスタは部屋へ置かれた氷室へと向かう。

 

「ブラッドオレンジと、セルツならあるわね。あとはお酒くらいよ」

「何があるのよ?」

 

 フィオナによりフロスト・トラウヴェンこそ空いてしまったが、島のものなら一通り置いてある。トラーパニ、マルサラ地区には醸造所も数多く、様々な酒蔵が鎬を削っていた。

 

「赤、白、酒精強化」

「全部持って来なさいよ。お金持ちなんだから」

 

 猫のように目を細める彼女。人を泥棒猫とまで呼んでおいて、ご当人こそ随分と猫のようで、とアウグスタも笑い返した。

 

 好色婦人には開口一番で、「この泥棒猫」などと叫ばれている。やがて何度か鼻を鳴らして、何故だか落ち着いた。

 それから根掘り葉掘りに監査官殿との遣り取りを説明させられ、その後は何故だか愚痴に付き合わされている。

 

「それじゃ、乾杯」

「え、ええ、乾杯」

 

 酒盛りにまで付き合わされていた。あまり嗜まないアウグスタであるが、別に飲めない訳でもない。

 貴族は幼少より様々なものに耐性をつけるので、酒精に酔うことがないからだ。

 彼女があまり飲むことがないのは、ただ単に、酒の味が好みでないからだけである。

 

「あら、なかなかイケるじゃない。これ、何本か買っておこうかしら」

 

 試し飲みの結果、どうやらお気に召したのは、酒精強化であるようだった。機嫌良く、含んでゆく。

 

「来られた時は随分なご剣幕でしたけど、ご満足頂けたのなら、光栄でございますわ」

 

 アウグスタも同じようにする。甘く芳醇でありながらも強い刺激が、舌の上で転がる。最初は「天敵」だと構えていたが、今はそう悪い気分でもなかった。

 

「それにしても、何本も咥え込んで身体で街を支えている女って話だったけど……」

 

 淑女らしくもなく、つい噎せ返ってしまう。

 遺憾ながらも、そういった根も葉もない噂話があることは認識していた。

 名を知られ、目立つ立場にいることで、そういった陰口などは仕方がないとも割り切っていたものだ。

 

「そういうこと、本人の前で言いますか?」

「そんなことより、キエッリーニ夫人様はルカ様の保護者として出るのでしょう? お召し物は?」

 

 苦言は勢いで流されてしまう。アウグスタは裏方ですので、いつもと変わらずと答えていた。

 

「不景気なお方よねぇ。モテないわよ?」

 

 余計なお世話であった。どうも、やはり天敵なのだろうなという気持ちが抜けない。それでも、言い返したくもなる。

 

「あら? それならば、お疑いは晴れまして?」

 

 話を聞いていれば、察するものだ。どうやら好色婦人様には、監査官殿のお相手であるのだと疑われていたようだった。

 

「まぁ、ねぇ。噂って当てにならない話」

 

 グラスを飲み干したので、注いでやる。散々な言われようだが、監査官殿と恋仲であるとされるのは、心外でしかない。疑いが晴れたなら、充分な見返りだろうという気がしていた。

 

「あーあ。それにしても、どこかに良い男は転がってはないかしら」

「伝えましたわね。アントニオに手出しは無用です」

 

 その釘は刺している。あの夜会の後に宣言していた。まさか、その後大した時を置かずに監査官殿とお付き合いを始めるとは、予想もしていなかったが。

 

「そういえば、貴女。あの騒動の指導者とも、懇意にしておりましたわね?」

 

 フィオナが一人で止めに行き、あわや暴動という集まりだった。オルトのおかげで事なきを得たが、暴力の気配は記憶にもまだ新しい。

 

「ああ、あの子もあの人のところにいるのよ。少し味見してみたけれど、ダメね。愛がないのよ愛が」

 

 流石に顔が引き攣ってしまう喪服の未亡人だった。

 

「そういえば、貴女の息子さん。オルト君は、今どちらに?」

 

 息子は走り込みに出ている。

 いつものように柳のジーノにのされたが、元気なものだった。それを伝えてやれば。

 

「元気が良くって、素敵ね。彼、良い男よね。アレもすっごく強そうだし。ねね、お母様なら、大きさもわかるわよね?」

「許しませんよ」

 

 とんでもないことを言い出した雌猫に、アウグスタの声は冷たくなった。

 息子には、フィオナやリナやルカの様なお嫁さんが欲しいと、常々アウグスタは思っている。オルトの足りない部分を補って、共に歩んでゆける伴侶だ。

 

「冗談ですって。怒らないでよ。流石に貴女を、『お義母様』と呼ぶ気にはなれないわ。……でも、あの筋肉、凄く逞しくて。ちょっとの味見だけ、どう?」

 

 母親は無言となった。だが視線は雄弁である。鳶の様な女でさえ、黙らせるものだ。

 

「だから、冗談よ。そういえば、トラーパニの暴れ熊のも、凄かったわね」

 

 何の話かと訝しんだが、やがて思い出す。生前の夫は、強制徴収に何度も出ている。誠意を示すとして、全裸で。

 

 ——お前が笑えば、俺たちも笑えるぜ!

 

 懐かしい夫の声が蘇る。それなのに、こんな思い出では笑えるはずもない。ゴクリと、喉が鳴った。

 

「是非、一度。お手合わせをして頂きたかったわ」

 

 アウグスタのものでなく、好色婦人からのものである。眉を顰めるも、マジマジと見られている。

 

「貴女、良くそんな細っこい身体で、あんな凶悪なモノが入ったわね?」

 

 喪服の未亡人は思わず、マルサラの酒精強化ワインを一息に呷った。腹の中が、一瞬焼ける。

 愛し、愛された昔日の追憶に、身体の奥底が僅かに疼いていた。

 

「さて、そろそろお開きとしましょうか。私、この後に来客を持て成さねばならないものでして。それとも本日は、ご参加されて? 色を漁ることは、許しはしませんが」

 

 正式な夜会は止めているが、来客はあった。既に屋敷は社交の場として機能している。

 生の情報を集めるに、そう悪いものでもなかった。

 

「お生憎様。……って、なんでそんな怖い顔してんのよ。でも、オルト君は、良い男よ。街でもよく見るし、人を惹きつける光があるわ。だから私じゃなくても、悪い虫には気をつけることね」

 

 余計なお世話であった。呼び鈴を鳴らす。婆やはもうこの時間、受付の監督へと回っていた。

 

「アントニオを、お付けしましょうか?」

「人のモノでなく、手付かずの若い子が良いわ。……なんだかんだで、親子バカなのね」

 

 何を言っているのかわかりはしないが、扉が叩かれる。

 

「どうぞ」

「はっ。入ります」

 

 近場にいたであろう騎士の一人がやって来た。まだ若い、オルトとは同級の青年だ。

 

「客人をお送りしなさい。くれぐれも、間違いを起こさないこと」

「はっ。……あの、奥方様。それは一体?」

 

 若者にはまだ、わからなくて良いことだ。好色婦人は青年へ、しなだれかかっている。

 

「貴方達の『奥方様』は、機嫌が良いのよ。ほら、お顔を見なさって? こうして、お土産も頂けるくらいには」

「違います。……貴方、もしも妙な真似をされたら、剣の錆とすること。良いですね?」

 

 騎士も困り果てていた。だが、流石に親子ほどの歳の差で、間違いなど起こらないだろう。

 

「冗談よ。今日のところは、何もいらないわ。それでは、『また』」

「ええ。『一昨日』のお越しを、お待ちしておりますわ」

 

 淑女の礼を渡し合う。好色婦人は青年騎士に手を引かれ、場を辞していった。

 アウグスタは窓を見る。まだ日は高いが、徐々に茜が差してくる。

 

 もう、良い頃合いだ。

 

 ルカは節目の時を迎え、フィオナもリナも、そしていつまでも子供であったオルト(息子)も、巣立ちの季節を迎えている。

 そんな予感があった。海鳥達が、空へと影を作る。

 

 ——その行く末に、幸あれ。

 

 巣立ちの時は近い。それまでに、何を遺せるか。

 一人の女でなく、母である当主代行は、酒精により僅かに持て余す肉を抑え込み、理性によって次の一手を考え続ける。

 

 




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