フオリエ・ナスコシテ   作:カズあっと

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60話 それぞれの前夜。

 

「ルカ様、ルカ様」

「何? 呼びかけは一回で充分」

 

 ルカの髪を梳きながら、鏡越しに呼びかけたリナだが、にべもなく返される。

 だが、彼女は挫けない。フィオナから秘密作戦を引き継いでいた。

 

「ルカ様は、しゅき?」

「何の話?」

 

 とはいえ、それだけで伝わるはずもないようで、問い返されたリナは胸を張る。それ自体は特に意味がなかった。

 

「奥方様のこと」

「当たり前」

 

 だよね。と、リナは頷いた。梳きながら、髪へ鋏を入れている。髪を整えていた。ルカの表情も声音も、いつもと変わりない。

 

「ですよねー」

「突然、どうしたの?」

 

 一応、確かめておいただけだった。回りくどいが、秘密作戦はその名の通り、極秘で進行している。

 そのため、当たり前のことであっても慎重に確かめねばならないと彼女は考えていた。

 

「ルカ様もさ、奥方様が『お母ちゃん』だったらなーとか、考えたりしない?」

 

 なので、更に踏み込んだ質問をしてみる。何故だかルカは、ものすっごく赤面をしていた。

 

「そういう話は、まだ早い」

「そう? もうそろそろ考える時期だと思うけど」

 

 ここ数日中断している、アントニオの婚活を目的とした夜会であるが、その前から状況は停滞しているらしかった。

 彼へと挑む女傑は現れず、婚活会場は普通の夜会と変わらない社交場となっている。

 というような話を、リナはフィオナから教えられていた。

 

「身を固めるなら、早い方が良いと思うんですよ、ルカ様もそう思いません?」

 

 現在参加の許されていないリナとしては、面白くないので、さっさと決着して貰いたい。

 だから、乗ったのだ。

 さっさと奥方様とアントニオ様をくっつけて、無駄な夜会を終わらせよう大作戦に。

 なのにルカは首を振っている。横に、否定の意味でであった。リナは少しの間だけ手を止めている。

 

「準備だって大変。あと三年は、様子を見た方が良いと思う」

 

 ルカの意見は、一理ある話であった。

 確かに、オルトが二年の兵役を終えた後に襲爵してしまえば「奥方様」は、領主並びに当主代行の荷が降りた。時期としては妥当なのかもしれない。

 

「それだと、ちょっと遅いと私は思うんだけどさ」

 

 三年も経ってしまえば、奥方様も三十七となる。

 それから頑張って貰うとしたら、三十八だ。癒師であるリナとしては、母子の状態への懸念が強い。

 

「リナは気が早い」

「えー。そんなこと、ないと思いますー」

 

 唇を尖らせたルカであるが、リナも同じく唇を尖らせた。手は再び動き出す。ルカの髪を整えるために。

 まだ子供のルカには理解できないのかもしれないが、赤ちゃんも、女性の身体も繊細に出来ている。不安の種など少なければ少ないほど、良いものだった。

 

「でで、どうなのルカ様? 奥方様がお母ちゃんの件だけど、嫌?」

 

 また、お顔を真っ赤にしてしまうルカだった。色白なので、実にわかりやすいものである。

 横へ首を振っているので、嫌じゃないということだろう。

 

「……奥方様のことは、『お母様』だと思ってる。別に縁組がなくても、この気持ちは変わらない」

 

 どちらにせよ、聞くまでもなかったことである。こうして娘さんが受け入れているならば、再婚の壁などあってないようなものなのだ。

 

「婚姻の誓いは、利点も多いですからね。『交信』も使えるようになるし、色々な加護もつきますからね」

 

 市井の一部では、正式な婚姻を結ばずにいる事実婚などという関係もあるが、御使による加護などを別としても、税制や補助金、各種申請など。行政上の扱いとしても、結婚は有意義であった。

 

「何より、ちゃんと結婚してるなら悪い虫も付きにくいですし、心配事も減りますよ」

 

 いつも喪服であるし、身持ちの固い奥方様だが、かなり危ういとリナは見ていた。

 とても無防備なのだ。別に身体的に優れているわけでなく、自衛に向いた術式を修めているでない。

 

「確かに、婚姻の誓いそのものが、防波堤になる」

 

 その癖、無自覚に色気を振り撒いている。ルカの言うように、防波堤の用意はしておきたかった。

 街中になんて一人で行かせたら、いつ襲われても不思議でないとさえ、リナは考えていた。

 

「婚姻の誓いって、結構抑止力になるんですよ。下手に手を出したら、自分だけじゃ済まないですし」

 

 契約の御使による呪いは面倒であった。当事者を呪うだけでなく、周囲の関係者にまで呪いを振り撒くことがある。その危険性から、抑止力ともなった。

 

「でも、オルトは使えないけど、私は『交信』を使える。それに、滅多な相手に遅れを取るつもりもない」

「はにゃ?」

 

 やけに力強く言い切ったルカだが、リナからは間抜けな声が漏れた。急に、何を——?

 そう思いかけたリナだが、ややあって疑問が晴れてくる。同時にその脳裏には、「お母ちゃん」=「お義母ちゃん」の等式が結ばれてしまっていた。

 

 櫛と鋏を持ったままの手が、震えてしまう。

 クックっと、笑いが込み上げてきている。

 

「も、もーっ! 気が早いのは、ルカ様ですよ!」

「え?」

 

 つい、吹き出してしまった。

 そして、間抜けな声を漏らすルカ。

 

 ——そっか、そうだよね。ルカ様だって、女の子なんだもん。意識しちゃうオルトがいたって、おかしくないよね。

 

「もう、十二歳になりますもんね。うん。確かに三年は待たないと、ダメですよねー」

「揶揄わないで。私は真面目」

 

 可愛らしいルカへ、リナは親切に説明してあげる気はない。既に言質はとってあるので、今更確かめることなどないからだ。

 今確かめるべきは、揃えた部分の対称性だった。申し分はない。

 

「でもルカ様も、お嫌ではないのではー?」

 

 嫌がられたって、揶揄い愛でずにはいられない。

 あとは櫛を入れて整えてあげるだけ。

 

「合理的、政治的な配慮。それに、浅慮なオルトには補佐が必要。リナがやる?」

 

 真っ赤な癖に、お澄まし顔をしていて可愛らしい。

 だからこそ、今の内だけは笑い飛ばしてあげよう。

 

「まっさかー! あんな小熊のお世話係なんて、私には荷が重すぎますよー」

 

 なんだかんだで、二人はお似合いだと思うリナだ。

 最近のオルトは格好良くなってきているし、ルカはとても可愛い。もう少し大人になれば、きっと。

 そう思いかけて、何故だか胸が痛んだ。

 

「リナならお似合い。私も野獣の世話係は荷が重い」

「もーっ、お姉ちゃんを揶揄わないの」

 

 一瞬だけ悪戯小僧みたいに笑ったルカへ、リナもまたケラケラと笑い返した。

 あとは少しだけ、毛先に動きを付けて。

 

 未来——この先がどうなるかなど、リナにはわからない。けれども、きっと楽しくて騒がしいものだという予感があった。

 笑いながらも手は動く。ルカの髪は、すっかり整っていた。

 

「はい、出来上がり。明日はお化粧もしっかりしますからね。我が家の侍女達(お姉様方)が」

 

 櫛と鋏を仕舞い、ケープを片付ける。

 鏡へ映るのは、無愛想ながら、凛々しくも可愛らしいお嬢様。とても素敵なお姫様。

 

 明日はルカの誕生日で、お祭りだった。

 誓いの儀に参加するのは関係者だけなのだが、街を上げてのお祭りとなる。

 

 それに、嬉しいことも続いている。意識不明となっていた四人の内三名が、回復していた。

 あの「事件」のあった日に、リナが繋げたもの。

 

 頭部に深い傷を負ったパン屋のおじさんだって、もうすっかり元気にパンを焼いている。

 お腹に穴の空いてしまった駄菓子屋のお婆さんも、お店で穏やかに笑っていた。

 

 ——きっと、フィオナお姉様のお父様だって。

 

 あとは、まだ目覚めていないミリオッツィ商会頭だけだった。

 

「お手柔らかだと、助かる」

「そのお求めは、お姉様方へどうぞ」

 

 その娘であるフィオナが街の皆を焚き付けて、催しを大きくしていた。楽しもう、希望を持とうと。

 リナだって、とても楽しみにしている。それに、街の誰もが同じ気持ちでいるはずだ。

 

「それじゃ、おやすみなさいルカ様」

「おやすみ、リナ」

 

 そう信じながら、リナはルカの部屋から出ていくのであった。きっと、明日も良い日となると。

 

 

 

 フィオナ・ローサ=ミリオッツィは挨拶を済ますとスッと背筋を伸ばした。

 

「奥方様。とうとう明日となりますね」

「ただでさえ忙しいのに、無理をさせたわね」

 

 その相手は、アウグスタ・ビアンカ=キエッリーニ。領主代行にして、ミリオッツィ商会最大の取引相手でもある。

 フィオナは、茶の用意をする屋敷の女主人の手をなんとなく見ていた。

 普段は気安く接しているが、こうして商会頭代行として話をするときは、態度を改めるものだった。

 

「お陰様で、儲けさせて頂いておりますので」

 

 ニコリと笑うフィオナ。

 通常の商会業務に加え、催しの宣伝から各所への折衝までもを委託されている。確かに忙しいのだが、特需による金と物品の回転の良さは、かなり都合の良い状況だった。

 

「なら、良かったわ。届いているのかしら?」

「お釣りが出るほど、既に利益は出ています。支払日には間に合いそうですよ。奥方様は、こうなることまで見越して?」

 

 喪服の女主人に尋ねれば、彼女は静かに含み笑う。

 好きに取りなさいな。そういった意味なのであろうと、フィオナは知っている。

 

「利益の遡及的回収による弁済。父の根回しだけでは足りませんでしたが、特需ってやっぱり大きいです」

 

 意外なことに港町の人々の財布は固い。

 というよりも、自然と商売や相場について敏感な彼等は、そう簡単に散財をしなかった。

 必要に応じてということで、普段は値切り、また買い控えて底値を待つことが多い。

 

「期限が切られてしまえば、共同取り決めによる競争制限も緩みますからね。機を見て動いた商会頭代行様の、商才でしょうね。……砂糖は、お好みで」

 

 そう言いながら、当主代行は牛乳で煮出した紅茶を置いた。甘く薫る牛乳が茶葉の香りと混じり合い、優しい匂いを醸す。

 フィオナは角砂糖を三つ、カップへと放り込んで溶かした。

 

「いただきます。……物も時間も限られてしまえば、選択肢はあまりありませんからね」

 

 キエッリーニによる誓いの儀は、強行な日程であった。それは、習慣により年末を目処に準備を整えていた親達にとって、不意打ちにも等しいものとなった。

 

「衣装や装飾品の類は、飛ぶように売れていきます」

「子供達の大事な晴れ舞台ですからね」

 

 二人はまた笑い合う。こういった商売の話しをする時の奥方様は、実に楽しそうだった。そしてフィオナにとっても、とても楽しい話題であった。

 

「何せ、準備が足りないですからね。こうやって現金が唸るほど入ってくるのって、癖になりそう」

「あら、たまにしか使えませんよ。催事の頻発は価値を減損しますので」

 

 そうだろう。特別な需要であるからこそ成り立つ。

 謂わば泡銭だった。だが、そのお陰で行政への支払いも可能となるので、フィオナ達ミリオッツィ商会にとっては、非常に助かるものだった。

 

「罰金の支払い期限は四日後。明日だと厳しいから、明後日にでも支払いへ行きますかね」

「罰金とは何ですか。被害者救済のための弁済制度ですよ」

 

 これで未だ意識を取り戻さない父の憂いも、少しは晴らせるだろうか。そう思ったフィオナは、ふと偶然の一致に気付いた。

 

「そういえば、監査期限と罰金の納付期限って、同じ日なんですよね。アイツ、ずっと来ているみたいじゃないですか。お疲れではありません?」

 

 奥方様にそう疲れは見えないが、ここ暫く、あのどうしようもない破廉恥漢の相手をしているのだとはフィオナも聞いている。

 なんでもない俗物で小さな男だが、それでもこの華奢な女性にとっては脅威でしかないのだ。

 

「だから、罰金ではありませんと。……紳士的なお方よ。多少は気疲れはしますが、あと四日ですし。先日お会いしたのが、最後になりそうね」

 

 一安心といった声音であった。

 監査官はオルトの訓練ついでに来ているだけで、それも最後となれば、もう来ることもないだろう。

 

「とはいえ、また見知らぬ者達。街の住人でない者も増えております。お出掛けの際には、アントニオ様をお連れくださいね」

「なんでよ」

 

 短い返しへ、フィオナは肩を竦めて紅茶を啜る。甘味が、脳へ行き渡るようだった。

 

「オルトでも、他の騎士達でも良いですけど一人はダメですからね。お祭り騒ぎで今は収まっていますが、また何があるか、わかったものじゃないんですから」

 

 奥方様にそう外出する理由はないが、注意はしておいた方が良い。

 奥方様が誓いの儀を主宰する以上、どうしたって「何か」があれば、巻き込まれることとなる。

 

「ええ。明日は、街中にアントニオの騎士達を配置しております。何も起こらないならば、良し。もし事が起こるのであれば——」

 

 言葉を切った奥方様へ、フィオナは頷く。

 備えている。そして抜け目がない。何の力も持たない癖に、強かだ。

 

「一網打尽ですね」

 

 内心で師と仰ぐ方の言葉を先回りすれば、彼女は満足気にして、カップへと優雅に口付けている。

 こういった所作だけは、まだ及ばない。

 

 ——でも、いつか。

 

 超えてやろうと、フィオナは改めて誓った。

 シシリアの小さな港街、トラーパニを十四年に渡り理と利による統治を続けてきたこの女性はやはり、指導者にして、フィオナにとってのもう一人の母だ。

 

 だからこそ、超えてゆきたい女性であった。

 そんな野心は素振りも見せず、見習うようにしてカップへと口付ける。

 

 ——フィオナ、水持って来てくれ。

 

「は?」

 

 この時、まだ意識の戻らないはずの掠れた父親の声が、フィオナの魂へと直接響く。

 

「どうしたの? フィオナ?」

「父の声が……」

 

 優雅さも何もかも捨て去って、立ち上がっていた。

 「交信」は、魂を繋げる術式だ。心が、意識がなければ届かない。

 

「いってらっしゃい」

 

 奥方様は、察してくれたのだろう。

 頭を一度だけ下げて、フィオナは踵を返した。

 

「無責任糞親父を、ぶっとばしてきますね」

「ほどほどにね」

 

 うずうずと扉までは優雅に向かったフィオナだが、閉める事なく駆け出した。

 背中に、機嫌良く笑う奥方様の声を聴きながら。

 

 

 




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