沖合を眺めていたルカの、足元が大きく揺れた。
彼女の足元だけではない。地面が、揺れている。
「地震かっ!?」
隣でオルトが叫んだ。驚きというよりも、周囲へ知らせる為の声。
結構な数の人々が、浜辺で訓練に励む様子を見に来ている。その中には、ルカの級友達もいた。
「違う。でも、津波が来る。報せを」
静かに否定の言葉を紡いだルカは、海でなく街の方を向くと指を立て、頭上でクルクルと回した。
声量に自信のないルカは、全身で意思を伝える。
「ルカ様! 可愛い!」
「ありがと。でも、わかって」
声援みたいなものに、少し憮然として呟いたルカである。
「うん、避難するー」
人々が、高台へ向けて走り出す。
ルカが見せたのは、避難を促すハンドサイン。彼女の願いは、ちゃんと通じた様だった。
「高台へ逃げろー! 津波が来るぞ!」
浜辺で訓練に励んでいた他の護衛団の面子もまた、口々に叫びながら、街へ向けてハンドサインを送っている。
「ルカ様、気をつけてー! クマも頑張ってー!」
「ビーさんは、ルカ様の足引っ張っちゃダメよー」
最も反応が賑やかなのは、ルカの級友達だった。
「ふざけてねーで逃げろって! メスガキがぁ!」
「きゃー! ビーさんコワー! たべられるー!」
隣では、オルトも叫ぶ。
「食わねーよ! 走れって! わからせんぞ!」
「きゃー、コワイよー。ばいばーい、まったねー」
当のオルトは叫びながらも体の横で、手を小刻みに振りながら腿上げをしている。
それもまた、走る仕草を模した、逃げろという意味のハンドサインであった。
「さっすが、慣れてんな」
オルトは水筒を傾けて、喉を潤す。その顔は、既に海へと向いている。
揺れが収まった頃にはもう、見学に来ていた野次馬達の姿は見えなくなっていた。
コゴゴと、低い波音による唸り声。
「うん、感心。みんな、早い」
日頃からの心掛けや訓練のお陰でもあるのだが、つい先月にも街は被害にあっている。
海辺の民であるトラーパニ市民の危機意識は、決して低くはなかった。
「一同、備えーいっ!」
そんな街であるからして、民間有志により組織された護衛団。その練度が、低い筈もない。
隊長格、年嵩の男性が号令を掛ければ、ルカも海へと意識を向ける。
異常な速さで潮が引いていた。津波の、前兆。
「防波堤の用意を!」
海を縛る、奥方様の
あんな特別な術式でなくとも、海辺の民は嗜みとして、海難、水害に備える技術を身に付けている。
「ほら、オルト。指示に従う」
当然、ルカもオルトも身に付けていた。
津波に対して用いられるのは、単純な障壁の術式であるが。
即席の、壁を作るだけの術式だ。
強度も質量も、術力の保管器官である筋肉量に依存する。ルカは、あまり得意ではない。
「あー、ルカ? あんま無理すんなよ?」
そう、ちょっと困った声音で言う従兄弟であった。
そんなに、無謀なことをする女だとでも思われているのだろうか。そうルカは思うが、別に心外であっても、不満はない。
「わかってる。私の障壁は良く言っても並。だから、この場はオルトを頼りにしておく」
誓いの儀を終えた彼女には、余裕があるからだ。
——もう、守られるだけの愛し子じゃない。
人として、仲間として社会に認められた今、ルカに焦りはなかった。
「お、おう。任せとけ」
どもるお兄ちゃんに、微笑を浮かべる余裕さえあった。
「私が状況を捕捉するから、オルトは集中しておくだけでいい。良い働きを、期待している」
おべっかでなく、本当にそう思う。
単純に出力が物を言う術式ならば、オルトはかなり筋が良かった。
「来るぞ!」
「応っ!」
低い波音はまだ遠い。だが叫ばれる声。そして、それへと返された言葉。
沖合には、キラキラと煌めく高い波飛沫が見えている。美しいのは見た目だけ、自然の脅威はすぐ目の前にまで、迫っていた。
「我は求め、訴えん——」
詠唱を始める二人。そう長いものではない。簡単なものならば、短い祈りで完成されるのが障壁だ。
二人、だけでなく海辺の守護者達、護衛団の皆も声を揃え、紡ぎ上げてゆく。
海が、迫る。
「顕現せよ、守護の盾、願いの壁よ」
謳い上げれば現れる、不可視の壁。物理的な影響を有する、術力による力場が展開された。
見えはしなくとも、その大きさは感覚で掴めた。ルカの障壁は、精々が二人分。海の前では、あまりにも小さなものでしかない。
「おらっ! 堰き止めるぜ!」
誰が叫んだのか。オルトか、別の誰かか。
それはルカにも、もうわからない。轟音と共に津波が、目前まで迫っているからだった。
「任せとけっ! 海の男を、舐めんじゃねー!」
男達の咆哮が重なる。
目前に、煌めく飛沫を纏った紺碧の壁。
障壁へと圧し掛かる重圧。
だが、津波という自然の脅威を前にして、立つのは故郷を護らんとする仲間達。
トラーパニ護衛団は押し寄せる波を前にして、両足で踏ん張り立っている。
彼等の展開する障壁は、彼女のものより遥かに大きい。何人も、いや、何十人も覆える規模だ。
しっかりと鍛えられた大人なら、そのくらいの力があった。
「いつも、筋肉を優先しているだけはある」
「だろ? やっぱ、筋肉なんだよ。筋肉は、全てを解決するんだぜ」
中でも、モストマスキュラーを見せるオルトのものは、誰よりも大きい。
主君の障壁には、普段から鍛錬ばかりに励み続けていた成果が出ていた。
この場の誰よりも巨大な障壁が、聳えている。
数百、どころか千人単位でさえ賄える規模だ。
「皆、耐えて」
それでも、海の前ではちっぽけなものでしかない。
だからこそ、ルカは祈る。
特別でなく、強い力も持たない彼女には、オルトや仲間達を信じるしかないからだ。
——どうか、無事で。皆、死なないで。
海の、津波の怖さをよく知っている。津波により、何人もの犠牲者が出る事も、よく知っていた。
「誰も、死なせねぇよ」
そんな怖さを吹き飛ばす様な、お日様みたいな声がする。
頭の上からだ。こんな脳天気な声を出せる人を、ルカは一人しか知らない。
「流石は脳筋。余裕だね」
上を見る余裕はないが、足を踏ん張り、背筋を伸ばして言ってやる。
見なくとも、その顔付きが浮かんでいた。
「お前さぁ……。が、前には出んなよ」
褒めたのに、不機嫌そうな主君。
そう、共に歩むと誓った主が、ここにいる。
いつの間にか、障壁への重圧は消えていた。
一つ目を凌ぎ切った事が、それだけでもわかった。
「わかってる。第二波、来るよ」
「おう、止めるぜ。何度でも、来いや」
波は一度だけではない。だからこそ、辛抱強く耐えるしかないものだ。
気合いを入れる声が、そこかしこからも聞こえてきていた。
「おい、ルカ。目なんて、瞑ってんじゃねーぞ」
「そんなに、臆病じゃない」
再び圧し掛かる重圧。だが、一度目よりは軽くなっている。必要なのは、何度でも耐える事。
「はっ! なら、いいぜ。見とけよ、お前の横にいるのは、俺だぜ?」
「別に、横じゃない。私がいつも先にいる」
「えー。孤高の王子様って、そんなんかよ?」
バカみたいな、オルトの笑い声。
耐えるだけでは辛い。だからこそ、港の人々は明るく笑うのだ。
「別に、そんなんじゃない」
「はっ! 『婦女を守りし、剣なれば』じゃ、ねーんだよ。お姫様」
再び、波が障壁に当たる感覚があった。
第三波が来ている。
「減らず口はいらない。キリキリ気張る」
「母ちゃんみたいな事、言いやがって……」
ルカの両手で護れるものは、握る双剣ともそう変わらない。
それすらも危ういものだと、もう知っている。
「私達はまだ弱い。でも、出来る事はある」
父上や、奥方様。お姉様達。そして、街の皆。
どんなに褒められていても、違和感があった。
——私は、弱い。
気が付いていた事だ。だが、認められずにいた。
守護者である父上や、統治者である奥方様。どころか、皆を支えるフィオナや、優しいリナにだって、遠く及ばない。
「おうよ。だから、鍛えてんだろ」
それにこの、主君にして兄貴分にも。
己が未熟で弱い事を、ルカはもう認められている。
「オルト、全力で構えておいて」
だから、一人じゃない。強がりは、もうやめた。
見据えるのは、波間で煌めく黒き輝き。
その先にある現象を、ルカはもう三度も見ている。
三度目の、波が来た。海の脅威そのものが、覆い被さる。だが、障壁に重圧は掛からない。
「こんな程度じゃ、抜かせねー」
オルトの障壁が、受け止めているからだ。
ルカには余裕がある。自分で受け止められなかった事を、今は恥と思わない。
彼女は、目を凝らしていた。
「はっ。余裕だな」
波を凌ぎ切り、髪を濡らしたオルトが言った。
沖合に並んだ商船が見える。
キラキラと、この世のものでない煌めきを放つ、数多の船舶。その横では、海が大きく渦巻いていた。
「なら、根を断つよ」
「まだ、地震が? あれ、余震だったか? っても、地震の根なんか……」
首を振るルカ。提案は当たり前のものでしかない。地震では、ないからだ。
「違う。原因がいる」
「いる?」
沖合に浮かぶ商船は、内燃機関により運行されるもの。乗り手の数は最小限で済む。
そして放たれ続ける輝きは、力そのものが燃え盛る光でしかない。
これで、知らないと言えるのならば、嘘だ。
ルカは知っている。あの光の意味を。
「原因、殺すよ」
「殺すって、お前。んな、物騒な……」
オルトもルカの視線の先を追っている。その先にあるのは、煌めく船舶。だが、オルトには陽光を受けて輝いている様にしか、見えないのだろう。
「鈍いね」
「お前さぁ……」
顔を上げて、笑ってやる。甘いオルトらしい言葉だが問題はない。
どうせ、乗り気になるのはわかっていた。
「大異界——海が開いてる」
ルカには見える。だからこそ、迷わない。
「出てくるのは.怪物だよ」
オルトの顔色が変わった。これまでより、真剣なものに。第四波、第五波を受けながらも、その視線は沖合に浮かぶ艦隊へと注がれていた。
「確かか?」
オルトは鈍い。霊核の反応さえ、感じ取れない。
けれど、迷いを晴らし、動かす術を知っている。
「私の見立てを、信用しない?」
言ってやれば、顔を上げる従兄弟がいた。
その視線は迷いなく、沖合を射抜いている。
それで良い。ルカ一人では、何者でもない。
けれど、オルトがいる。
奥方様が父上にする様に、その力を活かす頭脳こそが、自分の役目だと知っていた。
止まった波に、鼻が鳴る。潮の薫りが、鼻腔を擽っていった。そして——。
見えた、原因。
ヌメヌメとした鱗。細長く、うねるもの。
年経た個体ならば、山をも凌ぐ巨体となる霊獣。
以前より、遥かに小さな若い個体であった。
怪物が蛇身をくねらせる。
それだけで波を揺らし、津波が起こった。
再び障壁へと波が叩きつけられる。
「あいつが、地震の原因か?」
「違う。地震は顕現の影響、だと思う。アレはまだ若い個体だし、そこまでの力はない」
精々が、波間に浮かぶ船舶一艘分程度の大きさでしかない。以前現れた年経た個体程の巨体でなく、地震を起こせる程の存在規模ではなかった。
「つっても、放ってはおけねぇよな……。げっ」
大海蛇が海原へと潜る。窪地の様に沈んだ水面。
飛沫と共に、怪物の周囲で波間に漂っていた何艘かの商船が、ひっくり返った。
「っつ! オルト、構えて!」
ルカが叫んだのは、船を心配しての事ではない。
引いてゆく潮、轟く低い音。
更なる津波の前兆を、伝える為だった。
「応よっ!」
オルトにも焦りはない。目の前で沈んでゆく船があるというのに、随分と落ち着いていた。
それもその筈で、あの船達には乗組員がいないと確信している。
霊獣を前にして、何もしない。そんな船乗りはいないからであった。
——けど、このままじゃジリ貧。
波を凌いではいる。だが、大海蛇を何とかしないことには、どうにもならない。
であるならば、やる事は一つしかなかった。
「斬る? 私一人で行って来るけど、いい?」
巨体であろうが、津波を起こそうが。
毒を持とうが、炎を吐こうが、身に宿る剛力が例えあったとしても。
単なる、怪物一体でしかない。
——充分にやれる、はず。双剣は十対もある。
巨体に対しても、刀剣顕現を駆使すれば殺し切れるだろうと、ルカは踏んでいた。
「あー? 行くなら、俺が行くぜ。お前は援護だよ」
「脳筋。浜は津波から誰が守るの?」
唸るオルトがいる、
今、持ち場を離れてしまえば、残る仲間達に負担が行った。
今オルトが今抜けてしまえば、厳しいものがある。
行くならば、ルカ一人の方が効率的であった。
「お、いたいた」
「ルカ様ー! 若様ー!」
浜辺に声が響く。聞き慣れた、若い女性の声二つ。
フィオナと、リナのものだ。
二つの影が堤防から飛び降りると、浜辺にはもうもうと砂煙が立ち込める。
ルカは素早く、袖で顔を抑えた。
「わっちゃ。やっぱ霊獣か。……またなんだっけ?
「げほっ! げほっ! おい! フィオナ!」
立ち込める砂塵に構わぬ優雅な声。
爽やかでいて、頼もしいのはフィオナのものだ。
そういえば一月程前には、フィオナはいなかった。
「前よりマシ。若い個体。私なら、斬れる」
「危ない事、ダメ、絶対」
ルカの髪に降り掛かった砂粒を払ってくれながら言うのは、優しいリナである。
お礼は言わない。何故なら原因はリナが立てた砂煙であるからだ。
「何よオルト。アンタ、騎士のルカにだけ行かせるつもり? 情けないご主人様ねー」
フィオナはオルトより前に出ると、腕を大きく上げる。その手には、「灯火」の術式が瞬いていた。
「なわけ、ねーだろ! けど、浜の守りもなぁ……」
「ヘイヘイ! 若様、びびってるー」
フィオナと同じくオルトの前に出たリナだ。余計な挑発をした彼女は、野獣に摘み上げられた。
「ほい。リナはあぶねーから、さっさと帰れ」
「ぶーぶー」
そしてちょこんと後ろ、ルカの横へと置かれた。
「おー、若様。怪物退治か? なら、俺達も踏ん張るからよ。勝手に行ってきな」
そんな光景に笑い、護衛団員達が言ってくる。
「そうそう。新人一人抜けた所で、何て事はねぇよ。んな事より、さっさと片付けてくれた方が助かるぜ」
強がりだ。そんな事はルカでさえ知っていた。津波をもう、五回も受け止めている。
障壁の術式での消耗は、肉体で受けるのと変わらない。
港の人達は皆、優しくて、逞しくて、明るかった。
「お、おう……」
まだ余裕のあるオルトだが、縮こまって萎え切らない。知っていた事ではあった。
だから、ルカは一人で行くと言ったのだ。
この優しい従兄弟には、仲間達を放り出す事など出来ないのだから。
「ま、行きなさいよバカオルト。ルカ、お願いね」
フィオナは大きく腕を振っている。そして海には、一艘の大型船が旋回してきていた。
ミリオッツィの旗を立てた大型輸送船。
「ひゅー。流石はミリオッツィ。良い舟捌きだ」
感嘆の声を漏らすのは、同じく船乗りか。
船速こそ並であるが、収容能力は港でも五指に入る巨大な船影。碇が海へと投げ入れられた。
輸送船の喫水線は浅い。航行の限界深度で、海へと浮いている。
その先には、大海蛇の姿。
一度海上に跳ね上がった巨大な蛇身は、再び海へと沈み込む。
陥没すること海面、引いてゆく潮。
「障壁よーい! よーそろー!」
重なり合う、野太い声。船乗りの、潮と酒に焼けたもの。その声は、新たな津波を受け止める。
襲い掛かる新たな津波に、輸送船は小揺るぎともせず、碇を下ろしたままでいる。
「ウチの手隙の連中を、三百ほど連れて来たわ。割り増しお手当でね」
つまりは、お膳立ては済んだという事か。ルカは大凡を察した。
「という事で、浜辺はお任せくださいな。怪我した人は無理をせず、こちらに来てくださいねー」
でも何故か、大きく胸を張るのはリナである。
「一回目はお試しだけど、二回目以降は奥方様に請求書を送るからね。さっさと行ってらっしゃい。主従二人とも、お小遣いがなくなっちゃうわよ?」
とても、フィオナらしい激励だった。
障壁を解いたルカは、全身に強化を施す。
怪物退治には、海を走る必要があった。しかも、時間制限付きだ。
「さっさと行くよ。鈍間なオルト」
そして、駆け出したルカ。波を蹴り、海面を滑る様にゆく。
「たりめーよ。けど、トドメは俺な」
そんな彼女は、すぐに追い付かれた。
従兄弟にして主君、そして相棒に。
「なら、譲ってあげる。私に着いて来れたらね」
軽口が、自然と唇に昇る。
波が割れ、飛沫が上がる。
冷たくはない、熱いものが、胸に滾った。
「はっ! 言うねぇ」
怪物を殺すのは、いつだって人間だ。
人間の逞しさは、災禍を打倒する。
剣でなく、心で。
今はそう認められた彼女だからこそ、怪物程度に負ける気はしなかった。
だが、ルカはここで思い出す。報告、連絡、相談。
彼女は大切な事を、忘れるところであった。
だが、思い出せば果たさぬ訳にもいかない。
——ルカです。
以前は、伝えられなかった事。
貴女が望むなら、縛る物は何もないと教えてくれた奥方様には、ちゃんと伝えておかなければならない。
己の望みを、やりたい事を。
——今、津波なんて起こされたら困るので。
随分と慌てている様子だが、ルカは交信を切った。
海蛇が鱗を飛礫として放っている。切り払わねばならない。
斬る。飛沫が頬を打つ。それでも、足は止まらない。止める、理由もない。
「しゃらくせぇ!」
オルトも同じく、飛礫を殴り飛ばしている。
追い抜かれる。追い抜かす。
腕を、上げていた。
一瞬だけ前に来る、広い背中が嬉しい。
「でも、まだまだ。だよ」
だから斬る。何度でも。そして、追い抜く。
飛礫は炎と毒液へと変わっていた。
だが、やる事は変わらない。
気体であろうが、液体であろうが、ただ斬るのみ。
「やるな」
「普通」
やるのは斬り、散らすだけ。剣士ならば、造作もない。
「ひゅー。言うね」
「オルトは、キリキリ働く」
二人で、毒液を弾き、炎を掻き消し、波を割る。
どれだけ巨大な災厄だろうと、バラせばなんとでもなる。
斬り進む。主従二人。
「やって、やるぜ!」
咆哮が、響いた。
斧——
オルトは凄い。でも、足元は甘いものがある。
ならば、ルカがやるのは切り払うだけ。
「足元が、お留守だよ」
飛礫と化した鱗を払ったルカの、頭上に降り掛かる飛沫。その中には、鋭い棘が紛れていた。
「ルカっ!」
鉄をも穿つもの。けれど、信頼がある。
「やるじゃん」
何故ならば、それがルカの身を穿つ事はないからだ。オルトが、弾き飛ばしてくれている。
「ちょい、溜めがあんぜ? やれるか」
「当然」
渦喰らいによる圧縮は、溜めが必要だった。
知っていることで、初めてでもない。
あの時は、不覚を取ったが。
「任せた、相棒」
その一言だけで、身体が軽かった。
炎も毒液も、切り伏せる。
ルカに出来るのは、とっておきが抜かれるまでの時間稼ぎに過ぎない。
「任せて、相棒」
それだけで、充分だった。
オルトの前に立ち、双剣を振るう。
目に見える脅威を、ただ斬り払い、受け流していった。
背中を預け、預けられている。
ほんの少しだけ、心が重なった。それだけで、剣が冴えた。
「応えやがれ、渦喰らい。大いなる海と共に生きる、小さき人々が生きる為——」
背中から、声が聞こえてくる。
術具である「渦喰らい」。その権能である「圧縮」を起動するには詠唱が必要だ。
足場は陸でなく、海である。とても一箇所に留まってはいられない。
詠唱は言葉を紡ぐだけのものでなく、集中し、強く願わなければ、意味がなかった。
ルカは剣を振る。両手に握る双剣を。
集中するオルトの前に出て、大海蛇からの攻撃をいなし、逸らす。
決して器用でない彼の為、前へ進みながら。
危機回避をしながらも、常に動き続けている。
それは、背中のオルトも。
頭上に、振り被られた尾が見えた。
「そろそろ、本体の射程に入るよ。気を付けて」
尾が鋭く振られ、剥げ落ちた巨大な鱗が、頭上へと降り掛かる。
ルカは飛来する鱗を受け止めた。
これまでの欠片よりも、大きくて、重い。
だが、抑えられはしなくとも、全身を使えば、軌道を変えることなら出来た。
「オルトっ! 避けてっ!」
思わず、ルカは叫ぶ。
間に合わないと、悟ったからだ。第二射は、もう用意されている。
姿勢を崩した彼女に、払う余裕はない。
だが——。
「薙ぎ払えー!」
ノリノリで叫んだリナの声が、こんな遠くまで聞こえて来ている。
そして、眩い光に揺らめく炎。
砲弾が、大海蛇の身に直撃した。
強張り、尾を振り下ろす事なく伸び上がる蛇身。
その頭は、海面を向いている。
「潜られる! 急いで!」
ルカはつい、急かす様に叫んでしまう。
海中深くまで潜られてしまえば、追いきれない。
若い個体こそ、貪欲かつ凶暴な性質を持つ。
そんな怪物をここで逃してしまえば、後の被害は計り知れなかった。
「おう、待たせたな。ってーか、あいつらノリノリ過ぎんな」
ルカの焦りとは裏腹に、脳天気な声。
普段と変わらぬオルトの声に、思わず、息が漏れていた。
「オルトの鈍間。追うよ」
いつもの皮肉で返せるくらいに、余裕が生まれている。
蛇体が遠ざかってゆく、かのように見えた。
それが視覚による錯覚だと、ルカは知っている。
少しずつ、小さくなってゆく大海蛇。
ルカの主君にして英雄は、
「ま、文句は後でな」
収縮してゆく大海蛇。その大きさは少しずつ、だが確実に小さくなってゆく。
「詰めるよ。間合いまで」
「おうよ!」
再び飛礫が飛んでくる。小さなものだ。
「収納解除・刀剣顕現」
だが、剣が触れると共に術式を展開する。
その瞬間、ルカの剣は顕現するでなく、飛礫と共に消失した。
「もったいねーことすんな」
「必要なこと。後で請求するし。私のは数に限りがあるから、オルトが頑張るしかない」
渦喰らいは、物体の体積のみを操作した。つまり、飛礫の質量は変わらない。
抵抗が減った分だけ、僅かに速度は高くなる。
小さくなろうとも、その破壊力は変わらずにいるどころか、増している。だからこその、奥の手だ。
「そりゃ、な」
オルトはもう、ルカより前に出ている。
そして、ボート一艘分程の大きさにまで縮んだ海蛇へ、既に肉薄していた。
海へ潜るでなく、反転した蛇が見える。
「おっと。逃がさねーよ。悪いな」
水の抵抗を巧みに使い、泳ぐのが海蛇の習性だ。
身をくねらせ、水の抵抗を利用する泳法は、大きさに比例して速度を増した。
大海蛇を小さくした利点は、そこにもある。
「頭部に霊核がある。やっちゃえ」
言い切る前に、オルトの渦喰らいが怪物の頭部を捉えた。
振り下ろしは海を裂き、鋭い刃の軌道さえ、ルカは追えていない。
けれど、確信していた。
圧縮された蛇の頭部を、渦喰らいが圧し潰す。
「海よりの災厄、大海蛇。討ち取ったり!」
主君にして、彼女の英雄オルトの、怪物討伐を。
陽はまだ明るく、波の飛沫へ反射している。
蒼き波間に、赤が広がっていった。
浮かぶのは、頭部を粉砕された怪物一匹。
「ちょっ! オルト!?」
「ぷく、ぷく、ぷく……」
答えは無い。ブクブクと、海面に泡が見える。
ルカの従兄弟は腕を上げて立ち止まっていたので、あえなく海中へと沈んでいっていた。
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