フオリエ・ナスコシテ   作:カズあっと

65 / 65
65話 相棒。

 

 沖合を眺めていたルカの、足元が大きく揺れた。

 彼女の足元だけではない。地面が、揺れている。

 

「地震かっ!?」

 

 隣でオルトが叫んだ。驚きというよりも、周囲へ知らせる為の声。

 結構な数の人々が、浜辺で訓練に励む様子を見に来ている。その中には、ルカの級友達もいた。

 

「違う。でも、津波が来る。報せを」

 

 静かに否定の言葉を紡いだルカは、海でなく街の方を向くと指を立て、頭上でクルクルと回した。

 声量に自信のないルカは、全身で意思を伝える。

 

「ルカ様! 可愛い!」

「ありがと。でも、わかって」

 

 声援みたいなものに、少し憮然として呟いたルカである。

 

「うん、避難するー」

 

 人々が、高台へ向けて走り出す。

 ルカが見せたのは、避難を促すハンドサイン。彼女の願いは、ちゃんと通じた様だった。

 

「高台へ逃げろー! 津波が来るぞ!」

 

 浜辺で訓練に励んでいた他の護衛団の面子もまた、口々に叫びながら、街へ向けてハンドサインを送っている。

 

「ルカ様、気をつけてー! クマも頑張ってー!」

「ビーさんは、ルカ様の足引っ張っちゃダメよー」

 

 最も反応が賑やかなのは、ルカの級友達だった。

 

「ふざけてねーで逃げろって! メスガキがぁ!」

「きゃー! ビーさんコワー! たべられるー!」

 

 隣では、オルトも叫ぶ。

 

「食わねーよ! 走れって! わからせんぞ!」

「きゃー、コワイよー。ばいばーい、まったねー」

 

 当のオルトは叫びながらも体の横で、手を小刻みに振りながら腿上げをしている。

 それもまた、走る仕草を模した、逃げろという意味のハンドサインであった。

 

「さっすが、慣れてんな」

 

 オルトは水筒を傾けて、喉を潤す。その顔は、既に海へと向いている。

 揺れが収まった頃にはもう、見学に来ていた野次馬達の姿は見えなくなっていた。

 コゴゴと、低い波音による唸り声。

 

「うん、感心。みんな、早い」

 

 日頃からの心掛けや訓練のお陰でもあるのだが、つい先月にも街は被害にあっている。

 海辺の民であるトラーパニ市民の危機意識は、決して低くはなかった。

 

「一同、備えーいっ!」

 

 そんな街であるからして、民間有志により組織された護衛団。その練度が、低い筈もない。

 隊長格、年嵩の男性が号令を掛ければ、ルカも海へと意識を向ける。

 

 異常な速さで潮が引いていた。津波の、前兆。

 

「防波堤の用意を!」

 

 海を縛る、奥方様の(カルマ)

 あんな特別な術式でなくとも、海辺の民は嗜みとして、海難、水害に備える技術を身に付けている。

 

「ほら、オルト。指示に従う」

 

 当然、ルカもオルトも身に付けていた。

 津波に対して用いられるのは、単純な障壁の術式であるが。

 即席の、壁を作るだけの術式だ。

 強度も質量も、術力の保管器官である筋肉量に依存する。ルカは、あまり得意ではない。

 

「あー、ルカ? あんま無理すんなよ?」

 

 そう、ちょっと困った声音で言う従兄弟であった。

 そんなに、無謀なことをする女だとでも思われているのだろうか。そうルカは思うが、別に心外であっても、不満はない。

 

「わかってる。私の障壁は良く言っても並。だから、この場はオルトを頼りにしておく」

 

 誓いの儀を終えた彼女には、余裕があるからだ。

 

 ——もう、守られるだけの愛し子じゃない。

 

 人として、仲間として社会に認められた今、ルカに焦りはなかった。

 

「お、おう。任せとけ」

 

 どもるお兄ちゃんに、微笑を浮かべる余裕さえあった。

 

「私が状況を捕捉するから、オルトは集中しておくだけでいい。良い働きを、期待している」

 

 おべっかでなく、本当にそう思う。

 単純に出力が物を言う術式ならば、オルトはかなり筋が良かった。

 

「来るぞ!」

「応っ!」

 

 低い波音はまだ遠い。だが叫ばれる声。そして、それへと返された言葉。

 沖合には、キラキラと煌めく高い波飛沫が見えている。美しいのは見た目だけ、自然の脅威はすぐ目の前にまで、迫っていた。

 

「我は求め、訴えん——」

 

 詠唱を始める二人。そう長いものではない。簡単なものならば、短い祈りで完成されるのが障壁だ。

 二人、だけでなく海辺の守護者達、護衛団の皆も声を揃え、紡ぎ上げてゆく。

 海が、迫る。

 

「顕現せよ、守護の盾、願いの壁よ」

 

 謳い上げれば現れる、不可視の壁。物理的な影響を有する、術力による力場が展開された。

 見えはしなくとも、その大きさは感覚で掴めた。ルカの障壁は、精々が二人分。海の前では、あまりにも小さなものでしかない。

 

「おらっ! 堰き止めるぜ!」

 

 誰が叫んだのか。オルトか、別の誰かか。

 それはルカにも、もうわからない。轟音と共に津波が、目前まで迫っているからだった。

 

「任せとけっ! 海の男を、舐めんじゃねー!」

 

 男達の咆哮が重なる。

 目前に、煌めく飛沫を纏った紺碧の壁。

 障壁へと圧し掛かる重圧。

 

 だが、津波という自然の脅威を前にして、立つのは故郷を護らんとする仲間達。

 トラーパニ護衛団は押し寄せる波を前にして、両足で踏ん張り立っている。

 

 彼等の展開する障壁は、彼女のものより遥かに大きい。何人も、いや、何十人も覆える規模だ。

 しっかりと鍛えられた大人なら、そのくらいの力があった。

 

「いつも、筋肉を優先しているだけはある」

「だろ? やっぱ、筋肉なんだよ。筋肉は、全てを解決するんだぜ」

 

 中でも、モストマスキュラーを見せるオルトのものは、誰よりも大きい。

 主君の障壁には、普段から鍛錬ばかりに励み続けていた成果が出ていた。

 

 この場の誰よりも巨大な障壁が、聳えている。

 数百、どころか千人単位でさえ賄える規模だ。

 

「皆、耐えて」

 

 それでも、海の前ではちっぽけなものでしかない。

 だからこそ、ルカは祈る。

 特別でなく、強い力も持たない彼女には、オルトや仲間達を信じるしかないからだ。

 

 ——どうか、無事で。皆、死なないで。

 

 海の、津波の怖さをよく知っている。津波により、何人もの犠牲者が出る事も、よく知っていた。

 

「誰も、死なせねぇよ」

 

 そんな怖さを吹き飛ばす様な、お日様みたいな声がする。

 頭の上からだ。こんな脳天気な声を出せる人を、ルカは一人しか知らない。

 

「流石は脳筋。余裕だね」

 

 上を見る余裕はないが、足を踏ん張り、背筋を伸ばして言ってやる。

 見なくとも、その顔付きが浮かんでいた。

 

「お前さぁ……。が、前には出んなよ」

 

 褒めたのに、不機嫌そうな主君。

 そう、共に歩むと誓った主が、ここにいる。

 いつの間にか、障壁への重圧は消えていた。

 一つ目を凌ぎ切った事が、それだけでもわかった。

 

「わかってる。第二波、来るよ」

「おう、止めるぜ。何度でも、来いや」

 

 波は一度だけではない。だからこそ、辛抱強く耐えるしかないものだ。

 気合いを入れる声が、そこかしこからも聞こえてきていた。

 

「おい、ルカ。目なんて、瞑ってんじゃねーぞ」

「そんなに、臆病じゃない」

 

 再び圧し掛かる重圧。だが、一度目よりは軽くなっている。必要なのは、何度でも耐える事。

 

「はっ! なら、いいぜ。見とけよ、お前の横にいるのは、俺だぜ?」

「別に、横じゃない。私がいつも先にいる」

「えー。孤高の王子様って、そんなんかよ?」

 

 バカみたいな、オルトの笑い声。

 耐えるだけでは辛い。だからこそ、港の人々は明るく笑うのだ。

 

「別に、そんなんじゃない」

「はっ! 『婦女を守りし、剣なれば』じゃ、ねーんだよ。お姫様」

 

 再び、波が障壁に当たる感覚があった。

 第三波が来ている。

 

「減らず口はいらない。キリキリ気張る」

「母ちゃんみたいな事、言いやがって……」

 

 ルカの両手で護れるものは、握る双剣ともそう変わらない。

 それすらも危ういものだと、もう知っている。

 

「私達はまだ弱い。でも、出来る事はある」

 

 父上や、奥方様。お姉様達。そして、街の皆。

 どんなに褒められていても、違和感があった。

 

 ——私は、弱い。

 

 気が付いていた事だ。だが、認められずにいた。

 守護者である父上や、統治者である奥方様。どころか、皆を支えるフィオナや、優しいリナにだって、遠く及ばない。

 

「おうよ。だから、鍛えてんだろ」

 

 それにこの、主君にして兄貴分にも。

 己が未熟で弱い事を、ルカはもう認められている。

 

「オルト、全力で構えておいて」

 

 だから、一人じゃない。強がりは、もうやめた。

 見据えるのは、波間で煌めく黒き輝き。

 その先にある現象を、ルカはもう三度も見ている。

 

 三度目の、波が来た。海の脅威そのものが、覆い被さる。だが、障壁に重圧は掛からない。

 

「こんな程度じゃ、抜かせねー」

 

 オルトの障壁が、受け止めているからだ。

 ルカには余裕がある。自分で受け止められなかった事を、今は恥と思わない。

 彼女は、目を凝らしていた。

 

「はっ。余裕だな」

 

 波を凌ぎ切り、髪を濡らしたオルトが言った。

 沖合に並んだ商船が見える。

 キラキラと、この世のものでない煌めきを放つ、数多の船舶。その横では、海が大きく渦巻いていた。

 

「なら、根を断つよ」

「まだ、地震が? あれ、余震だったか? っても、地震の根なんか……」

 

 首を振るルカ。提案は当たり前のものでしかない。地震では、ないからだ。

 

「違う。原因がいる」

「いる?」

 

 沖合に浮かぶ商船は、内燃機関により運行されるもの。乗り手の数は最小限で済む。

 そして放たれ続ける輝きは、力そのものが燃え盛る光でしかない。

 これで、知らないと言えるのならば、嘘だ。

 ルカは知っている。あの光の意味を。

 

「原因、殺すよ」

「殺すって、お前。んな、物騒な……」

 

 オルトもルカの視線の先を追っている。その先にあるのは、煌めく船舶。だが、オルトには陽光を受けて輝いている様にしか、見えないのだろう。

 

「鈍いね」

「お前さぁ……」

 

 顔を上げて、笑ってやる。甘いオルトらしい言葉だが問題はない。

 どうせ、乗り気になるのはわかっていた。

 

「大異界——海が開いてる」

 

 ルカには見える。だからこそ、迷わない。

 

「出てくるのは.怪物だよ」

 

 オルトの顔色が変わった。これまでより、真剣なものに。第四波、第五波を受けながらも、その視線は沖合に浮かぶ艦隊へと注がれていた。

 

「確かか?」

 

 オルトは鈍い。霊核の反応さえ、感じ取れない。

 けれど、迷いを晴らし、動かす術を知っている。

 

「私の見立てを、信用しない?」

 

 言ってやれば、顔を上げる従兄弟がいた。

 その視線は迷いなく、沖合を射抜いている。

 それで良い。ルカ一人では、何者でもない。

 

 けれど、オルトがいる。

 奥方様が父上にする様に、その力を活かす頭脳こそが、自分の役目だと知っていた。

 

 止まった波に、鼻が鳴る。潮の薫りが、鼻腔を擽っていった。そして——。

 

 見えた、原因。

 ヌメヌメとした鱗。細長く、うねるもの。

 年経た個体ならば、山をも凌ぐ巨体となる霊獣。

 大海蛇(セルペンテ・マリーノ)

 

 以前より、遥かに小さな若い個体であった。

 

 

 怪物が蛇身をくねらせる。

 それだけで波を揺らし、津波が起こった。

 再び障壁へと波が叩きつけられる。

 

「あいつが、地震の原因か?」

「違う。地震は顕現の影響、だと思う。アレはまだ若い個体だし、そこまでの力はない」

 

 精々が、波間に浮かぶ船舶一艘分程度の大きさでしかない。以前現れた年経た個体程の巨体でなく、地震を起こせる程の存在規模ではなかった。

 

「つっても、放ってはおけねぇよな……。げっ」

 

 大海蛇が海原へと潜る。窪地の様に沈んだ水面。

 飛沫と共に、怪物の周囲で波間に漂っていた何艘かの商船が、ひっくり返った。

 

「っつ! オルト、構えて!」

 

 ルカが叫んだのは、船を心配しての事ではない。

 引いてゆく潮、轟く低い音。

 更なる津波の前兆を、伝える為だった。

 

「応よっ!」

 

 オルトにも焦りはない。目の前で沈んでゆく船があるというのに、随分と落ち着いていた。

 それもその筈で、あの船達には乗組員がいないと確信している。

 霊獣を前にして、何もしない。そんな船乗りはいないからであった。

 

 ——けど、このままじゃジリ貧。

 

 波を凌いではいる。だが、大海蛇を何とかしないことには、どうにもならない。

 であるならば、やる事は一つしかなかった。

 

「斬る? 私一人で行って来るけど、いい?」

 

 巨体であろうが、津波を起こそうが。

 毒を持とうが、炎を吐こうが、身に宿る剛力が例えあったとしても。

 単なる、怪物一体でしかない。

 

 ——充分にやれる、はず。双剣は十対もある。

 

 巨体に対しても、刀剣顕現を駆使すれば殺し切れるだろうと、ルカは踏んでいた。

 

「あー? 行くなら、俺が行くぜ。お前は援護だよ」

「脳筋。浜は津波から誰が守るの?」

 

 唸るオルトがいる、

 今、持ち場を離れてしまえば、残る仲間達に負担が行った。

 今オルトが今抜けてしまえば、厳しいものがある。

 行くならば、ルカ一人の方が効率的であった。

 

「お、いたいた」

「ルカ様ー! 若様ー!」

 

 浜辺に声が響く。聞き慣れた、若い女性の声二つ。

 フィオナと、リナのものだ。

 二つの影が堤防から飛び降りると、浜辺にはもうもうと砂煙が立ち込める。

 ルカは素早く、袖で顔を抑えた。

 

「わっちゃ。やっぱ霊獣か。……またなんだっけ? 大海蛇(セルペンテ・マリーノ)

「げほっ! げほっ! おい! フィオナ!」

 

 立ち込める砂塵に構わぬ優雅な声。

 爽やかでいて、頼もしいのはフィオナのものだ。

 そういえば一月程前には、フィオナはいなかった。

 

「前よりマシ。若い個体。私なら、斬れる」

「危ない事、ダメ、絶対」

 

 ルカの髪に降り掛かった砂粒を払ってくれながら言うのは、優しいリナである。

 お礼は言わない。何故なら原因はリナが立てた砂煙であるからだ。

 

「何よオルト。アンタ、騎士のルカにだけ行かせるつもり? 情けないご主人様ねー」

 

 フィオナはオルトより前に出ると、腕を大きく上げる。その手には、「灯火」の術式が瞬いていた。

 

「なわけ、ねーだろ! けど、浜の守りもなぁ……」

「ヘイヘイ! 若様、びびってるー」

 

 フィオナと同じくオルトの前に出たリナだ。余計な挑発をした彼女は、野獣に摘み上げられた。

 

「ほい。リナはあぶねーから、さっさと帰れ」

「ぶーぶー」

 

 そしてちょこんと後ろ、ルカの横へと置かれた。

 

「おー、若様。怪物退治か? なら、俺達も踏ん張るからよ。勝手に行ってきな」

 

 そんな光景に笑い、護衛団員達が言ってくる。

 

「そうそう。新人一人抜けた所で、何て事はねぇよ。んな事より、さっさと片付けてくれた方が助かるぜ」

 

 強がりだ。そんな事はルカでさえ知っていた。津波をもう、五回も受け止めている。

 障壁の術式での消耗は、肉体で受けるのと変わらない。

 港の人達は皆、優しくて、逞しくて、明るかった。

 

「お、おう……」

 

 まだ余裕のあるオルトだが、縮こまって萎え切らない。知っていた事ではあった。

 だから、ルカは一人で行くと言ったのだ。

 この優しい従兄弟には、仲間達を放り出す事など出来ないのだから。

 

「ま、行きなさいよバカオルト。ルカ、お願いね」

 

 フィオナは大きく腕を振っている。そして海には、一艘の大型船が旋回してきていた。

 ミリオッツィの旗を立てた大型輸送船。

 

「ひゅー。流石はミリオッツィ。良い舟捌きだ」

 

 感嘆の声を漏らすのは、同じく船乗りか。

 船速こそ並であるが、収容能力は港でも五指に入る巨大な船影。碇が海へと投げ入れられた。

 

 輸送船の喫水線は浅い。航行の限界深度で、海へと浮いている。

 その先には、大海蛇の姿。

 一度海上に跳ね上がった巨大な蛇身は、再び海へと沈み込む。

 陥没すること海面、引いてゆく潮。

 

「障壁よーい! よーそろー!」

 

 重なり合う、野太い声。船乗りの、潮と酒に焼けたもの。その声は、新たな津波を受け止める。

 襲い掛かる新たな津波に、輸送船は小揺るぎともせず、碇を下ろしたままでいる。

 

「ウチの手隙の連中を、三百ほど連れて来たわ。割り増しお手当でね」

 

 つまりは、お膳立ては済んだという事か。ルカは大凡を察した。

 

「という事で、浜辺はお任せくださいな。怪我した人は無理をせず、こちらに来てくださいねー」

 

 でも何故か、大きく胸を張るのはリナである。

 

「一回目はお試しだけど、二回目以降は奥方様に請求書を送るからね。さっさと行ってらっしゃい。主従二人とも、お小遣いがなくなっちゃうわよ?」

 

 とても、フィオナらしい激励だった。

 障壁を解いたルカは、全身に強化を施す。

 怪物退治には、海を走る必要があった。しかも、時間制限付きだ。

 

「さっさと行くよ。鈍間なオルト」

 

 そして、駆け出したルカ。波を蹴り、海面を滑る様にゆく。

 

「たりめーよ。けど、トドメは俺な」

 

 そんな彼女は、すぐに追い付かれた。

 従兄弟にして主君、そして相棒に。

 

「なら、譲ってあげる。私に着いて来れたらね」

 

 軽口が、自然と唇に昇る。

 波が割れ、飛沫が上がる。

 冷たくはない、熱いものが、胸に滾った。

 

「はっ! 言うねぇ」

 

 怪物を殺すのは、いつだって人間だ。

 人間の逞しさは、災禍を打倒する。

 剣でなく、心で。

 今はそう認められた彼女だからこそ、怪物程度に負ける気はしなかった。

 

 だが、ルカはここで思い出す。報告、連絡、相談。

 彼女は大切な事を、忘れるところであった。

 だが、思い出せば果たさぬ訳にもいかない。

 

 ——ルカです。セルペンテ・マリーノ(大海蛇)顕現を確認しました。オルトと一緒に始末します。

 

 以前は、伝えられなかった事。

 貴女が望むなら、縛る物は何もないと教えてくれた奥方様には、ちゃんと伝えておかなければならない。

 己の望みを、やりたい事を。

 

 ——今、津波なんて起こされたら困るので。

 

 随分と慌てている様子だが、ルカは交信を切った。

 海蛇が鱗を飛礫として放っている。切り払わねばならない。

 斬る。飛沫が頬を打つ。それでも、足は止まらない。止める、理由もない。

 

「しゃらくせぇ!」

 

 オルトも同じく、飛礫を殴り飛ばしている。

 追い抜かれる。追い抜かす。

 腕を、上げていた。

 一瞬だけ前に来る、広い背中が嬉しい。

 

「でも、まだまだ。だよ」

 

 だから斬る。何度でも。そして、追い抜く。

 飛礫は炎と毒液へと変わっていた。

 だが、やる事は変わらない。

 気体であろうが、液体であろうが、ただ斬るのみ。

 

「やるな」

「普通」

 

 やるのは斬り、散らすだけ。剣士ならば、造作もない。

 

「ひゅー。言うね」

「オルトは、キリキリ働く」

 

 二人で、毒液を弾き、炎を掻き消し、波を割る。

 どれだけ巨大な災厄だろうと、バラせばなんとでもなる。

 斬り進む。主従二人。

 

「やって、やるぜ!」

 

 咆哮が、響いた。

 斧——渦喰らい(マニャ・ヴォルティチェ)を取り出すオルト。その一閃で、炎も毒液も吹き飛ばす。

 オルトは凄い。でも、足元は甘いものがある。

 ならば、ルカがやるのは切り払うだけ。

 

「足元が、お留守だよ」

 

 飛礫と化した鱗を払ったルカの、頭上に降り掛かる飛沫。その中には、鋭い棘が紛れていた。

 

「ルカっ!」

 

 鉄をも穿つもの。けれど、信頼がある。

 

「やるじゃん」

 

 何故ならば、それがルカの身を穿つ事はないからだ。オルトが、弾き飛ばしてくれている。

 

「ちょい、溜めがあんぜ? やれるか」

「当然」

 

 渦喰らいによる圧縮は、溜めが必要だった。

 知っていることで、初めてでもない。

 あの時は、不覚を取ったが。

 

「任せた、相棒」

 

 その一言だけで、身体が軽かった。

 炎も毒液も、切り伏せる。

 ルカに出来るのは、とっておきが抜かれるまでの時間稼ぎに過ぎない。

 

「任せて、相棒」

 

 それだけで、充分だった。

 オルトの前に立ち、双剣を振るう。

 目に見える脅威を、ただ斬り払い、受け流していった。

 

 背中を預け、預けられている。

 ほんの少しだけ、心が重なった。それだけで、剣が冴えた。

 

「応えやがれ、渦喰らい。大いなる海と共に生きる、小さき人々が生きる為——」

 

 背中から、声が聞こえてくる。

 術具である「渦喰らい」。その権能である「圧縮」を起動するには詠唱が必要だ。

 

 足場は陸でなく、海である。とても一箇所に留まってはいられない。

 詠唱は言葉を紡ぐだけのものでなく、集中し、強く願わなければ、意味がなかった。

 

 ルカは剣を振る。両手に握る双剣を。

 集中するオルトの前に出て、大海蛇からの攻撃をいなし、逸らす。

 決して器用でない彼の為、前へ進みながら。

 

 危機回避をしながらも、常に動き続けている。

 それは、背中のオルトも。

 頭上に、振り被られた尾が見えた。

 

「そろそろ、本体の射程に入るよ。気を付けて」

 

 尾が鋭く振られ、剥げ落ちた巨大な鱗が、頭上へと降り掛かる。

 ルカは飛来する鱗を受け止めた。

 これまでの欠片よりも、大きくて、重い。

 だが、抑えられはしなくとも、全身を使えば、軌道を変えることなら出来た。

 

「オルトっ! 避けてっ!」

 

 思わず、ルカは叫ぶ。

 間に合わないと、悟ったからだ。第二射は、もう用意されている。

 姿勢を崩した彼女に、払う余裕はない。

 だが——。

 

「薙ぎ払えー!」

 

 ノリノリで叫んだリナの声が、こんな遠くまで聞こえて来ている。

 そして、眩い光に揺らめく炎。

 砲弾が、大海蛇の身に直撃した。

 

 強張り、尾を振り下ろす事なく伸び上がる蛇身。

 その頭は、海面を向いている。

 

「潜られる! 急いで!」

 

 ルカはつい、急かす様に叫んでしまう。

 海中深くまで潜られてしまえば、追いきれない。

 若い個体こそ、貪欲かつ凶暴な性質を持つ。

 そんな怪物をここで逃してしまえば、後の被害は計り知れなかった。

 

「おう、待たせたな。ってーか、あいつらノリノリ過ぎんな」

 

 ルカの焦りとは裏腹に、脳天気な声。

 普段と変わらぬオルトの声に、思わず、息が漏れていた。

 

「オルトの鈍間。追うよ」

 

 いつもの皮肉で返せるくらいに、余裕が生まれている。

 蛇体が遠ざかってゆく、かのように見えた。

 それが視覚による錯覚だと、ルカは知っている。

 少しずつ、小さくなってゆく大海蛇。

 ルカの主君にして英雄は、渦喰らい(マニャ・ヴォルティチェ)を振り上げていた。

 

「ま、文句は後でな」

 

 収縮してゆく大海蛇。その大きさは少しずつ、だが確実に小さくなってゆく。

 

「詰めるよ。間合いまで」

「おうよ!」

 

 再び飛礫が飛んでくる。小さなものだ。

 

「収納解除・刀剣顕現」

 

 だが、剣が触れると共に術式を展開する。

 その瞬間、ルカの剣は顕現するでなく、飛礫と共に消失した。

 

「もったいねーことすんな」

「必要なこと。後で請求するし。私のは数に限りがあるから、オルトが頑張るしかない」

 

 渦喰らいは、物体の体積のみを操作した。つまり、飛礫の質量は変わらない。

 抵抗が減った分だけ、僅かに速度は高くなる。

 小さくなろうとも、その破壊力は変わらずにいるどころか、増している。だからこその、奥の手だ。

 

「そりゃ、な」

 

 オルトはもう、ルカより前に出ている。

 そして、ボート一艘分程の大きさにまで縮んだ海蛇へ、既に肉薄していた。

 海へ潜るでなく、反転した蛇が見える。

 

「おっと。逃がさねーよ。悪いな」

 

 水の抵抗を巧みに使い、泳ぐのが海蛇の習性だ。

 身をくねらせ、水の抵抗を利用する泳法は、大きさに比例して速度を増した。

 大海蛇を小さくした利点は、そこにもある。

 

「頭部に霊核がある。やっちゃえ」

 

 言い切る前に、オルトの渦喰らいが怪物の頭部を捉えた。

 振り下ろしは海を裂き、鋭い刃の軌道さえ、ルカは追えていない。

 

 けれど、確信していた。

 圧縮された蛇の頭部を、渦喰らいが圧し潰す。

 

「海よりの災厄、大海蛇。討ち取ったり!」

 

 主君にして、彼女の英雄オルトの、怪物討伐を。

 

 陽はまだ明るく、波の飛沫へ反射している。

 蒼き波間に、赤が広がっていった。

 浮かぶのは、頭部を粉砕された怪物一匹。

 

「ちょっ! オルト!?」

「ぷく、ぷく、ぷく……」

 

 答えは無い。ブクブクと、海面に泡が見える。

 ルカの従兄弟は腕を上げて立ち止まっていたので、あえなく海中へと沈んでいっていた。

 

 

 

 




お読みいただき、ありがとうございます。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

ちょっとだけ愉快な仮面の冒険者(作者:乾燥海藻類)(原作:wizardry variants daphne)

タイトル通りです。▼一周年おめでとうございます。


総合評価:424/評価:8.16/完結:10話/更新日時:2025年10月24日(金) 19:50 小説情報

ビタロサ王国シシリア州における、一般的な冒険者の日常。(作者:カズあっと)(オリジナルファンタジー/冒険・バトル)

▼ ビタロサ王国シシリア州カターニア市は旧都であり、冒険者の街としても名高い。▼ その街に住むレンツォもまた冒険者として生計を立てている。▼ そこそこ優秀であったが夢破れ、将来の目標を失ってしまったレンツォはそれでもそれなりにやっている。▼ そんな、平凡な日常のお話。▼ 普通の人達が普通に頑張る物語。▼ ▼ お読み頂き、ありがとうございます。二章完結しました…


総合評価:764/評価:8.19/完結:30話/更新日時:2025年08月30日(土) 00:27 小説情報

迷宮漂流記(作者:乾燥海藻類)(原作:ブレイド&バスタード)

よくある憑依ものです。


総合評価:2638/評価:8.45/完結:17話/更新日時:2025年04月25日(金) 16:50 小説情報

【本編完結】呪術高専伝タフ(続編投稿済み)(作者:魚の肝)(原作:呪術廻戦)

ある日、▼異▼常▼猿▼愛▼者▼のマネモブ花沢喜一は田舎道を歩いているとゴリラに突然襲われて、(なにっ)この世から消えるっしてしまった。そして目覚めたら呪術廻戦の世界に転生していたんだよね猿くない?▼ ムフフフ見て見てタフ坊描いたのん{IMG203881}▼ 禁断のタフ坊"二度打ち"▼ https://img.syosetu.org/img…


総合評価:1139/評価:7.96/連載:56話/更新日時:2025年02月08日(土) 21:07 小説情報

新運命「愚弄」の行人「マネモブ」(作者:異常猿愛者)(原作:崩壊:スターレイル)

覚悟してください 猿展開を撃ち込みますッ▼ヒィエエエ オンパロスに乗り込む黙示録の四騎士だあ▼【挿絵表示】▼


総合評価:656/評価:8.48/連載:71話/更新日時:2026年01月31日(土) 12:00 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>