フオリエ・ナスコシテ   作:カズあっと

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69話 白の劇場、静かな観客。

 

 変わらぬ眩い陽射しの下、サラサラと揺れるは緑の葉。

 瑠璃の石畳。美しき、白の港街。

 

 日傘を差した淑女が歩んだ。背中に老婆を従えて。

 彼女が纏うは黒。服喪を示す寡婦の色。

 淑女の習いとして、踵を鳴らして歩む。

 

「危なか」

 

 よろめいた身体。だが転ぶ事はない。

 

「ありがとう」

 

 立ち止まった淑女は老婆により支えられ、一言の礼を告げた。

 道が、悪い。瑠璃色の石畳には亀裂が走り、所々が陥没している。黒雲煤けた焦げ跡も残されていた。

 高い踵で歩くには少々厳しいものがあり、先日の地震――霊獣顕現による爪痕を物語っていた。

 

「ほーれ! 気張らんとね!」

「ウーノ! ドゥエ! トレ!」

 

 威勢の良い声がする。

 トラーパニ市領主代行であり、キエッリーニの後家であるアウグスタ・ビアンカ=キエッリーニは、その掛け声の出所を目で追った。

 

 人々が、大きな瓦礫を運んでいる。

 焼け跡を片付けたらしき、空き地へ向けて。

 力仕事に励むのは、何も逞しい若者だけでない。

 肥えた中年や痩せた老人だって声を張り、汗を流している。

 

「ガキどもに、負けられるっとか!」

「老い先短い爺が、無理すんじゃねーよ! ポックリ行くぞ!」

 

 矍鑠とした嗄れ声が笑いを誘い、荒々しい声が応える。誰もが声を掛け合って、力を出していた。

 

「ほうれ! もう一丁!」

「ウーノ! ドゥエ! トレ!」

 

 嗄れた掛け声に、甲高い子供達の声。

 彼等も小さな瓦礫や、ゴミとなってしまった物を元気に運んでいる。

 

「ひぃ、ひぃ、ひぃ……」

 

 それでも体力自慢ばかりはなくて、へばってしまう者もいた。肉付きの良い若者が、膝をついている。

 

「休み休みでよか。一歩ずつ、少しずつで充分ばい」

 

 彼は、手を差し伸べようとしゃがんだ老人の手を振り払ってしまう。

 

「爺になんて、負けてられっかよ!」

 

 男の子には、意地がある。

 息子を持つアウグスタも、それをよく知っていた。

 

「ふはっ! 元気がよかね。ばってん……」

 

 皺だらけで、痩せこけて、髪も白い。

 けれども真っ黒に肌の焼けた老人は、カラカラと陽気に笑う。

 

「そろそろ一服しなよ! アンタたち!」

 

 大樽を抱えた女性がやって来る。

 

「待ってました!」

 

 またもや、歓声が響き渡った。

 

「休憩の時間ばい」

 

 その顔は悪戯小僧の様でもあって、再び若者へ手を差し伸べる。

 

「負けねーからな」

 

 若者は小さな老爺に手を引かれ、立ち上がった。

 

「こんな暑い日にゃ、こいつがうってつけだよ!」

 

 大樽を下ろした女性。彼女が栓を開けば、瑞々しい香りが漂う。

 樽の中身が冷たいセルツだと、アウグスタにはそれだけでわかった。

 

「儂ゃ、グラッパがよか」

「俺ぁ、エールがいいぜ」

 

 とぼけた事を言う男性陣の声に、苦笑してしまう。こんな暑い日の労働中に、お酒なんて――。

 

「ボケてんじゃないよっ! ぶっ倒れるよ!」

 

 こうやって、怒られるしかないのだから。

 

「クスッ」

 

 やはり、楽しくなってしまう。

 祭りの夜と同じ様な感触が、胸の奥に響いた。

 

「お館様も、こげん時はよう来なさったのう」

 

 お祖父様。その騎士だったのだろう誰かの声が聞こえてくる。

 

「キエッリーニの男衆は、よう働きおるわ。若も朝から……」

 

 朝から出ていたオルトも、皆と同じ様に汗を流しているのかもしれない。

 アウグスタは空を仰ぎ見る。晴れ渡った青空に、白く眩く輝く真円。お日様だ。

 

「俺は先代と荷車を運んだぜ!」

 

 夫か、義父か。懐かしき日々を知る声も。

 港には夫がいて、先代夫婦がいて。両親や兄達と笑いあっていて。

 

「アタシだって、お館様にはお前は気が利くんだなって、褒められたよっ!」

 

 あの人かもしれないし。祖父なのかもしれない。

 

「ふふっ……」

 

 屋敷では、義姉と祖父がアントニオと共にいて。

 一緒に、皆の帰りを待っていた幸せなあの日々が胸に過った。

 

「そういや朝は若と一緒に、倒木を引っこ抜いたな」

 

 あの子はもう、抱かれて眠る子供じゃない。

 

「アタシも、ルカ様と一緒にゴミ捨てした!」

 

 眩いものに、目を細めていた。

 

 キエッリーニの男衆達が、大好きだった街。

 ルカは、女の子だけれども。

 

「うふっ」

 

 もう失われたもの。過ぎ去ってしまった残照。

 賑やかな笑い声が、荒れ果てた瓦礫の中で響いた。

 陽は照り返し、潮風は強く吹く。

 

 彼等は立ち上がる。

 例え炎に巻かれようとも、津波に浚われようとも。

 

 ——私達は、前を向く。

 

 怒りに身を焦がそうとも、悲しみに沈もうとも。

 

「ウーノ! ドゥエ! トレ!」

 

 再び響き渡った、威勢の良い号令。

 一つ、二つ、三つ。

 単調な旋律が、そこかしこで重なった。

 

 その逞しさ、陽気さこそが、トラーパニ。 白い海辺の港街。

 かつては夫が、そして家族が。そして彼女自身が。

 今も変わらず愛する、故郷であった。

 

「足ば、止まっとーよ」

「あら、失礼」

 

 クスクスと笑ってしまったアウグスタ。婆やが水筒を取り出した。

 

「よか。飲みなっせ」

 

 炎天下での水分補給に、こうして用意してくれたものだった。

 渡されたグラスへ、口付ける喪服の淑女であった。

 

 崩落した道路や塀、倒壊や、焼けた建物。そんな荒れ果てた周囲で、誰もが笑い合っている。

 口の中に広がる刺激と酸味。そして、ほんのりと甘く薫るもの。

 

 夏のシシリアには欠かせない飲料。セルツをコクリと飲み下す。喉元を過ぎる刺激と微かな柑橘の香り。

 

「はい、婆やもどうぞ」

 

 アウグスタも「収納」の術式から取り出したグラスへ、持参していたセルツを注いだ。

 

「ふん……」

 

 鼻を鳴らした婆やだが、素直に受け取った。

 

「さて。私達も自分の仕事を片付けないとね」

 

 行政府へと向かうのは、復興の為である。

 度重なる津波の被害から、一刻も早く立ち直らなくてはならない。

 

 霊核市場の混乱、不均衡な取引の跋扈。

 強大な武具の流通に、市民の暴発。

 まだまだこれからも、取り組むべき課題があった。

 

「行きますよ、婆や。私達らしく、一つずつ、少しずつ。積み重ねていきましょう」

 

 この十四年間、続けてきた事である。

 理と利によって。

 今更、止める理由はない。

 

 アウグスタは再び踵を鳴らし、トラーパニ行政府へと向かった。

 

 

 

「どうぞ、奥方様」

 

 案内の行政職員に導かれ、婆やを伴ったアウグスタは、傍聴席の端へ腰掛ける。

 空調の効いた広い室内は、ざわめいている。

 

 ——トラーパニ行政府、本会議場。

 

 ざわめきは小さなものでなく、荘厳に彫られた長椅子に座を定めた議員達の討論は、白熱していた。

 

「異議ありっ! この短期間での二度に渡る大禍。その被害額は、決して無視出来るものではない!」

 

 恰幅の良い、押し出しの効く男性。彼は確か、倉庫業派閥に属している。

 

「だからこそだ! その場凌ぎの補償では、労働者の生活などすぐに立ち行かなくなるぞ!」

 

 反論するのは、人材斡旋業者の派閥。彼は痩せていて、眼鏡を拭いながらも叫んだ。

 

 天井の大窓の下、光差す「劇場」に、議員達の声が響く。それぞれの主張、それぞれの意見。

 己が正義をぶつけあい、議会という意思決定機関において、主導を握らんとする議員達。

 

 彼等は選挙により選ばれし者。

 支持者に支持団体、支持組織。

 良縁奇縁の区別なく、市民という、様々な土台の上に立っている。

 

 彼等は一面において、利益代表者でもあった。

 そして議会は、利害調整の舞台でもある。

 あちらを立てれば、こちらが立たず。

 意思決定というものは、とかく難しい。

 

「見舞いとしての一時金支給からの、公共工事などが無難な落とし所かと存じますが」

 

 挙手をして、立ち上がったスラリとした女性。以前夜会にも来ていた、双翼派の若手議員であった。

 髪は結えているものの、化粧は以前の地味なものでなく、人目を惹くものとなっている。

 眼鏡もやめていた。

 

「財源はどうする!? また寄付金に頼るのか? 今は富商達の多くも『特別事例における、利益の遡及的回収』により、余裕がありはせんぞ!」

 

 挙手をして立ち上がるのもまた、若手議員。彼は確か、幾つかの商社が支持基盤になっている。

 彼等の状況を思えば、当然の主張であった。

 

 議会は紛糾していた。

 これではアウグスタが先程提出した復旧計画案も、どれ程の助けとなるかもわからない。

 

 アウグスタ起案の計画において、財源の多くは行政府に移管したばかりである「霊核輸出事業」の清算が前提となっていた。

 

「お隣、失礼しても良ろしいですかな。シニョーラ」

 

 舞台を眺める観客となったアウグスタへ、頭上から声が掛けられる。

 顔を上げれば、年老いた紳士がいた。高齢な婆やよりも、更に深い皺が刻まれている。

 

「どうぞ、シニョーレ。こんな小娘の隣でよければ」

 

 背は高い。けれど身体は萎びていて枯れている。

 だが瞳は強く輝いて、生気が溢れていた。

 それはまるで、最晩年の祖父の貌にも似ていて。

 

「いつもの事ながら、紛糾しておりますな」

 

 落ち着いた口調へ、アウグスタは頷いた。お互いに視線を向ける事はない。共に舞台を観劇している。

 

「一時的に助力を仰いで……」

 

 やはり問題となるのは財源だった。国からの資金援助もすぐにとはいかず、今、回せる資金も限られる。

 

「これ以上、借りを作っては堪らん」

「ふざけんな! 甘い事言ってると抑えきれんぞ!」

 

 利害と感情は乖離されぬもの。だからこそ時に、理よりも情が優先された。

 

「商人が離れては、トラーパニに未来はない」

「かといって、優遇をしても不満が溜まるぞ」

 

 そして利と欲も、離れられるものでない。

 

「私達に、今出来る事を探しましょう」

「災害支援の名目で、市外からも資金を募るか」

 

 情報の拡散には時間が掛かった。

 交信という手段はあれど、その場の状況を広く伝えるのには時間も手間も必要となる。

 

「金がないから、何も出来ぬでは商人とは呼べん」

「なんとかなりますよ。私達は、これまでもそうしてきたのですし」

 

 段々と落とし所、それぞれが痛みを飲み込んで、それでも手を取り合う道を模索していく。

 アウグスタはその姿を静かに見守った。

 

「……正しさは、一つじゃなか」

 

 小さく呟かれた言葉。絞り出された様な声。

 領主代行は、その出所を探さない。

 ただ僅かに、顎を上げる。

 

「紅き炎に魅せられた、後悔はない」

 

 言葉は強いものだった。

 だがその内側から漏れ出すのは、告解にも似た弱いもの。それは何も知らずとも、感じ取れるもの。

 

 ——きっと彼は。

 

 アウグスタは立ち上がる。

 

「ごきげんよう、シニョーリ。いずれ、また」

 

 淑女の礼を、生き残った古老へと贈った。

 

「ああ。それぞれの道が、いずれ交わる事を祈って」

 

 喪服の領主代行はトラーパニ大会議場を後にする。

 隣の老婆へ微笑んで。

 

「ねぇ、婆や。昨日、あの子達にね、美味しい焼き菓子のお店を教えて貰ったの。場所は入り組んでいるけど、確か……」

 

 賑やかな女の子達は力強い。きっとルカを探して、今日も遊んでいるのだろう。

 トラーパニの母だって、ささやかな欲望はあった。

 

「……しょんなかね」

 

 彼女は乳母からの了承に、唇を綻ばせている。

 

 

 

 橙に染まる街並み。潮風はもう、熱を失っていた。

 行政府からの帰り道。

 四番通りの外れを歩くアウグスタの腕には、大きな包みがある。

 

 可愛らしい包み紙越しにも香ばしい匂いが伝わってきていて、思わず頬が緩んだ。

 

「年甲斐もなく、浮かれとるばい」

「良いじゃない。リナもルカも、喜ぶわ」

 

 婆やの呆れ声にも、気にせず言い返す。

 首を振った際、通りに残る傷跡が見えた。

 決して小さくはない、窪みに焦げ跡。

 

「貸しなっせ」

「嫌よ。たまには、良いじゃない」

 

 繰り返される災害や、社会不安。日々解決すべき問題は残されてゆく。それでも——。

 

「今日も、良い一日だったわね」

 

 積み重ねてきた、いつもの一日。

 路地を曲がる。茜差す、静かな白の道。

 

 ——ドサ。

 

 軽い音がする。

 

「婆や?」

 

 潮風が、止まった。

 

 

 




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