フオリエ・ナスコシテ   作:カズあっと

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 視点なんかを微修正。


7話 朝の問いと赤き牙。

 

 夢の名残りの静謐は、胸の奥に置きざりにされていた。耳に残るのは大きな唸り声でなく、ふとした寝息。

 アウグスタは胸の上の重みを感じ、ゆっくりと瞼を開く。顔を埋めて眠る、ルカとリナの頭があった。

 先ほどまで耳に残っていた剣戟の響きは消え、代わりに小さな寝息が揺れている。

 その暖かな体温は重くとも、凍えた心に柔らかなものを流していった。

 

 遠目には、高鼾を掻くオルト。親子といえども、婦女の間で野放図に寝転ぶのは無神経だ。ちょっとうるさい。

 

「おはようございます、奥方様」

 

 短い言葉だけを残し、婆やは静かに部屋を後にした。

 

「フィオナ、狸寝入りは結構よ」

「でも、二人を起こしちゃ可哀想ですし」

 

 もう一度小さく囁けば、返ってくるのは小さな呟き。優しい子だ、とアウグスタは思う。

 静かに起き上がったフィオナは抜き足、差し足、忍び足で窓辺へ立ち、帳を払った。朝は劇の幕開けのように、光を投げ込んできた。

 

 その明るさにアウグスタは瞳を眇める。胸の上で、小さな呻きが漏れた。少しくすぐったい。

 

「こーらっ! 寝坊助たち! 元気に起きるよ!」

 

 快活な声に、二人は跳ね起きる。ルカはスッと姿勢を正し、リナは欠伸をする。二人が瞳を擦る間、フィオナが悪戯っぽく笑うのが見えた。

 

「おはようございます」

 

 朝の挨拶は決まっている。四つの声が揃った。オルトだけが、まるで熊のように鼾をかいていた。

 

 帳を払った窓からの光が差し、寝ぼけ眼のオルトもようやく身を起こす。

 リナが欠伸混じりに「お腹が空いたわ」と呟けば、戻って来ていた婆やが苦笑して「早う身支度をしとっとね」と促した。

 そうして、一同は身を整え、ほどなく食卓に集った。

 

 やがて和やかな朝食の時間は終わりへと近づく。食事を終えると茶の時間となるのが習慣だった。

 

 ——子らに問いを投げるなら、今しかない。

 

 そう思ったアウグスタは、恵みと主へ感謝の祈りを捧げ、息子らを見渡した。

 

「さて。昨日より、このパンは少し高くなった。なぜだと思う?」

 

 団欒の空気の上に、ふっと緊張を垂らすような問いだった。三人と一人の視線が一斉に集まる。

 オルトは眉をひそめ、ルカは考え込み、リナは肘をついて顎を撫でるようにしてから、軽く笑った。

 

「商人がぼったくってんじゃねーの」

 

 オルトは鼻を鳴らし、わざとらしく肩をすくめてみせる。

 

「市場には投機もある。買い控えも起こる」

 

 ルカは指先で卓を叩きながら、理屈を探すように見えた。

 

「考えすぎじゃない?」

 

 リナは腕を組み、お姉ちゃんらしい顔で言い切った。もっとも、それは子供の答えであった。

 三者三様の答えに、フィオナが小さく息をつく。

 

「戦乱や税も、理由になるかもしれません」

 

 アウグスタは静かに頷いた。

 

「どれも正しい。だが、一つだけ言えることがある。——民が飢えれば、治安は乱れる」

 

 言葉に重みが宿り、卓を囲む空気が静かに張りつめる。

 

「では、食えなくなった民はどう動く?」

 

 リナが顔を上げた。けれど声を出すより早く、オルトが拳を握って怒鳴る。

 

「暴れる奴はぶっ殺しちまえっ!」

 

 その答えに、アウグスタの眼差しが冷たく落ちた。

 

「領主の口から軽々しく吐いてよい言葉ではありません。あなたが背負うのは剣ではなく、領民の命です」

 

 一瞬、食卓が凍る。オルトは唇を噛み、拳を膝に叩きつけるように握りしめた。しかし次の瞬間、アウグスタはふっと柔らかく微笑んだ。

 

「……けれど、あなたは『トラーパニの大熊』の息子。出来ぬ道理はありません」

 

 冗談めかした表情と言葉に、周囲はわずかに和んだ。だが、オルトだけは真顔のまま、胸に刺さった重みを抱え込んでいるようだった。

 

 沈黙を破るように、アウグスタは再び問いを投げかける。

 

「では、その混乱に付け入る者がいたら?」

 

 息を呑んだ三人とは裏腹に、フィオナとの視線が結ばれた。

 

「敵だ。それは、倒さなくてはならない相手だ」

 

 オルトが告げる。

 

「……一番恐ろしいのは、混乱の裏で利を得る者たちがいる事です」

 

 ルカが小声で応じた。

 

「そんなに暇人はいないと思うけど」

 

 リナの声に、まるで危機感は感じられない。

 その時、フィオナがきっぱりと口を挟んだ。

 

「必ずいます。弱り、迷い、分かれたところに忍び寄る者が」

 

 アウグスタの瞳が静かに細められる。

 

「そうだ。敵は待っている。私たちがよろめく、その時を。——赤い獅子は、そのために牙を研いでいる」

 

 三人の子どもと一人の少女が息を呑む。母の言葉に重なるのは、領主としての宣告だった。

 

「だからこそ、私たちは選ばねばならない。力でなく、恐れでなく——我らの正義を」

 

 アウグスタは子らの顔を一人ひとり見渡した。言葉に満足したわけではない。けれども、若さや幼さの奥に、それぞれ違う資質が確かに芽吹いているのを見ていた。

 

 重苦しい空気を切り裂くように、アウグスタが静かに口を開いた。

 

「さて。——オルト、フィオナ。後で執務室へ来なさい」

 

 呼ばれたのは二人だけだった。ルカもリナも、名前を告げていない。

 

 アウグスタは一拍置いて、淡々と付け加えた。

 

「来なくても構わない」

 

 強制ではない。だが、その一言は逃げ道のない響きを持っていた。

 

 オルトは姿勢を正し、眉をわずかに寄せる。

 小さく肩を動かす仕草に、息子なりの覚悟の色が見えた。

 フィオナは小さく吐息を漏らし、肩を落とす。それでも背筋を伸ばし、静かに頷き返した。

 

「オルトも忙しくなるし……ルカ様、一緒に遊んであげるね」

 

 リナは安堵めいた笑みを浮かべながらも、どこか拗ねた響きが混じる。無言の二人をよそに、彼女なりの慰めを差し伸べるようだった。

 

 膝元で小さな拳を握り締めるルカ。その姿勢からも、微かな緊張が伝わってくる。

 

 子どもたちが席を立ち、広間は静寂を取り戻した。控えていた婆やが、アウグスタの横顔をうかがいながら声を落として尋ねる。

 

「よろしかと、奥方様。あん二人だけで……」

 

 婆やの声音には、咎めよりも案じる色が濃い。

 アウグスタは答えず、杯に指をかけただけだった。

 領主としては沈黙が答えになる。だが母としては、胸の奥にしんと空洞が広がる。

 

「……やっぱり、選びよんなはる」

 

 婆やは小さく嘆息し、苦笑を浮かべた。

 

「素直に子らを抱き締めりゃよかとに。まったく、不器用なお方ですばい」

 

 アウグスタはわずかに目を伏せた。心を読まれた気がして。

 けれどすぐに顔を上げ、いつもの冷静な口調に戻る。

 

「それはそうと——婆や、頼みたいことがあります」

 

 婆やは眉を寄せる。短い沈黙の後、苦笑を浮かべた。

 アウグスタは衣の内から小さな封書を取り出し、そっと婆やの手のひらに置いた。封蝋には家紋が押され、硬く閉じられていた。

 

「シシリアの二大貴族へ、使者を立ててほしいの。霊核の供給について、協力を仰ぎたい」

 

 言葉は低く、確固としていた。王都へ大量に流すべき霊核——政治的には不可欠だが、短期的な損失(赤字)を生む供給を続けるには、外部の後ろ盾が必要だ。市場を安定させ、混乱を防ぐために、あえて割を食う道を選ぶ。

 

 婆やは封書を指先で確かめ、唇を震わせるように呟いた。訛り混じりの声が廊に小さく響く。

 

「……やれやれ、そう来なさりなさっと。追及ば避けるとは、見事なことばい」

 

 ぼやきながら封書を懐に押し込み、短く唇を噛む。

 

「承知しました。引き受けますばい」

 

 膝を抜くと、身を翻す。廊に響く軽い音。

 小さな背が石畳を走る音は、この屋敷の中で嚆矢となる。

 廊の先へ消えるその背を、アウグスタは一瞬だけ目で追う。

 胸に揺らぎが走るが、領主としての顔がそれをすぐに押しとどめた。

 

 執務室。

 整えられた帳簿と地図の上に、アウグスタの冷ややかな視線が落ちる。呼ばれた二人——オルトとフィオナは並び立ち、それぞれに領主の言葉を待っていた。

 

「オルト。お前には冒険者組合へ出向き、有志を募ってもらう。義勇兵や冒険者たちを集め、状況を取りまとめなさい」

 

「……了解だ」

 

 オルトは胸を張って応じる。だがその顔は、どこか軽さを帯びていた。冒険者として、自由気ままに過ごしてきた息子にとって、それは責務というより遊びに近いもののように映る。

 

 アウグスタの視線はすぐ隣へ移った。

 

「フィオナ。お前は霊核の輸送を一手に担いなさい。王都までの供給路を確立し、記録と帳簿も全て取りまとめるのです」

 

「……承知、しました」

 

 返事は短く、声は静か。だが両手は書類の束を抱えるように強く握られていた。

 アウグスタはその握り方を見て、彼女が重圧を感じていることを理解する。しかし、領主としての判断は揺るがない。

 

 霊核を王都へ流すことは不可欠であり、短期的に赤字を出す覚悟も必要だ。

 しかも輸送だけでなく、文官業務の大半も背負わせねばならない。市場への流通調整、記録、計算、官吏との交渉。

 市場を安定させ、混乱を防ぐため、あえて重荷を背負わせる道を選んでいる。

 

 フィオナの唇から洩れる音を聴く。

 

「荷が重すぎます……」

 

 小声で吐き出された言葉を、アウグスタは聞き流す。逃がすつもりはない。それを察せぬフィオナではないだろう。

 

 命令は伝えた。後は彼女がどう動くかだ。

 

 扉を開けて出る二人の背を見送りながら、アウグスタの冷静な視線は揺らがない。

 オルトの高揚した顔も、フィオナの虚ろな眼差しも、領主の目には確かに映っている。

 だが感情に流されることはない。重さを背負うのは彼女自身——それを知って、覚悟を決めるのもまた、彼女の仕事だ。

 

 

 フィオナは無意識に小さく息をついた。束の間の慰めを求めるように、目を伏せ、足を廊下の先へ進める。

 共に扉を出たオルトは、どこか高揚した顔をしている。

 

「よし、任されたからには腕を振るってやる。冒険者組合くらい、俺に任せとけ」

 

 自信満々に歩いて行く背を見送り、フィオナは虚ろな目をしていた。荷も、衣も、手続きも何も考えずに動くオルト。だから結局、周囲が全てを整えねばならない現実がある。

 

 婆やも今は不在。残るのは自分だけ。膨れあがる帳簿と、終わりのない段取り。理知的な才女を気取っていたはずなのに、今はただ癒しを探して彷徨うだけの心地だった。

 

「少しだけ……」

 

 小さく呟き、フィオナはふらりと足を運ぶ。執務室を後にし、廊下を進む。光と影が揺れる床を踏みながら、自然と視線は前方の気配へ向かう。

 

 ——執務室の扉の前。

 

 ルカは扉から少し離れた壁に背を預け、耳を澄ませていた。中から洩れる声を拾おうとする。足音が近づく気配を察し、そっと離れた。

 

 疲れ切った表情のフィオナがふらつきながら出て来る。抱え込む帳簿の束と、どこか虚ろな眼差し。心の拠り所を求めているのが見て取れる。

 気づかれる前に、とルカは無言で踵を返した。

 

 オルトは冒険者組合へ向かうはずだ。ならば、そこで待てばいい。そう判断したルカは廊下を抜け、庭を横切り、正門へと急いだ。

 

 だが石畳の前に立つ影が進路を阻む。鎧のきしむ音が低く響いた。

 

「お止まりください、ルカ様」

 

 門を守るキエッリーニの騎士だった。口調は丁寧。しかしそれは「人」と認めてのものではない。

 

 ルカはまだ十二歳。貴族子弟が正式に社会へ出る誓いの儀(ジャメンタ)を済ませるか、あるいは冒険者登録を果たすまでは、成人としての権利は与えられない。名に庇護を誓われる前の子は、半ば家畜のように扱われる。それを理解しているからこそ、騎士の視線は絶対だった。

 

 ルカは唇を固く結び、ただ黙って引き返すしかなかった。

 

 その背を、軽やかな足音が追い抜いていく。

 

 リナだった。外出用の薄衣をまとい、髪を結い上げ、祭りにでも出かけるかのような悠然たる姿。ルカの視線は思わず吸い寄せられる。自分には許されぬ自由を纏う姿に。

 

 気づいたリナが振り返り、微笑を浮かべた。

 

「……ルカ様。そんなに見つめられては、捕まえたくなってしまいます」

 

 言葉と同時に腕を取られ、ルカは抵抗する間もなく立ち止められた。

 

「お気持ちはわかります。羨ましいのでしょう」

 

 囁く声音には茶目っ気がある。だが、その奥には優しさが滲んでいた。

 

「でしたら——ご一緒いたしましょうか。オルト様がお出かけになるのでしょう? 少しくらい寄り道をしても、きっと罰は当たりません」

 

 ルカは無言のまま視線を逸らす。否定も肯定もせず。だが、リナの手に引かれるまま、門へと歩みを進めていた。

 

 門番が再び立ちふさがる。けれど、リナは胸を張り、柔らかな笑みを浮かべて告げる。

 

「ご安心くださいませ。この方は私がお守りいたします。……どうぞ」

 

 その一言に、騎士は逡巡の末、道を譲った。

 

「……承知しました。リナ様がおられるなら」

 

 やがて大扉が開かれる。

 

 出てきたのは、背に何も背負わぬオルト。胸を張り、快活に歩き出す。準備など一切なく。

 

 その後ろを、いくつもの包みを抱えたフィオナが追う。旅支度を背負わされた肩は重く、目は虚ろ。

 癒しを求めていた心は報われず、全てを引き受けるしかない現実に、彼女の瞳は死んだ魚のように濁っていた。

 

 一行の背を、奥の窓からアウグスタが見つめていた。

 傍らに婆やの姿はない。母としての寂しさが胸に募る。

 それでも表には出さず、ただ静かに瞼を閉じた。

 

 窓の外に消えていく背に、愛しさが込み上げる。だがそれを押し殺すのもまた、領主の務めだった。

 

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