繰り返し、響き渡る警報。
繰り返す。四番街二丁目六番地路地裏にて——。
「オルトっ! ルカっ! リナっ!」
無機質な情報を切り裂いての呼び声。最初に反応したのはフィオナであった。
「行きなさい!」
その唇から、たった一つのオルディネが叫ばれる。
「お、おう! ——ぐぇっ」
「違うっ!」
つい反射的に膝を撓めたオルトだが、襟首を掴まれてしまっていた。
「怪我人がいるなら、リナがいる。ルカも、わかってるわね?」
口早に捲し立てるフィオナ。トンという、軽い音。
「おまっ! ルカ、何やって——」
オルトの首筋まで駆け上ってきたルカが、首へと足を絡めていた。サマードレスの下、剥き出しの太腿が頸部へと絡みついている。
「ぐえっ」
その太腿が、締められた。オルトの喉は詰まり、間抜けな声が出てしまう。
「ルカ、任せたわ。屋敷は任せて」
「お願い、フィオナ姉様」
フィオナとルカ、金の髪と銀の髪。二人の少女が頷きあっていた。
だが、オルトには何が何だかわからない。リナも目を見開いて、呆然としていた。
「オルトは鈍間。さっさとリナお姉様を抱える」
ルカからの冷たい声が降り掛かる。頭上から。
オルトの現在の姿勢は、ルカを肩車している形に近い。手は空いていて、首に白く華奢な脚が巻き付いていた。
「抱えるって、何でだよ……」
二人が何を言っているのか、オルトにはさっぱり分からない。見下ろしてみれば隣のリナも、何が何だかわからない。そんな顔をしていた。
「リナっ!」
叫んだのは、ルカである。弾かれる様に跳ねた、リナの背中があった。
「ほらオルト、急いで。リナを抱えて」
頷いたフィオナから、指示される。
侍女達の悲鳴と共に、ドタバタとした足音が聞こえて来ていた。
「お、おう」
その音を聞きながら、オルトはリナを俵の様に抱えようとする。肩に担ごうとしたのだが、ルカの足が非常に邪魔だった。
「違う、お姫様抱っこ。ちゃんと抱える」
成程と、胸の前で横抱きにしてみる。
「え? あ? 若様?」
リナの戸惑いに、オルトは黙って頷いた。
「空間は制御する。全力でいい」
「リナ、口は開かない事。舌を噛むわよ」
ルカはともかく、フィオナの指示は的確だ。
最初こそ、何を求められているのかさえ理解出来なかったオルトだが、今ならばわかる。
「フィオナ。面倒な仕事は任せたぜ」
この幼馴染が何を我慢して、取り得る最善を選んだのかも。
——なんだかんだで、コイツが一番母ちゃんに似てるんだよな。
そう、思ってしまったのは何故か。オルトにはわからない。
「はいはい。任されましたよっと。アンタは、現場に突っ込んで行く方がお似合いだしね」
ヒラヒラと手を振ったかと思えば、シッシッとされる。あっち行け、のハンドサイン。
礼儀作法やなんだのと口ではアレコレ言う癖に、意外と失礼なのが幼馴染で妹分であった。
「行くぜ」
「さっさと行く。口だけオルト」
頭の上のルカは無駄にうるさいが、問題もない。
腕の中のリナの顔は赤い。身体も固まったままだった。——ならば、その間に。
やる事は、単純だ。荷物を抱えて走るだけ。
僅かに腰を落とし、膝を撓める。両腕が塞がっていようが、脚力だけで、なんとでもなった。
「筋肉を、舐めんじゃねぇ!」
床が爆ぜる。
加速。
そして衝撃、破壊音。
「あーあ……」
残された者は、それだけを感じる。
オルトは色んな意味での壁をぶち破り、一直線に丘の下、四番街二丁目六番地へと向かった。
「知らないわよ。後で怒られても……」
オルトの背中を見送って、フィオナは頭を抱える。
壁に穴が空いている。
この様子なら、一直線で行くのだろう。そう彼女は推測していた。
集う、キエッリーニの侍女達。そしてトラーパニの娘達。
「はい、みんな。落ち着いて。夕食は後でになったから、その前にお使いを頼むわね」
どこかの脳筋とは大違いの、恭しき淑女の礼。
彼女達も、驚きはしなかった。
「まずは左官の職人さんと、副長を呼んで来てくれないかしら?」
幸いにして、丘の下までの最短距離では建造物がない。人様に、そう迷惑を掛ける事もないだろう。
もしも不幸があったならば、それはそれ。
「話を聞きたいし、なんだかんだで言いくるめておきたいからさ。たまには、よろしくね」
誰かさんみたいな台詞だと、思うフィオナだ。
だが母が不在なら、その穴を埋めるのが長姉の役目なのだろう。彼女には、そんな自負があった。
オルトは脚を動かし地を蹴って、前へと進む。
流れてゆく景色。
葉を舞い上げながら、倒れてゆく樹木。弾け飛ぶ、街道の石畳。
オルトは走る。
手を振らず、顎も上げはしない。
両手でリナを抱えているし、首はルカの足により、しっかりと固定されている。
とても、走り辛かった。
だが、そんな彼でも立ち止まる。
気持ちが逸ろうが、足を止めねばならない時はあるものだった。
「うっし。取り敢えずはここまでだ」
街中に入っている。日は暮れたといえど、多くの人が行き交う街に。
「ルカ、別に重くねーけど、邪魔くさいから降りろ」
「オルトは失礼」
トン、と。
ルカはオルトの後頭部を蹴って着地した。
腕の中を見る。固まったままのリナがいた。
目を見開いて、唇を引き結んでいる。
「下ろすぞ。立てるか?」
だが、そう声を掛ければ頷いて。
「あ、はい。お手数をおかけしました」
下してやると、リナは自らの足で立つ。
彼女はついでにトントンと、侍女服の埃を払った。
その視線は道の先を見ている。
街は騒然としていた。
——付近には重傷者三名。いずれも男性で、意識不明。救急隊は急行せよ。繰り返す——。
それもその筈、何せまだ警報が鳴っている。
「婆さんか。ウチの婆様は去年くたばっちまったが、そろそろ化けて出てきたか?」
道へ顔を出しているのは、八百屋の主人か。
「不謹慎なこと、お言いでないよ。避難とかじゃないんだし、片付けするよ! でも婆さん、無事だといいねぇ……」
おかみさんに叱られて、引っ張られてゆくのだが。
「ウチの人、帰ってないの! もしかしたら!」
「俺の息子もだ!」
白き街、瑠璃色の石畳。その上で、ひしめく人々。
押し合い、圧し合い、滑って転ぶ者がいる。
不安は焦りや恐怖を呼んで、無秩序を作り出していく。
警報の内容が直ちに避難を呼びかけるものでなくとも、不安があり、心配があった。
その気持ちはよくわかる。誰もが、同じ気持ちで来ているのだから。
「耳、塞いどけ」
オルトは妹分二人へ向けて命令し、大きく息を吸い込んだ。お兄ちゃん命令であった。
大通りは喧騒に満ちている。
悲鳴や怒号に哄笑、嘲笑。混沌とした感情が渦巻いて、駆けたり転けたりだ。
景気付けに自慢の大胸筋を震わせて、一拍の溜め。
そして——。
「鎮まれっ! 俺が、俺達が来たぞ!」
ただ、一喝。
夏の夜気、じとりとした空気を吹き飛ばすかの様に叫んだ。
時が止まる。
騒めきはより大きなものに塗り潰されて、一つの現象へと変化する。
それは、静寂。
人々は声を、動きを止めていた。だが、その視線だけは、自らを縛る者の元へ。
それは、オルト自身であった。
人を安心させる時、最も大切な事は感覚に訴える事だと、彼は知っている。
母の仕草や身のこなし、声や表情は、それが正しい事だと教えてくれていた。
それは日々により、学んできたもの。
だからこそ彼は、身体をやや前傾させ、首や肩の僧帽筋、三角筋、そして腕や胸の筋肉を最大限に収縮させる。
「この場は、任せろっ!」
魅せるのは、モストマスキュラー。
圧倒的な迫力と力強さを魅せる、「最も発達した筋肉」。
「何やってんのバカオルト。さっさと行くよ」
「若様の露出狂は、ちょっと気持ち悪いかな」
ルカとリナ。遠ざかってゆく二人の背中。
人々の合間をぬって、妹分達は先へ行く。
前を向き、目的へと向けて。
「わーってるって」
だから負けじと、オルトもまた駆け出した。
「婆やっ!」
ルカの誘導に従い指定番地の路地裏まで辿り着いたオルト達の中で、一番最初に横たえられた老婆へ駆け寄ったのはリナだった。
「我はここに集いたる——」
呼吸や鼓動を確認し、見診の術式からの治癒。癒師の鉄板とも言える、基本動作であった。
オルトから、その表情は見えない。
リナの震える背中と老婆の枯れ枝の様に痩せた身体だけが見えている。
それがキエッリーニの規律とも言える当主代行の乳母、婆やのものである事など、疑うまでもなかった。
けれども、オルトの「母ちゃん」であるアウグスタの姿は、どこにも見当たらないでいる。
ギシリと鳴った軋みが、歯の奥から聞こえていた。
「通報、ありがとうございます」
だがそれを上書きする様な、僅かな衣擦れの音。風の流れと共に、隣から響く高く澄んだ声。
確認するまでもない、ルカだった。
裾を摘んで頭を垂れる、優美な姿勢——淑女の礼。
従姉妹は頭を下げていた。
オルトもまた、頭を下げる。
「どうも、ありがとうございます」
その先には、尻餅をついた男性がいた。
中年太りが目立ち始めた、身なりの良いおっさんであった。街の自警団、護衛団内勤の制服であった。
オルト達が婆やへ直ぐに駆け寄らなかったのは、リナを信頼していた、だけではない。
彼の姿が見えていたからだ。今は口をパクパクと開け閉じしている。
足元に、緊急連絡用の術具。消耗品であるその残骸が落ちていた。
酷く、怯えてもいる。
震え、ガチガチと歯を鳴らすだけでなく、涙が滲んでおり、口の周りまで汚れていた。
——ジャリ。
石畳を踏んで、オルトが前に出る。
「ひっ、ひっ——」
立ち止まったオルトは頭を掻いた。
男性が首を横に振りながら、両手を振っているからだ。声にならない悲鳴は、引き攣ってもいる。
「すまん。怖がらせるつもりはないんだ。ただ、貴殿のおかげで俺達は大事な家族を失わずに来れた。ありがとうございます、護衛団員殿」
出来るだけ優しく穏やかに。再び頭を下げて、言葉を届ける。
その場凌ぎの感謝や、社交辞令などではなかった。
街の治安を維持する護衛団、その一人。彼のおかげで、こうして婆やだけでも見つけられていた。
「ち、違う!」
だが、彼が発したのは悲鳴であった。
その短い言葉さえ聞こえ取れたのは殆ど奇跡の様な偶然に過ぎない。オルトは眉を顰める。
——この錯乱ぶり、どう見ても普通じゃねぇ。
そう考えた所で護衛団員が上下に振る腕の、その指先へと視線が止まった。
背中側。反対方向の曲がり角。
その先を彼は指してた。
オルトはそちらへ顔を向けてゆく。
横目には、同じく振り返ろうとするルカの頭が見えていた。
海からは、嗅ぎ慣れた生温い潮風が吹いている。
生臭い磯と、錆びた鉄を思い出させる故郷の風。
風向きが、変わる——。
「チッ」
嗅ぎ慣れた臭い。
「ごめん。——気付かなかった」
ルカが進む。
「俺もだよ。こんな濃いもんに気付かねーなんてな」
オルトも進んだ。彼女の元へ。婆やにしがみつき、治癒を唱え続けるリナへ。
「えっ? ……オルト、邪魔しないで」
そして彼女の身体を抱え上げていた。
睨まれた所で、引く気はなかった。だから一つだけ言ってやる。
「行くぜ」
あの、臭いの元へ。
潮風とはまた違う生臭さ。その臭いが強くなる。
先からは、小さな物音が絶えず聴こえてきていた。
「これは……」
リナの声。その顔を覗き込む。
「離して」
その表情は、既に落ち着きを取り戻していた。
臭いで察したか、はたまた流れる祈りにより想像したか。
それは別に、どちらでも良い事だった。
既にリナの唇は、言葉を紡ぎ出している。
丁寧に、彼女の身体を下ろしてやった。
「任せた」
返事はない。リナの背中も既に消えていた。目的地は曲がり角の少し先にある。
「チッ」
舌打ちが漏れていた。
浅慮、短慮、鈍間。その通りだと、オルトも思う。
今更ながらに自分のバカさ加減にも、怒りが湧いていた。
聴こえていたのはリナの声でない、けれども同じ言葉。抑揚さえも同じもの。
やたら耳に残るのは、ルカによる詠唱だった。
大きく息を吸い、切り替える。
そうでもしなければ、やってられやしない。そしてオルトも角を曲がった。
視界に広がる光景は予想したよりも、遥かに酷いものだった。
血溜まりの中で男が一人、倒れている。
しゃがみ込み、治療を施すリナがいて、いつも冷静なルカにしては珍しく、手に持つ物体とリナ、そして男の間で、視線を激しく行き来させている。
「……生命は?」
知った、顔だった。何度か稽古を付けて貰っていた壮年の騎士だった。
——もうじき十になる息子がいてよ。よく稽古を付けてやるからな。カミさんには内緒でな!
そう笑っていた、気さくなおっさんだった。
「ある。でも——」
血溜まり自体はそう広いものではない。点々としてもいた。僅かな勾配により、薄く広がった血溜まり。
鍛えられた騎士の生命力ならば、致命的とは言えないだろう。
オルトもそう、直感はしている。
リナからも、最悪の事態だけは避けられたという診断が下っていた。
それだけは確かな事実であると告げる様に、仰向けにされた騎士の胸は、確かに上下している。
「ううん。ルカ、貸して」
だが、リナの声に安堵はない。
そしてそれは黙ったままのルカにも。固まったままのルカから、リナは「ソレ」をひったくる。
リナは「ソレ」を騎士の肘へと押し当てた。
「ソレ」は「腕」。右の、肘から先である。捩じ切られた様に別たれた二つの傷口からは、まだ黒い血が滴ったままでいる。
「我はここに集いたる——」
治癒の詠唱。オルトにもルカにも使えない、生命を繋ぎ止め、傷や病を癒す秘蹟にも似た技術——術式。
柔らかな光が見える。先程までは騎士の左膝で輝いていた、光であった。
別たれた二つは再び一つとなって、血も止まる。
騎士は目を開かない。変わらず胸は上下していた。
「次、どこ?」
リナが再び立ち上がる。患者の身体はそのままに。
コーディチェ・ロッソ。識別名赤は、少なくともまだ二人いる。
「こっちだ」
二人目の騎士も、酷い傷だった。また知った顔。その両腕もまた、捩じ切られている。
一人目と同じく、剣などの刃物でなく、牙や爪などの凶器でさえない方法で。
そしてやはり、意識はなかった。だが、生きてはいる。肩に担いだ騎士には、呼吸も鼓動もあった。
「もう一人で、終わりだよね?」
脂汗を額に浮かべたリナが言う。切断された腕を維ぎ直したばかりの彼女は、もう立ち上がっていた。
「こっち。少し距離がある」
そして立ち上がっているのはリナだけでない。
ルカもまた、自分の足で立っている。
二人の背中からはやや遅れ、騎士を担いだオルトもまた、歩き出していた。
「お、おいっ!」
思わず叫び掛けたオルトは、肩に担いだ騎士を取り落とし掛けた。
また別の、少し離れた路地裏にソイツがいた。
「怪我人は丁寧に扱いなさい」
「あ、ああ……」
俯いて、顔を下げた頭に見えるのは、金に近い茶の髪色。男の癖に長く、良く手入れされている。
良く知ったものだった。
石壁に背中をもたれ掛け、膝を投げ出す様に座ったままの優男。
「リナ姉様」
「大丈夫。——あった。ルカ、片方をお願い」
リナが言えば、ルカは素早くソレを拾い集める。
そしてリナも拾い上げたソレ——右の膝から下を、若い騎士の膝へと押し当てる。
再びの、詠唱。
変わらぬ願い、変わらぬ祈り。だが、その吐息は荒かった。
ルカが左脚を接ごうと位置を固定する。
リナの頭が揺れ、その身体をルカが支えた。
「姉様」
「大丈夫だって。あくまで応急処置だし。繋ぐよ」
紡がれるのは敬虔な祈りの言葉。
四番街二丁目にまで来て、もう何度、聴いたものだかさえもがわからない。
耳に残る詠唱が、都合の良いだけの優しい奇跡ではないと知っている。誰だって、知る事だった。
癒し手が、何を犠牲にしているか。
「おい、リナ……」
その先を、言ってやる事は出来なかった。
「素人が、口を挟まないで」
単純に、誰もが持つものでしかない。そして、有限のものだった。
他者の為に、己を削っているだけだ。
それを誰もが知るからこそ、癒士や医師。彼等は尊敬をされている。
治癒の光は優しくて。
だからこそ、眺める事しか出来ないオルトの胸は痛かった。
複雑な感情を持て余したまま、昔から良く知る優男の脚は繋がってゆく。
「……うっ」
男の声がする。痛みに呻くものにも近い、小さなものだった。
顔を上げた優男。まだ焦点の定まらぬ、鳶色の瞳。
——また、同じ所だぜ。
つい最近、そんな事を言っていたコイツ。
たった一年で、随分と強くなっちまった
「ぐぅ……」
意識を取り戻した代償か。痛覚への反応で、身体が大きく跳ねかける。
「大丈夫。怖くない、痛くない」
押さえつけ、リナが優しく囁いた。
「お兄様、ご安心ください」
ルカも彼の手を握る。柔らかい声だった。
やがて動きを止め、焦点の定まり始めた彼は——。
「おう、ハーレムぅ? もしや、ここが天国か?」
昔から変わらぬ軽薄な声で、宣った。
ツカツカと歩み寄る。
「バカ言ってんじゃねーよ。ど阿呆」
そして、彼の頭を叩いた。
「お、泣き虫オルト君じゃん。どうした? こんな所で酷い顔して。悪いんだけど、俺のハーレムパーティの邪魔なんかすんなよ」
いつもの軽口、いつもの軽薄、自称雰囲気イケメンな同級生。
「邪魔も何も、なぁ? ま。無様にお倒れになっていた自称技巧派君てばよ、何か、知ってっか?」
だったら、笑ってやらなきゃならない。
明るくて、どこか甘くて。割と何でも卒なく熟す癖して、負けず嫌いかコイツには。
「はぁ? ちょっとした昼寝だっつーの。まぁ、サボりのせいかもしれねーが、——すまん。わからん」
笑いながらの強がり。けれども最後の一瞬だけ、視線が交わった。
「おうおう、情けねーな。こっちは今、取り込み中なんだ。さっさといくぜ。——リナ、いいな?」
答えを貰う前に、優男の身体を担ぎ上げている。良く鍛えられた、傷付いた戦士の身体を。
「一旦引き返して、救急隊を待つ」
答えたのは、リナを支えたルカである。既にリナの顔色は悪く、その足元も覚束ない。
「なあ、オルト? 俺も支えられるなら、美少女が良いんだけど。あ、リナちゃんも疲れてるから、支え合い、励まし合っていっちゃう?」
あくまでも道化を演じる強さが羨ましくもあり、悲しくもあった。だからこそ、取り合わない。
ボケに突っ込みを入れてやれる程、オルトに優しさはなかった。
「さっさと行くぞ」
何せ、頭にも来ている。
能天気な振る舞いにではなく、自分に。
そして、そうさせた誰かに。
「……うん。四人纏めて容体を見ながら、治療を続けるよ」
二人を抱え、来た道を。
「よっしゃ、俺の治療も継続ね。俺が治ったら、デートでもしよーねー」
軽口が、耳に痛かった。
「オルトの友達は軽薄、お似合い」
「「友達なんかじゃねーって」」
ルカの容赦ない突っ込みに、二つの声が重なった。
——そういや、コイツとルカは入れ違いか。
そんな事まで、思い出してしまう。
「あのさ、オルト君。もっと丁寧に扱ってくれる? 俺、これでも怪我人なんだ」
軽薄、軟派、お調子者。昔から、変わらない。
「うっせ、喋んなよ。お前、ニンニク食ってんだろ。息がくせーんだわ」
だが魔銀にまで登り詰めた騎士が、そんな甘い奴である筈もない。黙らせるくらいなら、簡単ではあるにしろ。
「なぁ。お前の美人な母ちゃんは、元気か?」
そして、責任感の強いヤツだった。
「それを確かめなきゃ、ならなくなってな」
情報が、あまりにも足りなかった。それに、コイツらを放っておく訳にもいかないでいる。
何が起き、母ちゃんはどうなったのか。
それを確かめる為に、オルト達は引き返した。
今、俺に出来る事はない。
それを理解しているオルトは眠る婆やの手を取って、ただ成り行きを見ていた。
「はい。応急処置は施してあります。初期の見立てでは、頭部への衝撃による脳震盪。一名は意識を取り戻していますが、精密な検査が必要となります」
リナが救急隊への引き渡しを行なっているし。
「そう。警報から私達は駆けつけた。状況から、婆やの事じゃないかと思ったから」
ルカが官憲への説明をしている。
「その通り、我々の同胞でありましてな。こうして引き取りに来たものの……」
フィオナに言い付けられて来たらしき副長もいるので、大した問題もなかった。
「俺はいいから、先に先輩達とおっさんを運んでやれよ。リナちゃんの意外と大きいおっぱいと、ルカちゃんの慎ましいちっぱいを眺めて待ってるからさぁ」
隣で寝転んだバカは、相変わらずなままである。
ススっとルカがやって来てペシペシと額を叩いた。
「いやん! ルカちゃん激しい! もっと!」
無駄に悶えるので、ルカの力も入ろうというもの。
「あー、ルカ。そういうのはご褒美だから、やめとこうな」
「わかった」
ピシャん、ピシャんと鋭くなってきたので、止めてやっている。
ルカはまた、副長達の元へ戻っていった。
「ただ、大分時間も経過しております。腱や神経が繋がるかまでの保証は……」
それが治癒の、応急処置での限界だった。
傷を負った直後なら、強度の高い治癒でありさえすれば完治も近い。現に、以前クマに腕を喰われたオルトだって完治している。
だが時間が経ち、状態が固定化されると別だった。
再びの治癒や手術を行なって、少しずつ機能復元を試みてゆかなければならない。
医療も治癒も、万能の秘蹟ではなかった。
「あー、マジかぁ。まぁ、もし治らなかったら料理長にでも頼み込んで弟子入りすっかね。娘さん、良い感じの年増だし。確か、独身だったろ?」
何なんだコイツ。そう思うのは、間違っているのだろうか。取り敢えず、無視をしておく事とする。
「傷口の状態から見るに、関節破壊からの捩じ切り。多分、リナの見立て通りに気絶させた後、トドメを刺している。殺してないけど」
ルカも相変わらず物騒であった。官憲の皆様も少し引いている。可愛らしい顔をした女の子が、顔色一つ変えず人体破壊の解釈をしているのだ。
サマードレスのままでいる従姉妹は、本人による自己申告通りに随分と女の子である。見た目だけが。
「しっかし、どうしたものかね……」
オルトはモヤモヤとした気持ちを抱えたまま、婆やの手を握っている。
少し冷たくて、カサカサとしていた。
「オルト、こっちは済んだ。婆やも、病院で診てもらう事にするって」
リナと共にルカが来る。副長は、バカを運び出していた。
「若様、お婆様をお運びします」
「あ、じゃ俺が運ぶよ」
負傷者達を適切な場所へ。
情報を得られる事さえなく、状況が進んでいた。
オルトが婆やを抱え上げようと横抱きにすると、その瞬間——。
「……お嬢様っ!」
カッと瞳を見開き、婆やが叫んだ。
「「「婆や!?」」」
オルトも叫ぶ。ルカも、リナも。そして、目が合った。婆やの瞳が僅かに瞬き。
「……柳のジーノ」
苦渋とも悔恨とも、目的とも希望ともつかぬ一言を搾り出す。そして老婆は再び意識を失った。
「……野郎」
だが、それだけで充分だった。呟いたオルト。
繋がった、繋がっている。全てが。
「ぶっ殺す!」
叫んだのはルカだった。
「あ、待って!」
その背中が一瞬で見えなくなる。そして、走りだそうとするリナを。
「しゃーねー! 遅れて堪るか! 喋んなよ!」
抱え上げて、その小さな背中を追いかけた。
「後は、頼んだぜ!」
叫んだオルトはリナを抱えたままに、ルカへと並びかける。
「よぉ、母ちゃん子。行き先に当てがあんのかよ?」
「行政府迎賓館、客室」
オルトとも、同じ行き先だった。
走りながらも考える。暴走するルカをどう抑えようかとも、リナを帰さないといけないなとも。
夜闇の中。若者達の熱気を孕み、潮風が吹き荒ぶ。
朧な月明かりに照らされた港町トラーパニ。
領主代行の治める街は、そろそろ日付も変わろうとしている。
お読みいただきありがとうございます。