「ルカ様、はっやーい!」
ルカが加速して、オルトを引き離す。
「バカ! 喋んじゃねー! 舌噛むぞ!」
駆ける、駆ける、駆けてゆく。
ブチギレしたルカが、それを追ってゆくオルトが駆ける。
夜の闇を切り裂いて、一つの主従が駆けてゆく。
「吾輩はオマケである。名前はリナ」
抱えられたリナの自己確認。
「だから、喋んなって! あぶねーぞっ!」
意外と優しいオルトに抱き抱えられて、気分はとってもお姫様。
なんて事を思うはずもなく、リナは冷静にルカの背を目で追っていた。
トラーパニは起伏も激しく、つい先日地震に見舞われた事もあり、今の道は悪い。
瓦礫やらなんやらが、転がっている為だった。
ルカは巧みに躱しながら走ってゆくし、オルトは瓦礫もなんのその。弾き飛ばして駆けてゆく。
だが、その差は縮まらない。
身体能力は、オルトの方が遥かに上なのに。
「若様。私を置いてルカ様を捕まえて」
私を、抱えているせいだ。
そうだとリナは知っている。
本気でオルトが走ったら、リナの肉体では耐えられない。
そのせいで、暴走したままのルカを捕まえられないでいる。
だからこその提案であったのだが。
「いや、ルカだって立ち止まるし、大丈夫だろ」
「はい?」
何を言い出す脳筋が。リナは首を傾げる。
「ほら、迎賓館って守衛とかもいるし、ルカなら立ち止まって受付すんだろ? 夜中だけど」
なんという単細胞、なんという常識的な意見。
リナは激怒した。しかけてやめた。
ごく普通の返答であった為だった。
「確かに、ルカ様ならそのまま突撃はしないか。お、やっぱ立ち止まったねー」
ルカの小さな背中は、既に門前に到着している。
そして膝を撓め——。
飛んだ。
そして跳ねた。
門や街灯、離れの屋根。それらを伝ってゆくルカの身体は、最早迎賓館の屋根の上。
そこに立っている。
そして双剣を抜いていた。月光に、キラリと輝く銀光が。
「あ、あいつ……」
オルトの声は震えている。
——婦女を護りし、剣なれば。
そんな幻聴が、リナの脳裏に響いた。
リナは今度こそ激怒した。
ルカは煙突を探している。多分。
潜入と言えば、煙突か土管であった。
配管工になった孤児院の兄弟達も、よくそうやっている。プレゼント配りとか、近道とかで。
だがそれは——。
「ダメだよっ! それ半分くらい強盗!」
当然の突っ込みとなって、叫ばれた。
「強盗だと!?」
「良い度胸じゃねーかっ! であえ、であえーい!」
たったそれだけの言葉が、平和な迎賓館守衛達を混沌とさせる事となる。
「一ぉつ、人の安眠妨げて……」
桃から生まれたお姫様。
「二ぁつ、不審なお魚三昧……」
亀に乗ったら海の中。
「三ぃ〜っつ……」
とても、物騒な雰囲気だった。
どこぞの貴族の双子の弟君が、世直しだか陰謀潰しをしそうな高い橋が見えてしまう。
だからこそ、リナは先にオルトへ告げる。
「三つ、みんな仲良く正攻法で!」
これも、オルディネというものだろう。
「おう!」
受け取ったオルトはリナを抱えたまま、行政府迎賓館守衛室、その訪問鈴を鳴らした。
「夜分、すみませーん。ごめんくださーい」
とても礼儀正しく、爽やかに。
「やぁ、やぁ、若様。こんな夜分にどうしたね?」
煙突を見つけられなかったルカが、天井をくり抜き始めていた。双剣の技巧を用いた力技である。
「ちっと、監査官殿にお会いしたくてよ。やっぱ、未来の領主としてはよ。もう今日くらいしかねーし、悪いんだけど、通して貰えるか?」
何故だかオルトは堂々として、言っている事がマトモであった。解せぬ。リナは耳を疑っている。
「おぉ、なんと。監査官殿もいよいよ報われますな。以前より、キエッリーニからお人が来られたら、お通しする様に申しつけられております。どうぞ、どうぞ」
そして何の抵抗もなく開かれた門に、目を疑ってもいた。大丈夫なのか行政府?
そう思う事は、決して間違いなんかじゃないんだから——。
「いつもお仕事、お疲れ様です」
そんな不条理は押し殺し、礼儀正しいリナも淑やかに挨拶を重ねていた。
オルトに抱えられたままに。
「おうおう。勿論リナちゃんも、キエッリーニのお人だからの。問題ないわな!」
という事らしい。守衛のおじさんと談笑しながら、迎賓館へと向かった。
迎賓館はキエッリーニの屋敷、通称白の家を模して建てられている。らしい。リナは初めて来ていた。
その大きさも造りも、良く知るもので目新しさはない。ないながらも、おじさんのお話は中々面白く聞けている。
秘密の抜け穴の位置だとか、奥方様のお姑様、つまりはオルトお祖母様の為に先先代、やっぱりオルトのお祖父様が建てた屋敷が現在の、キエッリーニ邸だとか。
「結構、由緒ありますよねー。でもでも、奥方様達のお祖父様、開祖様は屋敷が広過ぎて落ち着かないって言ってらっしゃったそうですよ」
婆やから聞いた、小ネタであった。
「おかげで、ご満足頂けましてな。あの監査官殿だって、この迎賓館にはご満足頂けてますからのう」
とても、誇らしげに語る守衛さん。
昔から、トラーパニの象徴であった白い家。
今も奥方様が喪に服す、領主の館。
「あの監査官殿も最初は、いけすかない爺だと思っておったんですがな。いつからだか、随分と奥方様をお褒めになる様になりましてな」
解せる。爺が爺を刺す。よくある事だった。だが、それがやがて友情に変わり、愛となる。
乙女向け秘密小説では、よくある展開であった。
そうでなくともトラーパニの人々は、奥方様が大好きなのだから。
褒められれば、リナだって嬉しい。
「ほれ、最近は奥方様も良く外歩きされなさるだろ? そんな日は、お越しになられぬものかと、そりゃ、子供の様にワクワクとしていてな」
なんとなく、謎は全て解けた様な気がする。それを口にする気はないが。
「なあ、リナ……」
眉を下げたオルトが、情けない声を出す。
その先は、言わないで欲しかった。リナはとても、疲れているからだ。
「……もしか、母ちゃんの男ってアイツ?」
「いけっ! 荒縄くん三号ミニ!」
某社、というかミリオッツイ商会が改良に改良を重ね、お口だけを黙らす機能が特化したのが荒縄くん三号ミニである。
口答えをする生意気な子供や、バカな話を止められないお調子者を黙らす為に、開発されたものらしい。
お口だけを拘束する術具が、思わぬ所で役に立っていた。
何が役に立つかなど、本当にわからないものである。忘れずに鞄を持って来れて、本当によかったとリナは思う。
「あれ? そういえば守衛のおじさまも、何で一緒に来てるんですか?」
なんとなくの同行であるが、謎だった。
「……サボりかのう? 守衛って暇じゃし」
急に、年寄りぶるのはやめて欲しい。
「そういや、昼くらいから奴の姿を見とらんのう」
そしてそういった大事な情報は、もっと先に教えて欲しかった。
「まぁ、護衛とお付きは戻っておったわいな。楊枝屋と演説屋。そろそろ、退屈な守衛室に戻るかのう」
護衛——柳のジーノは魚屋だ。リナもお世話になっている。だが、推定奥方様誘拐事件の実行犯でもあった。
腕の中で、鞄を抱える。
「悪い、リナ。お前まで巻き込んじまって。しんどいだろ?」
リナがここまで来たのは、成り行きに過ぎない。
というよりも、オルトに抱えられていたから、自動的に運ばれて来ただけだった。
「まー、しんどいといえば、しんどいんですけどね。若様に守って貰いますし。いざとなれば、とっておきもありますしねー」
リナに揉め事はわからぬ。けれども、心強い便利道具があった。
リナの鞄には、あの激マズイ紫色の霊薬が入っている。とてもお高くて、死人さえもが文句を言いに来るくらい、マズイ霊薬である。
「ああ、お前の事は俺が守るよ。だけど、危なそうなら逃げろ。絶対に、俺が時間を稼ぐ」
——トゥンク。
リナの胸は高鳴った。こんなにもオルトは——。
「も、もうっ! 若様やですよー。いきなりイケメンぶっちゃってー。小熊の癖に」
そんなに、あのゲロマズイらしい霊薬が飲みたいのかと、期待で胸が一杯になる。
是非、紫色に発光しながら食レポをして貰いたい。
そんな希望を持っていた。
ミリオッツイ商会頭の時は、そんな事を気にする余裕はなかった。リナも必死だったのだ。
死にそうなおじ様の顔なんて初めて見たし、オルトを除いては、死にかけてる知り合いなんて誰のも、見た事もなかった。
でも、オルトになら慣れている。
どれだけ死にかけていても、落ち着いて治療を施す自信があった。
「てーか、結局母ちゃんは此処にいると思うか?」
オルトの疑問には、リナにも答え様がない。
婆やが遺してくれたのは、「柳のジーノ」という名前だけ。
駆け出したルカを追った二人だが、最も大切な事実確認は出来ていなかった。
「婆やからの情報だから、確かだとは思うけど」
婆やからの言付けだ。実行犯は、魚屋と見て間違いないのだろう。リナもそれに対する疑いはない。
なのに魚屋が奥方様を攫った理由など、まったくわからなかった。
「俺も、そこは疑ってねーよ。でも、いねーんだろ? 監査官は」
もし、あるとしたら監査官からの命令だろう。
オルトもそう読んでいて、間違いなくルカも。
しかしそれだけで、奥方様の安否や所在がわかるはずもなかった。
「悪足掻きみてーなもんかとは思うんだがよ……」
監査期限は明日までであった。これまで、トラーパニ、そしてキエッリーニの失態は特に指摘されていない。とリナは思う。
——何かしらがあったなら、奥方様やフィオナ姉様が、何もしない筈ないし。
そういった種類の忙しさは、特に目にしても、聞いてもいなかった。
だからこそ、オルトが言う悪足掻きの可能性はあるのだけれど——。
「かといって、誘拐なんかしたら立場が悪くなるのはアッチなんだよね」
当然の話であった。
だから、リナは益々わからない。
彼女にも面識が殆どないが、王都の官僚、普通に偉い人がそんな真似をするとも思えなかった。
「じゃ、ジーノの勝手か? それも考えらんねーぜ」
稽古をつけて貰いながら、散々骨を折られたり、関節を外されたオルトにしては、随分と買っているものだとリナは思う。
「もしかして……。まさか? 俺は、とんでもない勘違いをしていたのかもしれん」
何かに思い至った様なオルト。珍しい事に、さっきから一生懸命考えて喋っているみたいであった。
「母ちゃんの男って、もしかしてジーノか?」
「行け、荒縄君三号ミニ」
再びオルトを黙らせて、リナは考える。バカの考え休むに似たり。
ただの印象論だが、魚屋が婦女を拐かすタイプの無頼とは思えなかった。
「ア牛グスタがよぉ……」
確かに、あの凶暴なお胸は悪堕ちする理由にもなるかもしれなかった。
未亡人という属性も、あの儚さと気高さの同居したお顔とかも、男受けは良いのだろうとリナは考える。
「でも流石に、領主代行を攫うなんて、考えられないんだけど」
そんな単純な男が魚屋をやれるのか。それがリナにはわからない。
「モゴモゴモゴモゴ」
何事かを訴え掛けてくるオルトだが、リナは無視をする。推理の邪魔であるからだ。
格子柄のケープと帽子を着てこれなかった事が悔やまれる。アレがあれば、推理力倍増なのに。
「ただ、柳のジーノはいるみたいだし……」
直接、尋ねるのが早いだろうとも思う。
その為には、ルカが襲撃するよりも先に引き摺り出さねばならなかった。
ルカはきっと、家探しを行なっている。
奥方様が閉じ込められていると考えて。
もし、見つけられなければ?
「急ごう。真実は、常に一つ」
考えるまでもない。間違いなく双剣を抜いて尋問を開始する。
可愛い顔をしていても、ルカは騎士だった。
だけど、ルカ一人では柳のジーノに勝てはしない。返り討ちにされて逃げられるとも見ていた。
情報が失われる事は避けたい。
つまり、ルカよりも先にジーノに接触して答えを聞くのが、たった一つの冴えたやり方であった。
「オルトン君、こうしよう——」
リナは荒縄くん三号ミニを解除して、オルトへ作戦を授ける。
探偵ものの主人公に憧れるリナは、いっぱしの探偵気取りであった。
「マンマの危機だよ! 頑張れ男の子!」
「お、おう……」
やや落ち着きを取り戻した少女と小熊達は、どこか緊張感を置き去りにして立つ。
唯一明るい客室の、その庭先に。
「柳のジーノ、出てこいやぁ!」
バカでかい、能天気な小熊の咆哮が轟く。
これは、作戦だった。ルカよりも先に、容疑者を確保するための。
「悪のお魚屋さん! 出て来なさい!」
だが皆を傷付けて、マンマを攫った悪人は、お魚屋さんでも赦せない。
小骨を抜いておいてくれる理があろうとも。
とてもお安い小魚を売っている利があろうとも。
リナも結構な、お母ちゃん子であるのだ。
赦しを与えるつもりはなかった。
お読みいただきありがとうございます。