夜に笑うは朧月。
躍り出た柳を前にして、小熊——オルトが猛る。
「ぶっ飛ばす」
逞しい若者は膝を曲げ、腰を落としての前傾姿勢。
「やってみろ」
柳の二つ名を持つ無頼は構えず、鼻で笑った。
「はい。ちょっとだけ、待ちなさーい」
そこへと割って入った侍女の声。
「あー。お嬢ちゃんは危ねーから、さっさと帰んな」
顎を撫でた無頼がその声に応えれば、侍女は優雅な淑女の礼。
「そういう訳にも参りません。私は名探偵リナ。悪のお魚屋さん、いいえ、奥方様誘拐事件の容疑者、柳のジーノさん。犯人は、貴方です。単刀直入に聞きましょう。奥方様は何処ですか? 婆やの何かに賭けて」
謎を解き明かしたらしき名探偵リナが真実に迫る。
「さぁね。犯人が、そんな自白をするとでも?」
だが大人は意地悪だ。
その癖に、凄く嫌そうな顔を一瞬したな、とオルトは思う。
ルカはまだ来ていなかった。
「中にゃ、いねーんだろ?」
「さぁな? そんなに、マンマのおっぱいが恋しいかい? 小熊の坊や」
あからさまな挑発。だがそれに乗る様な単純なオルトはもういない。
ルカは中で母ちゃんを探しているのだろうが、多分此処じゃないなとまで、彼は考えられていた。
「当然です、おっぱいがとっても恋しいです。ですので、そこを何とか教えてください」
食い下がるリナの声。背中から聞こえる声は、勝手にオルトの代弁をしていた。良い迷惑であった。
「わかってんだろ? こっちは仕事だぜ?」
守秘義務みたいなものだろう。だが、オルトには一つ考えがあった。
「わかってるから、やろうぜ。いつものヤツを」
ジーノとの稽古では、一つ口約束があった。
——俺から一本取れたら、褒美をやるよ。
身体で覚えろという、何でもあり実践形式での稽古の中で、まだ一度も取れた事はない。
「はっ! 口だけは一丁前だな。クソガキが」
毎回コテンパンにのされ、痛みを刻み付けられている。骨を折られ、関節を外され、打ち据えられて。
一撃だって、当てた事さえもなかった。
ターン。タタタターン。
軽い音が、立て続けに響いた。
連続する発砲音、銃声。
「おいおい、随分と物騒なお嬢ちゃんだな」
背中を見せたジーノが手を振ると、パラパラとそれらは落ちる。
運動性能を失った、大量の銃弾だったもの。
「不意打ち失敗。でも、まだまだある」
短機関銃を投げ捨てたルカが、また新たな銃を構える。大型の、狙撃銃だった。
彼女の足元には大量の銃火器が置かれている。
「ルカっ!」
リナの叫びを掻き消す銃声。
「大丈夫。迎賓館にあったもの、実質無料」
「おっそろしい、娘っ子もいたもんだぜ……」
次々と引き金を引きながら、銃を投げ捨ててゆく少女。躊躇いはない。
だがその全ての銃弾でさえも、柳を傷付ける事はなかった。
躱し、いなし、弾き、掴む。
柳の技量は回転すらをも殺した。
「銃じゃダメか。なら……」
ルカが地面へ手を付いた。
「のわっ!」
ジーノの身体が大きく動く。それまで居た場所には一本の長剣が。
「やはり、格上。オルト、ぼけっとしない。なんでもありだよ」
少女の言葉に促され、若者の足元が爆ぜた。立ち昇る土煙。オルトがジーノへと殴りかかった。
庭は陥没している。音さえ置き去りにする打撃。
だが——。
重なった、鈍い音。音は遅れてやってくる。
「ぐっ」
短い呻きに。
「甘ぇよ」
「いてててて! ルカ! やめろ!」
余裕の言葉。腕を折られたオルトへ向かうのは、ルカの放った銃弾だった。
「オルトは鈍間。連携も下手」
ジーノを狙ってばら撒かれた機関銃であるが、その場所へ突っ込んで来ていたオルトが、身を持って受け止める事となった。
「ルカ、どうせ効かねーし、銃はやめておけ」
腕を折られたままに、跳び退がるオルト。
ルカは聞かず、ジーノへ砲弾を放っていた。対霊獣用の、迫撃砲である。
強化を用いたオルトを銃弾が貫く事はない。つまりはより格上のジーノにも決定打とはならないのだが。
「いや、俺でも砲弾はしんどいからな? あんまり、庭も壊すんじゃねーよ。大切なんだろ?」
砲弾の運動さえをも無にしたジーノは、残骸を放り投げて嘯いた。
迎賓館はキエッリーニ邸を模している。庭には花々や、樹木と植えられている。その中には、ルカの大好物であるオレンジの木もあった。
「確かに。次からは、確実に当たる時を狙う」
双剣を構えるルカ。
その判断は、割と妥当なものである。銃火器は手軽であれど、問題もそれなりにあった。
「はい、痛いの痛いの飛んでいけー!」
そして何より、この戦場にはリナもいる。
オルトの腕を癒した彼女には、銃弾に耐える術はなかった。
「なんか、雑じゃね?」
軽口を叩きながら、オルトはリナの顔色を伺った。
あまり、良くはない。疲労が蓄積されている。限界は既に見えていた。
「頑張れ、男の子」
それでも彼女は朗らかに送り出す。癒士として、侍女として、妹分として。治療鞄へ手を入れながら。
「私がいるからには、弾け飛んでもパラパラになっても、生きているなら何度だって癒してあげちゃうよ」
取り出されるは、紫色に輝く毒々しい小瓶。
ゲロマズイ事で有名な、けれど効果だけは死人でさえもマズさに文句を言いに生き返る、が宣伝文句の霊薬だった。
死者蘇生は秘蹟である。過大広告により、この霊薬は現在、販売差し止めとなっていた。
「「勘弁してくれよ……」」
偶々ながら、男二人の心が一つとなった。
方やその味を思い出し、方や小熊のしつこさを思い出し。そしてまた、一発の銃声が。
「オルト、さっさと片付ける。奥方様を探しに行く」
銃弾を弾き返したジーノ。ルカはそれを躱す。
そして彼女の意見は当然だった。
「今日こそ一本取ってやる」
「お前には、出来ないかもしれねーぜ」
低い姿勢から、身体全体でのぶちかまし。
速度も体重も充分に乗っている。
手足を取られぬ様にする、オルトの作戦であった。
だが——。
ジーノは更に低い姿勢。
その腕は突撃に伸び切った膝の下、足首から踵を抱え、自ら身体を回転させながら捻り上げ——。
捩じ切った。
竜巻式足投げ。
足首、膝、股関節。
脚を構成する関節に、強い負荷をかける技。
魔銀の身体能力で、更に加速させる殺し技。
「オルト!」
取られていたのは左足。オルトは右足一本で跳び下がる。叫んだリナの前へ。
ジーノは極めていたオルトの左脚だったモノを放り投げる。横へ、誰もいない場所に。
「我はここに集いたる——」
詠唱を紡ぎ始めるリナ。離れた場所で、ドサリと重い音がした。
巨漢であるオルト。その四肢は鍛錬により、逞しく肥大している。
特に筋肉の大きな脚などは、例え一本であっても小柄なルカやリナの全体重よりも重かった。
治癒は傷を癒し、切断された人体さえ接ぎ治す。
繋ぐ為、駆け出そうとするリナ。
「チッ」
だがその前を、大きな背中が塞いだ。片脚で。
跳び下がった無頼の舌打ちは、足元から生えた剣のせい、だけでなく。
「甘ぇのは、おっさんだぜ。俺がいる限り、リナに手出しはさせねーよ」
左足を、そして右手首から先を捥がれたオルトは、なお笑う。
リナの意識を落とそうと、手刀を振るったのが柳のジーノ。だがその前に立ち塞がって、受け止めたのはトラーパニの小熊オルト。
「いてててて! いてーんだよっ! クソガキが!」
そして淡々と銃弾をジーノへ打ち込んでいくのが、まだ二つ名を持たないルカだった。
ジーノの背中に傷はなく、銃弾は地に落ちる。
とはいえ、傷がなくとも痛みは感じる様だった。
「やはり、効かない。けど、嫌がらせにはなる」
オルトの筋肉が手刀を受け止めた一瞬の静止の中で、ルカは地面越しでの刀剣顕現を行っている。
足元からの刃を躱したジーノは、行き掛けの駄賃とばかりにオルトの右手を捥ぎ取っていた。
この間に行われたのは、ただそれだけの事。
血に濡れた柳は、奪い取った骨肉を放り捨てる。
傷だらけなのはオルトだけ。
ジーノもルカも、そしてリナだって、傷の一つも負ってはいなかった。
「リナ、危なくなったら逃げろよ。時間は稼いでやるからさ。痛くなんてないし、平気だぜ。俺は、身体を張るのだけは得意なんだ」
血に塗れ、お日様みたいに笑った男。
「バカオルト! そんなか……」
身体で無茶をして。そうリナは言い切れない。
血は止められる。傷口も塞げる。けれど左足がない、右拳も。
——痛くない訳、なんてない。傷だって深いどころじゃないし、身体が壊されて平気なんて事。
傷を癒し、苦痛を和らげるのも医学の業。だかこそリナは、強がりだと知っている。
彼女は間に合わせでしかない止血を行いながら、奪われてしまった青年の手足を探す。
「あぶねーから、あんま動くんじゃねーぞ。リナは鈍いんだからよ。筋肉、引き締めたんだけどな。抜かれちまったか」
変化したジーノの貫手が止められる。リナから見えたのは、「また」オルトが立ち塞がって、護って貰った結果だけだった。
「血は、よく滑るんでな。ま、俺の方が速いってこったよ。脳筋お坊ちゃん。……てっ、クソガキ!」
青年の脇腹から引き抜かれた腕は、銃弾を止めていた。
オルトの身体に、新たな欠損はない。貫かれた脇腹以外は。
「私も、いる」
オルトの騎士ルカも、標的から距離を取りながら弾幕を張っていた。引き撃ちであった。
「でも、片脚じゃ、ちっとバランス悪いんだよな」
少しだけ困った顔をするオルトであった。
欠損による戦力低下は確実で、幾ら脳筋の彼であってもその不利や限界を察さぬはずもない。
「う、うぅ……」
リナは動けない、癒せない。
オルトは笑っている。いつもみたいに、痛くなんてない、とでも言うように。
嘘だ。そんな訳がない。
左脚がなかった。
右手もなかった。
血もいっぱい出ている。
治せる。きっと治せる。でも、今の自分では足りない。そう思ってしまった瞬間、彼女は拳を握った。
その中に、硬いもの。
「まったく、鬱陶しいガキどもだが、オルト。お前さんが身動き取れなくなったら終わりだぜ」
「死んでも、喰らい付いてやるよ」
ジーノも軽々しく動かない。
「なら、死ぬまで耐えな。それで終わりよ」
彼はルカによる銃弾を弾き返しながら、オルトの左脚からもそう遠く離れないでいる。
脚を取りに来た相手から、仕留めるつもりなのは明白だった。
柳は冷たく笑う。
盾の動きを封じてしまえば、この場はどうとでもなると。それは時間の問題であるとも。
オルトは何度壊されても、立ち上がるとリナは思う。脳筋だから。
どんなに怖くても、痛くても、「俺は、父ちゃんと母ちゃんの息子だぜ」なんて言いながら、笑うのだろう。だったら——。
リナの指が、動いた。小瓶の蓋へ。
「も、もーう! わかりましたよ! すっごく、すっごい嫌ですけど、やってやりますよ!」
勝ち筋を見た男の視線と、諦めを知らない男の視線が結ばれた。どちらにも、覚悟が固まっていた。
だからこそ、少女も覚悟を固めた。
もっと、怖いモノへ立ち向かうために。
彼女は毒々しく輝く紫色の小瓶を見詰め——。
「おぇ……。ゲロまずぅ……」
一息に飲んだ。禁断を。彼女のとっておきを。
「治癒ってのはねー! めっちゃ! とっても疲れるんですからねー!」
そして叫ぶ。全身を、紫色に発光させながら。所謂謎の光であった。霊薬による副作用ともされている。
とても疲れが吹き飛ぶが、人の尊厳までをも吹き飛ばす。愉快な副作用であった。
「けどさ、けどさ! 私なら、手足の百本や二百本くらいー!」
この先、私は紫発光お姉ちゃんなどと呼ばれ続けるのかな? リナはそう、クライミライを浮かべる。
だが、その身体は無駄に派手な輝きを放っている。まさに、謎の光。
謎の光はオルトの身体までをも包み込み——。
「「マジかよ……」」
またもや、男二人の声が重なった。
枯れた中年は顎を開いて呆然とし、にやけた青年は「左脚」へと「右手」を当てる。
「マジだよっ! くっそー! 激マズだよ! 激恥ずだし!」
鼻を摘み、オルトの背中を押したリナ。彼女はケバケバしく、毒々しい発光をしている。
——明日から、
そう明日の我が身を想い、涙を流すリナだった。
だが、そんな感傷を吹き飛ばす、明るい声がする。
「この厚み、この硬さ、そしてこの感覚。……おかえり、俺の大腿筋」
自らの太腿を撫で摩る、筋肉であった。
オルトの左脚は、生えて来ていた。元の強度や機能をそのままに、欠損は回復している。
「元左脚はいらないね。爆破、目潰し」
元々生えていた、捩じ切られた左脚も、放り投げられた右拳もそのままにして。
閃光と爆音、そして血煙。
お掃除上手なルカは、元オルトの手足を爆破する。
迎賓館には手榴弾も豊富にあった。
「反則だろうが……」
とても嫌な顔をしながら、肉片を躱す無頼。治癒には多少ながらも心得のある彼だからこそ、その非常識さに戦慄していた。
「治癒術士なら、あったりまえーです!」
なんて事はない。
治癒は願えば叶う都合の良い便利な技術などではなく、行使の際に多くの術式が用いられている。
生命力譲渡という基本的な術式から、精密な念動による物理的な修復作業に、破損した細胞を再生させるもの。解毒や滅菌を行うものもある。
突き詰めていけば、医学。それだけだった。
だからこそ欠損を補うには部品としての肉体が必要であり、再生不可能なほど破損されれば意味がない。
油断、慢心、僅かな畏怖か。思考が高速で流れていた。
拳が、その鼻先を掠めた。ジーノの鼻先だった。
身体は自然と反応し、傷はない。それでも。
「よぉ、おっさん。仕切り直しといこうか」
無傷となったオルトが、獰猛に笑った。
「行け、再生怪人オルトンくん。泥試合だ!」
ジーノには、恐れている事が一つある。
簡単な事だった。
速くとも、芸のない回し蹴りが飛んでくる。
「遅ぇ」
掴む、捻る、回す。可動域の逆方向へ。単純な関節破壊からの切断。
簡単に、対処が可能だ。
だから柳は小熊も小娘達も恐れない。恐れる理由が何もない。
「行けっ! 何度でも!」
奪ったものを投げ捨てる。また足が生えていた。切断の、意味は薄かった。
「オルトは、しつこい男」
ちびっ子は、容赦がなかった。
「おらあっ!」
今度は見え見えの、左拳が来ていた。
速い、確かに速い。だが、それだけだった。
いなし、顎への掌打。脳を揺らしてやる。
「俺の首の強さと柔らかさ、舐めんじゃねーぜ。脳の筋肉だって、よく褒められるんだぜ」
ニヤリと笑い、組みついてきやがった。
流石に筋肉なだけはあり、軽い打撃が通らない。
それはコイツの強味だな。柳のジーノはそう思う。
「おっと、いつ一撃入れられるかねぇ?」
その腕を取り、投げてやる。
人体構造に変わりなく、柳の技量に小熊は遠く及ばない。オルトの巨体が舞った。
そうなれば、バケモノみたいな癒士への道が空く。
「お得意さんだ。痛くはしねーよ」
その意識を刈り取れば終わる。バカガキが何度立ち上がろうとも、手足がなければ簡単に逃げ切れた。
「行かせない」
足元から剣が生えてくる。ついでに嫌がらせの様な銃弾に爆発。それらは、ジーノにとって脅威とは成り得なかった。
「でかしたルカ」
だが、脚は一瞬止まる。その隙に、小熊が道筋を消していた。
「当たり前」
その声に振り返れば、メスガキが舌を出している。無表情のままで。
「メスガキがよぉ……」
ここに来て、ジーノのコメカミに青筋が浮かんだ。
「お、じ、さ、ん。私から片付ければ良いんじゃないの? それとも怖いの? 可愛い女の子が」
クソ生意気な煽りであった。棒読みじみた語調でありながら、無表情なのが逆に怖い。
「オメェから片付けるのが正解なんだがヨォ」
溜息を吐き出す無頼。そう、その方が遥かに効率的だった。
「ルカ様に手出ししたら、柳のジーノはロリコンだって言いふらしますからね」
侍女が高らかに宣言すれば。
「組合の皆にも伝えておくぜ。メスガキ大好きジーノおじさんよぉ。ロリコンのジーノさんヨォ」
小熊も吠える。
「そう。私に攻撃してきたら、酷い事されたと言いふらす。ある事ない事いっぱい。ロリコンはビタロサに居場所はない」
真顔で言うルカもいる。恐ろしい、ガキ共だった。
「チッ」
オルトに殴りかかられる。
当たれば脅威だが、そもそも柳には当たらない。柔らかく、受け止めてから極めるだけ。
そこに投げ入れられた手榴弾。
爆発し、燃え盛る。焼夷弾であった。
ジーノは少し距離を取る。爆発は耐えられても、やはり火傷は気分的にも避けたいものだ。
「てーか、オルトの方が大怪我してんじゃねーか」
オルトの肩は外したが、それだけだった。ジーノが外した肩よりも、全身の火傷の方が痛々しい。
「問題ない。必要な犠牲。それにリナが癒す」
その通りであるのが、魔銀位階の無頼には腹立たしい。何より彼にとって忌々しくも腹立たしい事は。
「こっちにゃ、時間がねーんだがな」
それだった。時間は、あの男がこの街に戻って来るまでしか残されていなかった。
あの剣の狂気が、彼には恐ろしい。
ジーノは勝ち筋のない闘いに挑む程若くなく、狂ってもいない。
あの豚野郎とは対極にある冷たい執着が、魔銀位階の冒険者、天涯孤独の無頼には、恐ろしかった。
思い出してしまった戦慄に、汗が垂れる。
柳であろうとも、彼は尋常な男でしかない。
「こっちだって、母ちゃんの居場所がわかれば、無理には追わねーよ」
場所をゲロってしまおうか。そんな気持ちにはなるが、大人として、冒険者としては避けたい。
信用は、何にも代え難いものだった。
無頼であっても、あるからこそ、ジーノはそういった事にこだわってきていた。
「悪のお魚屋さんになっても、悪い人じゃないんですよねー。多分」
「私に攻撃しないのも、多分それ。武人とかの面倒臭い意地がある。父上みたいな。だから私は利用する」
リナに調子を合わせたルカの言葉は、一面では正解だった。
「いや、まぁ俺だってガキを痛めつけて喜ぶ悪趣味はねぇからよぉ……」
その背中には哀愁が漂う。ガキ共は、倒す意味のない敵だった。逃げればいい。だがそれが、出来ないでいる。
ジーノの目的は、無事逃げ切る事である。
この街、トラーパニから王都へ。
より正確に言えば、あの狂った男から。
アントニオ・マリオ=ペントラ一代男爵。
キエッリーニの当主代行、トラーパニの領主代行アウグスタ・ビアンカ=キエッリーニ唯一の剣から。
「まぁ、逃さねーしな。せっかくだから、一本取っておくしよ」
逃げさせて、貰えないでいる。
面倒臭い、女と男の子供達によって。
「ったく、面倒くせぇ。口先だけの小熊の坊ちゃんよ。先ずはオメェから折ってやっからよ」
柳は再び嘲笑う。面倒だ、先に心を折ってやると。
「我慢比べじゃ、負けるつもりはねー」
小熊も再び猛る。負けっぱなしじゃいられない。一発入れてやるからよと。
風が吹く。熱い港の潮風が。
空は晴れ間を見せている。
輝ける顔を見せた月が、凄惨な戦場を照らした。
夜の闇に包まれて、白く輝く貌で。
冷たくて、優しくて、誰かによく似ていた。
月は無慈悲な夜の女王で、変わりなく笑う。
子供達と大人による泥試合が、再び幕を開けた。
お読みいただきありがとうございます。